10:「スティラーア」【過去】
ミイカを執務室に隣接する寝室で寝かせている間、護衛騎士より腕がたつクレストファをそばに置き、アルフォンは別の場所に来ていた。
身体を撫でていく空気は部屋の内側を壁伝いに流れる水脈のせいか湿り気を帯び、静かに流れる水音は反響し、幾重にも聞こえてくる。
あまり長居したい場所ではない。
この暗く、何もない場所にルスメイア家のことを、アルフォンより遥かに知り尽くしている男が潜んでいる。
王により立ち入り禁止とされ、ミイカが召喚された場所。
ここで他にも何人か召喚されたことがある。
あまり馴染みのない魔法に怯える家臣が幾人か現れ、仕事にならなくなった。王は彼らのために、魔力を持つフィリアルと、その子らに魔法を禁じた。
禁じた、といわれると全てのように聞こえるが実際は、魔法陣を使った大きなものに限られている。
小さな、杖を振れば簡単に発動するもの、例えば火を起こすことは許されている。
アルフォンを除いた兄弟は皆魔力をもっている。ただ、アルフォンと違うのは、扱う技量があるということだ。
アルフォンは魔力は持っているが、その力を使う技量がなく、その代わりにやたらと敏感に魔力の流れを感じ取れる。
ここに好んで居住するヒンツは、その魔力の流れを空間に封じ込め、魔力の流れを閉じ込める方法を知っている。
アルフォンが知らないところで、どれだけの魔法が見過ごされているのか、知りたくもない。
「ヒンツ、いるのか?」
アルフォンの声が反響した。
暗闇の中手燭を頼りに辺りを見渡たす。姿がない。
室内へ慎重に入ると靴音が反響する。
この部屋は何もない。あるのは中央にある高い円筒と、そこへ上がる階段。それを支えている円盤のような床へ行くには、十メートル程の石橋を渡らなければならない。
音を響かせ橋を渡り、中央へ上がる階段の手前に来たところで足を止める。
周囲を手燭で照らすが、誰の姿もとらえなかった。
ここには来ていないのか。
ヒンツは常にフィリアルにつき従っているわけではない。
突如、背後に現れることがあれば、そこにずっと居たとばかりに姿を現わすこともある。
謎めいた男であり、まだ、一度足りとしてその顔を拝んだことがない。常に黒いフードに顔を覆っている。
いないからといって、部屋から出て行くこともできなかった。奴に会える確率はこの部屋が一番高いのだ。
母はどのようにして、あの男を呼んでいるのか知らないが、どのようにしたら呼べるのだろうか。
二人に共通しているのは、魔法だ。
外には判らない魔法で、呼び合っているのかもしれない。双方が必要だと感じた時に。
階段を上がり、円筒の床に手燭を近づける。
床に書かれた線をぼんやりと映しだした。
白い粉のようなもので書かれた線が残っている。
これは、フィリアルが、ミイカを召喚した際に書いた魔法陣だろうか。
あの日から、ここが使用されていなければ、そうなのかもしれないが、ミイカが召喚されてからもう一ヶ月が経った。
何が書かれているのか、手燭を床に近づけた。自然と、腰も低くなる。
模様としか言いようがない線ばかりが描かれている。
見ただけでは、これが使用済みの召喚魔法か、それとも別のものなのか区別がつかなかった。
魔法陣を読み解く力があれば……考えても仕方がないことだと、嘆息した。
判ったところでどうにもできない。
「なにをしている」
立ち上がったアルフォンの肩を強く掴まれた。
低くなんの感情も読み取れない。声からして、男。
間違いでなければ、捜していた男だ。
「ヒンツ、か?」
「……」
ヒンツ、らしい。返事の代わりか、背後の空気がわずかに動いた。
フィリアル肌頻回に会っていないため、声だけでは判断できない。
「ここに何用か? ここは立ち入り禁止だ、皇子」
闇に溶ける黒の服を相変わらず着ているのか、姿をはっきりと見ることもできない。
振り返って姿を確かめようとしたが、足が動かなかった。
足元には、描かれていた魔法陣が光っている。足留めの魔法陣だった。
この男がアルフォンの来る前に、すでに仕掛けていたのだ。足を持ち上げようと膝を曲げるもビクともしない。
「お前に、聞きたいことがある」
「お前に話すことは何もない」
聞く手前から、断られた。
そんなことぐらいで引き下がっては、肝心なことを聞くことができない。
「あんたが知っていることで、答えられることだ」
嘲笑した声が背後から聞こえた。
何が可笑しかったのか、さっぱりだ。片眉をピクリと動かし不愉快だと言った。
「質問の内容によっては答えてやらなくもない」
