6:護るから

 別棟からでると、アルフォンは美衣歌を抱いたまま中庭へ向かった。

 クレストファが靴とスカーフをもって、後ろからぴったりとついてくる。

 中庭は前に、アルフォンと湯殿で会った時に逃げてきた場所。

 以前と変わらず見事な花が遊歩道に沿って咲き誇っている。

 遊歩道の先に白塗り屋根の小さな休憩所がある。そこの長椅子に美衣歌は降ろされた。

 アルフォンとクレストファ二人が並んで美衣歌の横に立つと圧迫感がある。

 男の人が二人、美衣歌の近くにいることに慣れない。長椅子は壁にくっついていて、男性との間を広げようと壁際まで体を遠ざけた。

 手首を隠そうとした美衣歌の両手を、アルフォンの両手がやさしく掴み手のひらを上に向けた。なにかが擦れた痕が手首の内側についている。

 痛々しく赤いそれは、アルフォンが美衣歌をおいて部屋を出る前には確かになかったもの。

「なにがあった」

 やさしさのない怒りがこもった声に美衣歌の開きかけた口がつぐんだ。

「アルフォンさま、お顔が怖いです」

 みかねたクレストファが指摘する。

「クレアは黙ってろ」

「魔法の波動を感じ取って慌てて引き返されたじゃないですか」

「ちょっと、黙れ」

「わざわざ返還するために置いて行ったあげく、心配になって引き返されるぐらいなら、置いていかずに、一緒に部屋を出てこればよかったものを」

 羞恥に耐えられなくなったアルフォンが、クレストファに休憩所の外を指した。

「五分、離れたところで待機!」

 向こうへ行けと顎でしゃくった。

 クレストファは仕方がありませんねと肩をすくめ、靴とスカーフをアルフォンに渡し、その場を離れていった。

 クレストファがかろうじて会話が聞こえる範囲で待機したのを確認する。

 気まずそうな顔で脱げてしまった靴を置いて、美衣歌の肩にスカーフをかけようとしたとき。

 美衣歌の背中に薄く線が――。

 魔方陣を日ごろ見慣れていなければこれが陣だとだれも気が付かない。

 発動後の陣は、時間の経過とともに線が薄れていき、完全に消えるまで時間がかかる。

 陣が完全に消滅するまで同じ場所で魔方陣を描くことができない。高度な魔法ほど陣が消えるまでに数日かかる。

 美衣歌の背中には線は細いが、まだ消えていない。

「これ、誰にされた」

「?」

 「背中の魔法陣だ!」

 首をかしげる美衣歌にいらただしげに声を荒げた。

 消えない陣を隠していたスカーフは今なくて、髪は結われて背中を覆っているものがない。

 隠すものがなければ、見えてしまう。ベルティネの部屋での出来事ですっかり忘れていた。

(まだ、消えてなかったんだ!)

 アルフォンの目から隠すために、慌ててスカーフに手を伸ばす。美衣歌の手が届く前に、アルフォンは取られてしまわないようスカーフを頭上高くあげた。

「か、返してください」

「誰にやられた」

 高くあげられて美衣歌がいくら腕を伸ばしてもアルフォンの二の腕までしか届かない。

 長椅子で膝立ちになり、アルフォンの肩に手を置いてスカーフに手を伸ばしていた。

 それでもやっと、肘より上のところで、簡単に折りたたまれたスカーフには触れやしなかった。

 背中を覆えるものを返してほしくて必死だった。

「おまえ、危ないだろうが」

「え?」

 椅子から落ちかけている美衣歌をアルフォンが腰を支えて落ちないようにしてくれていた。

 膝が椅子から飛び出て、アルフォンがいなければ膝を地面に打ち付けていただろう。

「あ、ご、めんなさい!」

 男の人と普段密着する経験がなくて、驚いた。慌てて肩から手を放したが、落ちかけた体制は容易に戻すことができない。

 腰を支えるアルフォンの腕は美衣歌が離れるのを許しはしなかった。

 軽く支えていた腕に力が入り、余計にくっついてしまう。

「あの、放して、ください」

 上へあげたスカーフを持っていた手が降ろされる。離れようと反り返る美衣歌の背中をぐっとアルフォンに引き寄せた。

「――!!」

 言葉にならない悲鳴のような声があがった。

 美衣歌の顎がアルフォンの肩に乗っかっている。

 耳にアルフォンの息づかいを感じて、体が硬直する。

「誰にされた。俺しか聞いていないから言え」

 小声で聞かれた。

 アルフォンの低い重低音が美衣歌の耳の近くで聞こえる。

 ぼっと右側の耳が熱くなるのを感じた。

「フィリ、アルさま」

 小さく名前を呟いた。

 予想していたのか、やはりなとアルフォンが納得した。

「なにをかけられた」

「お城から、出れない魔法です」

「手首の赤い痕は?」

「――ベル、ティネさま」

 矢継ぎ早にされる質問に美衣歌がゆっくりと答える。

「なにされた?」

「ス、カーフで――っ」

 しかし、あのときの恐怖がまざまざと蘇り、体が震えだした。それ以上言葉にできなかった。

 腕の中で震える美衣歌に何があったのかを悟ったアルフォンは、後悔した。

 いくら、帰りたいと願わせるためといえど、あの部屋に置いて帰るべきじゃなかった。

 相手が悪すぎた。

「悪かった」

 歯を食いしばって、涙をこらえていると、アルフォンが背中を優しくなでてくれる。

 ゆっくりとした動きに安心して、涙を流した。泣いている顔を見られたくなくて、瞼をアルフォンの肩に押し付ける。いま放されると泣き顔が見られてしまうのを恐れて、手をゆっくりとためらいながらアルフォンの背に置いた。

 アルフォンがなだめるように背中をぽんぽんと叩く。

「俺が、護る。だから、今日は傍を離れるな」

 美衣歌は返事を返す代わりに、白の上着を遠慮がちにぎゅっと掴んだ。

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