第四章 違和感の正体②
「空也」
花桜梨と別れて少しした時、僕は声をかけられた。
白いシャツにカーディガンをはおり、藍色のジーンズに、季節を先取りした麦わら帽子を被っている少女がそこに立っている。ちぐはぐにも見えるその服装にびっくりしつつも、僕は返事をした。
「たま、どうしたの?」
一人で外に出てくるなんて珍しい。
たまは帽子の下から見上げてきた。黒く長い髪が風でさらさらと揺れている。
「待てなくなってな。外に来れば、早く空也に会えると思ったんじゃ」
いつもの無表情。だけど、僕は少し違和感を感じた。
考え事だろうか。眉が少し潜められている。
「えっと。昨日のことだよね。今から……散歩する?」
「いや、やっぱりいい」
「え? 何で?」
「面倒になった。妾はいったん家に帰る」
「そう」
たまが踵を返すと公園の真ん中を横切りながら、家に向かって行く。
そういえばたまと出会ったのはここだったなぁ、と思いながら僕はついていき、気づいてはっと周りを見渡すものの、人がいないことを確認して安堵をつく。
そのまま何事もなく家に入った。
ぐてーっとソファーに寝そべるたまを見て、猫みたいだなぁと和んでいると、唐突に彼女が口を開いた。
「さっきの女」
怒っているかのような冷たい声のような気がして、まるで悪戯が見つかった子供かのように緊張する。僕は何もしてない、はずだ。
「ど、どどどうしたの?」
「いや、何。……名前は何というのだ」
「新宮花桜梨だけど」
「そうか」
そう言うと黙り込み、たまが目を閉じる。
眠ってしまったのだろうか?
いきなりのことで僕は反応に困ってしまう。
「たま?」
呼ぶと目を開けた。一瞬口を尖らせて、たまが口を開く。
「あの女……新宮花桜梨と言ったか? 新宮はいつからこの町にいるんだ」
「小学六年生の終りに、ここに越してきたらしいけど……」
「そうか。……もう一ついいか、お主は、この町に出る幽霊の噂を知っているか?」
「それって」
奏太から聞いたことを記憶から呼び起こす。
「魂を食べる、白髪少女の幽霊のこと?」
「妾でも知っているほどの噂だからのぅ、知っておったか。そうじゃ。その白髪の幽霊がここ五年ほどの間に急に現れたということも知っておるか?」
「うん」
「なら話が早い。その幽霊の正体は【死神】だ」
「えっ!」
余りにもあっさりと言うものだから、僕は遅れて反応をする。
幽霊の正体が【死神】? どうしてそんなことを、今言うんだ。
「よいしょ」と体を起こし、たまが大きく伸びをする。僕と視線を合わせないためか、彼女は天井を見上げていた。
「白髪少女の幽霊の噂をお喋りなあいつから聞いたのだがな、その時妾はなんとなく【死神】じゃないかと疑っていたのじゃ。気になった単語は『白髪』『魂を食べる』だったか? 【死神】が人の体を乗っ取ると、乗っ取られた人間の髪の毛から色素がなくなり『白髪』になってしまうらしい。理由は【死神】の力に人の体が耐えられなくなるからだろう。【死神】は実際には魂は食べない。ただ、吸収して自分の力に変えるのじゃ。それを傍から見ると食べているように見えるのかもしれない。だがその噂話には解せぬことがあってな、お姉様共々、作り話だと侮っていた。普通の人間は『幽霊』を見ることはできない。だから、どうして白髪少女が魂を食べているのを見たのか、そこが気になっていたが……人間の魂の欠片を食べていたのならば納得できる」
天井から逸らされた黒い瞳と目が合う。
「【死神】に魂の欠片を食べられた者は、その量に匹敵して少しの間夢遊状態になるからの。それを勘違いされたのだろう。現に人間の体を乗っ取っているはずの【死神】が、幽霊だと勘違いされているのだから」
僕は何とか納得して、頷く。
奏太とガードレールで話をしてからの数日間。僕は休憩時間に毎度のように起こるマシンガントークでたまたま奏太が言っていたことを思いだした。
「その幽霊の事件って、この町でしか起こってないって」
「ああ。そういえばそうじゃな。……なんとなく理由は解る」
「えっ。何?」
「この町に住んでいるということじゃろう」
そんなのも分からないのか、というような目で首を傾げるたま。
僕はどうしょうもなく恥ずかしくなり、頬を赤くしながら目を逸らしてしまう。
ふふっと笑い声が聞こえてきた。
「まあ、空也は越してきたばっかりじゃからな。しょうがないことじゃ。……ところで、お主、思わぬか」
「な、なにが?」
「どうして今になって、【死神】は人間が昏倒するまで魂を食べ始めたのじゃ?」
「どういうこと?」
たまが真剣な目をする。僕はその黒い瞳を見て、綺麗だなぁっと場違いのことを思ってしまった。
「【死神】は人間の魂の欠片を食べて生きながらえることができる。ほんのひと欠片だけなら、人間は少しふらついてボーっとするだけで、気絶して倒れることなどあり得ぬのだ。貧血気味だったらあるかもしれないが、それでも今回の事件ほど酷くはならぬだろう」
今回の事件、被害者は気絶して倒れていた。理由は酷く体力を消耗していたからだ。
「つまり、だ。今回の事件で【死神】は、人間の魂を多く食べていることになる」
「それって死なないの!」
