第2話 日常は続く、老いは寛容ではない。

                「1」

            「終の棲家と永遠の住処」


 娘からの急報で、慌ただしく予定を全てキャンセルし、ツアーで無かったのが良かったのか、どちらなのかわからないが、この際費用は目を瞑るしかないと思いながら、それでも格安料金フライトを、彼女も今や知らぬ中ではないとばかりに、手を尽くして手配してくれて、何とかBAの早い便に空きを見つけてくれた。

 

 狭心症の発作で入院した妻は、成田到着の時点で娘に連絡し、手当が早かったので今は安定していて、1週間ほどの入院で様子見して云々と言う事だった。  

 一先ず自宅に帰ってからと、成田エクスプレスで横浜へ向かった。

 丸一週間の旅程で出かけたので、昨夜は全く慌ただしく、折角の日常からの解放が、謂わば無理に引き戻されることになると言う割り切れなさを感じたのも否めない。妻には済まない、別に裏切りを働いたと言う罪悪感は、申し訳ないがそれほど重くはわだかまっては居なかった。

 帰宅した私は、玄関のドアを開けて入った瞬間、留守していた部屋は静かすぎてて寒気がするように感じた。恐らく、何日かは一人で居なければならないと考えていたからかもしれない。

 明日は兎も角、妻の様子を見に入院先の病院へ行かねばと思いながら、旅行先でもすっかり取り出されなかった着替えなどを、スーツケースから取り出して、それぞれ箪笥などに戻した。

 次第に普段嗅ぎ慣れた我が家の空気を感じ始めたが、ふいっと、万一の場合は、此処で一人暮らしをせねばならない、常々、妻とは、万一どちらかが先に逝ったらどうする、なんて事を、実感を伴わないまま、何かのついでの話のようにして来たが、もし、妻と死別して一人になったら、確かに一人では、先ほど感じた室内の空虚感を、恐らく毎日何かの折に感じるのではないだろうか、そんな話の折、確かに一人になっても寂しくはない、寧ろ妻との家庭生活と言う束縛が無くなるので、気楽になることは確かだ。

 妻に先立たれた夫は、大方はしょぼくれて長生きしない、とよく言われる。しかし、自分の場合は、家事の殆どを自分でこなし、面倒な食事についても、食材の仕入れから料理をすでに手掛けてきているので、その点は全く問題ない、洗濯も、今は便利な洗濯機も有る。

 人手を当てにする必要はない、しかし、自分に万一が有った場合が一番気になるところだ。

 独り身になったら、毎日は必要が無いが、3日に1回、息子か娘に電話するかしてもらう。或いは「生きてるよ」とメールでもする。これは必要になるだろう。

 「さて、ぼんやりもしてられない、飯でも食うか」独り呟いて冷蔵庫の扉を開け、残り物を物色する。

 長年、独り暮らしの者は、普段自宅で話し相手が居ないので、つい、独り言を言うとか、自分でも呟いたのを苦笑いで一人納得した。

 覗いた冷蔵庫には、物色するほどの食材は残って居なかった。仕方ないので、メイクインと玉ねぎをスライスしてフライパンで炒めればいいや、基本的にジャガイモ、人参、玉ねぎは常備野菜として欠かしたことは無い。卵も有るしもう問題ない、明日は明日で病院の帰りに何か買い物してくればいい、そう思うと取り敢えずジャガイモと玉ねぎの炒め物と、冷凍庫に凍結保存してある焼きおにぎりで晩飯を済ませた。

 所在ないまま、テレビを付けてミステリードラマで時間をつぶす。折角のロンドン旅行はふいになってしまった。何んとも費用が勿体ないなと思いながら、病弱の妻を恨めしくも思う。


 妻の病室は日当たりの良い南側に面した部屋で、3人部屋だった。それぞれのベッドはカーテンで仕切られて、色気も何も感じられない、不愛想な金属製のベッドで、ベッド脇には小物入れのボードと、片開きの木製のクロゼットがセットされていた。

