11:白銀髪の少女

 執務室で部屋の前に立つ護衛騎士にアルフォンの不在と、彼は兵舎近くの訓練場にいると告げられた。

 執務室を離れてから裏庭と呼ばれる王宮の裏側に位置する場所に訓練場があるとイアから教えられる。

 裏庭はまだ足を踏み入れていない場所だ。

 ぼんやりと王宮の構造が判りつつある美衣歌が迷いなく行ける浴場の近くの通路から行けると知ると難しくない。

「ここ、かな?」

 通路を歩いていくと、訓練をする男たちの騒めきやどよめきの合間に、木を打ち合う剣戟が聴こえてきた。

 訓練といえば、剣道男児が竹刀を振り回して技を磨くことだと思っていた。美衣歌が連想するような情景からかけ離れていた。

 いくつかの打ち合う音の合間に、見学をする者らから感嘆の声が所々であがる。息を呑んで見守る者や他にこれは見世物だとはしゃぐ者とそれぞれが楽しんでいるようだった。

 美衣歌は人だかりの隙間から、興味に惹かれて中央を覗く。

 普段着よりも軽装なアルフォンと、クレストファが互いに睨み合いながら、木剣を構えていた。

 打ち合いに疲れたのか、アルフォンは顔をうつむかせ、片膝と剣先が地についている。

 呼吸は荒く、憔悴しているようにみえた。

 クレストファはアルフォンに剣先を向け……踏み込んだ。

 二人の間は剣を伸ばせば届く程度の空間をクレストファは一歩で詰め寄る。横からアルフォン目がけて木剣が振り下ろされる。

 その木剣はアルフォンの腰を狙っている。

 訓練と聞いていたのに、訓練というにはあまりにも緊迫した空気だ。

 周りで面白そうに見守る男たちはこの空気に気づいていないのか、「やれー!」とはやし立てている。


 カン!


 体制は低く、両手で握った木剣でクレストファの、アルフォンが、木剣で受け止めた。

「くっ」

 木剣にしては重い剣に、アルフォンは歯をくいしばる。受け止めた剣を横へ流し――

 木剣が地面にあたり滑っていった。

「――やりますね、殿下」

「お前な!」

 緊迫した空気を吹き飛ばすようにアルフォンが叫ぶ。

 アルフォンの勝利に男たちから賛辞がとぶ中、美衣歌は何故だかホッとした。

 クレストファが放つ気迫に恐怖を感じた。

 従者のクレストファがアルフォンを刺してしまうのではないかという不安。

 二人が持っているのは木剣で、そのようなことは出来ないというのに。

 何故だかそう感じてしまった。

 クレストファはアルフォンの第一従者であり、彼が信頼する一人だというのに。


 パン、パン、パン!

 暑い空気を割る高らかな音に、騒がしい男らの声がピタリと止む。

 美衣歌は背後からする音に驚いて、疑問は頭からふっ飛んだ。

 振り返れば、四十代の強面な男性が表情ひとつ変えずに立っている。

 ゴツゴツとした体躯は、ここにいるどの男たちよりも修羅場をくぐっている雰囲気があった。頬に走る二本の刀傷が、過去の偉業を彷彿とさせる。


「訓練の最中だ! 各自、先の続きを始め!」

 アルフォンに賞賛を述べようと集まりかけた集団は、威勢の良い声に規律を整え「はっ」と返事をした。その場を離れていきながらも、名残惜しそうだ。移動の遅い男たちに、男性のひと睨みで、我先にと一目散に駆け去っていく。

