第四章 違和感の正体③

 次の日。テレビをつけると、四人目の被害者が出たというニュースがやっていた。

 今回の被害者が中年男性で、三人と同様体力を酷く消耗していたらしい。目撃情報はなかったそうだ。

 僕は朝食を食べながらそのニュースを見て考える。

 もしこの犯人が【死神】だとして、どうして【死神】はこんなにも沢山の人の魂を食べているのだろうか。

 【死神】が魂を食べるのは生きながらえるためだ。だけどそれにしては、多すぎるような気がする。

 たまは不可解そうな顔でニュースを見ていたが、大きく欠伸をすると眠そうに目をこすり、興味なさげに視線を逸らす。

 どうしてだか今日は食欲がわかない。だけどご飯を残すのは勿体なく、何より美奈子さんに心配をかけてしまうかもしれないので、口の中に無理やりすべて押しこんで、飲み込むと立ち上がった。

「いってらっしゃい、空也君」

「い、行ってきます」

 曖昧に微笑んで、僕は鞄を掴むと家を出て行った。



 教室に入ると僕は自分の席に座った。鞄を机の横にかけて、一時間目の用意をするとぼーっと教室の中を眺める。

 奏太はいつものことながらまだ学校に来ていない。龍之介は自分の席で本を読んでおり、夕芽は女子二人と仲良くに話をしている。漫画を見せあっているので同じ趣味の仲間なのかもしれない。

 夕芽たちから視線を逸らし、僕は花桜梨を見る。花桜梨は、ショートカットの女子生徒と話をしていた。ここからも声が聞こえてくるから、女子生徒の声は大きい方だろう。元気で明るい子なんだなぁっと思っていると、花桜梨と目が合った。手を軽く上げて挨拶をすると顔を逸らし窓の外に目をやる。ちょうど校門を奏太がダッシュで通り抜けていくところだった。

 ぱちっと瞬きをする。

 校門の近くに、長い髪の女性の幽霊がいた。ボーっとしているのを見ると、それはただの『亡魂』なのだろう。放置していても害はないはずだ。そう思ってみていたのだが、不意に女性の幽霊が動き出し、近くを通った男子生徒の肩に触れた。瞬間、男子生徒が仰向けに転倒する。大事はなかったらしく、男子生徒は立ち上がると周りを見渡して不思議そうな顔をしながらも、服についた砂を払うことなく歩きだした。

 僕は見てしまった。女性の幽霊が口を三日月型に開くところを。それは確かに悪意のある笑みだった。すぅっと体が透けて、女性の幽霊は消えてしまった。成仏したのだろうか? そんなに簡単に?

