第3話 防災持ち出し袋

紙の本をめくるのも久しぶりだなどと感慨を覚えながら、少し厚めの黄色い本をペラペラとめくっていた。ノスタルジーにひたっているが、本どころか、見渡す限り人工物がない原始の森で遭難状態なのである。



「東京防災」と書かれたその本は、かつて都内の全世帯に配布された防災について書かれたガイドブックである。備蓄品についての啓蒙、もしものときマニュアルなど災害対策ガイドブックになっている。電子版で読んだので、紙の本は防災用の持ち出し袋にそのまま突っ込んでおいたのだが、この原生林のなかでは株価情報が印刷された紙束よりはいくぶんか役に立ちそうだ。


その他に何をいれていたかと非常時用の持ち出し袋の中身をバサバサと岩の上にぶちまけてチェックする。


いくばくかの現金や通帳が入っていて、かつカバンを探すのがめんどくさかったからという理由だけで非常用持ち出し袋を背負ったことは現状を鑑みればラッキーだった。山葵わさびがここまで歩いてこれたのも、非常用持ち出し袋に履かなくなった古い靴を打ち込んでいたからだ。もしこのような状況で靴もなかったらと思うとゾッとする。


だが、同時にツイてないなとおもうのは、このような事態を想定してのキャンプ用の手荷物ではないということ。あくまで緊急持ち出し用の軽い袋でしかない。

地震などの災害発生時にちょっと家を離れることを想定したものでしかない。家には数ヶ月引きこもっても生きていけるだけの買い置きの飲料やバリエーションに富んだ食料の備蓄があるが、袋に入っているのはわずか数食分のみだ。

もしあの時、非常用持ち出し袋ではなくキャンプ用のバッグを背負っていればもっと色々なものが入っていたのに悔やまれるが、いまは本当に必要最低限のものしかない。



アルファ米の袋に書かれた説明を読む。アルファ米とは炊いたお米をカピカピに乾燥させた長期保存が可能な非常食だ。お湯なら約15分、水だと約60分浸しておくことで、食べることができるようになる。



「鍋すらないような状況は想定してなかったなー。」



お湯も沸かせない現状に、あらためて途方にくれる。袋から乾燥剤とスプーンを取り出すと、ペットボトルから水をジョボジョボと注ぐ。食べられるようになるまであと1時間。



太陽の位置をみるに、あと1時間もすれば日が陰りだす頃合いだ。

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