老いの道を歩む。

高騎高令

第1話 ロンドンへ。

                「1」

            「成田からロンドンへ」


 成田を飛び立ったKLMオランダ航空、KL0862便は、乗り継ぎ地、オランダ・スキポール空港に1時間近く遅れて到着した。

 英国、ロンドン・ヒースローへの乗り継ぎ便への時間は、もう数十分の間しかない、到着口から、手荷物を抱え、殆ど駆け足で、次の搭乗口へ私は、乗り遅れの不安を覚えながら通路をたどった。空港内のアナウンスが、乗り継ぎ便の搭乗受付を知らせている。

 老いと共に、訪れた変形性膝関節症は、こんな時に否応なく、踏み出す足の膝に神経を集中させる。

 「いてーな・・・・」思わず口の中で愚痴りながら、時間遅れで到着したKL0862便を呪い、幾ら費用を抑えた今回の旅行と思いながらも、矢張り高くても直行便にすべきだったなと、年金生活を思いやる。

 乗り継ぎのKL1023便のエコノミーシートに落ち着いて、ほっとしながら、出来るだけ費用を落とせる分を、現地で使う費用に回そうと、ネットで検索して選んだフライトだった。

 言葉も満足に理解できるわけではないが、これまでも、単独でネットを利用して海外へ出かけている。

 そんな思いもあって、敢えて時間は掛かるが、割安な運賃に誘惑されて選んだ便だった。

 忙しない思いを抱えて、スキポール空港を後にして、ロンドン・ヒースローへは短時間で到着した。

 5度目のヒースロー空港、とは言え勝手知ったるとまではいかない、ランディングから到着、機内を離れるまでシートベルトで固定され、エコノミー症候群防止のためかどうか、過剰なサービスと言うわけでもあるまい、東京からアムス・スキポールまでジュースや冷水のサービスをたびたび受けたので、膀胱が満杯で、我慢をしていたため、先ず開放感を味わうべく空港のトイレへ駆け込む、用を達して入国審査の列に並ぶ。

 海外旅行で、いつもこれが無ければと思うのは、長い列に並ばなければならないということだ。

 入国者のパスポートチェックで、列の前の方に失礼だがアラブ系の入国者がいると、チェックが長引きやすく、誰からともなく「チェッ」と舌打ちが漏れる。

 やっと自分の番が来て、簡単にパスポートを開き、ちらっと写真と本人の顔とを見比べ、殆ど投げやりと言う感じで、「パーン」とスタンプを押して、つーっと窓口に滑らせてパスポートを返すのを受け取り、預けたスーツケースを引き取りに、到着便名の標識を確認し、荷物受け取り場へ足を向けたが、トイレやパスポートチェックの長い列に並んだりして、30分ほどもかかったので、すでに回転ローラーは止まっていて、自分のスーツケースは勿論、他の荷物もきれいになく無くなっていた。

 まさか、他人がと不安を覚えながら、不自由な言葉で、係員に訪ねねばとオフィスらしき方に目を泳がせると、その壁際に見慣れたスーツケースが置かれていた。

 やれやれ、歳は摂りたくないものだと思いながらスーツケースを引き取り、税関の手荷物カウンターへ足を運ぶ。

 「旅行の目的は・・・・・・・・」と多分、係の黒人女性は尋ねたんだと思うが、何しろ相手は早口で、繰り返しのようにカウンターを通過する入国者に訪ねているんだろう。当たり前の日常茶飯事の質問なんだろう。

 「えっつ」と思わず聞き返し、多分そうだろうと「サイト シーイング、観光だ」と答えた。

 どうも、違う質問だったようだが、すでに何十人、いや、何百人かもしれない旅行者の荷物チェックをしてきたのだろう、特に怪しくなければ、面倒くさくて老人の一人旅の私にかかずらってもいられないと思ったのだろう、どうでもいいと手をひらひら振って行けと合図した。

