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 剣士と大将軍の息詰まる接戦に、若様とその近習は戦も忘れて見入っていた。

 突破して来た大将軍から逃げようとした矢先、敵の騎馬が尽く血を噴いて死んだのであった。その中心地には、若衆隊副隊長のお付きの剣士が、刀を握って突っ立っていた。

 最初、剣士が敵を斬ったなどとは到底理解出来なかった。刀一本でそんな芸当が出来るとも思わないし、どのように斬ったのかも見えていなかった。

 しかし、大将軍と剣を交え、更には互角以上の勝負を見せられて、漸く理解することができた。自分の国には、指南役や若衆隊隊長をも遥かに超える逸材が潜んでいたのだと。今、大将軍の大槍を斬り、もって大太刀と対峙し、恐らく切り札である二刀流までも使わせている。自国の臣の心強さと、次元を超えた名勝負に、言いようの無い興奮が若様の全身を包んでいた。



 再び、二人が刀を舞わした。

 剣士は陽炎のようにゆらゆらと動いているが、そのどれもが無駄の無い洗練された動きであった。紙一重で避け、攻撃に転じるべく防ぎ、電光石火の剣閃を繰り出す。

 が、そのいずれも、大将軍の二刀の前に防がれ、反ってまた剣の嵐に見舞われることとなった。

 大将軍は剣士とは対照的に、城のような重厚な立ち姿から途切れること無く二刀を振り舞わす。最早剣士も、二刀の前に懐に入ることも出来ず、間合いの差も加わって防戦一方であった。

 しかし剣士は焦ったり追い込まれた風は少しも見せず、逆に大将軍の方が焦燥に面を歪ませていた。

 大将軍の体力はまだ、例え一週間でも戦えそうな程にみなぎっていたし、腹に空いた傷も殆ど塞がっていた。右手に握った大太刀も、刃毀はこぼれはおろか益々その刀身の輝きを増している。だが唯一、左手に持った長刀だけが、早くも限界に来ていた。

 剣士は大将軍に刀を受け止められる度に、衝撃を相手の刀に流し込んでいた。業物で太さもある大太刀はそれにも耐えていたが、名刀とはいえ超の付く業物には一歩劣る長刀では、どうしても限界があった。かと言ってこの長刀で受けるのを避ければ、それ即ち代わりに命を差し出すようなものである。

 しかし、あと数度受けたら刀が折れるという所まで来て、何故か剣士の方から距離を取って離れた。


 何を思ったのか剣士は、白木の鞘を左手に握ると、それを使って二刀の構えを取った。それは、明らかに慣れていない、初めて二刀を扱う者の構えであった。ましてや片方は、木刀にも劣る唯の木製の鞘である。

 大将軍はそれを見て、否定的な感情を一瞬でも抱きそうになるところを、慌てて押しこめた。木の鞘で、一朝一夕見様見真似の二刀などと少しでも侮れば、間違いなく負けると心に言い聞かせた。何せ相手は自慢の大槍を斬り、切り札の二刀流を使っても及ばない相手なのだ。

 剣士はそんな相手の心情を知ってか知らずか、構えを幾つか試している。結局だらりと二刀を下げると、突っ立ったまま歩き出した。

 大将軍は少しの気の緩みも見せずに、渾身の力をもってそれを迎え討つ。大太刀を振るい、長刀を払い付ける。剣士は刀で流しながら、鞘を相手の喉元に突き出すような素振りを、動作とも言えないほど小さな動きで行っている。そして隙あらば鞘でさえも刀のように振るい、打ちかかっていった。


 やはり大将軍の予想通り、剣士は二刀を使いこなしていた。先程の、防戦一方の局面はがらりと変わった。舞うように二本の刃を、変幻自在に踊らせながら切り結ぶ。

 恐らくこの鞘は真剣と同じに見た方が良いだろうと、大将軍は見切っていた。明らかに普通の白木の鞘だが、空を斬る音が普通の刀のそれと同じくらい鋭かった。もしこの鞘で斬りつけられたら、身体はおろか防具さえ断ち斬られかねない。