上目線な言い方が
「ルスメイア家のスティラーアっていう女の居場所を知っているか?」
「それは、お前の婚約者様だろう」
「違う! ミイカじゃない。ミイカじゃない別の人物だ。――スティラーアと昔から名乗っている、この城で母から魔法技量を学んだ、貴族の娘だ」
知っていて誤魔化しているのか、知らないのか、姿が見えないと、判断しづらい。
名前だけならヒンツの言うようにアルフォンの婚約者である。だが、彼女にその名前を与えたのは、フィリアルだ。
王の前ですらすらと、あたかも本人であるかのようにスティラーアの名を言ったと、その場に留まっていた人から聞いている。
「答えろ、ヒンツ。母上にはお前が言ったとは言わない」
言うつもりもないが、事実を知りたいだけだった。ミイカを巻き込んで、母が何を企んでいるのかを。知らなければならない。
その企みがここ数年にわたって女性を召喚し続けている理由でもあるとアルフォンは踏んでいる。
「わたしは、フィリアル様だけが絶対服従で、味方というわけではない。教えてもいいが、教える変わりになにか特別な情報を貰おうか。そうだな……例えば、お前の弱味、とかな」
アルフォンは、自分の弱味など、あるのかと考えた。昔は弱味はなに一つなかった。
弱味はその人を弱くする。
アルフォンは弱味となるものを作らないでいた。それを作ればどうなるか。過去の過ちで学んでいる。
だから、今までは作らないようにしてきた。
それが今は……自然と、一人の少女の顔が浮かんでくる。母の無茶に抵抗せず……いや、出来ずにただ耐える別世界の少女。
早く元の世界へ戻してやりたいのに、返還術の作成に時間がかかり、還せない。
日々ミイカに報告する内容がまだだと言うと落胆しながらも、還ることを諦めていない。
いつか還るというのなら、
何故だという疑問は常にあった。
還たいと願いながら、なぜ学ぶのか。
『身代わりとはいえ、本当に本物かと疑われたくないとおっしゃっておりましたよ』
その答えはファリー夫人によって教えられた。
スティラーアを知る人は少なからずいる。その中に疑われると厄介な人物がいた。
還るまで、その人たちに疑われないようにしようというのか。性格や、今の姿を知らないというのに、『スティラーア』になろうとしてくれている。
彼女こそ、アルフォンが幼い頃から求めていた人なのか判らない、が。彼女が自分の弱味になるかと聞かれれば、そうなのかもしれない。アルフォンから離れていると、どうにも説明できない不安が襲う。
「弱みを握ってどうするつもりだ」
「決まっている。お前を裏切ることはしないと誓おう」
「おかしいだろ。俺がお前の弱味を握り、裏切るな、と誓わせるのが普通だろ」
「わたしに弱味などない。あるとすれば、わたしが主と認める人が誰か、ぐらいか。わたしの弱味をみつけたなら、皇子の命、どうなるかわからんぞ」
「ふふ、探らぬことだな」
何か、思い出すための時間を与えたかのように、ヒンツは、クツクツと笑いアルフォンを待つ。
「弱味を、教える。ただし、他言無用だ」
「いいだろう」
「俺の、弱味は……」
一度言葉を切った。
言ってしまっていいのだろうか、悩む。言葉にしてしまったら認めてしまうから、言葉にしたくない。
自身が弱味と思う事をいわなければ、ヒンツはしりたいことを教えてくれない。
すぐそこにあるのだ。自身の弱味を言えばいい。最近できた、弱味を。
「ミイカ、だ」
アルフォンは、はっきりと聞こえるように区切った。等々言ってしまった。
「ほう。それで?」
ヒンツは、弱味以外にもなにかあると察したのか、続きを促してくる。
「――好きな女だ」
「それはそれは、いいことを聞いた。ははっ――交渉成立だ、皇子」
ヒンツは、アルフォンの肩に置いたままだった、自分の手を離した。
肩の重みが取れた、と感じた瞬間、水を踏む音がする。
僅かな時間で、そこまで移動できるのかと驚かさせられる。短時間で結構な移動距離だ。ヒンツは暗闇に姿を消した。かわりに口元だけがぼんやりと、そこだけが照らされているかのように闇に浮かび上がる。
「スティラーアという女は、皇子が知るようにルスメイア家当主の子供。彼女は、ウィステラ皇国から帰国後、男と家を出て行ったっきり帰ってきていない」
「帰っていない?」
「愛の逃避行というやつだ」
逃避行、だと? 驚きに目を見開くと、水がはねる音をさせ、ヒンツは消えた。
これ以上話すことがないのか、情報の対価の妥当性からこれ以上話す気はないのか。前者であると思いたいが、ヒンツのことだ。後者だろう。
