第五章 別れの時①

 朝になった。僕はベッドの中で目を開ける。カーテンの隙間からは朝日が潜り込んでいて、思わず目を細める。眩しい。

 ベッドから這い出すと制服に着替えた。鞄の中身をみて忘れ物がないかどうかを確認すると、部屋から出た。

 二階にある客間の内の一つ、昨日までお客様のいた部屋のドアをノックしてみるが返事はない。当たり前だ。昨日の夜に、たまは自分の家に戻ったのだから。

 正直寂しかった。たまがいなくなった影響か、家の中が少し静かになった気がする。

 扉を恐る恐る開けて、客間の中に入って行く。

 たまが持っている自分のものといえば、この前美奈子さんに買ってもらった服一式と麦わら帽子ぐらいだろう。それ位以外何もない室内で、隠れられるところといったらクローゼットの中ぐらいだ。

 クローゼットの扉をゆっくりと両側に開く。中にはこの前たまが着ていたカーディガンがハンガーで揺れていた。その下に白いシャツと藍色のジーンズが粗雑にたたまれておいてある。その横に寝間着も置いてあった。だけど麦わら帽子は見つからない。

 クローゼットを閉め、部屋を見渡して間もなく、目当てのものを見つける。物が少ない分、まるで背景に解けこむかのようにそれは置いてあった。麦わら帽子は、ベッドわきの棚の上にちょこんと乗っている。

 麦わら帽子に近寄り、手に取ってみる。温もりは感じられなかった。どうせなら帽子を持っていけばいいのにと勝手な思いが湧き上がる。だけど帽子があれば、これを取りに帰ってくれるかもしれない。これはたまに似合っていたのだから。

 麦わら帽子を棚の上に戻し、僕はもう一度、ぐるっと部屋の中を見渡す。

 やっぱり、たまはどこにもいない。僕は自分の目でたまがこの家を出て行くのを見たのだから、当然だ。

 彼女が最後に振り返り呟いた、「必ず帰るぞ」という言葉を思いだす。今の僕はたまの言葉を信じて待つことしかできなかった。



 教室に入ると奏太はまだ来ていなかった。いつも遅刻ギリギリなので、きっと後から来るのだろう。もしかしたら来ないかもしれない。僕は無意識の内に眺めていた花桜梨の背中から視線を逸らした。

 椅子に座ると暫くして龍之介がやってきた。

「そういえば阿呆に頼まれていたことを、聞くのを忘れていたのだが」

「奏太に?」

「ああ。小野の連絡先を知りたいらしい」

「いいよ」

 僕は頷いてスマホを取り出す。高校に入学する前、両親がお祝いに買ってくれたのだ。あまり触らないから操作になれておらず、手間取りながらも龍之介と連絡先を交換した。

「おっはよー、空也君! え、なに龍之介と連絡先交換しているの! 珍しい……。つーわけで、あたしとも連絡先交換しようぜ、空也殿よ」

「う、うん」

 朝からテンション高いなぁ。とか思いながら夕芽と連絡先を交換していると、奏太からメールがあった。五分前に送信したばかりなのに早いな、と思いながら本文に目を通す。

『空也 俺暇すぎて死にそう』

 何と返信するか迷っている内に、もう一通メールがやって来る。

『そういや俺さ今日も学校行けねぇんだよぉ!』

『待っているからゆっくり治してね』

 もたもたとなれない操作で一文打ち込み送信ボタンを押すと、一分も経たないうちに、『おーう』と返信があった。

「奏太、本当に風邪なのね」

「さすがのあいつもそんな無粋な嘘はつかんと思うぞ」

 メール画面を後ろから覗きこんでいた夕芽の言葉に、龍之介がため息をつく。

 二人の距離感はいつも通りで、僕はそれを見て安堵すると同時にどうしても花桜梨が気になってしまう。無意識に視線がそちらに向きそうになり、慌てて修正するとスマホに目を落とした。奏太から変な恰好をした白いスーツおじさんのスタンプが送られてきて、思わず吹き出しそうになるのを押さえる。

 奏太のいない静かな朝。チャイムが鳴り、授業はいつも通り始まった。



 彼女は今どこにいるのだろうか。ちゃんと家に帰れたのだろうか。怒られていないだろうか。授業中も休み時間もずっと僕は考え事をしていた。

 たまのことを。昨日の夜、家に帰るぞと言って出て行った彼女のことを。

 【死神】を倒す道具を姉に借りに行くからと、笑顔で出て行った彼女のことを。

 「必ず帰るぞ」と言っていたものの、ほんとうは心配で仕方なかった。

 本当に帰ってくるのだろうか、という言葉はおかしいのかもしれない。たまにはちゃんと自分の家があるのだから。僕は誘拐犯で、彼女を美奈子さんの家に閉じ込めていたのだから。

 ――『帰りたくない』

 それでも、あの言葉を思い出すと、彼女は今帰りたくない家に帰っていることになる。それなら、まだ美奈子さんの家に閉じ込めていたほうが、彼女の為になるのかもしれない。

 美奈子さんも心配していたのだ。「たまちゃん、戻ってくれるといいのにね」と朝食の時に言っていた。

 たまの家がどこにあるかは知らない。だから迎えに行くことはできないけれど、待つことはできるのだ。僕は彼女が帰ってきてくれることを、ただ祈って待っていることしかできないのだから。

 僕は今、とても息苦しいんだ。

 花桜梨と一緒の空間にいることが。



 帰りのホームルームが終わると、花桜梨は友達と一緒に教室を出て行った。僕は無意識に彼女の背を眺めているのに自分で気づき、慌てて目を逸らして教室を出る。

「今日は一人なんだな」

 龍之介に声をかけられた。隣に夕芽もいる。

「うん」

 掠れた声が出る。

「どうしたの? 新宮さんとケンカした?」

「そんなんじゃないよ」

 喧嘩じゃない。ただ、お互い傍にいるのが辛いだけで。

「そうか。また月曜日にな」

「あ、うん」

「ばいばぁい!」

 龍之介と夕芽は隣り合って歩いていった。その後ろ姿を見送り、僕は下駄箱に向かって行く。

 今日が金曜日だということに、僕は遅れて気がついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る