3-2

 砦壁上が瞬く間に血の海と化す。剣士の向かうところ、忽ちにして流血と死骸で埋め尽くされた。

 石壁の崩れた場所を中心として、その近辺の敵を手当たり次第に斬りまくった。剣士を阻止すべく群がった敵兵は、少しの足止めも出来ぬ間に次々と死んでいった。砦内から出て来た兵達も、出会い頭に一刀の元に急所を斬られた。

 守備兵達は混乱した。壁の上では剣士が狂ったように血の雨を降らし、守備兵が次々と減って行く。壁の下からは叫び声と共に若衆隊が迫って来ており、更にその後方からも軍勢が迫っていた。

 そのような状態であったので、親友率いる若衆隊はほとんど攻撃を受けることなく砦への侵入を果たした。もちろんその後には後続の歩兵隊が続く。

 一斉に砦内に突入すると、その勢いで砦の各所を制圧して行った。剣士も若衆隊と合流し、先頭に立って文字通り血路を斬り開く。

 突入隊が西門にさしかかる頃には、西側の敵も両面からの攻撃に崩れ始め、遂には退却を開始した。それを見た若様率いる本隊も砦内に突入し、西門も制圧され後は掃討戦となった。

 敵兵は既に軍の体を成さなくなっており、投降する者も多数に上った。敵将は側近数騎を連れて北門から脱出しようとしたが、先に東側から突入した部隊に阻まれ討ち死にした。

 夜襲を開始してから戦闘が終わるまで、実にあっという間であった。



 翌早朝から、砦を拠点として大国軍の後方や補給線を脅かした。

 西方と北方に戦線を抱えていた大国軍は、南方から来るであろう援軍にも当然備えていた。しかし、堅牢に守っていたはずの砦の一つが、こんなに早く落とされてしまうとは予想できなかった。攻められたその日の内に落ちてしまっては、他の部隊の救援も間に合うはずがない。

 砦を奪還すべく、南方に展開していた部隊と後方の部隊の一部を使って攻めかけたものの、全て返り討ちに遭う始末であった。奪還に失敗したとしても、砦の兵力をそこに釘付けにさえ出来れば良かったのだが、何せ相手が悪かった。

 砦外に陣取っていた指南役と若衆隊隊長の騎馬に散々追い散らされた所へ、砦に入っていた部隊の突撃を受けて壊滅的な損害を出した。また、潜ませていた伏兵がいつの間にか全滅しているという事態もあったが、これは伏兵を読んだ親友が剣士を派遣したものであった。


 なにしろ大国軍の後方は完全に断ち切られようとしていたのである。こうなってしまっては、補給線の断絶による兵糧の問題はおろか、包囲殲滅せんめつされる危険性さえ多分に出て来た。

 大国の大将軍は砦奪還の失敗を知るやいなや、ただちに全軍を退却させた。追撃による犠牲はかなりのものであったが、包囲が完成される前に脱出したのは流石の判断力と言えた。


 同盟国軍は大国軍を追撃し、そのままの勢いで大国領まで進撃するかとも思われた。しかし大将軍は残った方の砦を上手く用い、それを阻止した。

 最終的にその砦は同盟国の手に戻ることにはなったが、実に巧みな退却戦であった。段階的に追撃軍を食い止め、国境警備隊までも迅速に動員して態勢を立て直す時間を得たのである。ためにそれ以上の進撃は同盟国側にも利は薄く、双方しばしにらみ合った後、停戦となった。




 城下に戻って来ると、剣士は指南役に呼ばれた。そして一対一で、今度の剣士の戦いぶりについて詳しく話した。剣士の強さについて、指南役は多少感づいては居たものの、やはり確信には至っていなかったらしい。一通り話を聞くと親友を呼び、三人でまたしばらく話した。


 その後道場へ移動すると、指南役と剣士は木刀を持って向かい合った。道場は閉め切ってあり、天窓からの日差しが僅かに場内を明らめている。

 薄暗い木板の床の上、二人の中間には数歩下がって親友が立つ。指南役は中段にほぼ真っ直ぐと構え、少しの隙も見受けられない。剣士は、少し戸惑いながら、だらりと木刀を右手に下げた。

