4:ルスメイア家当主

 夕方からパーティが催される。

 アルフォンとその婚約者を祝うと言われているが、実際は美衣歌をアルフォンの婚約者として二人の仲の良さを見せるため。

 彼には相手がいる。あきらめなさいと女性たちや、権力ある男性の期待の蕾を摘み取ってしまおうという作戦だ。

 パーティに出る前に、二人はやらなければならないことがある。

 婚約を承諾してくれたルスメイア家の当主へお礼を言いに行かなければならない。

 会場の外で待機していたイアがこっそりと教えてくれた。

 それがこの国の礼儀なのだと。

 ベルティネの部屋は会場から離れた別棟にある。

 来客用に用意された部屋の中で最も豪華絢爛な部屋を用意されていた。

 部屋へ訪れると会場から戻ったばかりのベルティネがソファでくつろいでいた。

 部屋はアルフォンの私室よりも一回り大きい。そこに来客用のテーブルとソファ。壁には銅枠にはめられた油絵が飾られている。棚の上には高価な花瓶や小物がおかれ、見たことのない花が活けられていた。

 部屋にはベルティネの従者が三人いた。三人が三様に美衣歌とアルフォンがいるところではない壁や、窓枠を凝視している。

 壁に何かあるのかと、視線をたどっていった先になにも飾り物がない壁だった。

 壁の模様が珍しかったのかもしれない。

「疲れただろう。座りなさい」

 ソファをすすめられるがアルフォンが断った。

「ベルティネさま。本日は遠いところ、足を運んでいただきありがとうございます」

「わが娘の将来にかかわる大事な行事だからな」

 鋭い視線がアルフォンの隣に立つ美衣歌に向けられる。

 碧緑の瞳が、獲物を見るように細められ、口角が片方一瞬上がった。

 悲鳴をあげそうになる声をかろうじて堪えた。

「スティラーアさまとの許嫁きょかをいただき大変うれしく存じます」

「よい」

 恐怖のあまりに両手を強く握りしめた。

 手のひらの熱が引いて行って、指先は冷水につけたように冷たくなっていく。

(はやく、終わって!)

「ありがとうございます。それでは私は失礼いたします。夜のパーティでまたお会いできることを楽しみにしています」

 ベルティネは終始笑顔でアルフォンと対話し、アルフォンが部屋を退出する合図をした。

 やっと出られる。

 ほっと一息ついた。

「スティラーア。そなたに話がある」

 アルフォンと部屋を出ようとした美衣歌をベルティネが引き留めた。

「……え? わたし、ですか?」

 想定外の呼びとめに体が強張る。

 やっと出られると安堵したのに。

「これからそなたはここで過ごすのだぞ? もう母国へは戻れん。娘と会う機会がこれで最後と思うと……」

 白髪を揺らしながら、表情が沈んだ。

 娘に会えなくなることを悲しんでいる、ように見えた。

 美衣歌は彼の本当の娘ではない。

 それはベルディネ自身もわかっているだろうに。

「キミはここに残るといい」

 早く退室したい美衣歌にアルフォンが助け舟のように告げた。

 全然ありがたくない。パーティの前にやらなければならないことがあるから一緒に戻らないと。嘘でもいいから言ってくれたほうがどれだけよかったか。

「え、まっ――」

 引き留めようとしたその瞬間。

 ずんとした痛みが足全体に現れた。

 徐々に痛みは増し、内腿のすじがピンとはる。

 美衣歌の制服にかけられていた魔法の効果が切れた。

(こんなときに)