 だけど僕は知っている。彼女は『亡魂』ではなく、人に害をなす『死霊』だということを。『死霊』がそう簡単に成仏しないことを、僕はたまから聞いたばかりなのだ。

「おっはー、空也っ!」

 元気いっぱいの声が耳元で聞こえる。顔を上げると、満面の笑みの奏太がいた。肩で息をしているのは走ってきたからだろう。

 どうして走ってきたのだろうか。そう思っているとチャイムが鳴った。

「あっぶねぇ、ギリギリだったぜ」

 奏太が席について暫くすると担任の先生が入ってきた。

 ホームルームが始まり暫くして、僕は奏太に挨拶を返すのを忘れていたことに気がついた。



 家に帰ると、たまが退屈そうにテレビを見ていた。

 僕はその姿を横目で見ながら階段を上がり、自分の部屋に入ると私服に着替える。

 リビングに戻ると、たまが寝転がっているソファーの向かいに座る。視線をテレビに向けたまま、お互い口を開かなかった。

 いつの間にか時間が過ぎ、美奈子さんが帰ってくると夕飯の準備を始めた。いつもだったら嬉しそうにお手伝いに行くたまが、今日は少しも動こうとしない。

 僕は特にやることがないので立ち上がると、キッチンに入っていった。

「美奈子さん。何か手伝うことある?」

「ええ、そうねぇ。あ、そうだった。忘れていたわ」

 野菜を切っていた美奈子さんが周りを見渡した。何かを探しているようだったが、無かったのか少し困った顔をする。

「ほうれん草を茹でてもらおうと思ったのだけど、買うのを忘れていたみたい。冷凍のやつがコンビニにあると思うから、買ってきてくれないかしら?」

「うん。わかったよ」

 美奈子さんからお金を受け取り、僕は家を出て行く。

 六月の夜は、まだ少し寒い。


 目当てのものを買ってコンビニを出ると、僕は家に戻る道を歩いていた。

 街灯が均等に並んでおり、あまり暗さを感じない。僕の横を車が一台通っていった。

 僕は歩きながら考える。昨日、たまが言っていたことを。

『新宮花桜梨。やつには気をつけろ』

 どうしてたまがそんなことを言ったのか。授業中もずっと考えていたのだ。

 だけどどう考えても何も納得のいく答えは得られなかった。途中嫌な考えが浮かんでは慌てて別のことを考える。そうしないとどうしても嫌な方向に考えてしまうから。

 たまの言葉の意味を僕は未だに理解できていない。

 たまはここ数日、ずっと家にいた。きっと、退屈していたのだろう。だから【死神】がでたと言って、退屈を紛らわせたかっただけなのではないか? 僕を慌てさせて、楽しみたかっただけなのでは。

 そう思うことができたらどんなにいいのか。彼女はそんなことで楽しむ正確じゃないというのに。

 僕はため息をついた。

「寒い」

 囁き前を見る。視界の端に人影が入り込んだ。

 家の方向なので近づいて行くと、どうやら人影は二つあるようだ。

 その内の一人、背を向けている方の容姿がくっきりと浮かび上がり、僕は思わず足を止めてしまう。

「え?」

 長い白髪の、小柄な人物だった――。

 その容姿は、噂で聞いた幽霊そのもので……昨日、たまが言っていた【死神】なのだろうか。

 背を向けているので顔までは見えない。少女なのかも分からない。

 人、だろうか。本当に? わからない。けれど、体の透けていない小柄な人物は、僕には幽霊に見えなかった。

「嘘、だ」

 白髪の人物の向かいにいる忘隠高校の制服に身を包んだ男子生徒を見て、僕は後ずさりそうになった。

 その男子生徒を僕はよく知っている。同じ学年で同じクラスだ。

 今朝、挨拶をしてくれた。僕は返事を忘れてしまったけど、それでも帰りに一緒に帰るときも、転校してきたあの日だって、彼はいつも笑顔を振りまいて。

 元気で明るくって、それでも抜けているところもあって……それが少し面白い。僕の友達。

 奏太だ。

 顔を赤くした奏太が、白髪の人物と何か話をしている。

 そして、次の瞬間――。

 白髪の人物が両手を伸ばし奏太の頬を挟むように優しく振れると、少し背伸びして自身の唇を奏太の唇に触れさせたのだった――。

 あっという間の光景。僕は息をするのも忘れて見ていた。

 白髪の少女が両手を離す。奏太の体がふらりと、ゆっくりと倒れた。

「奏太ッ!」

 思わず叫んでいた。

 声に反応して白髪の人物がこちらを向いて、振り返り走って暗闇の中に消えていく。

 その姿を追うことができずに、それよりも奏太の身が心配で慌てて近づいて行った。

「奏太、大丈夫? 僕の声が聞こえる?」

 体を揺すってみるが反応がなく、腕を捲り、脈を測る。

 ドクンッ……ドクンッ……。

 音が聞こえる! 奏太は死んでなんかいない。いや、死んでいるはずがない!

 僕はスマートフォンを取り出すと、人生で初めて一一九番を押した。



 奏太は、酷く体力を消耗していたほかは、とくに外傷などはなく、命に別状はなかったらしい。奏太の母親からそれを聞いて、僕は安心した。同時に、たまが言っていた憶測が本当だったことを実感した。

 白髪の人物が今回の事件の犯人だということを……。

 警察もやってきて事情を聞かれたが、僕は白髪の人物については何も言わなかった。コンビニの帰り道に奏太が倒れているのを偶然見つけたことにした。どうせ白髪の人物のことを言ったところで信じてくれないだろうし。

