5:報告の前に

 講義を受ける部屋は、ダンスレッスンの部屋から離れている。

 廊下を急ぎ、慣れた足取りで向かった。ダンスよりも足取りは軽い。

「スティラーアさま、お待ちしておりましたわ」

「すみません、お待たせしました」

「……スティラーアさま、お茶の準備をいたしますね」

 コーラルがスティラーアの背から声をかけた。

「お願いします」

 美衣歌は身体をずらして首を後ろへ向け、コーラルにぎこちない笑みを向けた。

 先にファリーと部屋にいたコーラルが退室していき、イアが部屋の扉前に控えている。

 婚約式から、一週間。二人の侍女は美衣歌が不自由しないように、なにかと気を配ってくれる。

 戸惑う美衣歌に、二人は要望を聞いてくれるようになり、今ではそれが定着しつつあった。

 仕事がどのような割り振りになっているのかわからない。基本的にお茶の用意をイアがやるようになっているみたいだが、今日はコーラルだった。

「あなたは、まだ、上に立ち人をつかうことに慣れていらっしゃらないのですね」

 ファリー夫人が嘆息した。痛いところをつかれ、ひきつった笑いを返す。

 どうしたって、慣れない。

「周囲の者たちが不審な目で様子を伺い始める前に、早く慣れなくてはなりませんよ」

 戸惑う美衣歌にファリーは小声で忠告した。

 当初は慣れない国で仕方がないという視線をこよしていた王宮勤めの騎士たちが、数日前から、不思議な視線を向けてくるようになった。

 専属侍女たちから聞かれて、了承している姿に、不審に思われていたのかもしれない。

 向こうの世界で、人の視線を気にして、学校生活を過ごしてきた美衣歌には到底難しい。

 人の視線が美衣歌へ集まるようになった原因が、美衣歌の片想いの相手、比奈月奎吾けいごへ告白する場をぶち壊したという理不尽な理由からだった。

 4月、偶然木の根に足をとられ返事を待つ少女と奎吾の前に出たとたん、恥ずかしさと見られた羞恥のあまりに、顔を赤くした美少女に手を振り上げられた。その手から奎吾が美衣歌を守り、美少女の告白は断られたのだが――その翌日から、美衣歌は目をつけられるようになった。告白した美女は学年でも綺麗だと有名な少女で、美衣歌も一度ならず耳にしたことがある名前だった。

 彼女たちによって、失恋したのは美衣歌が邪魔したせいだと吹聴された。教室でも、形見の狭い思いをするようになってしまい、擁護してくれた仲のいい友人以外は美衣歌を空気のように扱いだす者まで現れた。

 恋愛が絡むと女は怖い。

 美衣歌は人の目を気にしながら、目立たないように過ごすようになった。

「とても慣れようがないです」

 首をすくめて、微笑した。

「慣れなくてはなれません。いいですか、スティラーアさま。貴女はアルフォンさまの婚約者となられたのです。いずれは夫婦となり、王宮に住まう人を言葉ひとつで動かしていくことになられるのですよ?」

 還る方法が見つからなければ、いずれそうなるだろう。その前に、本物のスティラーアが現れるかもしれない。そうなれば、美衣歌は王宮にいられなくなる。スティラーアと名乗る女性は二人もいらない。しかし、フィリアルの魔法がかけられた身体は城外に出ることができない。

 豪華な王宮で、暮らしている自分が全く想像できない。

 一日にドレスを何度か変え、時に貴族令嬢と噂話をしながらのガーデンパーティ。男性とダンスに興じるパーティ。どれも不得手なものばかり。

 美衣歌の性格は人の上に立つ者とかけはなれていた。美衣歌よりも、王宮で働き、礼儀を幼い頃から教え込まれている侍女と比べてしまう。そつがなくこなしていくイアや、コーラル。対して美衣歌は、戸惑うばかりでまごついてしまう。

 これが、人前でないなら、苦笑いで済む話が、美衣歌と関わりのない騎士や、従者の前でやってしまうと瞬く間に噂となる。

 既にいくつか、いい噂の種として提供してしまっている。

 気を付けなければならない。

 きっと本物なら……と落ち込みそうになって首を振った。

 会ったことのない人を羨んでも仕方がない。

 美衣歌は信じ、待てばいい。還れる方法は必ずある。アルフォンが探し見つけるまで、それまでは、スティラーアとして、偽った名で過ごすしかない。



 一日の講義が全て終わり、アルフォンの自室へ向かった。

 使われていない部屋は幾つもあるなか、美衣歌の部屋はいまだ、用意されていない。婚約をしたからといって、同じ部屋で寝るにはまだ早い。いくら他国の貴族令嬢といえ、部屋は別にする。それをあえてフィリアルが意図的に用意していない。皇王を言葉巧みに丸め込み、同室にしているのだろう。

