7-3

 ぼろぼろの東軍の兵達は皆、敗北の色を漂わせていた。

 侍達はその数を三割まで減らし、十名程を除いては皆満身創痍であった。とりわけ敵竜騎兵の騎乗射撃と、軽歩兵による狙撃が多くの侍達を死に追いやった。

 一方の志士達も、その半数以上の兵を失っていた。装備は互角とは言え途轍もない寡兵での戦いであり、後半は殆どゲリラ戦の様相を呈していた。数に追い囲まれ、敵歩兵隊の銃剣突撃に揉まれ部隊ごと散った兵も多い。初日の気勢は見る影も無く、侍も志士も皆ぐったりとしていた。


 そこへ旅人が、輸送隊と共に少量の物資を持って現れた。暫くの間、悲壮感に満ちた陣中を見渡し一人一人の兵を見つめている。

 旅人は皆の注目を集めると、全員に聞こえるようゆっくりと話し出した。

 それは果敢な戦いぶりへの感謝と、このような戦いに駆り立ててしまった事への謝罪であった。

 次いで、南軍が後方の城塞まで後退した事を告げる。何とか態勢を立て直し、最後の決戦を仕掛けるべく準備をしているものの、今ひとつ纏まり切らない状態である。そしてどのように事が運ぶにせよ、このまま戦えば東軍は全滅するであろうことを伝え、去りたい者は去るように言った。



 皆の静寂を破って、侍達の団長が口を開く。

 自分はここが死に場所と見つけた。世界一の軍隊相手に、武士の意地と誇りを見せつけて討ち死にしてやる、と。

 しかし、それを聞いた志士の一人が反意を露わに口を開く。私兵団を組織して参戦した、過激派の一人であった。

 侍達がそのような旧時代的で独善的な思考だから勝てないのだ。死にたいのならば今ここで腹でも斬れ、と言い放つ。

 抑圧されて来た禍根と不満を土台に、一瞬にして場が険悪な雰囲気となった。

 装備ばかり整った臆病者は今すぐ帰れ、時代遅れの脳筋共こそ居なくなれ、誰某だれそれの仇がどうした等と罵り合う始末だ。

 事態はどんどん収拾が付かなくなり、あわや仲間割れかとも思われた。が、突如として志士達の中心的存在の郷士が声を上げた。郷士は大喝して場を治めると、志士達全員を見渡して厳かに口を開く。

 この中に命の惜しい者は居るか、と志士達に問う。

 当然の如く誰一人反応しない。どころか、皆瞳の奥にめらめらと生の炎を猛らせた。

 郷士が続ける。

 ここに集まった志士達は皆、列島を発つ時に既に命を捨てている。国のため、ひいては世界のため、例えこの命を差し出す事になろうとも、最後まで戦い続ける。

 そう叫ぶと、侍達をじっと見つめた。

 侍達は、黙って志士達を見つめ返す。

 彼らの瞳の中にも、志士達に勝るとも劣らぬ灼熱の炎が、勢いよく猛っていた。全身傷だらけで片腕を失った者でさえ、そのまなこは他の者同様に生気を輝かせている。

 先程の喧騒が嘘のように、此処にいる全員の身体を熱い静寂が巡った。それは、二つの相反する信念を抱く者同士が、互いの魂を認め合った瞬間であった。

 旅人に向かって皆一斉に口を開く。口々に発せられたその言葉は、この戦争に導いてくれた事への感謝の言葉であった。

 それから翌朝に総突撃をかけることを決めると、それを南軍に伝えるよう旅人に頼んだ。


 剣聖は一連のやり取りを瞑目して聞いていたが、旅人の元へ静かに行くと何事か耳打ちする。

 旅人は各々と幾つか会話を交わした後、南軍の城塞に向けて出立した。

 旅人は一路城塞へと急ぎながら、皆に対して申し訳ないような有難いような、複雑な表情をしていた。しかしその胸中には、初めて体感する清らかな高揚感がとどまることなく沸き上がっていた。



 剣聖も、日が昇る前に姿を消そうとしていた。新月の盲闇の中、灯りも無しに支度を済ませる。

 皆を置いて、単身敵陣に乗り込むつもりであった。

 恐らく生きては帰れないだろう。囲まれて集中砲火に遭えば、如何な剣聖と云えども命は無い。しかしそれでも、行かねばならぬと思っていた。

 西軍陣地に向けて歩き出す。誰にも悟られずに出陣するつもりであったが、急に一人の志士が飛び出して剣聖の行く手を阻んだ。

 剣聖に気取られずに待ち構えるなど、どのような所業であろうか。志士の挙動に気を取られた瞬間、今度は全方位から視線を感じる。

 ぎらぎらとした視線が剣聖の身へと降り注ぐ。完全なる闇夜であったが、東軍兵全員が剣聖の姿をしかと捉えていた。

 剣聖は立ち塞がる志士の目を見つめる。深い、深い、全てを内包した瞳が、闇中に浮かんでいた。周囲の兵達を見回すと、その誰もが無言で頷いたように見えた。

 剣聖は歯を食い縛りながら、東軍の仲間を置いて何処かへと消える。俯いて歩く剣聖の頬には、熱い夜露がいつまでも濡れ滴っていた。

 翌早朝、剣聖の姿が見えない事について、東軍の誰一人として触れる者は居なかった。



 その日、中天は切ないまでに青々とした空を見せ、盆地の周囲の山肌には特有の雲が立ち登っていた。

 盆地の中央、西軍司令部で、元帥は慌ただしく命令を下している。南軍との決戦を控え、軍全体の確認を怠らない。

 森へと逃げ込んだ東軍の動向も気になるが、どのような展開になろうと対応できるようにしてあった。南軍と呼応して攻撃を仕掛けてくる事が予想されるが、それもこれまで程の威力は保っていないだろう。

