5-3
大国の首都は、剣士の見知った街とは比較にならぬほど栄えていた。
隣国の滅亡は首都の民衆を震撼させたし、大国が侵攻される側に立たされている事も周知ではあった。しかしそれを差し引いても余り有る程の、繁栄と活気と平和への慣れが浸み渡っている。皆ここが戦場になることへの恐れは抱いているものの、普段と大して変わらぬ生活を営んでいた。
剣士は物珍しそうに目を動かしながら、首都の街並みの中へと足を踏み入れて行った。街では人夫がひっきりなしに走り回り、商人が我勝ちに声を張って叫んでいる。飯屋や旅籠は慌ただしく煙を上げ、其処此処で浪人らしき者達が
剣士は都会の喧騒に溶け込みながら、人工物に狭められた青い空を見上げた。これから起きる惨劇を知ってか知らずか、巻雲は人々の頭上をふわふわと漂っている。
ふと西方に目を遣ると、分厚い灰色の雲がこちらへ流れて来ているのが見えた。剣士はその雲を後方に置き去るように、足を早め真っ直ぐに城へと向かう。
城に着くと番兵に使者として出向いたことを伝え、書状を提示した。
城中へと案内を受ける。暫し待たされ、上階の謁見室へと連れて行かれた。
国王が豪華な出で立ちで、労いの言葉と共に迎え入れる。大国の王らしく、威厳と誇りに満ちた顔をしていた。
剣士は無機質にそれを視界に入れると、礼を執って型通りの挨拶をした。
国王の後方には屈強な戦士が四人控え、周りには将軍級の軍人や大臣が並ぶ。勿論この部屋の周囲にも、警護の兵がぎっしりと詰まっていた。
国王や周りの臣下は、剣士に対して社交辞令を述べつつ武勇を口々に称える。その言外に、恨みと殺気と敵意を含ませながら。
剣士は平然と聞き流し、懐から書状を出すと臣下へと渡す。
臣下がそれを音読し始めると、場の空気は極度の緊張状態を経ながら、次第に殺気に満ちた修羅場へと変貌していった。其処彼処から唸るような息遣いと囁き声が漏れ聞こえて来る。
書状の内容は到底大国側が飲めるような内容では無く、暗に国王を侮辱するものであった。
読み上げが終わると、国王が書面を手に取り内容を確認する。その様子を見ながら、周りの戦士や将軍までもが刀に手を掛ける。部屋の外に控える兵達にも目配せが行き渡る。
国王は書状を三度読み返し顔を上げると、使者の首を斬るよう皆に告げた。
剣士は、大きく溜息をついた。もちろん、国王や大国に対してではない。そしてそれは、自国に対しての溜息ですら無かった。
いつの間にか外からは、雨滴が屋根に撥ねる音が聞こえている。
剣士が息を吐き終わる前に、左右の背後から、剣士を虜にすべく縄を掴んだ手が勢いよく伸びて来る。その腕をするりと抜けると、剣士は国王に向かって駆け出した。
脇から臣下達が、進路を阻みに来る。剣士はそれらを斬り殺し、避けながら、全く勢いを緩めることは無い。
それを見た大臣達が、急に慌てて殺せ殺せと喚き出す。文官達も一部を除いて、皆剣士を押し止めに来た。将軍が刀を抜き、護衛の戦士も国王の前に立ちはだかる。
しかし剣士は眼前の敵を一瞬で絶命させ、その死骸が倒れる隙間を縫うように進んだ。狭い室内、押し包む間もなく切り開かれ、国王は大臣に導かれて逃げようとする。
剣士は四人の護衛もあっと言う間に全滅させ、勢いそのままに大臣を一突きに殺す。周囲の部屋から大量の守備兵が雪崩れ込んで来たが、もう間に合わなかった。逃げる国王を、背後から横薙ぎに真っ二つにする。
一瞬遅れて、国王の胴体が前方にずるりと落ちた。下半身はまだ立っており、平らな断面から勢い良く血を噴き出している。国王も息が残っていて、うつ伏せのまま首をこちら側へ向け、口をぱくぱくさせて血を吐いている。重臣や忠将が駆け寄ろうとするが、剣士はそれを阻みながら、向かってくる者達を悉く惨殺した。
そうしている内に国王は
剣士も無論、好きで残酷な殺し方をした訳ではない。何せこれだけの敵勢と狭い空間である。打てる手は全て打つつもりでいた。
敵の戦意を殺ぐためなら、首も必要以上に飛ばし血も撒き散らした。目も当てられない程な苦痛を与えたし、己の全身を血で飾ることも
剣士はその場に居る全員の、憎悪と恐怖を一身に集めた。国王を殺された怨み、仲間を殺された恨み、祖国や家族を守るための怨念。様々な感情が渦巻き結束しようとし、場を支配して剣士を取り包まんとした。
剣士は無機質な眼光を鈍く輝かせながら、それらの想いを一つずつ、文字通り断ち斬って行った。悪魔のような剣士の所業に、敵兵達の数多の存念も次第に数を減らして弱々しくなった。
一方で剣士は、心の奥底にある冷たくどす黒い部分が、熱を帯びて溶け出すのを感じていた。心地良いような、気持ち悪いような、奇妙な生温かさがあった。剣士はその奇妙な感覚を
最早部屋中が血溜まりに沈み、死骸の陸地で埋め尽くされた地獄と化している。剣士も返り血で全身を真っ赤にし、髪先からは血を滴らせ、その顔さえも朱に染めていた。
暫く斬音と悲鳴と呻き声が続いた後、部屋の中で動く者は一人も居なくなった。階下からの応援も相当数来たが、ただ屍を増やすのみであった。
剣士は部屋の中程で、死体の山に囲まれて俯いていた。血だらけの横顔は、笑っているようにも見えたし、泣いているようにも見えた。
剣士はふと思い出したように狼煙に火を点けると、雨の落ちる階下の庭先へと放り投げた。元々雨の日でも使えるように作られているため、血に濡れていようが煙は上がる。
城下に潜んでいる抜刀隊の面々が、外で待ち構えている本軍を招き入れる手筈となっていた。上層部を根こそぎ殺され、指揮系統を完全に破壊された大国軍は成す術も無いだろう。城内の惨状を上手く使えば、無血開城すら有り得る状態であった。実際は既に城内血塗れになっているので無血も糞も無いわけではあるが。
剣士はふらふらと階下へ降り、向かってくる敵兵を殺しながら、城門を斬り開いて街の外へと歩いて行った。途中、抜刀隊の隊員が、城中に鬼が出たとか喚いているのが聞こえた。
剣士は丁度向かって来ていた殿様と指南役を見つけると、淡々と
全身から血と雨を滴らせながら、剣士は何処かへと消えて行った。この地域全体を分厚い高層雲が覆い、雨は暫く降り続いていた。
その後、剣士の居なくなったこの国は、周辺地域を全て統治下に置いた。
元々友好的だった同盟国とは大きな争いにならず、巨大な国力と軍事力を背景に併合することとなった。そして国内を治めると、今度は更にその外側へと版図を拡げていった。
後に殿様は幕府を開いたが、よく臣下を用い、暴政を敷くことも無かった。上将軍を筆頭に軍は
だがその中に、剣士の姿を見ることは二度と無かった。
ただ救国と開国の英雄として、剣聖の名と共に数多の武勇伝が語り継がれた。武勇伝はいつしか伝説となり、列島の方々へ伝播し、地方からも新たな伝説が生まれ、受け継がれて行った。
第一章 完
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