4-3
中軍を割られた。
大将軍の力は三人の想像を超えていた。あと一歩、ほんの槍の厚み分の差であった。もう少しで大将軍を殺すことが出来たのである。
しかし、結果として最悪の事態を招きつつあった。老将率いる歩兵隊は乱され、若様の中軍も突破されようとしている。
せめてもの救いは、まだ三人とも生きて戦える状態にあることだった。隊長も何とか受け身を取って衝撃を減じ、馬上に戻っている。親友は落ちた槍を拾い上げると、また駆け出した。指南役は既に大将軍の後を追いかけている。
親友、指南役、隊長、三者三様に事態を収拾しようとひた走った。敵の騎馬隊を追い、歩兵を蹴散らし、若様の元へ駆けつけようとした。
しかし大将軍の疾風の如き突破と、白馬の翔ぶような俊足に追い付くことはできなかった。そして乱軍の中、どうにか部隊を纏めて敵兵を抑えるより他に仕様が無かった。
大将軍は敵兵を掻きわけ掻きわけ、ついに敵大将である若様の部隊を捕捉した。敵大将を捕虜にすることができれば、最早この戦は大国の勝利である。
先程の敵将三人との戦いには流石に肝を冷やしたが、何とか打開することができた。そしてそれによって生じた好機を捉え、今こうして勝利へと向かっている。
傷口から出る血の量は、既に穴が開いているとは思えないほど少なくなっていた。腹筋に力を込めると、もう止血の必要も無いくらいである。
白馬に鞭を入れ、敵大将へと狙いを定める。途中の雑兵には目もくれずに蹴散らして進む。
とうとう目標に追い付かんとしたその時であった。
大将軍の跨る白馬が、突如として体勢を崩し前のめりに倒れた。大将軍は一瞬早く跳び降りて着地したが、周りの側近達は一人残らずばたばたと倒れた。白馬も半身を真っ赤に染め、血だまりの中で息絶えている。
大将軍は構えたまま前方を見遣り、戦慄した。とてもこの世の者とは思えない相手が、そこには立っていた。死神が、魂を求めて戦場に降り立ったのかとさえ思った。
眼前の剣士は、一見覇気も無く、棒立ちしているようにしか見えない。思わず雑兵を蹴散らすように打ちかかってしまいそうな衝動に駆られる。しかし、大将軍の経験と生存本能が、全力でそれを阻止すべく必死に警鐘を鳴らした。大将軍は神経を研ぎ澄まし、この一戦に全てを懸けるべく槍先を剣士に向けた。
剣士も、驚いていた。指南役から大将軍の話は聞いていたものの、ここまでの手練だとは思わなかった。
戦闘が始まってしばらく経ったので、命令通り若様の元へ向かっていた時だった。味方の中軍が崩れ、敵の騎兵が若様目がけて突破してきたのだ。急いで若様の元へ行くと、ちょうど白馬の戦士を先頭にこちらに迫って来ている。これは一大事と根こそぎ斬り殺したのだが、白馬の戦士だけは斬り付ける直前に尋常でない速さで跳んでいた。
ために仕方なく馬の方を斬ったが、こうして向かい合うと目の前の戦士がとてつもない力を持っていることは分かった。無限に続く大津波のような抗し難い圧力を放ちながら、噴火を控えた鐘状火山のように静かである。
戦士は自らを大将軍だと名乗ると、大槍を突き出して向かい合ってきた。
一方の大将軍は、戦慄の中で必死に考えを巡らしていた。
どうすれば生き残ることができるのか。どうすれば眼前の化け物を退治することができるのか。
ほんの一瞬の隙でも見せれば、忽ちにして殺されるであろうことは本能で理解した。相手が隙を見せることは、自分が隙を見せること以上に有り得ないだろうことも悟った。恐ろしいことに、隙のように見える極めて微細な偽動なら、先程から幾つも見えているのではあるが。もしその罠に少しでも絡まれてしまえば、そのまま命を落とすことになる。
大将軍は堅く堅く自己を統制し、剣士との対峙の中にどうにか活路を見出そうとした。
気付くには、気付いた。が、それすら何度も疑い、疑い抜いてようやく認めた。己の圧倒的優位性は、一見するとすぐにわかりそうだが、
