6-2

 剣豪は寺で一泊し、翌早朝には山道へと差しかかっていた。

 昨夜、寺の住職にも話を聞いたが、こちらも大した情報は得られなかった。住職の大師匠が赤子の剣聖を拾ったと話していたが、それも本当かどうか。

 出掛けには、道場で聞いたのと同じ文言を吐きながら、剣豪を押し止めようとしてきた。

 しかし剣の道をひた歩む剣豪に、神罰を恐れる道理など無い。もし聖域の神罰とやらが降りかかって来ようとも、この長刀で軽く払い除けてやる。そう言って住職を振り切ると、まだ暗い山影目指して踏み出したのであった。


 剣豪は全身に闘気を漲らせながら、一歩一歩力強く山道を登って行く。

 山道が途切れると、木々を掻き分け道なき道を進んだ。岩だらけの急斜面をよじ登り、庵の有るという滝の周辺を目指す。川を幾つか渡り、急な切り立った断崖をどうにか登り切ると、開けた平坦な土地に出た。

 そこから少し進むと、彼方の茂みの向こう側に、剣聖の庵らしき建物がある。

 木立の合間から覗くと、庵の前に剣聖と思しき人影が立っているのが見えた。白の胴衣に灰色の袴を履き、右手には抜き身の刀をだらりと下げる。まるで剣豪が来るのを知っていたかのように、真っ直ぐとこちらを向いていた。

 史実から考えると、剣聖は寝たきりでもおかしくない程の高齢の筈だが、とてもそうは見えなかった。が、すぐにそんな些末な事は頭の隅へと追いやる。剣豪は長刀を抜くと、ゆっくりと庵の方へと近付いて行った。


 剣聖らしき人物は、微動だにせず剣豪を虚ろに見据えていた。

 剣豪も最早、言葉を交わす必要は無いと悟った。目の前の相手が何者かなど、詰まらぬ事である。黙って長刀を脇構えに構え、心気を静めた。

 剣豪は、相手が唯者で無いことを瞬時に見切っていた。距離を詰める度に、断崖絶壁へと身を投げ出す心地がする。しかし、このような状況は過去に何度も乗り越えて来た。自分より圧倒的に強い相手と戦い、幾度と無く劣勢に立たされながらも、己の限界を超えて生き抜いてきた。そうすることで、天下無双の名を手に入れるまでに成長出来たのである。

 剣豪はそう思念して自己を奮い立たせると、長刀に力を込め気合を開放した。刀身から妖気が迸ったかのように、周囲の大気は震え、森はざわめきに揺れた。闘気を前面に、じわりじわりと距離を詰める。

 剣豪は自分の間合いに入る直前で、足を止めた。相手に一切の隙が見受けられないのである。これ以上距離を詰め、こちらから斬ってかかるのは愚策に思えた。

 と、相手の方から、かかってこないのならと言わんばかりに無造作に歩き出した。剣豪は勝機とばかりに長刀を払い付けるが、刀でそれを弾かれる。上方に弾かれた長刀を、上背を活かし傾斜を付けて振り下す。紙一重で避けられ、そのまま距離を詰められかける。

 が、これこそ、剣豪の思う壺であった。剣豪がこの長刀を得てからというもの、日夜欠かさず練磨してきた秘剣である。

 斬り下した刀は、次の瞬間には斬り上げられていた。斬り返しの衝撃が、風を巻き込み真空を作り出す。剣豪が数多放ってきた技の中でも、一二を争う程の切れであった。

 瞬間、剣豪は振り上げた右腕から温もりを感じた。これまでの人生で一度として感じたことの無いような、途轍とてつもなく柔らかな温かさであった。太陽の温もりに近いような、何だろう、是れは。見る間も無く、視界が消し飛ぶ。

 剣豪は、もうそれ以上何も考えることが出来無くなっていた。



 剣聖が、目の前に横たわる剣豪の死骸を凝視している。危なかった、と呟いたように聞こえた。

 いつもならこの手の果たし合いの相手は、急所を一刺しして殺していた。だが今回はそのような余裕も無く、ともすれば危うい勝負であった。

 正に神速の二の太刀と言えた。一の太刀で渾身の斬り下げを放った後の、更に切れを増した斬り上げである。

 もしあそこで踏み込んでいたら、死んでいたのは剣聖の方であっただろう。間一髪で踏みとどまり、斬り上げに合せて身を傾けながら剣豪の手首へと刀を添えた。そのまま振り上げられた長刀は、二人の技を重ね合せたように、実に美しい斬影を残した。

 一瞬硬直した剣豪を一刀に斬り殺すと、長刀を握り締めた右手がぽとりと落ちた。


 剣聖は庵の裏手へと死体を運んで行く。そこには簡素な墓が幾つも並んでおり、綺麗に整えられていた。

 一番手前の墓の隣に穴を掘ると、新しい亡骸を手厚く葬る。作業を終えて暫し黙祷を捧げると、庵の前へと戻って行った。

 剣聖は剣豪の持っていた長刀を手に取ると、じっと見入った。これまでにも幾つか、名刀の類を扱ったことはある。だが実際に自分の物となるのはこれが初めてであった。

 少し振ってみると、重心の位置から何から、刀の全てが実に巧妙に作られていた。

 先程の剣豪の技を真似してみる。始めはゆっくりと、徐々に慣らしながら感覚を掴んで行く。少し試行錯誤した後、長刀を脇構えに構えて精神を集中した。

 刀を閃かせ、払い付けつつ上段へ刀を運ぶ。そして渾身の斬り下げ、更に瞬速の斬り上げ。

 斬り下げと斬り上げが、全くの同時であった。にも関わらず、剣聖は何やら納得の行かない顔をしている。色々と試しながら、結局日が暮れるまで刀を振り続けた。

 剣聖はそれから暫くの間、日々の修練にも長刀を使うようになった。

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