「魂とは、人の体を形作るうえで大切なものだ。目でのものを見る。口で喋る。腕や足を動かす。頭を使う。耳で物を聞く。……恋だ愛などにも関わるかもしれないな。それらすべてに魂は密接にかかわりあっている。それをすべて食べられたら、死ぬだろうな。実際に、老衰というものは魂が徐々になくなり体を動かす術を失くしたから起こるものだ。だけど普通は、魂を一度にすべて食べることは不可能じゃ。人間一人の魂の質量は多い。若ければ若い程な。いくら【死神】と言えども、実体のある人間の魂をすべて食べきることなんて不可能じゃ」
「じゃあ、どうして? 欠片を食べられただけじゃ気絶しないのだったら、もっと多く食べられているってこと?」
「ああ。そうじゃの。恐らく……百分の一ほどじゃないか?」
思ったより少なかったんだ。
「人間は老いていくと共に魂は徐々に減っていく。そしていずれ使い果たして死ぬ。……空也、安堵するべきじゃないぞ。魂が減るということは寿命が短くなるということじゃ。今回【死神】に魂を食べられたものは、大雑把に言うと百歳は迎えられぬじゃろう。【死神】は人間の寿命を奪う。【死神】に憑かれた人間とは、そういう存在なのじゃ」
【死神】は死に際や、死んで間もない人間の体を乗っ取ることができる。
【死神】は生きた人間の魂の欠片を食べることで生きながらえることができる。
それは、人の寿命を奪っているということになるのか。
昨日、たまに話を聞いてもあまり実感がわかなかった。けれどこんなことを知ってしまったら、いくら人間の体を生きながらえさせるためだとはいえ、それはあまりにも残酷じゃないか。
人間の体を乗っ取っている【死神】なんて、存在しない方がいい。
だけど僕は同時に、これはたまの気のせいなのじゃないかとも思ってしまった。
今までたまが話したことは、ただの憶測でしかなく、証拠はなに一つないのだから。
これはただの空想や妄想で、今回の事件はそんなに大事ではなく、たまたま風邪や熱中症で倒れただけなんじゃないかと。
でも今はまだ六月だ。熱中症には早すぎるし、風邪だったらテレビで報道なんてされないだろう。
ということは、つまり――。
名前を呼ばれた。
思わず俯いていたことに気づき、顔を上げると黒い瞳と目が合った。
彼女は笑っていなかった。変わらず真剣なままだ。
今の話も冗談ではなく、本気で言っていたのだ。
思わず顔を歪めてしまう。
「空也。さっきの女」
さっきの女。――花桜梨のことだろう。
どうして、たまは彼女のことを気にしているんだ。
――知りたくない。
「新宮花桜梨。あやつには気をつけろ」
どうして……。
たまが目を逸らし立ち上がると、リビングから出て行った。
それがスローモーションに感じたぐらい、僕の時間だけがゆっくりと流れているような気がした。
どうして、花桜梨を?
夜。僕は机に向かいノートを広げていた。
新品のノートだ。勉強をするためではない。
シャーペンを右手に持ち、こんこんと頭に打ち付ける。
考えながら書きはじめる。
忘隠町に越してきてからのことを。
・転校先で幼馴染の花桜梨と会う。
・たまを誘拐じゃない家に招待する(?)。
・ここ数日、忘隠町で人が気絶して倒れているのが発見される。体力をひどく消耗しているらしい。
・たまに幽霊が見えることがばれる。
・【魂見】とは、霊『魂』を『見』るもの。精霊や『死霊』を成仏させる存在。
・【死神】とは、地獄に行ってもなお黒い魂が、成仏するために戻ってきた魂。良き魂はあの世に送り、悪しき魂を消し去る。
・【死神】は、時に人間の体を乗っ取る。死に際の人間や死んで間もない人間の体を借りるらしい。これは禁忌とされているため、他の【死神】から追われることになるらしい。
・【死神】に乗っ取られた人間は、時に強く生きたいと願っているときの場合、【死神】の意識を取り込み普通の人間として生きられる。
・人間の体を乗っ取った【死神】は、生きている人間の魂の欠片を食べなければ生きていけない。【死神】の意識を取り込んだ人間は無意識に食べている。
・たまが今回の事件を【死神】の仕業じゃないかという。
・たまが白髪の幽霊の話をする。白髪の幽霊が【死神】の正体ではないかと疑っている。
・たま曰く、人間の魂は寿命と同じ存在だという。
・たま曰く、今回【死神】に魂を食べられた人間は、百歳まで生きられないらしい。
・たまが、「やつに気をつけろ」と言っていた。花桜梨のことを。どうして? どうしてなんだろう。分からない。花桜梨は僕の幼馴染で、一番の友達だった。今は話ぐらいしかできてないけれど、それでもやっぱり彼女のやさしさは僕にとっては救いだ。忘隠高校に越してきて友達と呼んではいいかわからないけど、よく話してくれる奏太と出会ったし、不愛想だけど細かいことに気がつく委員長の龍之介とも出会えた。女子委員長の笹岡さんも話しかけてくれるし、とてもとても楽しい日々を過ごしてきたのだ。でもやっぱり花桜梨が一番だ。そう思いたい。それなのにどうしてなのだろうか。たまは何であんなことを言ったのだろうか。花桜梨に気をつけろだなんてそんなこと。彼女は何も変わっていない。少し違和感はあるけれど、それでもやっぱり彼女は彼女だ。僕のことを覚えていてくれた。そんな彼女のことを、どうしてたまは。どうしてなのだろう。本当に何でなぜどうして。意味が分からない。
音をたてて芯が折れる。僕はシャーペンから手を離した。
なにもかもを考えるのが嫌になり、立ち上がると布団に転がり込む。
そういえば、電気を消していない。
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