6:第二皇妃の娘

「スティラーアさま、本日はどうされますか?」

 ドレスがかけられたハンガーラックに美衣歌は目を凝らす。

 スティラーアの為に二十着近いドレスが準備されていた。美衣歌が着たことのあるドレスも中に数着ある。

「今日はセレーナさまとお茶をするだけだから」

 年上の女性とお茶するだけに、準備はニコジェンヌのお茶会よりも物々しい。

「なにを仰いますか。セレーナさまは次期カヴァロン帝国第一皇子へ嫁がれるお方です。日取りも決まってあとはその日を待つばかりなのです」

「その方とお会いになられるのですから、しっかり着飾らないといけませんよぉ」

 二人の侍女から交互に説得され、美衣歌はしぶしぶ了承した。スティラーアの昔の友人と楽しくお茶する、とどう言ってもとってもらえない。

「じゃあ、これにするね」

 美衣歌はまだ着たことない色のドレスを選んだ。淡い紫色の上品なデザインをしたアフターヌーン用のドレスだ。

 昨夜アルフォンに、セレーナから明日の午後、内密にお茶をしたいと誘いを受けていると聞いた。

 ニコジェンヌと散々なお茶会以降会っていなかった。憤怒したニコジェンヌを言葉で止めようとしてくれたセレーナに、お礼を言えていない。

 美衣歌はアルフォンへ行きますと言った。

 今日の午前中にはセレーナから、サロンの場所を伝えられ、準備をしているところだ。

「では、アクセサリーはこちらにしましょうよ。きっと素敵ですよ」

「いいね、それにする」

 侍女との会話に、少しずつ慣れ始めた美衣歌は、見せられた桜の花に似た髪飾りに声が弾む。

 日本の桜は淡いピンクから濃いピンクまで、どれも桃色に対して、髪飾りになっている花の色はドレスの同じ淡い紫色をしている。

「この花をご存知なんですか?」

「知らないけど、綺麗ね」

 美衣歌は首を振った。桜に似ているけど、違う名前の花だろう。

 髪は相変わらずつけ髪で、留め具がみえないように結ってもらう。

 髪をあげると短い地毛が見えてしまい、変に思われてしまう。できる髪型が限られ、殆どが頭の上段だけを使った髪結いになる。

 お茶に誘われていると言った後、難渋な表情でアルフォンは美衣歌に会わない方がいいと止めた。美衣歌が行くと決めた後でも、止めておけと忠告してきた。

 なぜか理由を聞いても、言いたくないのか教えてくれなかった。理由もわからず折角の誘いを断るわけにいかない。

 着替え終わり、指定のサロンへ向かう。

 王城なだけに、サロンへ向かうにも道に迷う。イアとコーラルがさりげなく教えてくれて、迷わず、時間前には着けた。

「スティラーアさま、こちらにどうぞ」

 セレーナはもうサロンにいて、椅子に座っていた。テーブルは白く二人用らしく小さい。中央に季節の花が飾られ、テーブルに華やかさを添えていた。

「お招きしていただき、あの、ありがとうございます」

「わたくし、二人でお話ししたかったの。誰もいないところで」

 セレーナは微笑み、椅子から立ち上がり美衣歌を椅子へ招いた。すらりとした背の高いセレーナは灰茶色の髪をきっちりと結い上げ、右耳から頭頂部と通り左耳へ大小さまざまな輪をつなげたチェーンをつけていた。

 瞼は濃い紫が彩られ、薄く塗られた化粧に、赤い唇。なぜだろう、挑発されているような気になる。

 作られた他人行儀な笑顔を美衣歌に向け、傍に立つ給仕を呼ぶ。

「?」

 椅子に座わると給仕が紅茶をカップに注ぐ。カップの隣にパウンドケーキのお皿が置かれた。

 すべての準備が整うと皆が退散していく。セレーナが言った、誰もいないところとはこういう状況のことらしい。

 サロン内は誰一人残っていない。

「え、あの?」

「これで誰もいらっしゃらないわ」

 セレーナは不気味ともとれる笑顔で美衣歌を睨む。

 睨まれる覚えがまったくない。美衣歌が彼女と初対面したのは、お茶会のとき。それ以前に会っているのは、スティラーア本人になる。

「さあ、吐いてもらいましょうか? 色々とね? スティラーアさまの偽者さん?」

 セレーナ眼力が鋭くなる。

 もうこれは、偽者だと確信している。

(ど、何処でバレたんですかー!)