知りたくばもっと重要な情報を教えろということか。
もともと、気配を消している男だったが、完全に気配がなくなった。
スティラーアがこの国でフィリアルから魔術の勉学に来ていたことは知っている。
しかし、彼女が勉学に励む間、アルフォンは別の場所にいた。
ニコジェンヌは、城にいた頃のスティラーアを知り、スティラーアの魔力に憧れたのだろうか。
アルフォンの心の中に、もやもやとした言い表しがたいものが残ったのと同時に、自分の気持ちを等々言葉にしてしまったことに溜息がこぼれそうになった。
言葉にしてしまうと、余計に意識してしまう。
ミイカは還る方法が見つかれば元の場所へ行ってしまう人なのに。
なぜ惹かれてしまったのか。
きっとあの時だ。魔法という強い力を持つニコジェンヌに、無力ながら、真っ向に立ち向かっていったと聞かされた時なのかもしれない。
ヒンツ――――。
あの男、わざと仕向けてきたのか……。
ヒンツがこのことを話せば、母親に知られてしまう。知った母をどう対処すべきか……。
アルフォンは一度息を吐き出し、部屋を出た。
* * *
美衣歌は重い足取りで廊下を歩いていた。
すれ違う侍女や騎士が挨拶をしてくれても返せない程、フィディルと会うことに滅入っていた。
フィディルが求めている人は、美衣歌が偽装している人。その人の居場所は誰も知らない。
その人をフィリアルは必死に探している。
召喚魔法でさえとらえられない、スティラーアは何処で長きに渡って身を隠しているのか。
隠れている本物がこの場に現れたら、美衣歌は――。
良くないことが頭をよぎる。その考えを振り切るように、頭を振った。
(私は帰るんだよ。二人が仲良くしてるのを想像して、淋しいなんて、思ったらダメなんだよ)
胸がツキリと針で刺されたかのように痛んだ。
フィディルが待つサロンの前でフィディルが昨日連れていた騎士が待機していた。
サロンの前で彼がもう中にいて、美衣歌を待っている。先にサロンで待とうと思っていたが、先を越された。
扉を開けずに通り過ぎたいが、それは許されない。
「お待ちしておりました、スティラーア様」
足を止めた美衣歌に気がついた騎士はどうぞと扉の前から退いた。
左手の薬指に光る二本の指輪を瞳に写し、気合を入れ扉を叩いた。
「スティア、来てくれて嬉しいよ」
笑顔で出迎えるフィディルは紳士然としていて昨日のやり取りが嘘のよう。
「お待たせして申し訳ありません」
遅れたことに、失礼がないよう頭を下げた。
「気にしないで。来てくれただけで嬉しい。……さあ座って」
サロンにある二人用テーブルの椅子を勧められた。
椅子を引いて待つフィディルから、昨日の危険な雰囲気は感じ取れない。
美衣歌もとい、スティラーアを連れ帰ることは諦めたのだろうか。
フィディルも席に着くと、お茶の準備が手早くされた。
テーブルの中央に、スコーンやビスケットなど菓子類が盛られた二人分にしてはやけに多いタワーが置かれる。
「昨日の晩餐会に来なかったね? 体調が良くないと伺ったけれど今日は大丈夫?」
昨夜はフィディル歓迎の晩餐会が行われたが、美衣歌は出席しなかった。フィリアルがなにか理由をつけて、出ないようにしていたのは容易に想像がついた。
異界人をこのような席につかせるわけにいかない。
フィディルはそんな内部事情を知るわけがなく、本気で美衣歌の体調を心配してくれている。
「ええ、お気遣いありがとうございます。昨夜は寝ていましたから、大分良くなりました」
「君が居なくてとてもつまらない晩餐会だったよ。今日は一日僕の相手をしてくれるよね?」
晩餐会には、セレーナが出席していた。フィディルはセレーナへ婚約を申し込みに来ているのではないのか。
まさか礼儀を欠いてはいないだろうか。不安になる。
「ご、午後はセレーナ様にお願いされてはどうでしょうか。わたくしは午後から用がはいっていまして」
一日もこの人の相手をしていたら、確実にボロを出してしまう自信があった。
「キャンセルさせよう。君の侍女は彼女たち?」
「え、ええ」
美衣歌の後ろで控える、イアとコーラルがフィディルにお辞儀をした。
「彼女の用は全てキャンセルしてもらえるかい? 僕のために」
侍女二人は困惑する。頼むのは主人、もしくはその夫か婚約者の命に従うようにいわれているからだ。
「申し訳ありません。彼女たちに言っても、できません」
「スティア、君から頼めばいい。僕と、一日を過ごしたいよね?」
(嫌です!)