 取り敢えず貨幣交換の窓口で、当座の現金を交換し、ヒースローエキスプレスを利用すべく、標識を探した。

 幸いにもKLM便発着は第4ターミナルに有ったので、この前、JAL機できた時も同じターミナルだったと思い、地下からエクスプレスに乗れると、記憶にある場所に目を走らせた。老いても、まだ記憶は薄れていないと思ったが、実際には、ターミナル4からは、ヒースローエクスプレスは出ていない。

 ターミナル4からターミナル5まで、シャトル便が15分毎に出ているので、ターミナル4の券売機で乗車切符を買い求め、エキスプレスに乗り込めば、ベルトコンベアーで運ばれるように15分でパデイントン駅に到着した。

 途中、汚れの目立つ車窓から、どんどん後ろへ流れ去るロンドン郊外の景色を目にしながら、差し当たってホテル到着後どうするか思いめぐらした。

 到着したパデイントン駅は、前回訪れた時、改修工事中だったと思い出し、すっかり到着ロビーが広くなり、明るく、頭の上にのしかかるように2階の張り出しが亡くなって、隣接したヒルトンホテルへの入り口も新しくなっていた。

 ロビーの中央を陣取るように回転寿司のカウンターが新設され、日本文化の表れだと思いながら、回転カウンターに向かって、ストールに腰かける何人かの客の様子を眺めた。

 駅前道路へ、少し傾斜のある通路を、カートに括り付けたスーツケースを引きずり、あらかじめ予約の時に地図をプリントしたので、改めて目にすることも無く、大方の見当が分かるので、直ぐ目の前のロンドンストリートを、ハイドパーク方面へ、ユーストン方面への駅前のパレードストリートを横切って足を進めた。

 駅前の道路わきには、レストランやコンビニエンスストア、雑貨店などが軒を並べ、何かとコンビニエンスかと思い、今回選んだB/Bホテルの立地に満足した。


                 「2」

               「ホテルへ」

 

最初の区画を過ぎると、直ぐ道路の左手に、植え込みの中央分離帯がある道が真っすぐに伸びて、その片側に西洋長屋のような、白塗りの5階建てのアパートのような建物がずーっと繋がって、それが1軒、或いは2軒繋がってB/Bホテルになっているようだった。

 メインの道路から、大方は直角に中央に小公園のような植え込みのある分離帯を設けたコの字型のスクエアが有って、そのコの字型の道路に面して白い建物が軒を連ねている。目的のB/Bはそのノーフォークスクエアに面しているので、駅からものの3分もかからなかった。

 建物は道路から直接立ち上がって居る訳ではなく、中地下階へ直接通ずる階段が堀のように有って、錬鉄の柵で仕切ってあり、地下は使用人部屋や倉庫、或いはキッチンとして使われた名残だ。建物への入り口は堀を跨いで渡る石段の橋が設けてある。

 3~4段の石段を登って入り口の、開閉発条のきついガラスドアを押し開けた。

 入り口直ぐ左手に狭いロビーとフロントカウンターが私を迎えた。

 アルバイトなのだろうか、女子学生のような女性が、にこやかに無言で私を迎えた。

 ジャケットの内ポケットからパスポートを引き出し、私は、彼女に手渡した。

 「ウエルカム、ここにサインしてください」そんな意味の英語で迎えられたのだろう。私は、差し出された宿泊約款などがプリントされた紙に、ローマ字でサインし、予約と同時に、2泊分のルームチャージを先払いしてあるので、その確認をチェックした。

 予約の部屋は、カウンターのすぐ脇の短い廊下の中ほどに上階への階段が有り、階段途中の突き当り踊り場と思しきところにドアが見え、其処が中2階の私の部屋のようだった。上階の階段と、互い違いに中地下への階段も下に伸びていた。

 地下は食堂になっているらしい。そう言えば、受付の女性が、朝食は朝7時からで、昼と夜は提供していないようなことを言っていた。まあ、肝心な事だけわかってりゃあいいかと、私は渡された鍵で、踊り場に面した木のドアを押し開けた。

