21:外へ
絶対安静と医者に言われ、日中を居心地のよくない執務室で過ごした。
アルフォンが執務机で書類や本と格闘している間は、別の机で言葉の勉強をする。
夕食も執務室で済ませ、アルフォンに支えられて部屋へ戻り、唯一の椅子に腰かけ、足の具合を確認する。
ひねった時よりも痛みは引いている、気がした。
痛みに効くと言われて渡された塗り薬。いらないと言うのに強引に侍医から渡された。効果はあるかわからない。塗らないよりいいのかもしれない。
一度引いた痛みがひどくなる前に塗っておこうと、薬が詰められた容器を机に置く。
ドレスのふんわりとしたスカートが邪魔をして、足首が見えない。
スカートをたくし上げるわけにいかず、屈んだ。
すると今度は、後ろで締められたドレスの留め具が邪魔をして、身体が折り曲がらない。
(どうしよう)
留め具が外れないか気にかけながら、体を起こして息を吐き出す。
胸が圧迫されて、知らないうちに呼吸を止めていた。
薬を塗布するのを諦め、ふと入口の方に視線を動かした。
アルフォンが美衣歌の動作をじっと、怪しい人を見るかのような険しい表情でこちらを睨んでいた。
「なんで、しょう?」
薬を塗ろうとして諦めた一連の動作を見られていた。
「……別に」
アルフォンは入口の壁に腕を組んでもたれかかり、顔をうつむかせてしまった。
こちらを向くそぶりはない。
机には美衣歌が昨夜使った本がそのまま置かれていた。
本を開く気分になれず、窓から見える夜空を見上げた。
空は部屋の明かりが邪魔をして、あまりよく見えない。
部屋の中はアルフォンがいて、少し緊張する。意識しなければ、美衣歌は自然体でいられる。
特に変化のない空を眺めていると、なにかを感じて、振り返る。
目を閉じていたアルフォンが、美衣歌を見つめていた。
瞳がぶつかる。
アルフォンが、ふっと笑ったような、気がした。
(え……!)
最初に瞳をそらしたのは美衣歌の方。
男の人に見つめられるようなことはなくて、誰かと視線が合うこともこれまでになくて。
どうしていいか、わからなくて、そわそわする。
二人の間に流れる妙な空気を振り払うかのように扉が叩かれた。
アルフォンが外に出て、部屋に戻ってくると、手に何かを持っている。目を合わせようとしない、美衣歌の元へ歩いてきた。
「これに着替えろ。外へ行く」
押し付けられるように渡されて、受け止めきれなかったものが膝の上に落ちる。丁寧に畳まれた高校の制服だった。
つい数日前まで毎日飽きるぐらいに見慣れていたのに、ざらりとした上着のさわり心地に懐かしさが込み上げる。
制服が手元に返ってきた実感がわいた。
「私、還れる……んですか?」
元の場所へ戻れるのだろうかと期待を込めて尋ねる。
「いや。まだだ」
簡単に打ち砕かれてしまった。
「そう、ですか」
「城から出て、城下の屋敷へ向かう」
まだ還れないと落胆する美衣歌の腕に抱えられた制服の上へさらに紺色の大きな上掛けを押し付けられた。
「その服の上から着ろ。闇にまぎれられる」
部屋の中で仕切られる場所――簡素な部屋を見回す前に一か所しかない。戸惑っていると天蓋ベッドのカーテンの中へ押し込まれた。
手に戻ってきた制服を広げてみる。シャツはアイロンがかかっていなくてシワがある。上着のポケットに手を入れて細いシルバーのブレスレットを出した。友達2人が告白がうまくいくようにと願いを込めて、小さなの四葉のクローバーが付いている。
幸運のブレスレットを腕につけ、新たな願いを込める。
――幸運のクローバー。お願い。私は元の世界に戻りたい。
付け髪を外していこうと髪の中へ手をいれて、探る。止めている場所はわかるのに外し方がわからない。ギュッとひっぱると頭皮が悲鳴を上げる。付け髪より地毛が抜けてしまいそうだ。
外していくのを諦め制服に着替え、外套を羽織る。頭にフードをかぶれば、全身紺色に覆われた。
足首に薬を塗りつけ、紺の靴下を履いた。
カーテンを開くと、アルフォンが制服と同じくどこかへ行ったと思っていた履き慣れた皮靴を手に持って立っていた。
「これって」
靴の傷つきや、靴底のすり減り方に、美衣歌が履いていたものだと言える。探してくれたことにお礼を言って足を入れた。
アルフォンも美衣歌と似た色の外套を羽織る。
トントンと靴底を軽く床に叩きつけて皮靴に足を入れ、部屋を出た。
部屋の外ではクレストファが警備兵と共に扉の前で立ち、主を待っていた。
「馬車は」
「裏門に用意してあります」
「行くぞ」
「それでは、警備のお二方、後をお願い致します」
美衣歌はアルフォンに腕をつかまれ、引っ張られるようにして足早に廊下を進んでいった。
馬車はごぢんまりとした小さな全身黒塗りの箱の前に2頭の馬がつながれている。
台に足をかけて馬車の中に乗り込む。
車内は明かりがない。暗がりでうっかり台を踏み外しそうになりバランスを崩したのを、後ろからアルフォンが支えてくれた。
