1-3 レベル1の作戦
作戦実行まで時間があるということで、二人は陽太の家にやってきていた。
星宮の家は星宮が嫌がったために却下され、ファーストフードで時間を潰そうものなら店員に注意される。
一八回というループの中で星宮が最も求めたのは居場所だった。
いつもなら学校へ行き、時間を潰すのだがあまりにも退屈な日々に辟易していたところだという。
新鮮さを求めていたのだろう。星宮は陽太の家が今日は誰もいないということを嬉々としていた。
渋々彼女を家に上げることを承諾したのだが、陽太は動揺していた。
何しろ再び訪れた今日ではショートヘアの似合う素人と題された本はまだ隠れていないのだ。
なんてこったい。
下手をしたらこれから何度も顔を合わせるのだ。家族や友人にも話せない二人だけの秘密に結び付けられる。
もし、今日が再びやってくるとなると毎日のように星宮は陽太の家に来ることになるだろう。それも毎日軽蔑の視線を陽太に向けて。
そんな事態に陥る前にショートヘアの似合う素人を隠さねばならない。
「ちょっと待ってて」
玄関を開けるなり、靴を履いたままの星宮を置き去りに自室へと飛び込んだ。
まずはショートヘアの似合う素人だ。無造作に足で蹴り上げ、ベッドの下にたたき込む。
次は枕元に隠してある巨乳軍団だ。
おいしい若妻の召し上がり方、君と僕はビンビンビン、俺のカルピス苦いけど飲むか、エッチな幼馴染の大きなボイン。
もし、今日が終わればすべて焼き捨てよう。こんなもの筋肉乙女に見られたら大変だ。
「忙しそうね」
ハッとして振り返ると苦笑いを浮かべる星宮が部屋の入り口に立っていた。
見られてはいないはずだ。だが、見透かしたような表情で星宮はじっと陽太のことを見ていた。
重厚なプレッシャーが襲い掛かる。今にも罵詈雑言を吐き捨てられるような恐怖感が腹の底から這いあがってくる。
それはモンスターと対峙する時とは、また違う威圧感。まるで、すでに自分が敗北者であるかのような劣等感のおまけつきだ。だが、心は怯えているが確信があった。
本の類はすべてベッドと壁の隙間に隠しきった。ショートヘアの似合う素人もベッドの下で眠っている。
星宮の立っている場所からでは陽太の背中しか見えなかったはず。
「なんか飲む?」
上ずった声で問いかけると星宮はにっこりと笑った。
「苦いカルピスじゃないならなんでもいいよ」
見られていた。
部屋の中央には小さな座卓が一つ。その上にはコーラの入ったコップが二つ置かれている。
作戦決行までかなり時間がある。それまでの時間を会話もない空間で過ごすという地獄は陽太には酷であった。
今にも逃げ出したい。
いっそのこと装備に羽でも選択すればよかった。そうすれば今にも窓を開け放ち空へと飛び立つことが出来ただろう。
いい加減足もしびれてきた。
「そういえば」
沈黙を破るように陽太は口を開いた。漫画に目を落としていた星宮が不思議そうに顔を上げた。
よくよく見ると星宮は随分とまつ毛が長いことに気が付いた。
「えっと、なんで俺がゲームをしてるってわかったの?」
学校を休んだ日、星宮が乗り込んできた。そして、一人で片を付けると宣言して出ていった。
次の日には現れなかった。そして、再び訪れた今日には突然話しかけた陽太に驚く素振りも見せずにすべてを語ってくれた。
「なにか感覚的なものがあるのか?あいつはゲームしてるな、とか」
やれやれといった具合に星宮は漫画を閉じると陽太と向き合った。
「私は一八回今日を過ごしている。その中で人はみんな毎日同じことを繰り返すの。ずっと同じこと。同じ時間に学校に来て、同じ人に話しかけ、もう何日も前の昨日のテレビの話をしてる。でも、その中でも少しだけズレがあるの」
それはほんの些細なズレだという。例えば、授業中に消しゴムを落とした時に一昨日は右手の人差し指と親指で拾っていたのに、今日は親指と人差し指に加えて中指でつまみあげる。
そんな些細な気まぐれだ。最初は気のせいだと思ったし、見間違いだと思った。だが、そのズレは次第に大きくなっていく。消しゴムを落とさなくなり、授業中によそ見をしていて先生に怒られる。
「それが俺だったの?」
極めつけは学校を休んだこと。それにより星宮の中の違和感が確信へと変わったのだという。
「俺たちの他にもいるのかな」
他の仲間がいれば、モンスターを倒すことは容易である。だが、陽太の希望的推測を否定するように、星宮は首を横に振った。
当然だ。その希望を星宮が抱かなかったわけがない。毎日訪れる死のループに怯え、誰よりも他者からの救いを求めていたのだろう。
一八回という死を乗り越えた先でようやっと見つけた仲間なのだ。彼女にとって唯一同じ時を過ごすことの出来る人物だ。
これが本当にゲームであれば、ヒロインとヒーローの出来上がりだ。
「だから、逃げ出したりしないでよね」
少しだけ思い出された孤独を振り払うように星宮は軽快に笑った。
