第三章

8-1

 東南諸島。

 東大陸南端から南東方向に伸びた、数万もの島々からなる地域の総称である。大洋及び南大陸航路における要衝となっており、石油を始めとした資源も豊富なため地政学上非常に重要な意味を持つ。




 東南諸島の中程にある大きな島に、一隻の漁船が到着した。

 勿論こんな危険な海域で漁をする訳でも無ければ、ここが彼らの住処である訳もない。時勢を見ても、軍事徴用した漁船を輸送船代わりに使用したであろう事は容易に推察できる。

 島の北側、列島軍が臨時使用している港とも呼べないほどに整備されていない入江。僅かな物資と共に漁船から降りた兵士達は、出迎えた士官に対し自らが特殊斥候部隊である事を告げた。

 この辺りの島は何処もが密林に覆われており、通常の平地戦とはがらりと戦闘の様相が変わる。とりわけ視界の悪い密林戦において、彼我の位置情報はそのまま勝敗に直結する程に重要である。東大陸での任務に当たっていた特殊斥候部隊であったが、損害の拡大する東南諸島戦線の現状を打開する為、急遽派遣されたのであった。


 そんな彼らの中に混じって、剣聖は緑がかった熱帯の浜辺をぼんやりと見渡していた。

 一般兵達と同じ軍服に身を包んでいるが、彼らと違って装備類を殆ど所持していない。長年連れ添った愛刀も、支給品の軍刀に似た拵えなので別段目立つ訳でもない。戦地ではかなり数が減るものの、刀を戦場に持ってくる者など列島軍において珍しくも何とも無かった。後は左手首に数珠のような腕輪が一連なり、頭上から降り注ぐ陽光を優しく反射している。



 剣聖は特殊斥候部隊の一般兵に紛れて、密林戦のどさくさに敵兵を殺しに来たのであった。

 膠着しつつある二度目の世界大戦において、列島は東南諸島の制圧を一つの大目標に定めた。本土の需要を補って余りある資源と、東大陸内の反列島勢力を援助する西大陸からの航路の妨害拠点。この目標が達成されれば東大陸の解放は殆ど成し遂げられたと言っても良く、列島の勝利という形での停戦講和も現実味を帯びてくる。


 勿論、表立っての大義名分は東南諸島諸国の西大陸からの解放である事は言うまでも無い。

 列島は維新改革と文明開化後、数十年の歳月と数度の戦争を経て東大陸の半分以上を西大陸諸国から解放、巨大な東大陸共栄圏を築き上げた。対する西大陸の軍事大国は一度目の世界大戦において損害を殆ど受けず、投資と武器売買、更には漁夫の利的な参戦で一躍世界のトップに躍り出た。

 その後更に二十年、西大陸で再発した戦乱終結の糸口も掴めぬ中での二大国の開戦は、全世界を終わりの見えない戦禍へと叩き落とす事となった。更には西大陸東部でも、急速に成長した独裁政党国家が周辺各国へと侵攻を続けている。強大な国々の戦争に引き摺られる形で、全世界を戦場とした未曾有の世界大戦が今まさに行われているのであった。





 翌早朝。剣聖は島南部を東へ歩いていた。

 未だ鋭角の日差しは密林に遮られ、枝葉の頭上を仰がなければ夜が明けた事すらわからない。周囲に人の気配は無く、行く手を阻むは入り組んだ傾斜と密生した熱帯樹。それも剣聖にとって意に介する程のものではなく、樹々の合間を音も立てずにゆるりと抜ける。彼方から聞こえる激しい戦闘音も、島の反対に在っては遠い存在に感じられた。

 剣聖たち特殊斥候部隊に与えられたのは偵察任務であったが、斥候とは名ばかりの面々は一人また一人といつの間にか姿を消した。剣聖もつい先刻まで部隊長や一般隊員達と一緒に居たが、敵兵の気配を察知した為に単身先行したのである。


 更に半刻、剣聖が木間を縫うように歩いていると、ふいにピンッと空気が張り詰めた。

 敵兵の気配。恐らくは偵察兵が数名。まだこちらに気付いては居ない。だが警戒態勢をとっているのであろう、開戦前特有の尖った空気が周囲を満たす。気配を消してもう少し近付くと、二名の歩哨の存在を確認出来た。

 確認するが早いか、剣聖は木々の合間をゆらりと歩いた。辺りを見回しながら哨戒する敵兵は、剣聖の存在に全く気が付かない。音を殺し息を殺し、元々薄い気配を完全なる無へと消し去る。視覚の間隙へと影を滑り込ませ、生じる風は熱気に紛れて昇華させる。傍から見れば無造作に歩いているだけだが、それが故に全ての知覚を寄せ付けない。そのままそっと通り過ぎると、剣聖は更に敵陣奥深くへと歩き去った。

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