7:危険な皇子

 美衣歌をかかえたケイルスを、侍女達はアルフォンの自室へ案内した。

 レッスンの疲労により倒れた主人を、心配し動揺する侍女に飲み物と軽食、それと疲れをとるための薬を持ってくるようケイルスは命じた。

 従順な侍女は、廊下を急ぎ歩いて行った。


 疲れをとるための薬は宮廷薬剤師に頼まなければ作ってもらえない。

 症状に合わせ調合する。

 薬は人によって合う、合わないがあり、診察をし、症状を診てから薬は調合される。ケイルスは彼女は診せられないと先に伝えるようにも言ったので、しばらくは時間がかかる。

 宮廷薬剤師は城で働くすべての人間のデータを管理し、身体に適した薬草で薬を調合する。

 データのない人はどの薬草を使っていいのかわからないため、必然的に調合に時間がかかる。

 耳をそば立て、人の気配を探る。誰もいないと確認し、腕の中で眠る美衣歌を、寝台に下ろした。


 まだ幼い顔つきの少女。

「これが新しい"スティラーア"……ね。この子が次の婚約者……」

 母が召喚術で召喚する人は、この少女だけでない。

 これまでに何人もいた。皆、国内外問わずこの地のどこかに家を持ち、そこで暮らす民ばかり。

 結婚どころか婚約すらわずらわしいアルフォンは、召喚された女性たちを、フィリアルに気付かれないうちに、元の家へ帰してやっていた。

 家に帰すにしても、アルフォン一人では難しい。被害の女性たちを安全に家へ返す手伝いをケイルスはしていた。

 外交と言えば、城から出ることは容易い。

 外交関係を任されていなければ使えない方法である。


 ⭐︎


 召喚術がまた成功した。

 召喚された新たな“スティラーア”はこの地のどこでもない、我々が到底行けない遠い場所から来た異国民。

 アルフォンから昨夜聞かされた。

 嘘を言っているのではないか、母に騙されているのではないか。疑問をそのままぶつけてみるが、兄は否定した。

 当人から聞いた国の名前は、聞いたことのない知らない土地の名前だったという。


 そんなことあっていいはずがない。

 あるわけがない。

 

 この目で自身で確かめなければ、信じられなかった。

 召喚魔法が間違って成功していたと、信じたくもない。

 ケイルスが知る召喚魔法は、どこかにいる対象者を強制的に呼ぶものだ。

 フィリアルは召喚魔法で現れる女性がどれも、望んだスティラーアでないことに酷く落胆をし、毎回少しの改良を重ねていた。

 改良を重ねすぎた結果、全く違うところから別人を召したなど、この目で確かめないと納得などできようもない。


 ⭐︎


 ケイルスは言われた時刻よりも幾分か早く、レッスンをしている部屋に向かった。

 その部屋で過酷過ぎるレッスンが行われていた。

 フィリアルの指摘に必死で応えようとする少女の足元は、限界をとうに超えていて、顔は青白く辛そうだった。

 ドレスを着慣れていないのか、時々裾を踏みつけては、転びかけている。


 短い黒の髪を揺らして、必死にくらいついている。

 茶色の目はうつろで今にも倒れてしまいそうだ。

 履き慣れていない足は、生まれたばかりの仔馬のように震えている。

 顔立ちは幼く、この国でもなければ、周辺諸国の国でもない顔立ち。アルフォンが言っていたことを、半分、ケイルスは信じた。まだ、異国民という確信は持てない。

 兄を騙そうとしている可能性は捨てられない。


 婚約者として召ばれた娘たちが元の場所へ帰されていると、フィリアルは知っている。召喚した女性がいなくなっていても、特に気にもしていない。本当にほしい人でないから、どうなろうと興味もない。

 帰すことのできない場所から、喚んだらどうなるか。

 行く先がなければ、城に置いておくしかなくなる。

 母はそれを狙っていたのかもしれないし、偶然だったのかもしれない。

 しかし、貴族出身とするには、とても教養がなさ過ぎる。

 ケイルスからみるに、母が気に召す娘ではなさそうだ。

 知らぬ国から来た人だからといって、アルフォンの「結婚はしない」という意思が揺らぐことはまずないだろう。


「結婚したくないなら、この娘もどこかの街へ追い出すか、信頼のおける貴族の館へ雇わせればいい」

 帰る家がなければ、次の召喚までに、城から追い出してしまえばいい。後は彼女の運次第だ。追い出した後まで、面倒を見る義理はない。

 城から動けないアルフォンに頼まれて、ケイルスはこれまですべて本来の住まう土地まできっちりと護衛をして帰した。


 どれだけ遠方の国の者だろうが、祖国へ帰していた。祖国へ帰りたくないとわめく娘は信頼のおける貴族や、贔屓ひいきにしている商人のもとへ連れて行った。

 見目麗しい美女から、目を背けたくなるほどの醜女しこめまで、誰ともアルフォンは一夜を共にすることはなく、夜のうちに準備は整えられ、一夜が明ける前には、女たちは城から馬車に乗せられ、門をくぐっていた。

