第四章 違和感の正体⑤



 家に帰るとリビングに直行する。たまに声をかけられた。

「空也。何だか、とてつもなく暗い顔をしておるぞ。どうしたのじゃ?」

「……たま」

 困った顔をしているたま。彼女の素直な表情を見ていると、どうしてこんなにも落ち着くのだろうか。

 ソファーに座っているたまの隣に腰降ろす。心配そうなたまの表情に胸が痛くなってきた。

 僕は彼女の黒い瞳を見つめて、小さな声で問いかけた。

「たまは、気づいていたの?」

「……何のことじゃ?」

「花桜梨のこと。疑っていたのでしょ?」

 だから、あんなことを僕に言ったのだ。なるべく考えないと、たまの言葉の意味を……僕は別に解釈しようとしていたのに。それなのに、もう逃れられないことだと知ってしまった。

「気がついたのか」

 ため息をつくと、たまは僕から視線を逸らして床を見る。

「ッ! じゃあ、花桜梨はやっぱり! どうしてそれを言ってくれなかったんだよ」

 言ってくれれば、心構えができたかもしれない。花桜梨を傷つけなかったかもしれない。いや、それよりも――もっと早く気付いていたら、奏太は倒れなかった。

 今思うと不思議だった。あの夜。奏太が顔を赤らめながら白髪の人物を見ていたこと。あの表情ははた目から見ても、恋をしている表情だった。そのような顔で、どうして白髪の人物を見ていたのか、僕は疑問に思いながらも頭の片隅に追いやって考えないふりをしていた。

 奏太があんな表情で見ていた人を、僕は知っている。それは一人しかいないじゃないか。

 花桜梨だ。

 奏太は花桜梨の前だとぎこちなくなり、いつもよりテンションが変な方向に高くなっていた。

 その理由に……考えたくないと隅に追いやっていた理由に、僕はもう気づいてしまった。

 僕はどうしようもなく馬鹿だ。どうしてたまに責任を押し付けようとしているのだろう。

 叫んだことに自己嫌悪に陥っていると、たまがゆっくりと顔を上げた。

「言ったところで、お主は今と同じように騒ぎ立て、現実逃避をしていたじゃろう?」

 ああ、その通りだ。今の僕は現実を見ようとしていない。

 だって、花桜梨は僕を助けてくれた人で、救世主で……僕が――だった人で。

「何を知りたい?」

 感情のない静かな声だった。僕はその声に耳を傾ける。

「あの女を、どうしたい?」

「花桜梨を……」

 どうしたい? 真実を知ってしまった今、花桜梨をどうすればいいのかそんなの僕にも分からない。たまなら知っていると思ったのに。たまが言ってくれれば、それに縋ろうと思っていたのに……なんて残酷なのだろう。

「僕、はッ。花桜梨と、一緒にいたい」

「不可能じゃ」

 冷たい言葉だった。

 そんなことわかっている。無理だということなんて、わかっているけれど認めたくなかった。

「やっと……やっと会えたんだ。花桜梨と。ここに来てやっとあえて、それなのにッ。どうしてこんなにも辛い思いをしないといけないんだよ!」

 こんなの今までと変わらない。僕をいじめてきたあいつらがいたころと、何ら変わりはしない。花桜梨のいない世界なんて、僕は――。

「現実を見ろ」

 小さいのに、よく耳に響く声だった。

「新宮花桜梨。あやつがこのままでいることは危険じゃ」

「そんなこと、ない」

「ある」

「だって、百歳まで生きられなくなったって、そんなに長生きする人間はごく一部だろ? だったらいいじゃないか。少しぐらい魂を食べられたって。それで花桜梨が生きていられるのなら、僕は自分の魂をあげたっていい!」

 そうだ。その手があった。花桜梨を助けるためだったら、僕の魂の一部ぐらい……ううん。半分を上げたっていい。僕なんかが生きているより、花桜梨が生きている方がずっと有意義に決まっているッ!

 パン。という音が響く。

 遅れて、自分の頬が叩かれたことに気づく。

 怒りをあらわにした顔でたまが僕を睨んでいた。

「お主は何を考えておる。馬鹿げたことを言うのも大概にするんじゃ! 命は大切なものじゃ。確かに百歳まで生きられる人間は少ないかもしれない。けれどな、少なくとも自分の命ぐらいは自分で守るべきじゃろ!」

「別に僕の命なんだから、使い道を決めるのも僕だろ!」

「違う! 違う違う! 命は確かに本人のものじゃ。けどッ、それは誰から貰ったものじゃ?」

「え?」

「両親のことはどうする? お主をこの世に産み落としてくれた、命を与えてくれた父と母のことはどうする?」

「それは」

「友達は? 今の学校にいるじゃろ。お主を気にかけてくれる人」

 夕芽の顔を、龍之介と奏太の顔に浮かんだ。花桜梨の顔も。

「美奈子だって、お主の今の言葉を聞いたら悲しむぞ」

 どうしてたまはこんなにも悲しい顔をしているのだろう。

「だって妾が、お主の言葉を聞いてとても傷ついておるのだからなぁッ」

 ぽろりと、涙が滑り落ちていく。たまは頬を濡らして泣いていた。

「自分の命を大切にしろ。少なくともお主は生きていても良い人間じゃ。だからな、現実をちゃんと見て、どうするべきかを決断するのじゃ」

 ああ。

 どうして僕はたまのことを見てあげなかったのだろう。あの言葉を口に出してからの数日間、たまがいやに静かにしていたのは僕に掛ける言葉を決めかねていたからだろう。

 たまは気づいていたのかもしれない。花桜梨と話していたときの僕の気持ちに……。

 だって僕は、今でも花桜梨のことが好きなのだから。

「たま」

 名前を呼ぶとたまが顔を上げた。

「ごめんね」

「空也」

「たまは、僕が傷つかないように黙っていただけだよね」

「……馬鹿者」

「うん。僕は馬鹿だよ。大馬鹿だ」

「……知っておる」

「うん。だから、そんな大馬鹿者の僕の言葉聞いてくれない?」

「……ぬぅ?」

「【死神】を倒すのにはどうしたらいい?」

 たまの黒い瞳が大きくなる。僕はその瞳を見つめ返して微笑んだ。

「僕は現実を見ることに決めたんだ」

 まだ胸が痛む。ずきずきと、小さくうずくそれを優しく受け止めて、僕はにっこりと笑った。

 乱暴に涙を拭ったたまが立ち上がる。

 安心した顔つきのたまは、僕の正面来ると口を開いた。

「一度、妾は家に帰るぞ」

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