 ひらけた中央で、片膝を地につけて息を整えるアルフォンと、その姿に苦笑して手を差し伸べるクレストファが残った。

「殿下、クレストファ殿。素晴らしい模擬戦でした」

 男性が二人へ礼をした。

 クレストファの腕をぺちりとはねのけ、立ち上がり顔をしかめる。

「彼らの学びとなったか疑問だな。クレアが手加減なしでくるから、危うかった」

「あれぐらいで根を上げられては困りますよ」

 先程まで、激しく動いていたにも関わらず、疲れをみせない涼しげな表情で嫌味を言われた。その横顔をアルフォンが恨みがましく睨みつけた。

 いつもの二人に美衣歌は安堵した。

「ところで、貴方に客人です」

 男が一歩引き、後ろを指し示す。「客?」と不思議に声を上げ、訓練所の端に立つ美衣歌と目が合った。

「スティラーア!?」

 アルフォンがびっくりするような速さで美衣歌に駆けてきて、両肩を掴まれ少しだけ引き寄せられた。

 美衣歌の視界はアルフォンの心配ともとれる表情、いっぱいになる。

 普段されないことに驚きこそはしたが、嫌悪感はなぜか感じない。それどころか、嬉しさが胸に仄かに

 ともった。

「あと少しでそちらに行く予定をしていたんだが、なぜここに? フィディル殿下は?」

「皇王さまに呼ばれて退室されたので、その隙に逃げてきました」

「そ、そうか。何かあったのか?」

 何事もなく平穏にすんでいれば、美衣歌は逃げるようにサロンを出てきていない。

 フィディルの指輪に注がれる忌々しい目が恐怖を煽る。彼の前に指輪をチラつかせることはやめようと思う。指輪をチラつかせて、諦めさせようとしたのに、余計に彼の独占欲を煽ってしまった。

 指輪は抜かれなかったけれど、かなり危なかった。指輪の秘密に気づかれていないといいが。不安と恐怖に左手を右手で強く握り込んだ。

「指輪、盗られたのか?」

 左手首を掴まれ、不意をつかれて右手から引き抜かれる。

「あ、え、ちが!」

 二つの指輪は上からアルフォンの指輪、婚約の指輪と、正しい順に並んで嵌っている。

 指輪の無事を確認すると、下から覗きこまれた。

「何があった」

 眉間に皺をよせ、怒りを露わにする。握られた右手は優しい。包み込む暖かさに、怒っている相手が美衣歌ではないと判った。

「少し、怖かっただけです」

 フィディルとのことを詳細に話すには場所が悪い。城内とはいえ、訓練所で他国の王族のことを良くない事を言うにははばかれる。

 サロンを逃げてきた美衣歌には、時間がなかった。皇王の用事がすぐに済むような事であれば、彼は美衣歌を捜しに城内を歩き回る。美衣歌が行く先は限られていて、限られた行き先をフィディルは簡単に突き止めてしまう。

「きっと直ぐに見つかってしまうから、執務室の奥で隠してもらえないでしょうか?」

 執務の邪魔はしないから、寝室で匿ってくれないだろうか。淡い期待を込めて尋ねると、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「執務室は……悪いが使えない。午後から、来客がある」

「――そう、ですか」

 歯切れの悪さに、それ以上なにも言えない。仕事の邪魔をしてまで、匿ってほしいとは虫が良すぎる。

 午後からはファリー夫人の講座が予定されていたが、他国の客人がいる間はなしになり、講座はない。

 しょぼくれる美衣歌の頭を撫でられた。

「来客の切れ目がいつになるか判らない。寝室に閉じ込めておくわけにいかないだろう」

 執務室に美衣歌が居られない理由が、邪魔だからではなかった。

 客が途切れなく部屋を訪れれば、隣の部屋から出づらくなる。その状況が想像できて、出られなくなるのは困りますね、と小声で呟く。

「すいません」

 ごほん、とあからさまな咳払いに我に返った。

 周囲を見やった二人は、訓練所の方々から寄越される視線に、距離の近さを気づかされる。

 美衣歌はアルフォンの胸に縋り付いて、アルフォンは美衣歌の頭を撫でていて。

「あ……ゃ、えっと」

 ぱっと慌ててアルフォンから離れたけれど、激しく恥ずかしい。

 離れた美衣歌の右手をすぐさま掴み、アルフォンはクレストファを振り仰いだ。

「クレア。この人連れて別の部屋に行ってくるから、お前は先に執務室に戻っていろ」

 クレストファは二人分の木剣を手に「承知しました」と返事をした。

「行くぞ」

「お、邪魔いたしました」

 美衣歌はお騒がせしたお詫びに一同にぺこりと頭を下げ、アルフォンにひかれるままに通路へ急いだ。


 ⭐︎


「クレストファ殿。あれが噂の殿下の恋人ですかな?」

「ええ、そうですね」

「あれでは……耐えられると思えぬぞ」

 渋面に二人が去る姿を、微笑ましいく見守りながらも隊長は唸った。

 アルフォンの心は、迷いも少しあるようだが、根本は決めているようだ。だが、その相手、スティラーアは。まだ、決めかねているというか、ここで生涯を過ごす覚悟を決めていないのか、王族の一員となるには甘いところしかない。

