3:婚約式

 魔法が働いた痕が背中にうっすらと残っていて、ドレスの上に白の薄いスカーフを羽織って隠し、会場へ向かう。

 精緻な模様が描かれた扉の前に若い男性が2人立っていた。

 一人が美衣歌に気が付き、美衣歌へ笑みを向ける。

「名前をお聞かせ願えますか?」

 丁寧に聞かれ、名前を名乗った。

「お待ちしておりました。こちらです」

 両扉がゆっくりと開き、向こう側の音が隙間から漏れ聞こえてきた。

 ざわめく人の声と、むっとした熱気が廊下にあふれる。

「ルスメイア家、スティラーアさまです」

 別の中年男性へ若い男性から情報が伝わる。

「お待ちしておりました」

 歓迎されたところで、あまりうれしくない。

「ルスメイア家、スティラーアさまがご到着されました」

 美衣歌が入り口で戸惑っているなか、中年男性はよくとおる声で叫んだ。

 ざわついていた会場は一瞬にして、静かになる。

 ピリピリとした空気が廊下に立つ美衣歌にも伝わる。

「どうぞ」

 促され、室内へ歩を進めた。

 中年男性が美衣歌の前から移動すると、視界いっぱいにドレスで着飾った少女や貴婦人の姿、正装をした男性たちが入り混じった光景が見下ろせた。

(入るときの礼儀、聞いてない)

 歩行練習は体に染みつくほどした。食事の作法も、間違えずにできる。

 式に出るための作法は練習したのに、会場内へはいるあいさつの仕方は誰も教えてくれなかった。

 美衣歌が入ると扉は無情にも閉められてしまった。

 今更扉を開けて出ていけない。

 会場で談話をしていた皆の視線が美衣歌へ瞬時に集まる。

 じっと、美衣歌のふるまいを待っている。

「皆さまにあいさつを」

 横から小声で次にすることを教えてくれる。

「え」

 美衣歌が困っているのをまるで手助けするような絶妙な助言に目を見張り、振り返った。

 中年の男性が、不思議そうな表情を浮かべた。助言してくれたのは彼のようだ。

「お辞儀ですよ。お忘れですか?」

「あ、いえ」

 美衣歌は会場に向き直りスカートの両すそを軽く持ち上げる。白いペチコートが裾からちらりと見えた。腰をゆっくりと下げ、瞼を閉じた。

 どこからか感嘆とは程遠い、侮蔑のこもった空気が美衣歌の肌を突き刺す。

 間違えた作法をしてしまったかもしれない。

 あいさつのなにを間違えてしまったかわからない。

 今更、やり直しがきくとも思えなかった。やり直そうにも、正しいあいさつを知らない。

 腰を上げると、目下の会場の一番奥に旗が斜めにクロスして掲げられた、その前に神父らしき人物が立っている。

 神父の右側にフィリアルが王族のための椅子に背を預けていた。

 彼女は顔の前に扇を広げていた。

 あなたのあいさつは見ていられない。そういわれているような気がした。

 あいさつを、とせがんだ男性は、ぽかりと口を開いていた。後ろへなで上げられた前髪で露わになっている額に玉汗が浮き出ている。

「お、お嬢さま、それは異国のあいさつ、なのでしょうか? 母国ではそのように?」

「あ、はい。そうです」

 異国といわれ、笑顔でごまかした。

 しかし、フィリアルの国のあいさつでもないのだろう。顔を隠したのが何よりの理由だ。

 もう、やってしまったものは仕方がない。

 会場にいるほぼすべての人が美衣歌の誤ったあいさつを見てしまっている。

「どうぞ、ゆっくりと階段を下りてください。相手の歩調に合わせて」

 次にどうするか戸惑う前に、小声で男性は教えてくれた。

「ありがとう」

 親切心に感謝をして、右側に下る階段を見つけた。ゆっくりと弧を描くようにして降りていき、踊り場に出たところでもう一方に階段が続いている。

 美衣歌側と同じ幅の階段を上るように顔を上げていくと、美衣歌が立つ同じ高さにアルフォンが立っていた。彼の後ろには、美衣歌側と同じような格好をした男性が一人立っている。

