4:レッスン

 アルフォンは早朝に王宮の奥へ足を運んだ。

「グレース?」

 空きが多い王宮の奥部屋で、唯一使われている部屋の扉を叩く。

「はい、お兄さま。どうぞ、入ってらして」

 グレースは変わらず部屋のベッドの上にちょこんと座っていた。

 細い足を部屋着の裾から出して、ベッドの端でぶらつかせている。

 グレースの侍女が、ベッド脇に椅子を準備してくれる。礼を言って座った。

「お兄さま」

 座った途端、グレースがぎゅっと抱きついてきた。

「お久しぶりです!」

 グレースに美衣歌の返還法を聞いて以来、訪室していない。昨日は意識のない美衣歌がいたから、早々に部屋を出てしまい兄妹の抱擁ができなかった分、今日は熱烈な歓迎だ。

 抱きつく妹を抱きしめ返して、頭を撫でた。グレースは嬉しそうに顔を綻ばせる。

 昨夜、美衣歌にかけられた魔法を中和してもらいながら、フィリアルがつけた背中の魔方陣を消す方法を聞いた。なにもなければ現れない魔法陣は中和魔法がかけられている時、そこに別のものがあると主張するかのように反応した。魔法は発動しなかったが、意識のない美衣歌が、苦しい表情を見せた。

 うっすらと浮かんだ陣の模様を凝視した後、グレースが「調べてみますので、明日朝に来てもらえませんか?」とアルフォンに言った。

 美衣歌を王宮へ縛る陣が消え、しがらみが無くなり、美衣歌がいるべき場所へ無事還れることができれば、それでいい。

「昨日見てもらった魔方陣、解除の仕方は分かった?」

 兄に会えた喜びに満ちた顔が一変して、表情が固くなる。

「はい。……お母さまがかけた魔法は、一時的なものでした」

 一時的――時間が経てば、消えてくれるもの。

 それなら、喜ぶべきだ。陣が消えれば、還すことができる。

「魔法が解ける条件があります」

「条件?」

「ええ、そうです。スティラーアさまがカギになっています」

 その名を聞いてアルフォンが思い出すのは、美衣歌だ。しかし、グレースがいうスティラーアは違う。

「その名を産まれた時から持つ者、か?」

 フィリアルがアルフォンの婚約者にしたいという女性だ。幼い頃、スティラーアがフィリアルから魔術を学びに五年間城へ滞在していたことがある。その時何度か顔を合わせた。心に一つの信念をもつ彼女は、アルフォンに眩しく映った。

 その信念を成就させるために、フィリアルから魔術を学びに来たと語った。当時、特に何かを目指していることがなかった、王位継承権はあるが、アルフォンよりも優先順位が上で腹違いの兄がいた。王位が巡ってくることはないと、言われるままに、皇子としての講義を受けていたアルフォンは自分が恥ずかしくなった。それから、万が一王位が巡ってきた時の為に、アルフォンは講義に、馬術にと身にしていった。

 カヴァロン帝国へ帰国して以来スティラーアと会っていない。

「そうです。その方がお城にこられない限り背中の陣と魔法が解ることはありません」

 本物がいつ現れるか分からず、居場所が分かっても、来てくれるか分からない。グレースの表情が曇った理由はそこにある。

「他に還し方は?」

 グレースの表情が更にかげる。それが答えだ。

 “他に方法はない。”

「お兄さま。まずは、お母さまがかけた魔法を解くのが先です。背中の魔方陣は条件が揃えば自然に消えるものです。まずは行方の分からないスティラーアさまを探されてはどうでしょう」

 消す方法が他にないなら、スティラーアを捜すしかあるまい。

 グレースに礼を言ってアルフォンは部屋を出た。




 お茶会でニコジェンヌが起こした騒動は、なにも無かったこととして処理された、とアルフォンから数日後に教えてもらった。

 美衣歌の瞳の色を変えておいて、皇王への報告書ではなかったことにされた。

 当然ながら婚約式当日に、ルスメイア家当主が起こしたこともなかった事にされている。


 お茶会の翌日、ニコジェンヌは一週間謹慎するよう言われ、部屋に閉じこもっているようだ。部屋の前で常時監視され、外に出られない状況らしい。

 部屋から出られないなら偶然会うことはない。会わずに済むならかえってその方がいい。

(あれだけのことをして、何もないことにされるって、王族の特権なのかな)

 フィリアルの時といい、許されていることが不思議だ。アルフォンの婚約者といえど、スティラーアという人は他国出身の貴族。結婚しているわけではないので、お客として丁重におもてなしをしなくてはならない存在のはず。それが、王族の人ならなおさらに――。

 婚約者となったらもう、王族の一員とみなされてしまうのだろうか。

(私は還る人なんだから、こっちの事情なんて気にしない!)