 痛めた足だと、歩く速さが遅くなり退室するアルフォンを引き留められない。

 それどころか痛みに耐えるのが精一杯で動けない。

「私は失礼いたします」

 ベルティネに一礼をして踵を返す。

 アルフォンがベルティネに背を向けた途端、ベルティネの視線が鋭く美衣歌に突き刺さった。

 婚約式で見た、あの視線が根の前に現れる。

 手を置いている杖が、宙に浮いた瞬間、体全体に言い表せない恐怖が襲った。

 言葉を発していないのに、空気が震えている。

 発しているけど、美衣歌に聞こえていないだけなのだろうか。鼓膜が空気の振動をとらえているように感じとっている感覚がするだけで。

 ベルティネがにんまりと笑う。

 恐怖で全身が震えあがった。震える体を抑えるように腕を組む。

 一人にしないで。

 前かがみになる美衣歌に目もくれず、出口へ向かう。

「おい、てかないで」

 小さく呟いた。

 アルフォンは足を止めることなく、部屋を出て行った。

 聞こえるか聞こえないかの小さな声は彼に届かなかった。


 ベルティネがソファから立ち上がる。

 美衣歌の前に移動して、体の支える腰の高さまでのステッキを振り上げた。

 横へぐと先端が白く淡く光り輝きはじめた。

 フィリアルと同じく、ステッキに見せかけた杖を堂々と持っていたのだ。

 光る先端が美衣歌に向けられる。

 何が起きるかわからない恐怖。足が後ろへ数歩下がる。

「――――!」

 美衣歌に聞き取れない異国語がベルティネから発せられる。

「!」

 すると、肩にかけられていたスカーフが後ろに強く引っ張られる感覚がした。後ろへ転倒しかけたのを何とか足で踏ん張る。

 スカーフが肩からするりと滑り落ち、前腕に引っかかる。

 ベルティネが杖を動かすとその動きに合わせてスカーフが意思を持ったかのように動き始めた。

 スカーフの両先端がねじりあげられ、美衣歌の両腕が拘束される。

 固く縛られたスカーフを引っ張られ、肘から下の骨がきしみ声にならない悲鳴が喉の奥から出た。

 ぐったりと床にくずおれる。床に転がった美衣歌をベルティネは上から見下ろした。

 背中に残る陣がベルティネの前にさらされる。

 人ではない空気の塊が、縛られた手の上から重りのように押し付けられ身動きが取れない。

「や、めて」

 足をばたつかせ、何とか逃げ出そうとするが、上からのしかかる重力に勝てるはずもない。余計に重力がかかり、呼吸がしにくくなる。

「あの、たす、け――」

 ほかの人に助けを求めようと、美衣歌の近くに立っていた従者に助けを求めた。

 従者は、聞こえていないのか、美衣歌の方へ向いてくれない。

 それどころか、不安な面持ちで両手が空間を右往左往している。

「あ、のっ」

 再度声を上げると、上からおかしそうに笑い声が上がった。

「教えてやろう、異界人」

「!」

「奴らに助けを求めても無駄だ。やつらの聴覚、視力、声音は魔法で奪われている」

(なんてひどいことを!)

 訪室してから疑問に思っていた。

 客が部屋に来たら、従者は忙しく動きだすものじゃないのかと。他国と美衣歌の想像は違うのかもしれないと思っていた。

「フィリアルいるか」

 アルフォンと朗らかに会話をしていた人と思えない低音の声が部屋に響き渡る。

「はい」

 フィリアルが壁からふわりと突如姿を現した。その手には扇に疑似した杖が握られている。魔法で見えなくしていただけのようだ。

「スティラーアはどこだ」

 厳しい叱責がフィリアルに向けられた。

「申し訳ありません」

 淡々と謝るフィリアルに、杖の先端が向けられる。

 赤い光が小さくほとばしっている。

「特定できていないというのか?」

「脅し、ですか? ふふ、近い場所まで特定できていますわ。どうか、杖を下ろしてくださいませ。お腹の子に悪影響があっては困ります」

「今すぐ連れてこい。いつまでも異界人を使うな。家名がけがされる」

 美衣歌がこの名前を名乗り続ければ、家名が汚される。

 早く替え玉を本物へ変えろと言われた。

 何も知らない美衣歌を異世界から呼んだのは、フィリアル。

 そうしろと命じていたのはこの男なのかもしれない。

「……急ぎます」

 フィリアルが悔しそうに口角をゆがめた。

「これはおまえか?」

 美衣歌の背についた魔法痕をフィリアルに訊ねる。

「ええ」

「見つからないようにしろ」

「心得ていますわ」

 フィリアルは杖を振り、その場から姿を消した。

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