4-5

 この地方の勢力図ががらりと変わった。

 大国は大将軍を失い、手痛い敗戦を受けて、嘗ての勢いは見る影も無くなった。

 対して剣士達の国は隣国をほぼ制圧し、単独でも大国と渡り合えるまでの力を、英雄的な扱いさえ受けていた。隣国制圧の際の誠実さや品行方正ぶり、戦争の大義名分等も実に巧妙に演出したのである。もちろん裏で糸を引いたのは、親友と指南役を始めとしたこの国の頭脳であった。

 中でも隣国の国主一族や敵将の扱いを始め、新たな国民への善政等は語り草になる程であった。何せこの時代、戦争に勝利すれば略奪や虐殺は当たり前、旧国主の一族を全て逃がすなどとんでもない話であった。大国へと亡命することとなった国主の一族の者達には、道中の護衛まで付けるという待遇である。

 無論これは、今後の覇業を成し遂げる為の策であり、無事大国へと一族を送り届けることによって様々な利益を期待できるからであった。そしてこのようなことが出来たのも、自国軍の損害が、一国を落とす代償としては極めて少なかったからでもある。



 剣士は戦が終わると、屋敷へ帰って来ていた。大将軍との戦いを思い出しながら、剣を振ったり瞑想したりして過ごした。

 指南役が隣国へ行っていることが多くなったため、弟子達の面倒も見ている。面倒を見ると言っても直接稽古を付けるような事はなく、何か起きた時に顔を出す程度ではあったが。

 過日の戦後処理において、褒賞を受ける際に大幅な昇進を打診されたりもしたが、面倒なので断っていた。何やら抜刀隊なるものを組織して、その隊長に就任して欲しいのだとか。一隊で戦局を大きく変えることが出来るような、そんな構想の部隊であるらしい。もし気が変わったら何時でも申し出るよう言われたが、恐らくそのような事は無いだろうと思っていた。

 巷では剣聖などと呼ばれ始めていたが、残念ながら地位にも名誉にも全く興味を持てなかった。剣を好きに振るえて、あとは親友が居ればそれで良いと思っていた。

 親友は近頃忙しいようで、ほとんど会っていない。以前に増して政治へとのめり込み、文官としての活躍も目覚ましいようだ。今は隣国の統治と関係各所の調整から、同盟国及び大国との外交等、飛び回っているらしい。一応若衆隊副隊長の立場は継続していたが、部隊員として会うことも稀であり、私的に会話を交える機会も殆ど無かった。

 剣士は少し淋しいような気もしたが、それはそれで喜ばしい事ではあるし、剣を振るえばそんな気持ちになったことさえすぐに忘れた。


 そんなある日、親友が剣士の元を訪ねてやって来た。

 久しぶりであったし、わざわざ出向いてくれたのが剣士は嬉しかった。政治や外交の話を聞いたり、若衆隊や抜刀隊の話をしたりと、のんびりと過ごした。

 帰り際、親友は急に改まって、照れ隠しをしながら、話があると言い出した。剣士は何だろうかと思ったが、次の一言で頭の中が真っ白になった。

 親友が、結婚すると言いだしたのだ。剣士は表情を出し過ぎないよう努めながら、仔細を聞く。

 相手はこの国の大臣の孫で、剣士も二度ほど会った事がある。礼儀正しく高潔で、剣士などとは住む世界の違う人物だ。貧しい者にも分け隔て無く接し、慈愛に満ちた聡明な人だというもっぱらの噂であった。

 結婚など剣士にはよくわからないものであったが、ただ素直に、お似合いだな、と思った。剣士は自分のことであるかのような喜びを見せながら、さも嬉しそうに色々と訊ねた。

 政治の勉強をしていた時に図書館で出会ったこと。それから一緒に学問をしたり、論じあったり、共に過ごしたこと。先日、大臣や両親とも正式に話し、結婚の許可を得たことなど。今日は所用でこの近くまで寄ったが、この後大臣宅へ食事に行くらしい。

 それを聞くと剣士は、めでたくて仕方がないという顔をしながら親友を祝福した。そして、そんな状況なら自分と話している場合じゃないと言って、激励と共に親友を送り出した。

 親友は、剣士の笑顔と、祝福と激励とにほっとしながら、幸せそうな面持ちで大臣の屋敷へと向かっていった。


 剣士は親友を見送ると、足早に自室に戻った。暫し瞑想に耽ると、急に思い立ったように、刀を持って稽古場に出た。

 既に夜は深まり、稽古場には誰も居ない。稽古場の中心に立つと、刀を納めたままだらりと立つ。

 眼を見開くと同時に、居合い抜きに一閃して空を裂いた。そのまま斬り下し、返して払い、突き、薙ぎ、斬り上げ、思うままに剣を走らせる。

 その姿は踊っているようでもあり、神に捧げる祈りの舞いにも見えた。だが、剣舞の美しさとは裏腹に、剣士は全てを呪うかのような憎悪を、胸の内に抱えていた。それを中心に身体を竜巻のように渦巻かせ、剣をもって余分な枝葉を斬り捨ててゆく。そうしてその暗黒の固まりを収束させ、小さく小さく凝縮させると、剣士は漸く落ち着いたように剣を納めた。



 それからと言うもの、剣士は今まで以上に剣にのめり込んで行った。剣を振っている間は、胸の中の瘴気が薄まるのを感じた。嫌なことを考えてしまう時は、ひたすらに剣を持って舞った。


 剣士が抜刀隊の隊長に就任したのは、それからちょうど一月の後のことであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る