6-4

 東の都を発ってから数日、剣聖は北方の山岳地帯へと来ていた。この地方には、天叢雲剣とはまた違う系統の聖剣がある。

 あのまま天叢雲剣を持ち帰っても良かったのだが、剣聖はそれをしなかった。何せ国宝であり、世が世なら視界に入れるだけでも罪に問われる。強盗紛いの事をしておいて何を今更な話だが、兎にも角にも尊い物なのだ。

 更に言えば、神剣にはこの国を護るという役目があった。大神宮の信仰を依代よりしろに、国の安定に大いに寄与している。それ程までに、天叢雲剣は神性に充ち満ちていた。

 しかしかえって、剣聖にとってはそれこそが、実は何より大きな問題であった。恐らく天叢雲剣を使えば、剣聖で無くともあの旅人に刃が届く。それは、剣聖の求めるところでは全くもって無かった。


 剣聖は山中を突っ切りながら北方へと進み、北の中核都市にある大きな寺院を訪れた。

 東の都の大神宮は土着の宗教の神社であったが、今度は風徒教の寺である。この寺院の宝物庫には、千年以上前に造られた刀が蔵されていた。

 剣聖が寺の僧に刀を見せて貰えないか頼んだところ、奥から僧正がいそいそと出てきた。僧正は快諾し、剣聖を奥の間へと案内する。その間あれこれと剣聖に話し掛けながら、他の僧達に指図したりしている。位に似合わず、何とも気さくな坊主であった。


 少し待たされた後、僧正が刀を持って現れた。

 刀掛台に抜き身で寝かされた刀は、鞘と並べて置いてある。刃渡二尺二寸の直刀は、荘厳過ぎる刀身を黒銀色に輝かせていた。

 剣聖は思わず唾を飲む。正に、釘付けであった。

 無意識の内に手が伸びる。柄を握って引き寄せる。刀身を見回し、うっとりとする。

 その間数秒。

 我に返って慌てて刀を戻し、僧正に謝る。僧正は、思わず笑い出した。


 それから小一時間、二人で刀の美しさについて語った。正確には一方的に僧正が話していたのだが、とにかく二人で刀を愛でちぎった。

 どうやらこの僧正、刀剣が好きで好きでたまらないらしい。

 僧正も昔は剣の道を一心に求めたが、ある時重要な事に気付いてしまった。それは、自分が好きなのは、剣術ではなく剣そのものであると云う事だった。そして剣術以外で剣に関われる生き方を模索していた時に、この刀に出会った。それからというもの刀目当てに寺に通い続ける内に、いつの間にか仏門に入ってしまい、なんやかんやで僧正になっていたと言うのだ。

 見ず知らずの人間に刀を見せるのも、実は腕に自信があるからだと言う。何とも変わった経歴の、武闘派な坊主であった。


 剣聖は、久し振りに他人と何かを分かち合えた事が嬉しかった。だからこそ、この刀は諦めて今度は西方へ旅立とうと思っていた。

 が、僧正は言った。

 もしこの刀を持つに相応しい者が居たら、その人にこそ使って貰うのが、この寺院の古くからの言い伝えである。そしてその人は、貴方ではないかと考えている。

 居住まい、雰囲気、並々ならぬ気配、どれを取っても申し分ない。更には先程刀を握った姿に見惚れてしまった。こんなに似合う御人はまたとは居まい。

 そう言って剣聖に、刀を手に取るよう促した。

 剣聖は黒銀色の刀を握ると、幾つかの構えをして見せた。次いでだらりと刀身を下げ、軽く立ち合いの雰囲気を匂わせる。

 僧正はそれを見ると、感極まったとばかりに何度も何度も頷き、手を合わせて涙を流した。

 その場では刀を僧正に預けて一泊し、翌日に儀式と共に正式に授与された。

 



 剣聖は庵に戻ると、また暫く剣を振って過ごした。偶にふと思い立つと、山を降りて旅に出る。諸国を巡って様々な物に触れるのも、悪くない事だと思っていた。

 この頃には、以前は存在しなかった多様な技術が発展しており、それらも剣聖の興味を惹いた。特に、西の大陸から伝えられた技術は非常に先進的であり、この列島でも大きく取り入れられている。鉄砲や大砲は以前から伝わっていたが、その性能たるや目覚ましい進歩であった。また、西の大陸で蒸気機関なるものが発明され、それを用いれば牛馬でさえ到底及ばぬ力を発揮した。

 西大陸諸国は東と南の大陸へ盛んに勢力を伸ばしており、それに伴って科学技術と西方の宗教が急速に世界に広まっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る