 そんな警戒さえ抱きながら、大将軍が大太刀で唐竹割りに斬ってかかった時である。何とその大太刀を、剣士は鞘で受け止めてしまった。白木の鞘で、大将軍の渾身の大切断を、傷一つ負うこと無く受け止めたのである。そのまま刀身に鞘を走らせると、大太刀を捌きながら懐に飛び込んだ。

 だが大将軍も最早、虚は突かれたものの驚いては居なかった。もう楽しくて仕方が無いと言った風な顔で、飛び込んできた剣士に長刀を振り下した。

 剣士は長刀を刀で捌いて、鞘で大将軍の喉元を突かんとする。当然大将軍は大太刀でそれを受けようとする。

 が、剣士の狙いは長刀を持つ左手であった。剣士は鞘で空を裂きながら、大将軍の左腕を猛烈に斬り払った。

 大将軍の握っていた長刀が吹っ飛ぶ。腕ごと斬り捨てるつもりだったが、大将軍が咄嗟とっさに長刀の柄頭で受けて、衝撃を逃がしたのだ。

 大将軍は更に、間髪入れずに大太刀で剣士の鞘を斬り付けた。剣士は後ろへ飛んでいたが、斬撃を逃がす間もなく鞘は真二つに斬れた。短くなった鞘を無造作に打ち棄てると、再度一刀を持って対峙する。

 二人は向かい合うと、今度はお互いの間合いのすんでの所で動きをぴたりと止めた。



 二人が静止してから数秒後、若様は、遠くから敵兵の一隊が駆けて来るのに気付いた。しかし同時に駆け付けた親友の部隊が、横合いからそれを阻止する。

 彼方で戦闘が始まったが、剣士と大将軍は気にも留めずに向かい合っていた。敵部隊は大将軍を救わんとしているが、親友は事態を把握して一兵たりとも通さぬよう奮戦した。

 何せ作戦の最終局面であった。指南役と隊長と三人で掛っても大将軍を倒せなかった時の、最後の切り札であった。幾つもの展開の中、最悪の事態を避けつつ大将軍を討ち取る可能性を残すには、剣士を若様の元へ向かわせるより他無かったのである。


 剣士と大将軍の間は、見えない壁に遮ぎられているようであった。そこから少しでも相手側へと踏み出せば、どちらかが死ぬ。そのような間合いであった。

 対峙すること僅かの時間ではあったが、その場だけは時が止まっているかのように感じられた。二人を包む空間だけは、絶対零度をも彷彿ほうふつとさせる静寂であった。

 が、数秒も立たぬ内にその静寂は破られる。彼方で戦っていた大国兵が数人、抜け出して来たのだ。親友も奮戦していたが、数に押されて支えきれなかった。若様の近習きんじゅうが、敵兵に向かって慌てて走り出す。

 しかし、周りがそのような動きを見せた時には、剣士も大将軍も、抜き身の刀を神速に振るっていた。


 剣士が、一瞬遅れた。親友が囲まれているのに気付いたからであろうか。ほんの、一瞬であった。そのほんの一瞬が、勝負を分ける。限りなく無に近い程の時の差が、生と死の境目を形成する。

 大将軍は鮮やかな太刀筋で、袈裟斬りに斬った。剣士の半身を、肩口から斜めに叩き斬った。大太刀を通じて確かな感触を憶える。大将軍がまだ一兵卒だった時からずっと変わらない、人を斬った時の、あの感触だ。