 部屋は3畳ほどの広さで、明り取りにもなる4角な、日本なら壺庭とも言える吹き抜けの空間が有り、四角な窓が切ってあった。

 窓に添えるようにシングルのベッドがあり、入り口ドアの右手の壁に沿って、洗面所とシャワー室とがあった。

 スーツケースと街歩き等のため、カメラや案内書、地図や小物を入れるためのショルダーバッグをベッド際に置き、洗面所のドアを開き、狭い場所に便器とカーテンで仕切ったシャワーコーナーを目にし、「まあ、安いんだからいいか・・・」

 早速、今夜はどこかで晩飯を取らなければと、これまで同様に、時差ボケもほとんど感じないので、スーツケースを開いて、必要な小物を出し、ベッドわきのデスクに並べ、ジャケットとパーカーを壁のハンガーに掛けた。

 明日は予約してあるABISのレンタカーで出かけるため、マーブルアーチの近くの営業所まで、徒歩で何分かかるか一応確かめてと、老人臭く考え、近くに駐車場の確保もして置かねばと、そう言えば、ロンドン市街の中心部に車を乗り入れるには、通行税みたいなものを払わねばならなくなったと思い出した。

 明日、ABISで手配すればいいかと自分を納得させ、まだ明るい外へ出た。


 周辺地図をあらかじめ頭に入れ、サセックスガーデンからハイドパークへ向かって歩いた。

 目的の場所へはハイドパークの縁を走る、ベイズウオーターロードを迷わず行くのが早道だ。

 ハイドパークの緑に、気を誘われたが、そのままひっきりなしに車が行き交う道を歩いた。

 ハイドパークの端と言うか、スピーカーズコーナーのある広場に至ると、カンバーランドホテルの前に、マーブルアーチの由来のアーチが目に入った。左手からのエッジウエアーロードとの広い交差点を渡り、その先は賑やかなオックスフォードロードになる。

 道路に沿ったファッショナブルな商店や、マークスペンサー、セルフリッジのショウウインドウに惹かれながら、敢えて信号で、広い道路を反対側に渡り、ローラ・アシュレーの角を曲がった。

 差して高いビルではないが、古いビルとビルの間に囲まれた、複雑な横丁と言う感じの迷いそうな道をたどって、ABISの営業所を確認した。一方通行路なども組み込まれているので、実際に車で往復するのは厄介だなと思いながら、私は再び表通りのオックスフォード・ストリートへ出た。

 ロンドン市街の込み入った横丁などを歩くと、まるで亀頭のようなのや四角の杭のようなボラード(車止め?)が行く手を遮るように立っている。

 この通りは、東京の銀座通りのように、何軒ものデパートが並んでいて、華やかな雰囲気を醸していた。

 2年後に迫るロンドンオリンピックの準備か、そんな幾つものビルの間に、櫛の歯が抜けたように、ぽかっと穴が開いて、建築工事中の囲いなどが目についた。

 2年後のオリンピックに、果たして再び来れるだろうか、自分の老いを感じ、ふと、足を止めてそんな工事囲いの表示に目をやる。

 マーブルアーチの交差点を、エッジロード側へ渉るため、オデオンの前へ出ると、その先の交差点、以前利用したハーツレンタカーの営業所の向かい側辺りで、何やら大勢の人混みがもつれて、怒鳴りあっているのか、物騒なので信号が変わったので、私はその方を振り返りながら、広い交差点を渡りハーツの営業所の角を曲がった。

 向こう側の一帯は、アラブ系の人達が多く住んでいるようで、何となく雰囲気に不安を感じた。2005年、日本なら七夕の7月7日、地下鉄の路線内3か所で車両の爆発があり、同時に、大英博物館近くのタビストック・スクエア付近を走る、ダブルデッカーバス爆破の同時テロ事件を思い浮かべた。

 地下鉄では、サークルラインのリバプール・ストリートとアルドゲイト間、同じラインのエッジウエアロードとパデイントン駅間、さらにピカデリーラインのキングスクロス・セント・パンクラスとラッセルスクエア間とで車両が爆破された

 この一帯に住んでいるアラブ系住民を、疑いの目で見る訳ではないが、何となくあまりお近づきになりたくないと言う雰囲気だ。

 このテロの後、街の要所要所には、監視カメラが取り付けられ、厳重な警戒網が敷かれている。以前は治安の良い都市だと思っていたが、不安を覚える。


[3]

