17:夜の侵入者
ダンスレッスンを終えた美衣歌は、着替えを済ませて、アルフォンの部屋へ戻った。
椅子に座り、慣れないインクペンとインク瓶を使って、美衣歌は世界情勢を必死に頭の中に叩き込んでいた。
紙の上は使い慣れていないがために、インクのシミがところどころにできている。
インク瓶につけたあと、余分なインクを落としているのだが、いざ書き始めようとすると、インクのダマが出来て最初の文字が潰れてしまう。
フィリアルが明日までに、近辺諸国の国の基礎情報を覚えてきなさいと厳しく言われた。
逆らえるはずもなく、読めない文字を文字表に照らし合わせて解読しながら、紙に日本語で書いていく。
文字表から同じ字を探すのに手間取り、解読に時間がかかる。
インクペンを使うのに苦労して、二重で時間がかかり、進まない。
侍女のどちらかに読んでもらえば時間短縮になっていいけれど、彼女たちに見慣れない文字を紙に書くところを見られたくなかった。
美衣歌はフィリアルの姪となっている。
見慣れない字は見せない方がいい。
扉が外から叩かれる。
就寝時間がきてしまった。
部屋の前に立っている衛兵に寝ますと伝えた。
部屋を明るくできず、机に小さなランプを置いた。ぽっかりとその場所だけが仄かに室内を照らす。
インクだまりが紙に広がらないように、ペン先をさっとかすめるようにインクをつける。
インクをただつけるだけの作業が、妙に緊張する。ペン先を付けるだけなのに、どぼんと瓶に入れるとインクの黒いシミが紙にできて、慌てる。
おもいきりつけられないのならと、先だけを付けると三文字目でインクがかすれ、書けなくなる。
やっと編み出したやり方が、ペン先の五ミリを瓶に入れ、素早くインクを切り、瓶から取り出す。すると、インクだまりもなく書き出せて、文字も十文字までならインクがでるのだ。
日本語解読に手間取り、長く書けないから、ちょうどいい。
解読できたばかりの他国情報を紙へ書き始めた。
用紙はそれぞれ、国ごとに分けた。
美衣歌が召喚された、ウィステラ皇国。
ウィステラ皇国の隣に位置し、フィリアルの輿入れにより表面上友好関係が築けているカヴァロン帝国。
帝国と皇国の間に挟まれ、皇国の西側に位置する小国ルモリエン王国、東側のファバラ共和国。
この四国の王の名、情勢、特産物等書き出す。婚約式当日を乗り切るためのもので、歴史まで覚えなくていい。
インク瓶へペンを近づけた時、部屋の扉が音もなく開く。
廊下の光が扉の空いた分だけ部屋へ入り込む。光に導かれるように美衣歌は顔をあげた。
扉はすぐに閉められ、光が遮断される。
コツンと靴音が、わざとらしく部屋に響く。
扉の前に衛兵が守っている。入室の合図もなく入ってこれるのは、部屋の主アルフォン。
彼は、美衣歌が部屋を使うことになってから、一度も部屋に戻ってきてない。
アルフォンでないなら。
「だ、誰」
恐怖にさいなまれながら、足音を鳴らして近づく人物に
手にしていたペンを手放し、机に置いてあるランプを手に取り、椅子を引いた。
ギギと耳に悪い音がする。
素早く、壁際窓のそばに背を預ける。侵入者は、美衣歌の持つランプを目的に近寄ってきている。
ランプをもつ手が恐ろしさから小刻みに震える。ランプの炎が、ゆらゆらと揺れ、消えた。
(え……)
光がなくなった、真っ暗な闇の中。
美衣歌に手が伸びる。
壁際に寄っていた美衣歌の腕を引き、バランスを崩した。手に持っていたランプは美衣歌の手から離れ、床に落ちる。ランプの炎を覆っていたガラスが割れる音が部屋に響き渡った。
侵入者は美衣歌を抱きとめると、背中に手を回し、抱きしめた。
愛しむような優しさで頬を滑るように撫でられ、背中に電流が走るように悪寒が這い上がった。
「やだっ」
侵入者の体を押し、引き離そうと力を出して拒んだ。回された腕はびくともしない。それどころか強く抱きこまれ、動きを封じられてしまう。
ぴとりと頬に手が触わり、頬をなでる。
「ひっ」
何度も撫でられ、言葉にしようがない恐怖心が体を支配した。
顔を力いっぱい振り、抵抗する。
頬に長い髪があたり、痛かった。それ以上に見えない相手から与えられる恐怖から逃れたかった。
侵入者の手が頬から離れる。頬に残った相手の体温を振り払うように、顔を振り続けた。
一度離れた手は顎を捕らえ、唯一抵抗し続ける顔の動きを巧妙に封じる。
「はなし……」
言葉を封じるように唇にやわらかいものを押し当てられた。
(やだっ。やだっ!)
吐き気がする。気持ちの悪さに、瞳が潤む。
塞がれた唇はなしてもらえない。
体の酸素が薄くなって、抵抗力を失い始めたとき、やっとはなされた。
呼吸困難から、ぼうっとする頭で、空気を求めた。
息をする間も与えられず、再度塞がれる。
顔を上向かされ頭を支えられ、先ほどよりも深く塞がれる。
何とか立っていた足は、身体を支えられるだけの力がでなくなってくる。
膝が折れ、立てない美衣歌の体を力強い腕が腰で支え倒れるのを許してくれない。
ようやくはなされた時には、膝は震え、息が上がり、腰の支えがなくなるとぺたりと床に崩れ落ちた。
やっと闇に慣れた美衣歌の目に、ぼんやりと、侵入者が笑んだ顔が飛び込んでくる。
それ以上何かしてくるでもなく、侵入者は足音を響かせ美衣歌から離れ、来た時と同様に扉を開けて素早く出て行った。
恐怖から解放され、上半身から力が抜け落ちる。
体は傾き、美衣歌はそのまま意識を手放した。
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