 アルフォンを頼るばかりでは、駄目だ。

 あれでは、今後、この国をアルフォンの嫁として、夫を支えていけるか不安を覚える。

 騎士として、大切に育ててきた若者たちを、あのような、頭が花畑かと言えるような女を守るために鍛え上げてきたわけではない。

 物事を考える力を身につけ、アルフォンを支えていけるようにならなくては、とてもではないが、耐えられないだろう。心身ともに。

「ええ。ですが彼女がアルフォンさまとどうなりたいのか、心を決めてしまえば」

「問題ない、か?」

「その通りです」

 心を決めたとしても問題だらけのように思える。クレストファの確信した返答すら、嘲った。

 甘やかされて育った女は所詮、国を良くはしない。ただ、良くなったものを悪くするだけだ。

「そうは思えん。あの人には、意思がなさすぎる。周りに流されているようでは、とても」

「それも大丈夫かと思います」

「どうだか」

 鼻で嘲笑わう。

「どちらにしろ、フィリアルさまの親戚とはいえ、あの女は気に入らない」

 フィリアルは狡猾だ。病に伏せる第二皇妃に代わり、公務を行なっているが、間違ったことはない。その親戚ならば、似たところがあるだろうに、赤の他人のように似ていない。

 手が止まった騎士たちに怒声を上げ、訓練所内を回り始めた隊長の後ろ姿に、クレストファは礼をし立ち去った。


 ⭐︎


 王城から離れた一角にポツンと白磁の塔がある。

 周囲を木に囲まれ、王城の窓という窓から見えない位置に佇む円柱の建物は、王城の三階部分までの高さがある。

 薄青い三角帽子を被せたような屋根は薄汚れ、木の葉が数枚落ちていた。

 建物の周りには、草木が生い茂り手入れされている気配がない。人から忘れられた建物のような印象を受ける。

 建物の玄関は外観とは違い、人の手が入っているのか、綺麗に保たれていた。

「開けてみろ」

 ここまで手入れの行き届いていない建物は、この世界に来て初めて見た。

 その玄関前に美衣歌は立たされる。

 周囲は荒れているが、玄関は草木が生い茂っていない。誰かがここに住んでいると知らせてくれているかのように。

「誰か住んでいるんじゃ」

 王城から離れているとはいえ、誰かが住んでいるのなら、来訪の合図もなしにドアを開けるのは憚れる。

 アルフォンはドアから離れた後方で足を止め、美衣歌を見守っていた。

「とにかく、開けてみろ」

 躊躇う美衣歌の背中を押す。

 もし、住人が中から出てきても、アルフォンがいるのだから、言い訳はつく。覚悟を決め取っ手を掴み、ぐっとドアを押した。

 鍵のかけられていないというドアは、美衣歌の力が足りないのか、ビクともしない。

 押して駄目なら引いてみるが、動かない。

「開かないです」

 鍵がかかっていないなんて嘘だ。こんなにも力を入れても動かないドアは普通ない。

「まあ、そうだろうな」

 根を上げた美衣歌の背後から、アルフォンは取っ手を掴んだ。

 すると、まったくビクともしなかったドアは、主人を待っていたかのように、外枠が仄かに光りカチリと音がした。

 鍵が開いたような音に、美衣歌は背後のアルフォンを恨めしく見上げる。

「鍵、されてるじゃないですか」

「鍵穴はないから、鍵はされていない」

 滑らかに開くドアの側面を指した。指された場所には、鍵がかかる為の金属の部分が一切ない。外枠側には、差し込まれる穴はなく真っ平らだった。

 鍵をかける場所がないのだから、鍵はない。理屈ではそうなのだけれど、実際は開けられなかった。どういう原理になっているのかと問う。

「俺自身が鍵となっているというだけの話」

 さっぱりだと首を傾げかけ……何度か見てきた未だなれないものを思いつく。

「ま、ほう……?」

「そういうこと」

 アルフォンがドアから手を離すと、開いた時と同様に仄かに光り、鍵がかかった。

 フィディルは間違いなく入ってこられない。

 本当に鍵がかかっているのか、美衣歌は確かめた。ドアはビクともしなかった。


 塔の中は入るとすぐに、螺旋階段があった。唯一の部屋につながっている階段は、急勾配に作られていて、スカートをたくし上げて、一苦労しながら上っていく。

(制服のスカートなら、簡単なのになぁ)