 見破られないように注意していた。多少の粗相はあったにしても、違和感を覚えられないようにしていた。

 美衣歌の事前準備と努力のかいあり、ニコジェンヌは気がついていない。

 お茶会以降、一方的な魔法発動にも関わらず、彼女は美衣歌に一度も謝りにこず、さらに、魔法は解除してもらえない。

 美衣歌の身体には、フィリアルから受けた土地に囚われるものと、ニコジェンヌの視力を奪う魔法。更に、それを中和する魔法がかけられている。

 ニコジェンヌの魔法を抵抗なく受けたことで、違う人かもと思われても仕方がない。

 退けるすべを知らないのだから、どうしようもない。

「なにをいってらしているのかわからないです」

「上手く似せてるようだけど、やっぱり違うわ。そうねぇ……例えば、挨拶かしら?」

 何が違っているのだろう。なにを間違えた?

 背中に冷や汗があふれ流れ落ちる。会ったことのない人の代わり。違っていて当然で、それを上手く隠さなくてはならない。

 大丈夫、まだ、誤魔化せる。誤魔化さないといけない。

 心臓の音がやけに大きく脳に伝わる。緊張で、喉が渇く。舌が上顎に張り付く。

(大丈夫、大丈夫だよ)

 確信しているように聞こえるけど、まだ、バレたと限らない。両手を膝の上でぎゅっと強く握りしめる。

 嘘を暴かれる子供のような気分だ。

「お久しぶりです」

「え?」

 唐突な挨拶に美衣歌が固まる。当然なにを。

「わたくし、お茶会でそう申しましたわ」

「え、ええ、そう――ですね」

「貴女は、お久しぶりですとお返ししてきたわ」

「そう、です」

 実際、セレーナからしてみれば久しぶりの再会になるのだから間違っていない。

「わたくし、貴女がカヴァロンへ帰られる時に、言いましたわよね?」

 意味深な言葉を言って、紅茶を飲む。カップから赤い唇が離れ、妖艶な笑みを浮かべた。

「次は容赦しませんわよ、とわたくしが言ったら、貴女はかかってきなさい、相手してあげる、と」

 なにか勝負をしていたのだろうか。美衣歌はそのときのスティラーアでない。内容まで聞かれたら答えられない。

(どうしよう。アルフォンさまの言うように断っておけばよかった)

 昨日、アルフォンに何度も止められた。お茶会の優しさのあるセレーナに、お礼が言いたい思いに突き動かされた。誰もいない、サロンに二人きりというのはよくない。話していることが誰にも聞かれないのだから、止めにはいる人がいない。

「そ、そうですね」

 話を合わせていくしかない。セレーナは目の前のスティラーアは偽者だと言い切っているのに、今更話を合わせる必要はあるのか。いや、ここは騙し通して、逃げ切ればなんとかなる。

(けど、逃げ切った先はどうなるのー!)

「偽者さん、その勝負がなにか知っているかしら?」

 頭の中でぐるぐると迷いに迷っていると、なかなか本音を言わない美衣歌にセレーナが痺れを切らして直球で聞いてきた。

(そうなりますよねー……ど、どうしよう!)

 知っているならなにか言ってごらん。

 座りきった目がそう訴えてきているようで、視線を合わせられない。お茶会の優しさある雰囲気は何処へやら、とんでもない内面の持ち主だった。

 スティラーアは知っているのだろうか、彼女の内面を。

 唇を戦慄かせ、はふはふと空気だけが出ていく。セレーナは腕を組み、ふんぞり返って美衣歌の答えを待っている。

 身体が縮こまり、冷や汗が全身にあふれ出る。知らないことを隠すために嘘を言えば、そこに重なって更に嘘をつかなくてはならなくなる。

 そういう人を騙すことが苦手な美衣歌にはとてもできない。会話のどこかで襤褸が出て、こちらの方が不利になる。

 セレーナの前にいる人こそ、本物だと信じ込ませ、逃げ切れる自信は皆無。

 美衣歌は椅子から立ち上がった。頭を深々と下げる。

「すいません、あの……私――――ごめんなさい! スティラーアじゃ、ないんです!」

 素直に本当のことを吐いた。

 セレーナがスティラーアの友人なら、騙し通せるわけない。

「ほ、本当は……っく」

 人を騙すなんてやっぱり向いていない。申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになり息苦しくなる。目頭が熱くなり、ぶわりと涙があふれた。零してはいけないと唇を噛みしめた。悲しい気持ちになるのは、久しぶりに友人と再会できたと喜んだセレーナで、美衣歌じゃない。