 美衣歌の身体は魔法によって王城に縛られてしまっている。魔法陣が消えてくれれば、還り方が判ってくるかもしれない。

 人の足をぎゅむっと踏みつけて、美衣歌は我にかえる。

 今はダンスレッスン中で足さばきに集中しなければいけないところを、欠いてしまった。

 ダンスの足が合わず、講師の足を爪先で踏んづけてしまっていた。

「あ、ごめんなさい!」

 慌てて足をどけると、男性講師は足先を押さえた。足の指を容赦なく踏んでしまい、申し訳ない気持ちになる。

 婚約式以降、毎日ダンスレッスンをしているが、一行に上達しない。講師の足を踏まない日はない。これでも多少は上達したと自負しているが、足を踏まなくなるまでどれだけ時間がかかるか。

 婚約式の日、アルフォンの足を踏むことなく踊りきれたのは奇跡に近い。

「大丈夫ですか?」

 うずくまって痛みを緩和させている姿に、側でオロオロするしかない。

「大丈夫です。が、少し休憩しませんか?」

 レッスンをはじめてからの三十分。これじゃあ、レッスンの続きができそうにない。

 困ったところへ、ドアが叩かれた。

 ダンスレッスンの後は、ファリー夫人の講義になっている。ファリー夫人、なのだろうか。

 誰だろうと首を傾げながら、ドアを開けてもらうと立っていたのはケイルスだった。

「やあ、お嬢さん」

 ファリー夫人と思い、歓迎体制だった美衣歌の身体が固まる。

 この人にされたことは何日たったとしても鮮明に思い出せる。

 アルフォンの部屋でのこと、夜の馬車の中、婚約式当日でのこと。

 近づきたくなくて、部屋から逃げ出そうにも、部屋の出入り口をケイルスによって塞がれてしまっている。

「サラードさんの足、踏みまくったみたいだね?」

 室内で痛みに悶える講師の姿に呆れた。

「そんなに踏んでいません」

 美衣歌が覚えている限りでは、まだ片手で数えれるぐらいのはず。意識がそれてしまっている間は、踏んでいないと思いたい。

「いえ、結構踏まれました――」

 涙声で訴えられてしまえば、そんなことないと言えない。一体何度踏んでしまったのだろう。

「すいません」

 申し訳なくて謝ると、わたしの仕事ですからと身も蓋もない返答が返ってきた。

 踏まれることが仕事じゃないはずだ。美衣歌がダンスを踊れるようにするのが彼の仕事だ。

「サラード、動けますか?」

「動けます。まだ、全部を教えられていないので、今日は徹底的に教えなくてはなりません」

 徹底的と聞いて美衣歌はダンスの後の楽しみ、ファリー夫人の講義は無くなってしまったのだろうか。ダンスレッスンが進まないことで無くなるのは嫌だ。

 イアに目配せすると、美衣歌に近寄ってくれた。小声で確認すると、そのようなことは聞いていないと言われ、安堵した。

 解りやすくて、覚えやすいファリー夫人の講義まで、まだ一時間以上ある。

 講師は足を何度か動かして、立ち上がった。何度も踏まれた足を庇って立っている。

「少しお休みして下さい。足、冷やされた方がよろしいですよ?」

 靴から足が抜けなくなるまで腫れてしまっては困る。それだけ、踏みつけていないと思うが、腫れ上がり抜けなくなってしまうと、大切な靴を切らなくてはならなくなる。そうなる前に美衣歌も休憩に賛同した。

 足が棒のようになっていて、立っているのがつらい。美衣歌も講師と休みたい気分だ。

「それはなんとかなります。スティラーアさまの見られないダンスを少しでも見れるようにするためにも、痛さに耐えてみせますよ」

 脂汗を額ににじませて、痛みに耐えた笑顔はとても見ていられない。

「わたしが変わりますから、休んでいて下さい」

 講師に手を貸して、壁際に寄せられた椅子へ誘導する。

 私も一緒に休みます。

 口にする前にケイルスに先をとられた。これでは、休めれない。

 引きずられるようにして連れて行かれる講師は、踏まれていない足で踏みとどまる。

「いや、しかし!」

 渋る講師に耳打ちして無理やり納得させ、椅子へ座らせた。美衣歌に向いたケイルスの口元がニヤリと微笑った。思惑通りに言ったといわんばかりの顔からは、嫌な予感以外なにも感じれない。

「私も、休憩を……」

 ドアへ向けて逃げの姿勢をみせる美衣歌の手を捕らえて、引き寄せる。素早く腰に手を回されてしまえば、もう逃げ道はない。

「なにを言ってるんですか? 続き、始めましょうね」

 捕まえられた左手はケイルスに握られて離してもらえず、手の甲を愛しむように撫でられる。こうされる覚えはまったくない。

 ケイルスの胸を右手で押して抵抗する。

「結構です! 先生に教えていただきますから」

 ケイルスとダンスをするぐらいなら、この講義はいっそここで終了でいい。もう、踊れなくてもいい。婚約式の日、アルフォンの足を踏まずに踊りきれたのだから踊れる。

 美衣歌の抵抗はケイルスに簡単に抑え込まれる。背中の腕一本で更に引き寄せられてしまう。

「断る必要はありません。ただ、講義の続きをするだけですよ?」

 どうにかして距離をとろうと暴れる美衣歌に妖艶な笑みでケイルスは囁いた。

 美衣歌の小さな抵抗がぴたりと止まる。

 講義の続きだけですめばいい。けれど、もし、なにかされればケイルスを止められる人はここにいない。部屋にはケイルスの従者、イア、講師の三人が二人を見守っている。なにかあれば、止められないにしても、呼びに行くことはできる。この状況で、もしもはきっとないと信じたい。

