7-5

 西軍司令部が瞬時にして血獄と化した。

 剣聖は敵将校の影を縫うように刀身を揺らめかす。参謀達と近習を残らず斬り殺すと、取り巻きの敵兵の中に飛び込んだ。

 銃歩兵を一人ずつ刺し殺しながらも、剣聖は必要以上に殺戮を行わなかった。無論、敵兵の為などでは一切無く、弾避けにして銃の軌道を限定するためである。生きた友軍に遮蔽された剣聖を、西軍兵は上手く狙い撃つ事が出来なかった。

 全方位から無数の弾丸を受ければ、流石の剣聖も凌ぎ切れない。しかしこうすれば、剣聖は一方向につき一発の銃弾に対処するだけで済む事になる。その一発は至近距離からの銃撃になるとは言え、剣聖の技量ならば避ける事も防ぐ事も造作なかった。

 だが、もし司令部が生きていればこうも容易くは行かなかっただろう。元帥が健在ならば、即座に味方ごと撃ち殺すよう命令するはずである。一見すると非情な戦法さえ、強権をもって迷い無く用いて来るのは非常に厄介であった。

 かと言って、守りの固い司令部を直接狙うのは事実上不可能であった。東軍の仲間達が西軍部隊の殆どを引き付け、その勢いで司令部を後退させ近衛部隊を引き剥がした。更には南軍をして予備隊までも動かさせた為に、後方から回り込んだ剣聖が奇襲をかける事が出来たのだ。

 東軍の生命と引き換えではあったが、当の元帥はおろか敵首脳の殆どは既に居ない。剣聖は上手く立ち回りながらも、敵軍を乱すのに十分な殺人を行った。


 中軍の西軍兵は司令部の全滅に慌てふためいたが、それより酷い状態に陥ったのは南軍側の部隊であった。

 何せいくら待っても攻撃命令が来ないのである。それも、南軍の部隊がすぐそこまで迫って来ていると言うのに。

 時と共に、兵達は次々に気付き出した。司令部に何かが起こり、指揮系統が既に機能していないのである。

 少し遅れて、己の指揮権に気付いた部隊長が慌てて射撃命令を下す。しかしその攻撃は、纏まりと落ち着きを欠いた質の低い物となった。

 お陰で、南軍の先陣を走る遊牧騎兵達は少なくない犠牲を出しながらも突撃を成功させた。そのまま駆け抜けると、西軍の中軍や左翼めがけて走り抜ける。後から各種騎兵部隊が続き、更には大量の歩兵隊が殺到した。

 西軍も各々が奮戦し、それぞれの部隊単位で指揮系統の再構築を迅速に済ませる。これまでは大きな一つの軍隊として機能していたのが、今度は複数の部隊の集合として各々に戦況を判断して行動した。

 だが西軍の現場指揮の鮮やかさも虚しく、やはり戦局の収拾には不十分であった。全軍を挙げて突入する南軍兵を、各個の部隊ではとても支えきれない。

 中でも遊牧騎兵達は、正に人馬一体となって突貫した。西軍近衛兵とも互角以上に渡り合い、銃弾や槍を馬体もろとも飛び避ける様は圧巻であった。弓騎兵はその剛弓を恐るべき精度で連射し続け、西軍部隊の合流を阻止すべく駆け回る。新式歩兵部隊の援護を受けた本隊も、地鳴りと共に一兵残らず西軍本隊へと突撃した。


 大陸規模の大軍隊が二つ、真正面からぶつかったのである。その光景たるや人類史上初めて出会うものとなった。

 戦場一帯を砂塵と硝煙が覆い、煌びやかな軍装は次々と色を失っていく。喊声が呻き声へと変わり、号令は断末魔に掻き消される。最早この場に残された唯一の人間らしい権利は、自らの死を受け入れる事のみであった。

 混沌とした戦場を南軍が呑みこみ、全ての兵を死線へと追いやる。秩序を保つべく抗う西軍中軍を、剣聖が混沌へと引き戻す。

 竜騎兵が弓騎兵と相撃ちして死に、槍騎兵が駱駝騎兵と絡まったところへ両軍の歩兵部隊が激突する。砲兵は蹂躙され工兵はその価値を失い、擲弾兵は己を殺した敵兵を巻き込んで自爆する。

 両軍に多大な犠牲を出しながら、混戦は深夜まで続いた。ぼやけた二日月の空の下、退却を試みる西軍を南軍兵達は執拗に追撃した。



 漸く戦闘が終息した頃には、既に空が白み出していた。山陰から覗いた朝日が戦場に色をもたらすと、暗闇に埋もれていた地獄がその姿をあらわす。

 地獄の底から、東軍の志士の一人が身を起こした。周りには夥しい死体が積み重なり、その中には同胞のものも見られる。

 戦闘は一先ず終息したのであろう。風に運ばれる蹄の音も、少しは落ち着きを取り戻している。

 志士は辺りを見回しながら、自身の重傷を改めて確認した。片目は霞み、全身を鈍痛が駆け巡っている。利き腕はひしゃげており、残る手足も思うように動かない。武器などはとうの昔に失っており、生きているのがまこと不思議な状況であった。

 動くに動けず呆然としていると、彼方から南軍の騎兵部隊が駆けてくるのが見えた。騎兵達は志士の前で立ち止まると、馬を降りて最上級の敬意を示す。志士は手厚く馬に乗せられ、南軍の本陣へと連れて行かれた。


 南軍の指揮官に目通りすると、近くの簡易テントに通される。そこには侍が四名と志士が十名、それぞれ重軽傷を負って生き延びていた。

 全員と視線を交わし、押し黙ったまま近くに座る。薄暗い幕内は無言の静寂に包まれ、隙間から朝の光と南軍兵のざわめきが漏れ入る。幕外の活気が、この空間を世界から取り残されたように感じさせた。東軍兵達は、いっその事その方が良いとさえ思ったかもしれない。

 皆、己の生存と戦友との再会と共に、生き残った事への背徳を強く強く噛締めていた。


 暫しの後、旅人が彼らの元へやって来た。数秒の無言の後、要件を話し始める。

 西大陸と南大陸は停戦交渉に合意し、その立会人を東軍から出して欲しいとの事であった。

 それを聞いて皆、漸く自分達の勝利を認識する。そして、勝利の犠牲として死んで行った同胞達の為に、止まる事の無い涙を捧げた。




 剣聖は、盆地を一望できる山の頂に座っていた。

 眼下には未だ硝煙が煙っており、山上まで血の匂いが漂ってくる。雲一つ無い青空の下、新緑の山々と屍山の対比が酷く痛々しい。

 友軍の散って行った場所を見つめていると、背後に旅人の気配がする。旅人は剣聖の背後に立つと、静かに戦場を見渡していた。剣聖も、じっと戦士達の戦跡を辿っている。

 ふいに二人の身体を、戦場から吹き上げる熱風が駆け抜けた。雫が空へと舞い上がり、乾いた風は彼方へと過ぎ去る。

 剣聖が、目を見開く。

 旅人も、彼方へと瞳を向ける。

 一陣の旋風が収まると、二人はもう俯いてはいなかった。遠くの山々を見据え、更にその先へと視線を進ませる。

 それから長い間、二人は同じ景色を見つめていた。

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