1-2

 伝令が次々と行き交う。

 当然、剣士の所属する近侍隊の元へも情報は伝わって来た。右翼は優勢であること、それに伴い中軍も戦闘に突入したことが伝えられた。

 近侍隊は左翼の後方に回るよう命令され、間もなく左翼でも戦闘が開始される。


 左翼の戦端が開かれてから程なくして、戦線の更に左手から異様に大きな喊声かんせいが聞こえてきた。これまでに聞いたことの無いような銅鑼どらの音も鳴り響く。

 少し遅れて、近侍隊の元へ伝令が血相を変えて走って来た。突如現れた大量の敵兵により、左翼が崩れ出したとのこと。そう伝え聞くとほぼ同時に、早くも味方が潰走してくる。

 よほどの大兵が伏せてあったのだろう、こうなってしまっては如何ともし難かった。近侍隊にも直ちに退却命令が出る。この状況では若様を逃がすのが最優先だ。

 隊列を保ったまま一斉に後方の砦目掛けて駆け出す。騎兵は隊長と重臣の指揮の元、若様を守りながら先を走った。歩卒も合わせて騎兵の後を追い走る。

 剣士は何が何だかわからないまま、ひたすら親友の後を追いかけた。


 剣士達が退却を始めて間も無くして、敵の騎馬が追い付いて来た。殿しんがりの部隊が支え切れなかったのだろう。

 親友は何とか部隊をまとめようとしたが、突進してくる騎馬の前に成す術も無かった。勇敢に立ち向かって行った者も少しは居たが、ほとんどが一太刀も浴びせることなく突き殺される。その中には剣士の兄弟子や同輩も居た。

 歩卒達は敵の騎馬に隊列を乱され、突撃を喰らって分散させられた。隊員の一部は恐れおののいて我先にと逃げ出し、部隊は瞬く間にその数を減らしていく。

 親友は残った兵を率いて、方向を少しずつ変えながら後方へ駆けた。剣士も何とか追いかけるが少しずつ遅れだす。鎧や具足が酷く重い。


 しかし幸いなことに、敵の騎馬隊は歩卒を追いかけるのを止め、先を走る若様達を追って駆けて行った。

 剣士が騎馬に追われていないことに気付いた時には、自分の周りには親友と他数名しかいなかった。



 とにかく先を急ぐ。

 若様や隊長、それから右翼の指南役や中軍のことなども気になったが、今は逃げるしか無い。なだらかな斜面を急ぎ進んだが、砦まではまだ距離がある。

 日が傾き山中が僅かに暗くなり始めた頃、今度は敵の足軽の一隊が追い付いてきた。多勢に無勢、剣士達は更に分散して逃げるより他無かった。追い付かれた者が討ち取られる声が、其処彼処そこかしこから聞こえて来る。


 敵部隊から何とか逃げ延びた時には、とうとう剣士と親友の二人だけになっていた。しかし二人が安心する暇も無い内に、足軽が一人行く手を遮って現れる。

 足軽は四肢太く上背もあり、恐らく幾度も戦を経験しているのだろう。余裕に満ちた表情で、剣士達を品定めするかのように見下ろしている。

 逃げ切れないと悟って、親友は剣士を後方へ下げ剣を構える。剣士も戦おうとしたが、邪魔だとわんばかりに押しのけられた。

 足軽は不敵な笑みを湛えながら槍を両手に構えると、親友の胸元目掛けて突き出してきた。親友は突かれた槍を脇にかわし、刀で打ちかかる。しかし足軽は素早く槍を横に引き戻し、正面に剣を受ける。そのまま槍を回転させ、槍の柄で親友の側頭部を思いきり叩いた。兜と槍の間から大きな金属音が鳴ると、親友はぐらりと崩れ落ちた。


 剣士は思わず叫び声を上げた。刀を抜いて構えを取る。足軽はそれに応えて剣士の方へと歩きだす。

 が、剣士は打ちかかるどころか、刀を手にしたまま逃げ出してしまった。足軽は親友を打ち捨て剣士を追って走り出す。下士官である親友が身を呈して庇おうとしたのだ、剣士を位の高い者だと思ったのかもしれない。

 剣士は飛ぶように逃げ走ったが、一向に振りきれなかった。どれだけ必死に駆けても足軽は喰らい付いて来る。逃げても逃げても剣士を亡き者にしようと追って来る。

 剣士は途中から脇目も振らずに山中を駆け走った。仕舞には這うようにして逃げ惑っていた。もはや刀を握っているのさえ忘れる程であった。

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