 嗚呼。

 大将軍は思わず声を漏らした。満足し切った顔をしていた。

 これほどまでの死合いは、今後老い衰えるまで戦い続けたとしても二度と行われないだろう。言葉にするまでもなく、そんな思いが伝わってきた。

 剣士はその思いを全霊で受け止めながら、大太刀の横を幽体の如くすり抜けていた。同時に、馳せ違い様に大将軍の首が刎ね飛んだ。


 剣士が狙って後の先を取ったのか、大将軍が本当に一瞬早く動いたのか、今となっては分からない。だが、大将軍は確かに剣士を斬ったと思ったし、それによって少なからぬ安堵あんどを覚えたことも事実である。しかしその一瞬の後には、勝ちを確信したはずの大将軍が、逆に斬り殺されることとなった。

 無論、大将軍に小手先の幻術や偽装が効果を持たない事は、既に説明の必要も無かろう。これはもしかしたらの話ではあるが、大将軍が大太刀を振り下した際に、目の前の空間が剣士の存在を、その場に残してしまっていたのではなかろうか。故に大将軍は、剣士を斬ったと確信してしまったのだ。それが、脳が勘違いするほどの残像による物だったのか、空間自体に剣士の生命的な何かが残されてり、それを斬った為なのか、定かではない。

 しかし剣士が、動いたかどうかもわからない程の動きで、大太刀を避けたであろうことは容易に推察できた。そして渾身の一撃を放った後の大将軍の隙へと、刀を吸い込ませたのであった。



 ともあれ歴史上稀に見る死闘の果てに、大国の大将軍は死んだ。

 剣士は勝利の余韻に浸ることもせず、走って来ていた敵兵に向き直ると瞬時に斬り伏せた。それと同時に周りの味方達は、喊声と共に一気に士気を盛り返した。

 大将軍が死んだぞ、と若様が叫ぶ。続いて兵達皆、大将軍討ち取ったり、勝ち戦だぞと、喚き立てた。

 反対に、それまで攻勢に出ていた敵兵は、大将が討ち取られたことへの動揺を隠し切れない。息を吹き返した親友の部隊に若様の部隊が後ろから加わり、忽ちに攻守は逆転した。

 敵部隊が総崩れし潰走を始めると、後方の敵本隊にも混乱は伝播した。敵騎兵は指南役と隊長の騎馬隊によって孤立させられ、次々と討たれて行く。

 老将率いる歩兵隊は、後方から合流してきた若様の部隊と、親友の騎馬の勢いを得て突撃を開始した。大将軍の死と、それに伴う部隊の混乱の中、敵軍は成す術も無かった。ほとんど支えることもできずに潰乱し、こぞって逃亡を開始する。

 最早ここからは、一方的な追撃戦であった。親友の部隊を先頭に、追って追って追いまくった。大国軍は軍の体も成さない程に乱れ散らされ、部隊を纏める暇も無く逃げまどい、遥か後方の関所を兼ねた砦まで敗走した。

 やっとの思いで砦に着いた敵兵達は、追撃軍の騎馬隊の大半が居なくなっていることに、ようやく気が付いた。


 指南役と隊長は、敵騎馬隊を包囲殲滅し終えると、直ちに南東へと向かった。兼ねてより示し合わせた通り、若様も歩兵を連れてその後を追う。

 急ぎ伝令を飛ばして、隣国軍と対峙する殿様に、大国軍への勝利と次の作戦を伝える。殿様は大国側に配置していた部隊を密かに動かし、全軍をもって別働隊と呼応する準備を済ませる。

 そして、大国領を通り隣国軍の背後へと回った指南役達の合図と共に、一斉攻撃を開始した。

 隣国軍は、それはもう悲惨な負け方をした。まさか大国側を通って背後から攻められるとは夢にも思わなかった。ほとんどの部隊が全滅かそれに近い損害を出し、国主は南東方向に逃げ延びたものの、一族や重臣達の大半が死ぬか捕虜となった。

 殿様はそのまま隣国の城下まで攻め入ると、一帯を占領してしまった。その際、城中に残っていた国主の血縁者に対しては、大国への亡命を許した。臣下達は、自害する者や逃げ落ちる者も居たが、そのまま新しい為政者に仕える者も多かった。

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