 白の正装に身を包んだアルフォンは、会場に現れた美衣歌を凝視していた。

 前夜に連れ去られていた情報は、アルフォンの耳に届いていなかった。

 階段を一歩、アルフォンが降りる。

 慌てて美衣歌も彼に合わせて階段をゆっくりと降りていく。

 ちょうど会場の中腹にある踊り場で合流し、向かい合う。

 アルフォンは毅然としていて、美衣歌と向かい合って、にこりとも微笑まない。

 それどころか無表情で、アルフォンからすっと手袋をした白い手のひらが差し伸べられた。

 手を重ねればいいのだろうか。

 手を戸惑いながら重ねようとして、悲鳴が上がる。びくりと体が震え、反射的に引いた手をアルフォンの手がすばやく捕え、引き寄せる。

 腕に美衣歌の手を絡めさせた。

 どこかから悲嘆の金きり声がさらに大きくいくつもあがる。


 どこの誰かもわからない、礼儀の知らない美衣歌はアルフォンにふさわしくない。

 その隣に立っていいのはあなたじゃない。

 あなたは歓迎していない――。


 そう感じ取れる悲鳴に美衣歌の足がすくんでしまった。

 彼女たちの痛々しくも強い嫌悪の視線が、身体に突き刺さる。

 アルフォンの腕から手を引き抜こうとしたら、脇をしめられて手が抜け出せなくなった。

「え、あの!」

 正面の階段を数段アルフォンがとまどう美衣歌を先導する形で降り始める。

 美衣歌は引かれるようにアルフォンと階段を下りていく。

 ホールに降り立つと、会場内に作られた祭壇までの道のりをゆっくりと歩くだした。

 裁断までまっすぐに明るい水色のカーペットが引かれ、貴族が誤ってカーペットに入ってこないように兵士が均等間隔で両側に立ちふさがっている。

 ホールの奥には二つ旗が斜めに交差して掲げられている。旗にはそれぞれの家紋が刺繍され、その前に神父らしき人物が本を開いて立っていた。

 神父の前にアルフォンと美衣歌が祭壇を挟んで立ち、緩んだアルフォンの腕からすばやく手を離した。

「ウィステラ皇国シェザアリーさま」

 アルフォンが胸に左手を置き、皇王へ会釈をする。

 それにならって、美衣歌も頭を下げた。

「あなたさまはアルフォン・ヒスト・ラ・ウレ・ウィスチャさまをスティラーア・メディ・エ・ルスメイアさまの婚約相手として認めますか?」

 皇王はアルフォンと美衣歌を交互に確認し「認める」と言った。

「ありがとうございます」

 アルフォンが礼を言うと、神父は手に持っている書類を皇王の前に出す。皇王はその書類にサインをした。

 書類を受け取り、次に皇王の反対側、美衣歌の斜め左前に立つ男性へ向いた。

 四十代半ばの白い髪を綺麗に後ろへ流し、杖を床についた男性。

 窪んだ目がぎろりと美衣歌を値踏みするかのように上から見下ろしてくる。

 光沢のある上着はなめらかな素材を使用しているのか、シャンデリアの光をはじいてオーロラのように輝いている。

 その輝きがより一層、男性を恐ろしく魅せる。

「カヴァロン帝国ルスメイア家現当主ベルティネさま」

 その男性の名を神父が呼ぶ。

 皇王にしたのと同じく二人で神父の左側に立つ男性に頭を下げる。

「あなたさまはスティラーア・メディ・エ・ルスメイアさまをアルフォン・ヒスト・ラ・ウレ・ウィスチャさまの婚約相手として認めますか?」

 美衣歌は、ひたすら返事を待った。

 皇王以上に言葉をため、一向に是の声が聞こえない。

 皇王に許可をもらう以上に、緊張する。

「ああ、認める」

 神父は同様に皇王のサインが先に書かれた書類を渡し、男性からサインをもらう。

 婚約の許可が双方から下り、顔を上げた2人は神父と向き合った。

「両家から許可が下りました。お2人は婚約を取り交わしたことになります」

 神父の後ろから指輪が乗った台座がしずしずと運ばれてくる。

「それでは指輪の交換を行います。この指輪は結婚式を行うまで指から外すことは許されません」

 まず、アルフォンに女性の指輪が渡され、美衣歌の指へゆっくりとはめられる。

 どこではかったのか、指輪は美衣歌の指にぴたりとはまった。

 男性の指輪が渡され美衣歌からアルフォンの指へ、指輪をはめた。

 それぞれの指にはめられた指輪を見守っていた貴族たちへ見せると、盛大な拍手がわきおこる。

 両家の親が認めた許嫁を一端の娘たちが認めないわけにいかない。

 アルフォンの婚約者の座を狙っていた女性たちはしぶしぶながら拍手を送った。

 祝福の拍手を送らず、ただただ美衣歌とアルフォンの二人を睨みつけていた、少女が一人。

 アルフォン側に立ち、最前列で両手を強く握りしめていた。

「――気に入らないわ」

 彼女の一言は湧き上がる拍手にかき消され誰の耳にも届かなった。

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