24:婚約前夜
美衣歌が王宮を去った翌朝。
アルフォンの部屋から悲鳴が上がった。
悲鳴を聞いた警備兵が何事かと切迫した表情で部屋に入ってくる。
「すいません、なんでもありませんから」
イアは業務用の笑みを兵に向け、動揺したコーラルを天蓋ベッドのカーテンに隠した。
ちょっとしたことで声を上げてしまったというイアの曖昧な説明で兵士がしぶしぶ部屋から出て行ってくれた。アルフォンの部屋の警護を任されているだけあって、納得してくれるまでに時間をとられた。
兵士が出て行くと、カーテンを開いた。昨夜使った痕跡のないベッドの上に脱ぎ捨てられたドレスが無造作に置かれてある。ベッドの下に脱ぎ捨てられた靴が転がっていた。
「コーラル」
「また、なんですかぁ?」
床に座り込んだコーラルが半泣きで訴える。イアはため息交じりに肯定した。
これで何度目になるのか。
何度も逃げられて、今回こそ最後と思った矢先に、部屋からいなくなってしまった。
昨日まで部屋を使っていた女性は、滞在していた日数が長かった。これは最後かもしれないと期待が半分膨れ上がったところでこれだ。落胆も今まで以上に大きい。
フィリアルにアルフォンの婚約者候補の侍女を命じられたのは数年前。
それから幾度となくお世話をする女性を迎えた。迎え入れた女性たちはイアの知らないうちに、城を去っていってしまう。
アルフォンの隣に立ってくれる女性は今後現れてくれるのだろうか。
「フィリアルさまに報告してくる。その間にドレスと靴、お願いね」
将来の不安を感じつつ、部屋を出たイアは、フィリアルの元へ急いだ。
(そういえば、今日はドレスが届く日だったわ)
婚約式のためだけに新調されたスティラーアのドレス。午前中に試着する予定だった。
試着する当人がいなければ、サイズが合っているかみることができない。仕上がったドレスをどうするか、聞かなくては。
* * *
婚約式前夜。
美衣歌の体は痛みに悲鳴を上げていた。
返還方法が判明するまでとはいえ、日中室内で時間を持て余していたら、ファリーの提案でマナーを教わることになった。
ファリーから優雅に見える歩き方を一日教わり、普段使わない筋肉を使い続けた結果、全身が痛くて動けなくなった。
階段の手すりをはって二階へ上り、部屋についた。途端、力が抜けて床に座り込むと同時に睡魔が襲う。
倒れかけた頭を腕を床について支える。床で寝るわけにはいかない。なんとか立ち上がりふらつきながらベッドへ移動する。
ベッド上に倒れこみ、眠りにつこうと目を閉じた。
ガタン、となにかが開いた音で閉じた瞼をこじ開ける。
ドアがきちんと閉めていなくて、開いてしまったのかもしれない。
襲ってくる睡魔と闘いながら起き上がり、ベッドから降りてドアの方を眺めるとドアは閉まっていた。
ドアではなく窓の方かもしれない。ドアと反対側の窓の方へ顔を向けると窓が開いていて、引かれたカーテンが風に流されてふわりと揺れていた。
陽が照っている間は窓を開けている。閉め忘れたのかもしれない。
床に足をつけ、立ち上がった。
誰もいなかった窓辺に黒い外套をきた男が立っている。美衣歌が身体を屈んだ一瞬で、人が現れた。
見たことのない、長身の男はファリーの家の使いの者じゃない。
ファリーの家で働いている人は三人いる。調理をする五十代半ばのふくよかな男性、家の周囲の掃除とファリーの身の回りの世話をする四十代の女性が二人いる。
その誰にも当てはまらない。
美衣歌の前に立つ男はフードをかぶっていて顔が見えない。
男は部屋を入念に見渡し、美衣歌を見つけた。
獲物を見つけた狩人のように笑った。
(にげなきゃ)
夜に窓から現れる訪問者にいい人はいない。
早く動いてと足を動かしているのに、筋肉痛の足が床にへばりついて思うように動いてくれない。
その間に男は美衣歌にゆっくりと近づいてくる。
「こんばんは」
声は低い。声質からいくと二十代後半だろうか。
「誰、なの」
誰何すると鼻で嗤われた。
恐怖に声が震える。
「花嫁を本来いるべき場所へ連れて行く」
彼は美衣歌の質問を気にも留めず、独り言のように言った。
本来いるべき場所……王宮を指しているのかもしれない。
「なん、のこと」
とぼけてみることにした。
素直にそうですといえば、危険に自ら足をつっこむようなものだ。
「わからなくてもいい。あと数時間でわかる事実だ」
男はすべて承知のよう。
やはりアルフォンの花嫁のことを言っている。
冷や汗が背中を伝っていく。
この人は知っている。美衣歌が何者か、聞いて、知っている。
男と美衣歌の間の距離が縮まっていく。
これ以上、近づかれたら捕まってしまう。
ココン。
緊迫した中で、ドアが叩かれる。
音ではっとした。
ドアを叩く相手はこの屋敷の主、ただ一人。
「薬を持ってきました。開けなさい」
いつもと変わらない調子で、声をかけてくる。ドアの向こう側に、知らない男が侵入しているとも知らず。
美衣歌はこの状況から抜け出せるとほっと胸をなでおろした。
これで、助かる。
ただ、助かることしか考えていなかった。
「ファリーさ! んぐっ!」
部屋への来訪者に、男は油断した美衣歌との距離を一気に詰めた。意識がそれた隙に口を塞がれる。あてられた布からふわりとしたきつい花の香りに目がくらんだ。
「時間がない。待ってられない」
男は脱いだ外套を美衣歌の体にすばやく巻きつけ縛る。
男物の外套は長く、美衣歌の足まで簡単に覆ってしまう。肘のあたりをきつく縛られて手は自由なのに腕が動かせない。
「な、に、す……うっ」
鳩尾に膝蹴りを受け、意識が遠のく。
「ダ、メ。ここ、いなきゃ」
アルフォンに迷惑かけてしまう。
くたりとした美衣歌を担ぎ上げ、バルコニーに足をかけた。
中の様子がおかしいとドアを開けて入ってきたファリーと、振り返った男の目が合った。
肩には縛られた美衣歌がぐったりとしている。
美衣歌の顔色が青い。瞼は閉じられ意識がない。
「その子を離しなさい!」
ファリーは手にした薬瓶を男に向けて投げる。男は容易に薬瓶をよけて、それは外の庭へ落ちて行った。
美衣歌の足に塗る筋肉緩和薬が入っていた。
「目的は果たした。ご婦人、騒がせたな」
男はバルコニーから一階へひらりと軽やかに舞い降りる。
ファリーがバルコニーに駆け寄り乗り上げて下を凝視するころには男は美衣歌を一頭の馬に乗せ、走らせるところだった。
「待ちなさい!」
男は開けられた門をくぐって走り去っていく。後姿が徐々に闇にまぎれて見えなくなる。
「あの方は……」
一瞬だったが頬についた刃の傷が見えた。見間違うはずがない。あの傷に覚えのある人物が一人いる。
急いでこのことを知らせに行かねばならない。
部屋を飛び出し階段を急ぎ下りる。
「王宮へ行きます。馬車を用意して頂戴!」
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