 昨日までの戦闘で、少なくとも半数近くの東軍兵を斃したはずである。兵達の侍に対する恐怖心も、徹底的な遠距離戦術を用いる事により殆ど払拭されていた。

 元帥は未だ姿を現さない南軍を挑発すべく、前進の合図を鳴らした。

 すると、合図から少し遅れて斥候の報告が来る。それは東軍の出現と、交戦開始を報せる物であった。


 東軍兵達は、西軍左翼から馬鹿正直に突撃してきた。

 裏の裏をかかれた西軍ではあったが、落ち着いて方陣を展開し東軍を迎え撃つ。東軍と示し合わせての南軍の攻撃も大いに予想できたため、元々東軍用に準備していた部隊だけを当たらせた。東軍の兵力は予想よりも大分少なく、それが反って別働隊の存在を匂わせる。

 超密集隊形の銃歩兵隊が、侍達の足を止めるべく発砲を開始する。軽歩兵はライフル銃を構え、竜騎兵が側面へと回り込む。こうすれば、東軍は包囲殲滅を嫌って足を止めるより他に無い。

 しかし西軍の思惑を裏切って、銃歩兵隊の発砲を合図とするかのように東軍は猛烈な加速を見せた。それの意味するところは、包囲を恐れぬ敵中突破、否、敵中玉砕であった。

 押し包んでくる竜騎兵には目もくれず、侍達は銃歩兵隊へと突っ込む。既に青い羽織は、乾いた血泥で焦げ茶色に張り付いていた。

 その殆どが満身創痍の侍達であったが、地獄の咆哮と共に敵兵を蹂躙しながら駆け抜ける。あまりの疾さに軽歩兵の狙撃も大半が空を撃ち抜く。

 志士達も銃を乱射しながら侍に続いて突撃した。兵達は全力疾走しながらも次弾装填を恐るべき早さでこなす。撃ちながら駆け、斬り込みながら銃身に弾を込めた。前装式の銃で見せる神業の連続に、西軍の将士は皆その眼を疑った。


 侍へ向かった敵騎兵も、その勢いすら抑えられずに血煙と化す。時には銃弾を潜り抜け、時には飛び躱し、侍達は怒涛の進撃を見せる。

 侍の副長が鬼神の如く先陣を斬り走り、各隊長達もそれに続いた。彼らの中心には常に団長が豪進し、それを旗印とした突撃の威力は烈々たる物であった。

 西軍兵の間に、数日に渡って薄らいでいた青い羽織の恐怖が蘇る。近付かれれば、死ぬ。知らぬ間に味方が死んでいる。今度はそれに、銃を撃っても当たらない、当たっても止まらないという現状が加わる。

 東軍は侍達を先頭に、一切足を止める事無く突撃を繰り返し、敵司令部のある中軍へと迫っていった。


 危急を報せる伝令が西軍指令部を頻訪する。東軍が、西軍全体を突き破らんとしていた。

 西軍左翼は総崩れに近い状態となり、阿鼻叫喚の地獄絵図と化している。侍を阻まんとする勇敢な兵達は瞬く間に数を失い、距離を取って呆然とする者や逃亡を始める者まで居た。

 元帥は直ちに全軍を動かす。南軍側と右翼に最低限の抑えを残し、予備隊を除いた殆ど全軍を向かわせる。

 今は何よりも東軍の突破を押し止めなければ、このまま敗戦する可能性すらあった。迅速に各隊へ号令を送ると、指令部を後退させつつ近衛兵に迎撃を命じる。

 精強な近衛槍騎兵が戦闘に参加すると、流石の東軍もその勢いを弱めた。近衛猟騎兵が距離を保って狙撃を図り、近衛銃歩兵が押し包む。それを見た左翼の兵達が、戦意を回復して東軍を取り囲む。

 落ち着きを取り戻した西軍の秩序ある迎撃に、東軍兵は次々とその命を奪われ始めた。分断されて孤立したところを、原形もわからなく成る程に鉛玉を撃ち込まれる。酷い時には数名の侍に対してその百倍もの人数で取り囲み、遠巻きに銃弾を浴びせて撃ち殺した。


 遂には侍達の団長も、凶弾にその命を散らす。槍騎兵に足を止められた所を、猟騎兵のライフル弾が首を撃ち貫いた。東軍を纏め上げた郷士も、槍騎兵の突撃に相討ちして果てた。

 しかし彼らの死は、反って同胞達を熱く燃え上がらせた。息する毎に減って行く友軍の中で、戦士達は益々その勇猛を増幅させる。

 ある志士は折り重なって来た西軍兵を引き摺って進みながら、擲弾兵の榴弾を喰らい壮絶な最期を遂げた。

 ある侍の隊長は肺を撃たれて血を吐きながらも、敵近衛隊を押し開き中軍への血路を開いた。

 副長以下数名が、友輩の屍を乗り越えて中軍を突破、司令部へと突入する。西軍元帥を視界の中心に据え、一直線に駆け走る。立ち塞がる歩兵達を我武者羅に斬り捨てると、敵元帥への道が綺麗に開ける。

 副長は元帥を睨み付け、真っ直ぐに突進した。銃弾が頬を掠め腹を撃つが構わず突き進む。

 副長が刃を振り上げ跳躍すると、無数の銃声が一斉に鳴り響いた。


 元帥は、己に向かって跳躍した戦士が肉片と化すのを、瞬き一つせず見届けた。

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