 決まりの面会時間は午後3時からと言う事だが、それを無視して私は昼を食べてすぐに出かけ、病院には2時前についていた。

 午後の日差しはクリーム色のカーテンで遮られていたが、病室の中は、同系色の壁によって、ミルク色に明るかった。

 3人部屋の一番手前、入り口に近いベッドに妻は、少し背を斜めに上げて横臥していた。

 「どう・・・・・・・・・」人の気配で、うつらうつらしていた妻は、私を認めて微笑むと「御免なさい、折角の旅行だったのに・・・・・・・・」と謝った。

 「まあ、そんな事はいいよ、具合はどうなの・・・・・・・・・」

 「うん、一応、今のところ、薬物で血流と血圧を下げる薬などで・・・・・。ステントなどを入れて手術すると言うほどではなかったみたい、でも、最初は息が止まってこのまま逝ってしまうかもと思ったほど、胸を締め付けられほどとよく言うけど、本当に、ぎゅーっと万力で抑え込まれるように痛かったの・・・・・」

 「智佳が良く手配してくれたから助かったわ」「そうか、で、今日は来るのかな」

 「さあ、貴方が帰ったから・・・・・・・・、あの子もなんか忙しくやってるみたい」嫁いだ後の娘には遠慮もあるようだ。母娘でも女としての対抗意識が無意識のうちに働くのかもしれない。

 ロンドンから急遽帰国のフライト中、妻が万一なんてことになったら、病身の妻を娘に預けてまで旅行の意味があったのだろうか、娘はなんと言うだろうか。

 特別な理由も目的もない、どちらかと言えば気分転換、日常のわずらわしさから解放され、非日常への時間を楽しむ、そんな我儘ともいえる旅だった。

 

 1週間足らずの入院から退院した妻は、新聞の折り込みチラシなどの、墓地の広告を熱心に見比べるようになり、「此処なら近いからどうかしら、値段もまあまあだと思うし・・・・・・・・・・」朝の食卓に、選んだチラシを指し示して、食事の話題として相応しいのかどうか、もういちいちこだわる年齢でもないが、「子供たちの家からも来易いのじゃ無い」入院中にそんなことも考えていたのか、若い時だったら、退院後のお祝いに何処か旅行でもと考えるだろうに。老いは終末を考える。

 「そうだな、親父たちの墓は、墓参りも容易じゃないからな」車で片道2時間近く掛けて行くような場所では、おいそれと墓参も出来ない。しかし、息子と娘の二人の子供では、既に嫁いだ娘は一緒に入る訳じゃ無い、息子もその娘が嫁いでしまえば、2代で墓地の利用は不要になってしまう。墓守は2代で終わる可能性は大だ。だからと言って私と妻が永遠の住処も無く、息子と娘に「どうにでもしてくれ」と言うのも無責任かと思うし、赤の他人との合同墓に入るのも、口では「なあに、御骨は電車の網棚にでも忘れてくりゃあ、いすれれまとめて埋めてくれて、年に1回くらい弔ってくれるよ」そんな冗談を言ってはいるが、矢張り世間体も気になる見栄も有る。


 結局、自宅から車で30分も掛からない、高台の霊園に墓所を買うことにした。

 案内に従って、JRローカル線の駅からほど遠くない高台の、崖っぷちに並んだ墓所に決め、石もその霊園で統一された種類と形の物に決めた。しかも墓石も最近は中国からの輸入だと言う。

 どちらが先に死んでも、残った方が御骨を抱えてうろうろする図なんて頂けない。そう思うと何となく、この買い物は良かったのかと、まだ経験したことのない死後の落ち着き先が決まったことで、今度は、いつの日か終焉の時を迎えても狼狽えないで逝ける。恐らく3代目には無縁墓になってしまうかもしれない。核家族化の末はそうなる事を覚悟してなければ、墓など買えない。

