第1話

公園を抜けてしばらく歩くと誰も待っていないバス停から国際蹊林大学病院こくさいけいりんだいがくびょういん行きに乗った。


平日の昼前、僻地にある大学病院向けのバスに乗り合わせる人には共通していることがある。ほとんどの人が病院になんらかの用があるということだ。入院している家族を見舞う人、大学病院に通院治療している人、かかりつけ医から大学病院への紹介状をかかれた人。排気ガスが車内に漏れてきて、一酸化炭素中毒になっているのではないかとおもわせるような重苦しさがある。診療経験がない私でも各々がどの程度の深刻さであるか顔色だけで想像ができるというものだ。


このバスには場違いな背筋の伸びた健康そうな若者が何名か混じっているが、よくみるとこちらも顔色はおもわしくない。先輩とおもわしき人たちは国家試験対策や研修などによる寝不足によって極端に痩せていくか太っていて、目を瞑って短い時間でも睡眠を取ろうとしている。


まだ肌ツヤのよい健康そうな後輩たちはは本日やらなければならない実験のために陰鬱な気を発していた。



「今日のイヌの・・・、ほんと勘弁してほしいよな。」

「ほんとに・・・。」



後輩達がため息まじりに声を交わしている。

「イヌの」といったところで、バスに同乗した人たちにはなんのことかわからないだろうが、医学部生はその単語を聞いただけで充分に落ち込んでしまうのだ。



動物実験が必要か否かは賛否あるだろうが、「生身の人間ははじめてなんですよ!」と言う医者に診てもらいたい人は稀有に違いない。いくら高性能なシミュレータができたところで、まだ教育上は必要なことである。



経験がまったくない学生に生きている人間相手に練習させるわけにはいかない。そこで、まずは献体けんたいされた死体を使って解剖実習をおこなう。献体は、教育のために遺族や本人の意思により無条件無報酬で提供されたもので、不慮の死をとげた高尚な先輩医師などが献体として学校に戻ってきたりするのだ。


解剖実習が終わると、今度は生きた相手の実習となる。

といってもいきなり人間をつかうわけにはいかないので、まずは実験動物の出番というわけだ。



実習の過程で、ほとんどの実験動物は死んでしまう。なかには、どのようにすると死んだ状態になるのかという学習のための実習もある。生命を救うために医師を目指す過程で、命を奪わなければならないという精神的矛盾と戦えないようでは、患者相手に決断や治療ができる医師にはなれないのだ。



医学部生が「イヌの」と言う時点で、そのイヌは現時点では生きている実験動物であることを意味する。どの程度強く殴れば、脳挫傷を起こすかなどの実習と言う名の撲殺がおこなわれ、崇高な使命を支えに猟奇的行為に手を染めるのだ。



人を救うために、医学の発展のために、犠牲はつきものであるがなにをどこまで犠牲にしなければいけないのか。

法律として許可された生殺与奪がそこにはある。

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(ホラー)ヒト科ヒト亜族 のーはうず @kuippa

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