とても言えれない分、心で叫ぶ。
「わたくしと一日を共に過ごして居たら、セレーナさまが嫉妬されますよ?」
「まだ、申し込んでいないよ。君が僕と国へ帰ると言えば、関係がなかなる人を気遣うなんて、君は相変わらず優しいね。その優しさに僕は嫉妬するよ」
フィディルの手がテーブル越しに美衣歌に伸びてきた。
中央にあるお菓子タワーなどものともせず、まっすぐに伸ばされた手が、美衣歌の手を掴む前にかわした。
「殿下、わたしはもう別の方のものですわ」
ぴしりと、右手薬指にはめられたダブルリングを目の前に見せつけた。
アルフォンの婚約者である証だ。
「そんなもの関係ない」
彼の勢いは止まるどころか、美衣歌が見せつけた手首を掴み、リングを掴まれてしまった。
咄嗟に指関節を曲げて抜けにくくする。
防衛本能が自然と働いてしまってから、後悔した。暗に指輪が動くと教えてしまっているようなものだ。
婚約指輪は装着した人の指に吸い付いて動かない。だが、美衣歌の指輪は動いてしまう。触られ、動くことが知られてしまったら――想像したくない。
「で、んか! この国の指輪は外れません」
ぱっとフィディルは美衣歌の手を解放した。
素早く膝の上に手を戻した。テーブルクロスがかかっていてよかった。指輪がとられていないことをこっそりと確認できた。
無闇に紅茶に手を出せなくなってしまった。
「ああ、そうだったね。けれど、これは動くよね?」
みいかが隠した手の代わりに、自身の左手の甲を美衣歌にみせる。
薬指付け根に一本、指をあてた。その上に重なるようにして、もう一本。指輪にみたてて、重ねた二本目を指した。
それはアルフォンから貰った二つ目の指輪。婚約式でつけた指輪とは別の、魔法はかけられていない指輪。
アルフォンの紋章が入ってる大切なもの。
「それじゃあこっちを壊したらどうなるのかな」
フィディルは、一本目の指輪を指して、笑う。
その笑みは何かを企む人の笑みだった。
背筋が凍った。ここは彼からしてみれば、他国で、自国でない侍女や護衛騎士がいても、気にしないのか、皇国より勝る大国の、揺らがない権力からくるものか。
美衣歌には、
椅子を引いて、サロンから逃げ出したくなった。
早くアルフォンにこの場に来て欲しかった。
「きょ、今日はどこへ行こうか?」
サロンから出れば、恋人同士ではないかというぐらいの近さで歩くことになりそうだ。
裏庭での出来事が、思い出される。
昨日のことがなければ、是非に、と返事を返していただろう。
この男は危険すぎる。
アルフォンなしに、外へ出るわけにはいかない。
「スティア? 僕と何処かへ行くのはイヤ?」
返事に困窮し、言葉を失った美衣歌の耳に遠慮がちに扉が叩かれた。
「フィディル殿下、お見えでしょうか?」
護衛騎士をサロンの前に立たせておいて、居ないと断れる状況ではない。入室を許可すると、サロンの入り口にケイルスが立つ。
「皇王が、フィディル殿下をお呼びです。すみませんが、謁見室までご一緒して頂いてもよろしいでしょうか?」
国の王からの呼び出しに、大国の皇子とはいえ断ることは許されない。
「判りました。伺いましょう。スティア、すまないが少しだけ待っていてくれるかい?」
「ええ、時間が許す限りはお待ちします」
「ずっとだよ、いいね?」
判りました、とは流石に言えない。
フィディルは、楽しい時間を邪魔したケイルスに恨めしげに、ひと睨みした後、席を立ちケイルスと護衛騎士に連れられ、サロンを出て行った。
皇子が居なくなり、姿が見えなくなると美衣歌は緊張を吐き出すように、呼吸を楽にした。指先が冷えて感覚がない。
待つと言って素直に待ち続ける美衣歌じゃない。
サロンを出ると、イアとコーラルが待っていた。
二人とも主人がサロンから出でくると思っていなかったようで、少し驚く。
「よろしいのでしょうか?」
フィディルがサロンを出てから侍女たちに言い含めていたらしい。不安そうにイアが尋ねてきた。
「いいの」
美衣歌はこれ以上ここに長居したくなかった。
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