時間屋さんと僕
猫乃助
時計屋さんとのお別れ
僕の街には変わった時計屋さんがある。
街角の寂れた時計屋さんは古今東西様々な時計を扱っているらしい。
さほど広くない店舗に所狭しと置かれている時計はもの珍しいモノも多く、眺めているだけでも僕は十分楽しかった。
特に気になるのはレジに置かれた何も入っていない砂時計。
空っぽの砂時計の前には「時間買います。一時間、1万円」と値札が表示されている。僕は時間を売ったことはないけれど、長く店に入り浸っていると、時間を売る人たちを時々見かける。
面白半分で数時間売ってみる高校生、切羽詰まった表情で多くの時間を売って大金を持って帰るサラリーマン風の男性、穏やかな表情で残りの時間を売っている老夫婦など…。
気にはなっていたのだが、僕は自分の時間を売る理由も必要もなく、好奇心でそれを聞くだけの勇気はなかった。
けれど、あまりにも僕がその砂時計を見つめていたからなのだろう。店の店主である男性、尾木世夫さんが僕を呼んで、その砂時計をよく見せてくれた。
やはり時を刻む砂は入っておらず空っぽのままだった。
「ここには売った分の時間と言う名の砂が貯められるんだよ。たまった砂は別の必要な人が買っていくんだ。」
時間の売買、そんなこと僕は信じられなかった。
目に見えないそれをどうやって売買するのか、本当にそんなことが出来ているようには見えなかった。
「どうしたら、その時間を見る事が出来るの?」
僕の質問に尾木さんは笑って答えてくれた。
「君が時間を売れば、砂時計に貯まる砂が見えるよ。もしも君が時間をどうしても必要だというなら、この時間を買うといい。買うときにも同じように砂を見ることが出来るだろう。」
「……もしも、自分の時間を全て売ったらどうなるの?」
「時間が無くなった人は、二度と動かない。それだけだよ。」
寂しそうに尾木さんは空の砂時計に触れた。
「じゃあ、ずっと砂を買い続けていればずっと動いていられるんだね。それってすごい事だね!」
「そうだね……だけど、それはとっても寂しい事なんだよ。」
「どうして?」
何も答えてくれなかった。ただ、尾木さんは困ったように笑って見せるだけだった。
それから暫くして、尾木さんは亡くなった。
40代だった。まだ若いのに、そう別れを惜しむ人の声が聞こえた。
奥さんも居ない、子供もいない。
遠縁の親戚が葬儀を進めたらしい。尾木さんが亡くなって、あのお店がつぶれてしまうのかと思うと僕は堪らなく寂しかった。
誰も居ない時計屋さんの前に僕は立っていた。
暗い店内、もうここの時計たちは時を刻む必要がなくなるのかと思うと、不意に涙が零れた。
尾木さんが亡くなったという事を聞いても流れなかった涙は、急に堰を切ったかのように溢れて止まらなくなってしまった。
今更になって、死について理解したとでもいうのだろうか。
子供だった僕にはその当りの事は良く判らなかった。
ただ、二度と動かないという事が酷く悲しい事なのだと、それだけは理解できた気がしていた。
これが僕の小学校5年生の時の話だ。
時間屋さんと僕 猫乃助 @nekonosuke
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