「ごめ、なさい」

 頭を下げ続ける美衣歌の背中に、セレーナの手が添えられる。

「顔をあげなさい。お茶会の時になんとなく違和感があって、わかっていたから。貴女のせいじゃないのでしょ」

「は、い」

 美衣歌は顔を上げた。溢れた涙は、床に零れ落ちる。

「はあ、スティラーアじゃないのね、こんなにも似ているのに、残念だわ」

 悲しい溜息と共に、セレーナは美衣歌の肩に手を置いた。

「背格好も似ている。この顔の輪郭も。髪の色も……これ、付け毛ね。もう、やってくれるわね、貴女」

 セレーナは美衣歌の頬をなぞり、結われていない髪を触った。眉をひそめ、感触で偽者の毛だと見破られる。正体が判明する前よりも鋭さのとれた柔らかい目で睨まれた。

「けど、その目。眼差しは彼女のものと全然似てない。あの子は、自信に満ちた、強い眼差しをしていた」

 別の人で、美衣歌は高校生で、自分に自信なんてない。貴族でないから、教養がない。学んでいても覚えが悪い。何もできないから、アルフォンに、イアに、コーラルに助けてもらっている。できなさを痛感するたび、心が苦しくなる。

 スティラーアはそんな美衣歌と比べられないくらい、一人でできる人なのだ。フィリアルは何かにつけて、スティラーアと比べる。彼女の足元にも及ばない、できなさぶりを目の当たりにするたび、呆れかえった溜息を吐き出す。

 別人なのだから、同じには到底なれない。ダンスも、マナーも。

「まだ、あの子は行方知れずなのね」

 セレーナは美衣歌へ座るよう促し、椅子に座りなおす。冷めきった紅茶を一気に飲み干した。

「わたくし、近々、カヴァロン帝国へ嫁ぐことが決まっているのよ。けど元々、カヴァロン帝国第一皇子へ嫁ぐ有力者と決まっていたのはスティラーアよ。十五になるまでの間、こちらで魔力の修行をフィリアルさまから受けてすぐだった。まだ社交界にでる前。けれど、スティラーアが二年前に忽然と屋敷から消えたと聞いたときは驚愕したわ。帝国の皇子との婚約が有力と言われた彼女がよ? 出奔する理由が貴女わかって?」

 美衣歌は首を振った。どうしたって、順風満帆に見える未来を放棄して出ていく理由。本人にしかわからないことだけれど、美衣歌の頭の中に一つだけなんとなくこれかもと思う理由が思いつく。

「たぶん、他に好きな方がいらしたのではないでしょうか」

「皇太子妃になれる権利を蹴る理由がそれって、事実なら嗤える話だわ」

 嘲笑で美衣歌の理由を一蹴した。ほかに出奔する理由が美衣歌に思い当たらない。

 それだけ好きな相手と出会えるってとても素敵なことだと思えるから、セレーナの嘲笑にむっとなる。

「どうして、ですか? 素敵なことじゃないですか」

 美衣歌はセレーナの言いたいことが理解できない。

「いい? そのひよこちゃんみたいな能天気頭によく叩きこんでおきなさい」

 美衣歌の頭をびしりと指し、呆れられた。

「貴族というのはね、親が承諾した相手としか婚姻を結べないのよ。どれだけ違う方をお慕いしていても、両者の親が是と言わなければ同じ屋敷に入ることすら許されないわけ。婚前の男女は社交界以外では出会わないし、出会ってはならないとされている。これがカヴァロン帝国の決まり。覚えておきなさい」

 そんな決まりがあるなんて。社交界は決まり事ばかりで難しい。

 この皇国にも、カヴァロン帝国のような貴族の決まり事のうちの一つが、薬指のダブルリング。ウィスタリア皇国の皇族に決められていること。

「はい、教えていただいて、ありがとうございます」

 ほんわりと微笑む美衣歌に、セレーナは「能天気頭」と零した。

「貴女、名は?」

 ポットへ湯と茶葉を入れて蒸らし、パウンドケーキをフォークで切りながらセレーナが訊ねた。

「美衣歌、です」

「わたくしは、セレーナ・ルゥ・トゥリアス・ウィスチャ。第二皇妃の娘よ」

 第二皇妃ということは第三皇妃候補の子であるアルフォンよりも王位が上になる。カヴァロン帝国へ嫁いでいくから王位継承権はなさそうだ。

「貴女、災難ね。何処から来たの。貴族の決まり事を知らないのだから、貴族じゃないのでしょう?」

 蒸らし終わったポットから紅茶を注ぐ。

「あ、はい。えと――小さな村、です」

 突然歯切れの悪くなる美衣歌に、セレーナの手が止まる。

「貴女、本当に嘘つくのがど下手ね。で、本当は何処から?」

 鋭い指摘が飛び、あっさりと見破られてしまう。セレーナにはもう、嘘はつけない。

「誰にも、言わないで下さい。アルフォンさまに迷惑かけたくないんです」

「わかったわ。わたくし、口は堅いのよ。安心なさい」

「こことは違う、なんというか、別世界からです」

「は?」

 想定外な答えにセレーナがぽかんと口を開けた。

「ですから、違う世界から連れてこられたんです。フィリアルさまに」

「また、あの女……貴女あなた、どこまでも災難ねえ」

 同情的な声に、乾いた笑いで返した。

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