23:屋敷の主

 馬車が止まり、目的地へ到着したことをクレストファが知らせてくれた。

 馬車を降りると、地面がふわりと揺らいでいるような感覚がして立っていられない。一歩を恐る恐る踏み出すと地面がぐにゃりと揺らぐ。

 揺らぎに耐えられず馬車の側面に手をついた。

「アルフォン殿下」

 凛とした少し高い女性の声に振り返る。

 アルフォンの背の向こう、二階建ての立派な屋敷の玄関から漏れる光を背にすらりとした女性が立っていた。

 足元まである細身のドレスに身を包み、ドレスの上から薄手のスカーフを羽織っている。髪の毛をドレスにつかないようきっちりと頭の高いところに結い上げていた。

 王宮で侍女官長をしていた頃と変わらない髪型に、選んだ相手は間違っていなかったと確信した。リストの中に彼女の名前を入れたクレストファに感謝する。

 アルフォンは歩み寄り、女性が深く頭を下げた。

「お待ちしておりましたわ」

「ご無沙汰しています、ファリー殿。夜分にお邪魔してしまい、申し訳ない」

 アルフォンは女性の手を取り、手の甲へ口付けをした。

「でしたら、日が昇っている時間にお越しいただきたいですわ」

 アルフォンはファリーの嫌味に苦笑いで返した。

 その通りで、なにも言い返せない。

「突然のお手紙に了承いただき感謝致します」

「お手紙のお方はあちらの?」

 ファリーはアルフォンの後ろに立つ外套を着た美衣歌に視線を向ける。

 目の力強さに足がすくむ。

 鼻で笑われたような気がした。

(立ってられないんだから、仕方ないじゃない)

「こちらへ」

 玄関の扉を片方開け、家内へ招き入れる。2人が屋敷の中へ入って行った。

 二人がいなくなると改めて屋敷を眺めてみた。

 月光に映る屋敷は美衣歌が見知っているどの家よりも大きくて美しかった。

 正面玄関の上にはバルコニーがつき出て玄関に影を落とし、窓は細長く上が丸くなっていた。

 屋敷の壁に月の淡い光が当たり、幻想的に見える。

 窓にはきっちりとカーテンが敷かれていて、部屋の中は見えなくなっている。

 窓を開けたらどんな景色が、部屋の中はどうなっているんだろう。

 想像するだけで、わくわくする。

「なにしてる」

 現実逃避していた思考から一声で引き戻される。

「早く来い」

 アルフォンが目の前に立っていた。

 ついて入ってこなかった美衣歌を呼びに来たようだ。

「……すいません」

 アルフォンは屋敷に向かっていく。

 行かないといけない。

 馬車から手を離し、足を踏み出す。ふわりとした浮遊感はずいぶんよくなっていた。

 カクリ。

 膝から地面へ座り込む。

 今度は膝がなめらかに動いてくれなかった。筋肉を変に使ったのか、痛い。

 浮遊感はよくなったところで、足がこれだと歩くのが大変になる。

 地面に座り込んでいると、アルフォンが気が付いて屋敷に入る前に再度戻ってくる。

「今度はなんだ」

 見下ろされる表情は険しいのに、あきれた声がした。

 何をやっているんだと言われているようだった。

「あの、膝が……う、動かしにくくて」

 膝に手を置き、何とか動いてほしいと願掛けをしてさすりあげる。

 すると顔にかかっていた陰りがなくなりほんのり明るくなる。

 不思議に思って瞼を上げると、目の前に屈んだアルフォンの姿が。

 月光を受けたアルフォンの藍色の髪が映える。

(綺麗)