それに応えるように陽太も笑みを投げかけた。
二人が森へとたどり着くと時計は一四時五分を指していた。
森の中心に木々に紛れて動くモンスターの姿が見えた。月明かりの下で見た恐怖の塊とは少し違う。
それは漆黒の闇が奪ったリアリティに満ちている。
薄気味悪さというベールを纏った獣の赤い瞳がじっと
日の下で見るモンスターの姿はまさに木のようだった。
犬よりも大きく、クマより小さな体躯。その体には不釣り合いな小さな後ろ足、それとは正反対の大木のような巨大な腕。体毛の生えていない学校のグラウンドの土のような色をした肌。質感は土というよりもごつごつした岩のように見える。
極めつけはやはりラグビーボールのような頭だ。その半分の面積を埋め尽くすような巨大な赤い瞳がぎょろぎょろと蠢いている。
その目には人間のような白目がない。眼球そのものが赤い瞳のようだ。
地面に突き刺さった枝の地点までたどり着いた。
陽太はカバンから剣を取り出し、鞘をベルトに固定した。
「ここで待ってて」
呼吸を整える。一歩、一歩、と近づくたびにモンスターは待っていたと言わんばかりに唸り声に似た低い声を震わせた。
星宮が距離を詰めれば詰めるほど、その声に歓喜にも感情が孕んでいくのがわかる。
それが爆発したのは、ちょうど星宮が引いた線を彼女自身が踏んだ時だった。
ゴリラのような歩行だ。腕を軸に体を持ち上げ、ブランコの要領で体を前へと押しやる。
傍の木に腕を伸ばし、爪を食い込ませるとその体を軽々と持ち上げた。
そのままもう片方の腕で別の木へと手を伸ばし、再度爪を食い込ませる。
それを見て星宮もまた踵を返し、走り出す。陽太はまだ剣を抜かない。
柄に手を伸ばし、ただじっと握りしめ、星宮の合図を待った。
星宮が走り出したのを見てモンスターはぐるぐると低い唸り声を上げながら、爆発するように勢いを増した。
掴んだ木から自分自身を投げ飛ばしているかのようだった。
木から木へと飛び移る姿はターザンを彷彿とさせる。改めてその光景を目の当たりにすると背筋がゾッとした。
星宮との距離はアッという間に詰められる。だが、星宮もさすがだった。
フットワークを生かし、わざと狭い道を選んで走っている。モンスターも木々に阻まれ、攻めきれずにいる。
星宮との距離が一〇メートルになった。合図が出た。だが、すっかり怖気づいてしまっていた陽太は動くことが出来なかった。
「走って!」
星宮が吠えた。その声に突き飛ばされるように、陽太は前のめりになりながら走り出した。
すぐ背後で音がする。星宮の息遣いも近くで感じる。それと同時に空気を切り裂くような音が迫っていることにも気が付いた。
振り返ってはいけない。自分自身にそう命じてひたすらに足を振り回した。
目的地へと到着する。そこは本来工事現場か何かだったのだろう。視界の端には積み上げられたコンクリートが放置されている。
遮蔽物も何もない平地。森から飛び出したモンスターはどすんと大きな音を立てて陽太の目の前に着地した。
目の前にすると巨大な怪獣のようだ。犬よりも大きく、クマよりは小さい。だが、陽太よりもはるかに大きく感じられる。
思い出したように鞘から剣を抜く。黒い刀身が日の光を吸収するように一度だけきらりと煌めいた。
モンスターは星宮が言っていた通り動きが随分と鈍くなった。赤い目を動かして周囲にあるものを見ていたが、使えるものがないと判断したのか、諦めたように陽太と向かい合った。
陽太のすぐ背後で星宮は膝に手をついて乱暴に呼吸を吐き出している。
陽太の呼吸も十分に荒い。だが、体はまだまだ動けそうだ。
対峙するのは三度目。二度目と違い、味方もいるのだ。
わずかに震えてはいるが、狙いが定まらないわけじゃない。わざと体を持ち上げるようにぴょんと飛び跳ねてみた。
初めて一人で向かい合った時に比べれば体は随分と軽い。たったの一分だ。
その一分を耐えきれば、なんとかなると思った。
「一分よ、頼むわ」
ぜぇぜぇと喘ぎながら星宮は陽太に声を掛けた。
「わかった」
モンスターは動き出す。腕を足のように使いながら走ってくる。
陽太はじっと剣を構えて、それを待ち受ける。
「逃げて!」
星宮の声が響いた。
ここで逃げたら男が
陽太の体はまるで綿毛のようにゆったりと宙を舞った。あまりにも一瞬の出来事だった。
空中で見えたのは疲れ切った星宮が武器を振り回している姿だ。だが、刺の生えたバスケットボールはモンスターの左腕に易々と弾かれ、残った右腕が横殴りに星宮の体に襲い掛かる。
折りたたまれるように星宮の体はぐにゃりと曲がった。地面に体が落ちるまでの一秒にも満たない時間の出来事だ。
陽太の目には赤い目が陽太を見てニタニタと笑っているように見えた。
陽太は無防備にも頭から地面に落ちる。痛みなどなかった。ただ、気が付くと自室のベッドの上にいた。
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