8-4

 その頃、軍事大国の港湾基地の東側で、一艘の小舟が沖へと漕ぎ出した。決死隊が出発した海岸の、基地を挟んだ丁度反対側である。

 乗っているのは特殊斥候部隊の隊員二名と、剣聖。海流に沿うように西へと向かうと、多数の材木が流れて来ていた。筏、樽、材木は遥か西方へと続いており、基地の湾内まで点在している。

 静かに立ちあがる剣聖。隊員達に礼を言うと、音も無く跳躍して近くの筏へと飛び乗った。続いて基地の方角へと向かって、漂流物の上を軽々と跳び移って行く。音も立てずに海上を渡る剣聖を、隊員達は口を塞ぐのも忘れて見送った。

 剣聖は停泊している中で一際大きな旗艦の側まで行くと、大きく跳んで甲板へと降り立った。その際大きな水音がしたが、後には無人の筏しか無かったので、見張りの兵士は皆海面へと注意を向ける。


 この艦ではつい先程、筏に乗った五十名程の列島軍決死隊を捕虜として収容した所であった。どうやら無謀な作戦を押しつけられ、装備もすぐ扱える状態では無く抵抗する暇も無かったらしい。何せ決死隊の作戦は内通者によって筒抜けであり、侵入部隊のうち後続の五十名程は戦意も低いであろう事まで知られていた。

 と言うのも、軍事大国は東南諸島戦域における重要目標の一つとして列島軍捕虜の獲得を定めており、実際、捕虜によって漏洩された情報から大きな戦果が得られていた。故に今回の捕虜獲得の機会、即ち低戦意かつ軍上層部に不満を持つであろう「優良捕虜」を懐柔するまたと無いチャンスに、軍事大国軍が飛び付かない筈が無かったのである。

 しかしこの情報リークが列島側の策謀、正確には特殊斥候部隊の計略であったとは、ここで死ぬ彼らには知る由も無い。



 闇夜、限られた空間、艦を構成する障害物。現代軍隊を相手に剣聖が無双するには、またとない条件が揃っていた。が、この状況でいきなり敵兵に斬りかかる程慢心はしていない。

 剣聖は持ってきた水筒の水を頭から被ると、至って自然体で船内へと入っていった。敵地への潜入では反って堂々としていた方が良い事は経験上知っている。そもそも列島軍の軍服を着て狭い船内を歩き回るのだ、忍術の達人であろうと見つからずに移動することは困難極まりない。受けた命令としては隠密に忍び込む事を意図していたかもしれなかったが、剣聖に忍びの素養など無いのである。


 船内に入って数メートルも歩くと、案の定敵兵と正面から遭遇した。驚き戸惑う敵兵に対し、剣聖は手を挙げもせず平然と話しかける。捕虜移送の際に逸れてしまった事を告げ、誤って撃たれたくないからさっさと収監してくれるよう口早に伝える。

 敵兵は近くに居た兵士を二人呼び寄せると、先導して階段を降りて行く。剣聖は兵士の一人に刀を渡すと、銃を突きつけられながら続いて階段を下っていった。

 船底の最前部、牢屋の前へと到達する。牢の前には番兵が二人。連れだってきた敵兵と二、三のやり取りをし、牢を開けようと鍵穴へ鍵を差し込む。剣聖は振り返りつつ、刀を指差しその扱いについて話かけながら、牢内へと歩を進めた。かに見えた矢先、ぼやけるように掴まれた愛刀が、数閃の煌きと共に抜き放たれた。斬られた事も気づかぬ腕から鞘を取り上げると、流れる所作で納刀する。鯉口と錠前からカチリという音が鳴ると、それを合図に五人の敵兵はその場に頽れた。


 音も立てずに牢から出てきた友軍を横目に、剣聖は奥の房へと無造作に歩き出す。彼らとは既に打ち合わせ済みであり、今しがた切り捨てた軍事大国兵の武器を奪うと即座に動き出す。友軍の約半数は明らかに訓練された動きで、立ち所に船底の制圧を完了し上層へと作戦を開始する。

 抵抗を始めた一部の敵兵であったが、周囲の艦船は勿論のこと基地内の敵司令部も事態を把握することは出来なかった。何せ列島軍の大半は特殊斥候部隊であり、事前に艦の構造から敵兵の配置まで知らされていた。加えて斬殺死体の横たわる区画では、通信機と言う通信機がすべて破壊されていたのである。ある物は両断され、ある物は原型も留めぬ程に叩き壊されており、その惨状からは通信機に対する並々ならぬ執念さえ感じられた。

 結局敵司令部は捕虜による旗艦の占拠も考慮に入れ、各艦に対し旗艦への兵員の派遣と念のための出航準備を命令した。


 慌ただしく各艦の動力が燃焼を開始し、幾つかのボートが旗艦に接舷を試みようとした時であった。突如として動き出す旗艦の主砲。併せて火を吹く副砲二門。副砲といえど口径は十分、両脇に停泊していた戦艦と駆逐艦は至近からの攻撃に致命的な損傷を負った。戦艦は煙を上げながらも何とか動けそうだが、駆逐艦は目に見えて破損し格納庫が炎上、裂けた船体からは浸水が始まる。