箱の中は狭くて、天井は頭より少し高い。背伸びをしたら頭を打ち付けてしまいそう。
慎重に座席へ座ろうとして、動きが止まる。
馬車の中に誰かがいる。ゆらりと揺れる人影に足がすくんだ。
「早く詰めろ」
入口で止まっている美衣歌に、アルフォンが奥へいけと促す。動かない美衣歌がが小刻みに震えだし、アルフォンは馬車の中の先客を察して、彼女を後ろへかばおうと伸ばした手は空をつかんだ。
馬車の中から伸びた手が美衣歌を連れ込む。
「やだっ」
美衣歌はつかまれた感覚に悪寒を感じた。腕を振り回すが相手の力は強く、振り解けない。
「……誰だ」
逃がすまいと入口を塞いだアルフォンから怒りのこもった低い声が狭い車内に響く。
「兄さん、やだな。そんな怖い声、出さないで下さいよ」
「……ケイ、ルス?」
暗闇からのっそりと姿を現したケイルスは外套を羽織っている。その左手は美衣歌の腕を掴み離す気配がない。
それどころか、美衣歌は引き寄せられる感覚がした。
するりと右手が肩に触れる。
小さな悲鳴が溢れた。
「こんな遅い時間にお二人でどちらへ行かれるのでしょうか?」
「夜の、散策だ」
ケイルスは美衣歌とアルフォンの二人を交互に確かめる。
「兄さん、この方を外へ連れ出すんだね」
そして、美衣歌の肩から腰に手を回しさらに抱き寄せた。フードがぱさりと落ち、美衣歌の顔を露わにする。
恐怖に張り付いた頬の強張りに、ケイルスは妖しく笑んだ。
「なにをする気だ」
「なにって、この人を連れ出すのは僕の役目じゃないか。今までだってそうだった。これからもそう、でしょう?」
手首を放し、今度は背後から頬に手が伸ばされ、羽毛が撫でていくかのように肌に触れる。
その触り方が昨夜の恐怖を思い出す。
ぴとり、するりと。優しく。愛しむように。ゆっくり。
背中に悪寒が走った。
訊ねなくても、確信した。昨夜、現れたのは――。
「いやっ」
強い拒絶は簡単に封じられてしまった。
後ろから強い力でケイルスから引き離される。腰に回っていた腕は簡単に離れた。すぐさま馬車から降ろされ、アルフォンの後ろへ。生まれた子鹿のように足が震えて立っていられない。地にへたり込みそうだ。
馬車の外で手出しできず成り行きを見守っていたクレストファが手を差し出してくれて、それにすがりつくようにして馬車から、二人の皇子から離れた。
「お前」
アルフォンの表情は美衣歌から見えない。けれど、馬車から見下ろすケイルスの戯けた顔から、無表情に変わった。
「やだな、そんな怖い顔しないで下さいよ」
「昨日、部屋に侵入したのお前だろ」
アルフォンの部屋へ入れる権限の人間は限られてくる。
昨日、部屋に訪室したのは、ケイルスただ一人。
美衣歌の拒絶から、アルフォンの疑惑は確信に変わっていた。
「ええ、そうですね」
彼はあっさりと認め、挑発的に微笑んだ。悪魔の微笑みだとアルフォンは背筋が凍る思いがした。
ケイルスは外交がアルフォンよりも手際がいい。この微笑みで相手を快諾させざる状況に追い込んでいるのかもしれない。
「彼女は、俺が連れ出す。お前の手は借りない」
「そうですか。それは残念です」
彼は心底残念そうに落胆した。
警戒しながら、アルフォンが馬車の入り口から離れる。屈みながらケイルスが降りてきた。
馬車から離れた場所でクレストファに守られる美衣歌へケイルスは、笑みを向けた。
その微笑に体が震える。なにか、企んでいるような、危険な笑みだった。
「また会いましょう、ね?」
全力で首を振り、もう会いたくないと拒絶する。
「必ず、また会いますよ。あなたが嫌でもね」
意味深な言葉を残して、彼は裏口からにんまりと笑い城内へ戻って行った。
後ろ姿を見送り、もう戻ってこないのを確認するとアルフォンはクレストファへ向き直った。
「クレア、急ぐ。時間がない」
「はい、ですが」
クレストファに美衣歌が縋りついて離れない。
その瞳からは涙があふれていた。
美衣歌の手はクレストファの服を強く握りしめている。離れていかないでと訴えているかのように。
「クレア、出る準備」
「はい」
客人である美衣歌の手を無理に離すようなことはせず、丁重にお願いするも聞こえていないのか美衣歌は無反応だった。クレストファはどうしようかと主へ投げかける。
「おい」
アルフォンが肩を軽く触ると、ピクリと反応するやいなや、手が飛んできた。
アルフォンを突き飛ばした美衣歌は、我に返り慌てふためいた。美衣歌の手は服から放れ、クレストファが馬車を出す準備に入る。
「お前……」
「ご、ごめんなさ……そんなつもりは!」
どすの利いた声に慌てふためき、謝った。
(怒ってる!? 怒ってるよね!)
まったくそんなつもりはなくても、勝手に無意識に動いてしまうのだからどうしようもない。
アルフォンが一息吐き出す。
「えっと……きゃ!」
アルフォンは美衣歌を横抱きにすると、抵抗される前に馬車の中へ押し込んだ。
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