 用意されれば、アルフォンはそこへ足を運ばないとフィリアルが予想してのことで、実際、美衣歌の部屋が用意されれば、来ない。

 婚約式を上げ、同じ王宮内にいるにもかかわらず、用がないからと部屋へ訪れなければ不審に思われる。双方が望んで婚約したわけじゃないのでは、と。

 部屋が同じであれば必然的に一緒にいる時間が増え、疑われることもない。フィリアルの思惑で部屋は変わらずアルフォンの自室を使っていた。

 美衣歌がアルフォンの部屋を使い続けている間、部屋の主は別の部屋で睡眠をとっている。ニコジェンヌに魔法を受けたとき、寝ていた部屋だという。それを知ったのはつい昨日のことだった。

(アルフォンさま、もう部屋にいるのかな)

 美衣歌の覚えが悪く講義が予想以上に長引いてしまった。国の歴史を覚えようとしても、筒抜けていき頭の中に留まってくれない。もう少しわかりやすく、かみ砕いて教えてくれれば理解もできるだろうに。

 次までに近隣諸国の名前を覚えてくるように言われてしまい、持たされた分厚い本に溜息が出た。

 アルフォンの自室につき、部屋の扉を叩く。

 美衣歌が使っているが、他人の部屋だと思うと開ける前に叩いてしまう。

「……はい」

 アルフォンの声がした。

「あ、アルフォンさま。……ス、ティアです」

 慣れない名前に、反射的に美衣歌と名乗りそうになる。コーラルがついてきているのに、間違えたら不審に思われるだろう。

 美衣歌が扉を閉めると、アルフォンは窓近くにある机に書類を広げてた。

 一ヶ月後に皇国生誕祭がある。祭りは四日間行われ、王都に人が最も集まる年間行事のひとつになる。道幅いっぱいに人が通り、通りの脇に、様々な露店が並ぶ。憩いの場となる広場は催しに使われ、男たちがそれぞれ得意分野で腕試しをして賞金を稼ぎ、知名度をあげる。

 祭りとなると、楽しみに集まる人もいれば良からぬことを考える輩も王都に集まってくる。無事に祭りが終わるよう、警備が厳重になる。

 普段王宮を警備している騎士団が城下の警邏けいら隊と協働し、不振な輩がいないか目を光らせる。

 その采配の資料のようだった。資料にペンで書き込みをし、アルフォンは顔を上げる。

「そこに座ってろ。もう少しで終わる」

 部屋に新しく用意された二人がけのソファがある。美衣歌が召喚された日になかった家具で、これはアルフォンが数日前、新たに置いてくれた。

「はい」

 ソファに座り、書類の確認が終わるのを待つ。普段、アルフォンは執務室で事務的な仕事をこなしているが、この部屋にほんの少し仕事を持ち込んで、こなしている。一日の終わりに、美衣歌と話をするには、彼の自室が最適だった。

 執務室は王宮と別棟にある王城内にある。新たな書類を持ったクレストファが出入りし、来訪者の知らせに騎士が扉を叩く。

 執務室の前を通れる者が限られているといえ、スティラーアが偽者だと知られるわけにいかない。

 執務室に比べて王宮にある部屋は王城よりもごく限られた人しかおらず、聞かれる心配がない。

 美衣歌は返還魔法が見つかれば、すぐにでも還りたい。返還魔法が見つかっても、背中に刻まれた特定の場所から出られない魔法と、視力喪失の魔法が解けないと、戻れない。

 アルフォンが執務の合間に魔法の解き方と、還り方を探りその報告を聞く時間を作れるのが夜しかなかった。

 祭りを一ヶ月後に控え、慌ただしくなる中で時間をつくると約束してくれた。時間が作れる日はクレストファから伝言されてくる。美衣歌が真剣な眼差しで書類に目を通す。無言で仕事をするアルフォンの眼差し。あの視線が自分へ向いたらどうなるんだろう。

 ありもしないことに嘆息した。

 彼に思わず魅入っていると、視線に気がついたアルフォンが顔を上げた。慌てて本に目を向けるも、文章は入ってこない。

 文字を追うように視線を動かす。見てたなんてバレたら恥ずかしくて、逃げ出したくなる。

 アルフォンは手を止めて、こちらを見ていた。

「なんだ?」

 じっといぶかしむ瞳に美衣歌の鼓動が跳ねた。

「なんでも、ないです」

 美衣歌は分厚い本を広げて、文字を追い始めていくが、文章はすり抜けて、全然読めた気がしない。

 一度暴れだした鼓動は収まりそうにない。長い髪に顔を隠す。

 頬が、熱い。


「悪い、待たせた」

 眉間に皺をよせて、異国文字の読解に苦労していると、一区切りついたアルフォンが声をかけてきた。

 美衣歌はぱっと本から顔をあげて、ソファの場所をあける。空いた場所にアルフォンが座った。

「その本……」

 美衣歌が開く本を覗く。内容はウィステラ皇国隣の小国ルモリエンの首都、特産物、気候が書かれている。

「貸していただいたものです。どうしても覚えられなくて」

 苦笑いをして、本を閉じた。

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