 指南役の気合が解き放たれる。いつになく研ぎ澄まされた眼光が、剣士の身体を引き裂かんとする。眼光そのままにじりじりと間合いを詰める。

 剣士は相変わらずだらりと刀を下げている。その姿を見ていると、ただぼーっとしているだけにしか見えなくなってくる程だ。剣士の目は、対峙する相手をぼんやりと見据えている。もし相手が半端な腕前の持ち主であったなら、一見隙だらけの剣士に打ちかかってしまい、たちまちに斬られていただろう。

 指南役は、間合いが詰まるにつれ焦っていた。当然、容易に焦るような人物でもなければ、生半可な腕前でもない。天下五指に数えられる程の剣術と、幾多の戦場で培ってきた胆力と経験がある。しかし、だからこそ剣士と対峙していると、息が苦しくなり額に汗がにじんだ。戦意を維持するだけでも、これまでのどんな立ち合いより難しかった。最早、地獄に向かって歩を進めているような、そんな気分であった。

 少しでも気を抜けば、一瞬で斬り殺される。自然、指南役は、生き残るための最善手を全力で敢行した。構えを崩さず、一寸の気の緩みも見せることなく、指南役は後ずさりした。緊張のまま後ずさりして、元居た位置まで戻り切ると、漸く構えをゆっくりと解いて降参を伝えた。その時には顔面蒼白で、身体中から汗を噴き出し疲れきっていた。


 降参を聞いて剣士は、少しほっとした顔を見せた。これまでに出会った相手の中で、これほど糧になる立ち合いは初めてだった。自分が本気を出した状態で、立ち合いの体を保つ事が出来る相手に出会ったことが無かったのだ。

 実際、指南役が退いてくれなければ、何方かが生命を落とす可能性が大いにあった。故に、一切の隙を見せることなく堂々たる後退を成し遂げた指南役を、素直に尊敬した。自分の強さとはまた違う方角にある、意地や誇りといった言葉だけでは表現し切れぬ高貴さを、師の中に見ていた。


 一方の親友は、この立ち合いを見て、異次元と異世界を感じていた。己の限界と、何か別の境地とを、感じないわけには行かなかった。異常な緊迫感の余韻に声を出すことさえ出来なくなっていたが、ただ心が打ち震えるのは感じていた。

 そして、心の奥底に湧いた恐れと嫉妬を、気付かぬ内に必死で揉み消そうとしていた。



 その夜、再び三人は一つ部屋に集まっていた。今度は実務上の話である。国の防衛と軍隊の話をし、続けてこの地域の情勢と戦略的知見を話した。

 指南役が親友に、これからの各国の動向を話してみるよう促すと、親友は答えて言った。

 大国は、次は同盟国ではなく、こちらに攻めてくる。隣国と呼応して、同盟国側に守勢を残し、大将軍が精鋭を率いてやってくるだろう。そしてそれに対応するのは、今回の援軍で一度大国に勝利した自分達を置いて他に無い、と。

 指南役の見解もほぼ一致していた。

 それから、大国を迎え撃つための作戦の概要から細部まで、様々に話し込んだ。指南役としては、そういった戦術・戦略的な技量を親友に受け継いで欲しいようであった。

 剣士は話の要点だけを聞きながら、たまにぽつりと意見を言ったり言わなかったり、三人で話しているその場の空気を楽しんでいた。



 これより後、剣士の鍛練は更に様変わりし出した。

 弓や槍を人並みに使えるようになると、もうその鍛練は止めた。組み手に関しても同様であった。馬術は、どうやら諦めたようである。どうにも生き物は苦手であった。

 毎日毎日、剣のみを振るった。様々な書を読み、また他の流派の教えを請うたりもした。おごることも一切なく、貪欲に剣術を楽しんでいた。

 剣士は知識や学問についても、一層興味を示すようになった。生物学や占星術、地理学などを好んだ。

 親友は政治に強い興味を持ち、そちらへのめりこんでいった。

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