 違う。

 それは建前だ。本音は別にある。

 僕が病院からでると、ちょうど美奈子さんが歩いてくるところだった。電話をしたら迎えに来てくれたのだ。

「空也君。大丈夫だった?」

「はい。命に別状はないみたい。二日もすれば立って歩けるって」

「そう。あ、実はたまちゃんも一緒にきたいって言ってね、今車で待っているのよ」

 たまも? 車だったら誰にも見られないから大丈夫だと思うけど。なんで。

「帰りましょう」

 優しい声で微笑む美奈子さん。

 僕はそれに微笑み返すと、なぜか美奈子さんがまた困ったような顔をした。

 車の後部座席に乗り込むと、隣でたまが窓の外を眺めていた。僕の顔を見ないようにしているみたいだ。

 シートベルトを締め、美奈子さんが周りを確認すると車を発進させる。

 家に帰るまで、誰も口を開こうとしなかった。



 ご飯を食べた後、僕は自室に引きこもった。

 ご飯を食べている途中、何か言いたそうなたまの視線を感じたけれど、僕はそちらを見ることができなかった。

 昨日の夜、まとめを書いたノートを広げ、僕はベッドの上で体育座りをして眺める。

 読めば読むほど頭が混乱してくる。

 扉をコンコンとノックする音がした。声が聞こえてくる。

「入るぞ」

「え、う、うん」

 扉が開き、寝間着姿のたまがとたとたと入ってくる。彼女はベッドに近づいてくると遠慮なく腰掛けた。

「た、たま。どうしたの?」

「ぬ。何、今日のことを聞こうと思っただけじゃ」

 今日のこと? 考えてみるが思いつかない。

「……見たのじゃろう。【死神】を」

「【死神】ッ」

 そうだ。さっき、コンビニの帰りに、白髪の人物が奏太の……。

「魂を、食べられた」

「犠牲者のことか。お主の友人か?」

「……うん。少なくとも、僕はそう思っている」

「ぬぅ。……心配せずとも良い。【死神】に襲われたとしても死ぬことはないからのぅ」

「本当、だったんだ」

 【死神】の存在を信じていないといったら嘘になる。だけど、昨日のたまのあの言葉。それが何かの勘違いだと信じたくって、【死神】をいないものとして扱いたかった。

 そんなこと、たまの妄想で、ただの作り話で……それだったら、どんなに良かったことか。

 思考すればするほど、考えを放棄したくなる。

「ああ。【死神】は確かにいる」

「そう」

「……昨日のあの女。新宮花桜梨だったか」

 心臓が、どくんと飛び出しそうなほど驚く。

 僕は口を噛みしめて、耳を押さえたい衝動を抑え込む。

「あやつ、昔、事故に遭ったことあるじゃろう」

「どうして、それを」

「何となく。あの存在を感じたときに、そう思ったのじゃ」

「存在……」

 それっきりたまは黙り込んだ。見定めるような視線を感じる。黒く純粋な、感情を見せないような瞳が僕を見つめていた。

 思わず頭を下げてしまう。

「……どうする?」

「どう、って。僕にはわからないよ」

「……今日のお前の友人。確かに今は大丈夫かもしれない。けど、長生きはできんぞ」

 それでも百歳を超えることができないだけだ。そんな簡単に人間は長生きなんてできない。平均寿命を超えられれば良いところで、それ以上生きることなんて、ほとんど希で少なくって……少しぐらいいいじゃないか。

「【死神】が魂を食べる理由は寿命を伸ばすためだ。人間が、牛や豚や魚の肉を食べるのと同じように、【死神】は自ら生きながらえるためだけに、『亡魂』や人間の魂を食べる」

「……」

「そして、人間の体に憑いている【死神】が、人間の魂を食べるのにはもう一つ理由がある」

「理由……」

「それは、記憶を保持するためだ」

 記憶。

「いくら【死神】の意識を乗っ取ったからと言って、もう死にかけた人間の記憶は少しずつなくなっていくのじゃ。それを少しでも保持するために、無意識のうちに、眠っている間などに魂を求めてさまよう」

 そう言うと、たまはベッドから立ち上がり、とたとたと部屋から出て行ってしまった。

 僕はその背中とたまの言葉を、頭の中で反芻する。

 一体、僕はどうすればいいんだ。


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