 腰に回された手は離してもらえる気配がない。

 ケイルスとの接触は極力避けたかったが、今回は仕方がない。

 ダンスが華麗に踊れない美衣歌が悪い。運動神経がないせいもあって、全然進歩していかない。昨日の間違いを今日もして、今日の間違いを明日もとやり続けた結果、講師にここまで教え概のない生徒は始めてだと嘆かれてしまった。

 踊れなくてもいいけど、踊れるようにはなりたい。

「なにかしたら、イアさんが」

「ええ、心得ていますよ」

 あきらめた美衣歌は腰に回ったケイルスの二の腕に右手を置いた。 

「続きをしましょうか?」

「お願いします」

 人がいることで警戒心が緩んでいる隙に、ケイルスが美衣歌の頬に唇をつけた。

 突然のことに悲鳴をあげる。

「ケイルスさま、ご冗談がすぎます。スティラーアさまは正式なアルフォンさまのお相手ですよ!」

 美衣歌の代わりにイアが憤慨した。

 イアの言葉に、ケイルスは楽しそうに笑った。

「知っているよ、でもね――」

 冗談じゃないよ。

 囁く言葉は美衣歌だけが聞いていた。

 油断してしまった自分が悪い。悔しさに睨みあげると、笑われる。

 相手が相手だ。意識をしっかりと持っていないといけない。

 また、先ほどのように、隙あらば顔を寄せられたりしないように。

「こほん、ええと、それでは始めましょうか?」

 講師はわざとらしく咳払いをすると、手拍子をたたくからそれに合わせて動くようにと言った。

 講師が叩く手のリズムに合わせて、最初から足を動かし始める。何度も講師の足を踏んでしまうところに差し掛かると、身体が自然と緊張し始めた。

(また、踏んでしまったらどうしよう)

 皇子の足を踏むなんてしたくない。相手がケイルスなら余計に。

 講師は足を保護する布を着けて、美衣歌のレッスンに挑んでいる。ケイルスは、そんなことしていない。

 踏んでしまえばさぞ痛いことだろう。

(もう、すぐ!)

 徐々に力の入る美衣歌の腰をケイルスが優しくぽんぽんと叩いた。

「力を抜いて、わたしに任せてみてごらん」

 足に力を入れて、踏むことを回避しようとすると、腰に回ったケイルスの腕に力がはいる。

「大丈夫ですよ。あなたは、踏まない。わたしを見上げて」

 ケイルスに誘われるままに、顔をあげ、彼の顔を見上げる。アルフォンと同じ青海色の瞳が、美衣歌を愛おしむように見下ろしている。見つめられる優しい瞳に、吸い込まれていく。

 美衣歌が一番苦手とするところで、足がおいてけぼりにされるところが、すんなりと足は進んでいった。

 足はちゃんと床を踏みしめ、ダンスは続いていく。

 手拍子が止み、足を止めた。

「おお! やっとできましたね!」

 講師は感極まって泣き出した。何度も踏まれ続けた挙げ句、やっと出来るようになってくれて、嬉しいと歓ばれる。

「相手の顔をみていれば、足は自然と動きますよ。足ばかり気にして、サラードを見ていなかったのではないでしょうか?」

 指摘されて、思い返してみる。ケイルスの言うように、講師の顔を見ていなかった。男の人を見る習慣がなく、胸元ばかりを見ていた。

 足が遅れてしまうのはそのせいだったらしい。本当は出来ていたんだ、と頬を綻ばせる。

「ケイルスさま、ありがとうございます」

 できたことに喜び、満面の笑顔をケイルスに向けると、腰に回ったままの腕によって身体を引き寄せられた。

「え、なに」

 嬉しさのあまり、警戒の緩んだ隙にケイルスの顔が近づく。

 しまったと思ったときには遅かった。

 ケイルスを美衣歌から彼の従者が引きはがしてくれて、事なきを得る。

 ケイルスの腕の中から逃げられた美衣歌に、ケイルスの従者から謝られた。

 なにかが起きる前に、止めてほしいと思うのは美衣歌だけなのだろうか。

「スティラーアさま、次の講義のお時間ですよ!」

 イアが声を大にして美衣歌を部屋から連れ出した。

「また明日ね、お嬢さん」

 部屋を出る間際にケイルスは従者の腕を振りほどいて、美衣歌の背中に投げかけた。

 明日はもう、会いたくない。講師に代わってアドバイスをくれるのはとても嬉しい。けど、美衣歌が油断して隙をついて、過剰に触ってくるのはやめてほしい。

 ダンスレッスンの次はファリー夫人の講義になる。沈む気持ちを明るく切り替えて夫人が待つ部屋に向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る