 今回も、夜のうちに連れ出すと思い、昨夜は起きていた。どんな娘か興味もあった。

 そして、アルフォンはケイルスの元へときた。

 「送り返す場所が彼女にはない」

 という衝撃的な事実と共に。


 城に置いて、レッスンを受けさせている。

 それはアルフォンがこの娘を気に入ったと周囲に言っているようなものだった。

 朝から城中この話題で、ざわついている。

 突然現れた、フィリアルの姪。昔の知り合いとはいえ、噂に事実と違うことがくっついて城中を駆け巡っていく。とても早いスピードで。

 いずれ城外にもその噂は広がっていきそうだ。

 早く手を打たなければ。

 ケイルスは僅かに焦りを覚えた。


「この女のいったいどこがいいんでしょう?」

 眠る美衣歌の顎を掴み顔を近づける。

 すうすうと規則正しい寝息が聞こえる。

 ケイルスは女の品定めをするかのように、顔を触った。

 肌質はあまり悪くない。手入れされており肌触りは悪くない。

 目は二重、まつ毛はそんなに長くない。

 卵型で、鼻は小さく、唇はぷっくりふくらみ、薄いピンク色。

 容姿は悪くない。

 ケイルスがこれまで送り届けた召喚術の犠牲となった娘の中で、両手の指の数に入るくらいには、悪くない。

 貴族の女は長い髪ばかりが多い。それがいいと思っているのかもしれないが、長い女ばかりでは見飽きてくる。

 この女のように、短い髪の女がいても悪くはない。

 ケイルスは髪の長くない女の方が好みだ。性格の良し悪しは別として。


 ピンヒールを脱がせると、右足は小さい靴に無理やり入れていたためか、指先が赤くなっている。靴擦れと、水ぶくれがつぶれた跡があり、痛々しい状態になっている。左足も脱がせると右足と劣らず同じ状態。

 よくこの状態で立っていられたものだと感心する。

 昨日きたばかりの少女に、意識を失い、靴擦れまみれを我慢する理由はないだろう。


「失礼します、ケイルスさま」

 遠慮がちにイアが部屋に戻った。

 手には薬草の入った水が透明な瓶にいっぱい入っている。

「なにか塗り薬、追加で調合してもらってください」

 サイドテーブルに薬瓶と水入れを置き、イアは首を傾げた。

 ケイルスは美衣歌の両足を見せる。

 痛々しい足に、イアは自分の事のように顔をゆがませ、頼んできますと部屋を出ていく。


 ケイルスは寝台で眠る美衣歌の上に、唐突に馬乗りになった。

 再度、顎を掴み起きた時のためにと両手を片手で掴み上げ動けなくする。倒れるほどの疲労っぷりを考えると、起きることはまずないが、念のためだ。

「アル兄、悪く思うなよ」

 仮とはいえ婚約者の練習相手を弟に任せたあなたが悪い。

 アルフォンが全く追い出さないこの娘にとても興味がわいた。

 おもしろい。

 不敵に笑みを浮かべると、小さな顔に顔を近づけ、口づけをした。起きる気配がない。

 これ幸いにと、口づけを何度かして、最後に長く口づける。細い首にも唇を寄せた。首からほんのり甘い香花水こうかすいの香りがした。

 アルフォンの部屋だということを忘れて、女の耳裏に顔を寄せ、見えない場所に小さな印をつけた。

 本人にも、アルフォンにも分からない場所に。

「気づくかな?」

 くすっと小さくいたずらっぽくわらった。


 ⭐︎


 美衣歌は、その日の夜遅くに目が覚めた。

 見慣れない景色に、どこだろうとぼんやり考える。

「スティラーアさま、目が覚めました?」

「うん……」

「お水飲まれますか? 疲れがとれる薬草がはいっていますよ」

「飲みます……」

 全身の痛みを堪えて起き上がり、水の注がれたコップを受け取る。

 少し口に含み、飲み込む。ハーブのような味がした。

「スティラーアさま。フィリアルさまが怒ってみえました。少しきつい練習だったかもしれませんが、疲れたぐらいでいつまで寝ているのですか。とのことです」

 イアから薬草のはいっていない水をもらい、疲れが取れるという粉薬を口に入れる。

「うっ」

 薬草がはいった水以上の苦さに慌てて水で飲み下すが、水が足りない。

 コップを差し出すと、受け取ったイアが水を注いでくれる。水を一気に口の中へ入れ、まだ口の中に残っている苦い味を胃の中へ流し込む。

 これで少しでも疲れが取れれば、明日は頑張れる気がする。

 コップをコーラルに渡すと、フルーツの乗ったお皿を渡された。

 夜も遅いのだからと消化のいいものばかりが盛られている。

房のオレンジ色のした実を一つとり、皮をむいて口に入れる。なんともいえない酸っぱい味がした。


「アルフォンさま……遅いですね。スティラーアさまがお倒れになったというのに」

 美衣歌が倒れてから駆けつけてないアルフォンが来ていないと気遣う侍女たち。

「今日はアルフォンさまのお姿、一度も見てませんわ。何をしてらっしゃるのかしら」

 コーラルは不思議そうに首をかしげた。

 その姿を横目に、美衣歌は小さくため息をついた。

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