 思わず魅入っていると両手が美衣歌に向けて伸びてくる。美衣歌の脇の下へ手が入り、アルフォンが立ち上がる勢いで美衣歌も立ち上がった。

 地に足をつけたのはほんの数秒。屈んだアルフォンに今度は担ぎ上げられた。

「――!」

 あげる悲鳴を飲み込んで、不安定な肩の上で咄嗟に背中の外套をつかむ。

 フードから長い髪が零れ落ち、ゆらゆらと歩調に合わせて揺れる。

 両足はがっちりと動きを封じられ、動かせなかった。

「まぁなんということですか」

 淑女の姿として見ない光景にあんぐりとした口元を扇で隠してファリーは驚いた。

「ファリー殿、この人のお部屋はどちらに?」

「二階です。手前から二番目のお部屋を用意致しましたわ」

「このまま連れて行きます」

 美衣歌は担がれたまま、教えられた部屋へ連れて行かれた。部屋の中でようやく降ろしてもらえた。

 頭を何度も振られて、めまいがする。

「お前の還り方を急いで探すが、時間がかかるだろう」

 めまいがする頭を押さえて、アルフォンと向き合う。

「分かったら迎えに来るが、それまでの仮の家だ」

 わかりました、と言葉が出ない代わりにうなずきで返した。

「ここから追い出されるようなまねはするなよ」

 追い出されるとはどいうことだ。

 ファリーの厳しそうな表情に、追い出されるようなことをしでかしてしまいそうだ。

「気を付けます」

 アルフォンがドアを閉め部屋を出ていく。階段を下りていく音が遠くなっていった。

 めまいが落ち着くと、部屋の片隅にあるベッドが目に入り這って移動した。この屋敷のベッドはカーテンが付いていない代わりに、アルフォンの部屋にあるベッドと同じく広くて大きい。

 外套を脱ぐとベッドに這い上がって倒れこみ、そのまま眠りに落ちた。




 一階ではファリーが階下でアルフォンを待っていた。

 ファリーと共に応接間へ入り、柔らかいクッション性のある肘掛け椅子に腰掛けた。

「彼女が手紙で書いた、異界の少女ですか?」

 ファリーはカップに紅茶を注ぎながらアルフォンに伺う。

「そうです。還る方法を探してみるので、それまでの間預かってほしいのです」

 紅茶の注がれたカップが目の前に置かれる。湯気が立ち上がり、入れたての香りがする。

「皇子のお傍ではいけないのですか? あなたの近くが一番安全でしょう」

 目の届くところにいれば、最悪の事態は回避できる。美衣歌が城にとどまり続けるとフィリアルの思惑通りになってしまう。

 フィリアルの思惑に誰も巻き込みたくない。

「そうですね。しかし王宮では誰の傍でも危険ですよ。近くに居続けるといっても限界があります。政務で離れることもありますから」

 ファリーが、ため息交じりに息を吐き出す。

「政務は皇子のお仕事ですからね。やっていただかなくては困ります」

 政務以上に優先にしなければならないものはない。

「それよりも、早急にあの方を本来いるべき場所へ還して差し上げるのが先ではありませんか? わたくしの元へ連れてくるよりも先に」

「クレアと政務の合間を使って返還方法を探しているのですが、オリジナルの魔方陣となるとなかなか難しくて」

 美衣歌を召喚したフィリアルの魔方陣。召喚された美衣歌が現れた時点で跡形もなく消え去ってしまい、魔法のなにが組み込まれていたのか探しにくい。

 アルフォンが見ていた時点で魔方陣は完成し、詠唱はすでに始まっていた。

 浮遊する陣は読み解きにくい。地面にまだあれば、組み込まれた魔法の意味を読み解けた。詠唱中の陣は形を保たない。くるくるとゆっくり回り、動いていく。

「それでしたら、あなたの妹君にお伺いすればよろしいでしょう? 血縁の中でフィリアルさまをしのぐ力の持ち主がみえるではありませんか」

「彼女は……」

 銀色の奇麗な長い髪をした、妹の顔が思い浮かぶ。

 一室から出ることが許されない五歳年下の妹。

 聞けば助けになってくれるだろうが。

 アルフォンは顔を渋らせた。

 最終手段としてならいいかもしれない。

「婚約式当日、式が終わるまで彼女が王宮内にいなければいい。それまでお願いします」

 出された紅茶に口を付けず、アルフォンは椅子を立ち上がった。

 腰から軽く頭を下げ、部屋を後にする。

 婚約式まであと、三日だ。

 二日後には各国の貴賓と、国内の貴族が王宮に集まる。

 急がなければいけない。

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