 今は着られないスカートを恋しく思いながら、三階分の階段を上がった。

 階段が終わった先には、真っ白いドアがあった。木で出来た階段の先に、白のドア。違和感に、目を細める。

「グレース、開けてくれ」

 来訪の知らせにドアを叩き、この先にいる住人へ声をかけた。ドアが開き、アルフォンに手を引かれて、部屋に足を踏み入れた。

 部屋の窓全てに幾重にもカーテンがされ、外の光を遮断しているにも関わらず部屋が明るく保たれているのは、壁に備えている灯りがあり、部屋の大きさにしては大きい暖炉には小さな火がついていて、部屋は暖かい。家具が殆ど置かれていない部屋の中央に一人で寝るには大きすぎる寝台があった。

 その寝台に天井からつるされたカーテンがかけられていて、一方を開けられていた。そこに横たわる少女がぴくりと動き重だるそうに、身体を起こした。

 眩しさに瞬きを繰り返したその瞳は、美衣歌が見たことのない薄い赤の混じる金色。透き通るような白い肌に、綺麗な薄ピンクの唇。腰よりも長い髪が室内光に照らされて白銀に輝いた。

 少女が身につけているのは、夜着なのか、肌のように、真っ白い。

 昔話にでてくる雪女は、こんな見た目なのだろうかと思わず魅入ってしまった。

「グレース、変わりないか?」

 アルフォンが寝台に寄ると、少女は白い頬を少し染た。

「お兄さま!」

 アルフォンの首に腕を伸ばし、兄妹の抱擁を交わす。少女は兄の頬に唇を寄せた。

 その抱擁がやけに親密で、美衣歌は落ち着かない。ここにいてはいけないような気にさせられてしまう。

「グレース、悪いが俺が迎えに来るまで彼女を匿ってくれないか?」

 グレースと呼ばれた少女は、兄の隣に立つ美衣歌を見上げた。

「お兄さま。この方、あの時の?」

「ああ」

「……こちらにお座りになって。お話のお相手をしてくださると嬉しいわ」

 グレースは隣をポンポンと指した。丸椅子や、背もたれのある椅子が見当たらない。寝台以外に座れるところはなさそうで、寝台の隅に腰掛ける。

「夕方頃に迎えにくる。それまで、大人しくここで待ってろよ?」

「は、はい!」

 頭をくしゃりと撫でていくと、ドアの横で控えている侍女に声をかけ、アルフォンは塔を出て行った。


「はじめまして、ミイカさま」

 離れていくアルフォンの後ろ姿を見送った美衣歌は耳を疑った。

 アルフォンはグレースの前で一度も美衣歌のことを名で呼んでいない。

「どうして、名前」

「兄から聞いていますわ。ミイカ様、目はあれから、違和感ありませんか?」

 ああ、なるほど。と納得しかけて、驚かされる。ニコジェンヌにかけられた一方的な魔法で視力を一時的に失っていることを知っているのは、ほんの一握りの人間だけ。

「目を治したのはわたくしです。かけられた魔法を取り除くことはできませんでしたが、中和をさせました」

 目を覚ました時に、アルフォンが教えてくれた。解除してもらえないから、中和してもらったと。

「お聞きしてます。ご迷惑をかけしまってすみません」

 深々と頭を下げた。

 ニコジェンヌを怒らせるようなことを言ってしまったから。アルフォンと婚約したことで彼女の怒りを買ってしまっていたようで、それがお茶会の美衣歌の発言で爆発させてしまった。

「顔をあげて下さい。迷惑をかけたのはわたくしの姉ですわ。一度怒り出すと、手がつけられなくなってしまいますの。目の違和感がないのでしたら、お昼も近いことですし、昼食でも一緒にどうかしら?」

 お昼と聞いた美衣歌の腹がぐぅと音を立てた。

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