 何となくほっとした気持ちと、結局は無駄な買い物をしたのかと思いながら、私は、まだ塵さえも入って居らず、唯、佐々木家と彫られた墓石を眺め、目を転じて高所からの眺望を見て、「まあ、日当たりも良く、眺めもいいので、此処でいいかな」「そうね、どっちが先に入るかね」妻とそんな会話を交わし、まだ主のいない墓石を眺めた。

               


                   「2」

                 「日常は続く」


 「もしもし、山梨の澤田です・・・・・・・・」

 山梨県小淵沢で乗馬クラブを経営する澤田氏からの電話だ。要件は予測がつくが一応受話器に応答する。

 「はいっつ、いつもお世話様です」「済みません、早速ですが來月の~日と~日の土日ですが、審判をお願いできませんか」競技会の審判員の依頼の電話だ。


 彼の父親は小淵沢が現在乗馬クラブのメッカのようになる草分けの一人だった。数年前に山梨県の国体開催に際して、東北自動車道小淵沢インターチェンジの傍に、県の馬術競技場が設置され、以来、周辺にオープンされた乗馬クラブのオーナー等で組織された乗馬会の主催で競技会が開催されている。

 「申し訳ない、一寸、家を空けられないもんで、折角ですが・・・・・」病身で腰痛訴え、立ち居が儘にならない妻を一人残して家を空けることが出来ない。

 週末2日間の競技会のためには、前日の金曜日から小淵沢へ泊りがけで出かけ、都合3日は妻を一人にしなければならない。

 「そうですか、それは一寸弱ったなあ・・・・・・・・・」と、受話器の向こうでため息と唸る声が伝わってくる。


 出来れば私も気分転換に小淵沢へ出かけたいのだが、そうはいかない、また、娘の所に預ける訳に行かない。

 サンデイ毎日の老後の日常、日中は大体自分で自由に時間を使えるが、夜の会合とかに出かける場合は、妻の夕食の用意を整え、後は温めるだけにしてから出かける。まして、狭心症で入院し退院したばかりで、そんな妻を一人にして泊りがけで出かける訳に行かない。


 そんな日常がもう3年近く続いている。先日のロンドン旅行はそんな中での、ストレス解消の機会でもあったが、結果は更なるストレスを重ねることになった。

 ふっと、そんな折、ロンドンで会った看護師の女性の事を思い浮かべた。

 「もう、後残された人生がどのくらいあるのか、こうして生きているうちは、出来るだけ自分の思うように生きて行こうと思っているの・・・・・・」難しい人生論を語ると言うのではなく、体を交わした後に彼女は、強いてと言えば自分自身への言い訳か、或いは不倫を意識した私への気休めか、そんな言葉を口にし、更に、「愛とかは関係なく、気に入った相手とならセックスしてもいいかなと、私は思っているんです。一つには、体と心のレクリエーションでもあるんです」

 「ふうん、しかし・・・・・・・・・」「何ですの」と彼女は若い女のように、私の口を自分の口で塞ぎ、あの時、智佳からの緊急電話が無かったら、再び交わることになったかもしれない。

 「無論、相手は男なら誰でもと言う訳じゃ有りませんけど・・・・・・・」そんな言葉が電話で中断された。

 日常の中に、もうあんなハプニングは無いだろう。もう一度彼女に会いたいと思うが、連絡先を交わした訳では無かった。

 残念な思いと、まあ、後腐れの無い得難いひと時の付き合いだったと、もうこれからの日常では起こりえない事なのか、老い行く先の道程が思い出だけを積み重ねて、希望が一つづつ消えて行く道を行くことになるのだろう。


 老いは、もう明日死んでもおかしく無い年齢を超えている、平均寿命が年々伸びているとは言え、高齢者の域にすでに達している身にとって、若い時のように、ずっと先の日時の約束をする。今日の続として明日が来る、果たして自分に明日があるだろうか、夜、ベッドに横たわりながら、ふっと頭に浮かぶのはその事だが、私は明日の朝、何時に起きるかを考え、明日の夕食を何するか、食材を考え、買い物に行かねばと考えを決める。

               第2話 完


 

 

 

 

 


 

 

 

 

 


 


 


 

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