それは、剣士の刀が、凡品であることだった。
剣士自身の実力が巧妙に隠蔽されているために、刀までも同じに勘違いするほどであった。だが、刀はただの刀であり、虚飾のしようなど無いのである。
勿論、凡刀を名刀であるかのように偽装することも、その逆もある程度は可能かもしれない。しかし大将軍の眼力を完全に誤魔化すことなど、出来るはずもなかった。
大将軍はじりじりと槍で剣士を
とは言え、隙を見せずに相手を崩すには、こうするより他に動きようが無いと言うのも事実であった。
しかし剣士は、大将軍の予想の上を行った。いや、大将軍からすれば、斜め上の、そのまた遥か天上であった。
剣士は槍を捌くと見せかけて、穂先に斬りつけた。そしてそのまま、断ち斬ってしまったのである。
その虚を突いてもう一太刀放ったが、それは槍の柄を斬るに留まった。
大将軍は驚愕した。
穂先は勿論のこと、柄まで鋼鉄製の槍を斬ったのである。それも天下一の鍛冶職人が、最硬の鋼鉄で作りあげた物だ。それを無銘の、誰がどう見ても凡品の刀で斬ったのである。実は隠れた名刀であったとか、そういうわけでも無かった。剣士の愛刀はまごうこと無き普通の刀なのである。
大将軍は、剣士の刀が刃こぼれ一つしていないのを見て、自然と笑みを漏らさずには居られなかった。これほどまでの剣の使い手と引き合わせてくれた運命に、感謝さえ感じてしまった。
そして先程まで槍であった鋼鉄の棒を手放しながら、跳び下がると同時に腰に帯びていた大太刀を抜いた。この大太刀もまた、幾多の戦場を共にして来た業物である。
剣士も、追撃を諦めて大将軍の大太刀を見ると、思わず笑みを漏らしていた。
剣士は以前、稽古の合間に斬鉄を試みたことはあった。廃品の武具や調理器具などであったが、上手く斬ることができた。しかし、こんな硬度の金属は、斬った事も斬ろうとした事も無かった。加えてその槍は、大将軍が扱う超業物の大槍である。
尋常の技では無かった。全身全霊を込めて、斬った。いや、斬るより他に無かった。それほどまでの圧力であった。
そして、槍を斬られたことで生じた一瞬の隙を見逃さずに、喉元目掛けて刀を振るった。もちろん、殺すつもりである。
が、それも槍の柄で防がれてしまった。しかも、斬鉄を見たその刹那の後に、こちらの刀を壊しに来たのである。
ために剣士も、もう一度斬鉄に注力するしか無かった。
斬鉄で鈍った剣速とずれた剣筋の紙一重を、大将軍は首の皮一枚で避けた。そのまま跳び下がると同時に、さっきの大槍よりももっと厄介そうな大刀を持ち出して来たのだ。今度は相手も刀である上に、一度見せてしまっているので武器破壊も出来そうにない。
剣士は無意識に、いつもの構えとは言えない構えを少しだけ変えていた。正面から左足を少し前に出して身体をずらし、刀を右手に下げて腰を少しだけ落とす。
対して大将軍は、青眼に大太刀を構えた。二人は再びじりじりと距離を詰める。
先に動いたのは、大将軍だった。
初撃の打ち下しを、剣士は紙一重で左に躱す。大将軍はそのまま剣筋を途中で変え、腰の高さから胸の辺りへと斜めに斬り払う。剣士はそれを潜り避けながら、大将軍の懐へ入り斬り付ける。
しかし大将軍は待っていたかのように、腰に下げてあったもう一本の刀を左逆手に居合い抜きした。常人の目には見えない速さの剣撃であったが、剣士はそれすら見切って刀で逸らす。
が、大将軍は間髪入れずに右手の大太刀を振り降ろす。剣士は回り込んで避けながら、倒れそうな体勢から大将軍の右の肩口めがけて刀を出す。大将軍は左手で抜いた長刀でそれを防ぐ。
大将軍が両の手を交差させながら払いのけると、剣士も合わせて跳びずさった。
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