 一拍置いて照準を合わせる主砲から、二連の轟音が響きわたった。旗艦の正面やや右に停泊していた副艦は、避ける間もなく艦橋を根本からへし折られる。同時に旗艦のエンジンが始動。艦内では急速に戦闘が広がり、砲撃で事態を理解した敵兵が死に物狂いで反撃を開始した。右舷の副砲は次弾発射も間に合わない程迅速に制圧され、続いて発射されたもう一門の第二射は、動き出した戦艦の甲板表面を薙払うだけで大した損害を与えられない。再び装填を開始する主砲を止めるべく、艦首へと殺到する敵兵。続々と乗り込んで来る増援は、操舵室、動力室、主砲、副砲へと部隊ごとに制圧作戦を開始した。


 動力室では決死隊は早々に撤収し、操舵室へと向かった。開けた空間は守るに不利であり、それならば比較的守りやすい操舵室を外側から援護した方が理に適っている。もぬけの殻となった動力室にやってきた軍事大国兵は、レバーやスイッチの類が全て破壊されている事に思わず呪いの言葉を吐いた。

 操舵室では簡易のバリケードを構築し、廊下を挟んでの銃撃戦が続いた。奪い取った武器に加え、持ち込んだ装備の中には多量の弾薬が有る。加えて動力室からの援護で敵を挟撃する形となり、有利に戦闘を進めることが出来た。

 艦首主砲の元へと向かった敵兵を待ち構えていたのは、今まさに驚異となっている兵器とはほど遠い前時代の暴力であった。闇の中を蠢く影が、音も立てずに喉元を掻き斬る。ちらと瞬く刃に目を凝らすも、正体を探す視線の先から剣聖は既に居ない。時には背後、時には頭上から、気づく間も与えず忍び寄る。小隊ごと瞬く間に斬り殺し、危機迫るはずの艦首に異様な静寂が走る。主砲を目指す敵兵が漸く異変に気づいたのは、三小隊分の屍が通路を埋め尽くした後であった。



 尚も艦内では戦闘が続く。ゆっくりと動き出した旗艦は、港の入り口へと向かった。主砲を散々発射しながら基地から遠ざかり、東側の浜辺へとその進路を取る。そのまま浜辺に座礁すると、取り囲まれた列島軍によって艦内全て制圧された。途中で海中に身を投げ出す兵も居り、幸いにも浮力を得る為の木片には事欠かなかったが、そのまま海流に流され浜辺で待ち構える列島軍に捕縛された。

 敵艦隊は主力の大半を失い、基地内にも大きな打撃を与えた列島軍であったが、基地の制圧はやはり叶わなかった。

 そうして攻めあぐねている内に、海軍および陸軍航空部隊が東南諸島沖海戦にて大勝利を収めたとの報告が来た。制空権を得た列島軍は海上封鎖と空爆をちらつかせ、基地内軍事大国軍に対する降伏勧告は日を経て受け入れられることとなった。




 その日、歴史が動いた。

 今回の作戦の立役者となった特殊斥候部隊は、その有用性を上層部に知らしめる事となった。密林戦の足掛かりを作り、基地攻略では情報を上手くリークした元工作員。司令部内部の調整に一役買った憲兵上がりと、決死隊の選別に手腕を発揮した諜報員。的確な爆破と新型通信装置を含む兵器開発に大きく貢献した技術班。そして彼らエース達と共に、全体を纏めた部隊長と、危険な任務を確実に遂行していった部隊員達。かくして特殊斥候部隊は、列島軍の影の英雄として祭り上げられる事となった。

 列島軍の士気は最高潮に達し、東南諸島全域を解放すべく、各軍が連携して作戦に取りかかる。苦戦を強いられていた列島は、此処に来てついに主導権を得たのである・・・と言う事にはならなかった。


 先述の通り、歴史が動いたのだ。その中心地は、此処では無い。

 雪解けの泥濘がおさまった西大陸北部。近隣諸国を征服し勢力を拡大した独裁国家が、東西両大陸の北方に跨る巨大な社会主義国家との不可侵条約を一方的に破棄。突如として開始された電撃侵攻作戦に、社会主義国家は首都を含む主要都市と資源地帯の殆どを制圧されてしまったのである。

 二度目の世界大戦開戦前、社会主義国家と軍事大国に挟まれていた列島は、苦肉の策として独裁国家と軍事同盟を結んでいた。対する社会主義国家と軍事大国は友好関係こそ無かったものの、互いに共通の敵を抱えていた事になる。そのような状況下での独裁国家による社会主義国家占領のニュースは、各国に強烈な衝撃を齎した。

 今、世界が大きく変わろうとしている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る