 「道連れ」

 

 出の悪いシャワーで、イラつきながら、日本から抱えてきた、時差も加えた冴え冴えとした気分を洗い流し、ベッドに横になれば、途中1度くらい尿意を催して起き、あとは朝まで眠る。殆ど時差ボケで眠れなかったり、ぼんやりすると言うことはこれまで経験したことは無かった。

 朝、起きれば、もう、その地の時間に体も気分も適応して行動を起こす。目覚めて首肩の凝りを覚えても、それは時差によるものでなく、老いのなせる業だ。

 手の指が強張るのも、医者は加齢によるもので、一寸マッサージでもすれば治るよ、なんて事もなげに言っていたが、「何だい、加齢って病気かい」などと混ぜっ返していたが、血流がスムーズじゃあないんだろう。そんなことを自分で納得させながら、手指を片方ずつマッサージして、指を握ったり開いたりした。それが寝起きの習慣になっていた。

 ヒースローに到着した時点で、すでに腕の時計は現地時間に合わせてあった。

 自宅にいれば、寝起きは先ずトイレへ行って用を足し、寝ている間に、口を開けて呼吸していたのか、老いを感じるようになってから、寝起きは口が乾き、喉に痰が絡まっているのを感じ、いつもは嗽をして口中を、一応それなりにすっきりさせる。何時もならそのまま朝食を摂り、朝食後、歯を磨き、髭を剃り、熱いタオルで顔をぬぐって一日を始めるのだが、旅先ではそうもいかない。

 朝食は、一人で部屋で摂る訳じゃない。他人のいる中で食事をするのだから、それなりに身嗜みは整えて行かねばならない。

 それで無くとも、老人はむさ苦しく見られる。そんな思いで、狭い洗面所で洗顔、歯磨きと朝のセレモニーを終え、時計を改める。すでに朝の7時を回っていた。食事の時間が始まっている。

 シテイーホテルに居る訳じゃないので、食堂へおりるのにジャケットにネクタイの身嗜みはしないが、見苦しくないようポロシャツに着替えて部屋を出た。

 地下への階段を下りると、目の前に食堂の入り口が開いていて、香ばしいトーストとコーヒーの香りと同時に、食器の触れ合う音、様々な言語だと思う、ごっちゃになった人の声が開いたドアから飛び出してくる。

 差して広くはない食堂の部屋は、五分かたテーブルが塞がって、一人で口を動かしている者、夫婦らしいカップル、幼い子供連れと言うのは無かった。一応に皆、旅慣れた旅行者と言う雰囲気だった。

 新しい参入者の私に、気を遣う者も居ず。私は、ざっと各テーブルを見渡し、入り口に近い二人用のテーブルに着いた。

 食事は部屋の右手、厨房からの入り口の壁に沿って、長方形のボードの上に、コーヒーポットや紅茶のポット、オレンジ、グレープフルーツ他のジュースのソーサーにミルク、カットしたフルーツ、ブルーベリー、マーマレード、イチゴなど幾つかのジャムの瓶がおかれていて、同じ種類のジャムが何個か置かれている。

 はてと思って食事中のテーブルを見ると、どうやらそれぞれ好みのジャムを瓶毎自分のテーブルへ持って行っている。

 なるほど、リーズナブルだ。私はグレープフルーツのジュースをグラスに注ぎ、コーヒーを選びテーブルに持ち帰って、マーマレードの瓶を選んだ。

 「ホワイト オア ブラウン」従業員の女性が早口でテーブルの傍らに立って言う。最初は何を言っているのか聞き取れず、「えっつ」と聞き返す。

 「ホワイト、ブラウン」言いながら腕に抱えている籠を傾けて、籠の中身を見せる。

 なあんだ、トーストの白いのがいいのか、ライムギパンなのかどうかともかく、茶色のパンがいいのかと聞いているのだと判断し、「ブラウン」と答えて手を挙げて二本の指を立てた。

 「済みません、日本の方でしょうか」と、従業員が籠の中からトーストをトングで挟んで、皿にのせてくれたのに気を取られていると、耳元で声が掛けられた。

 「えっつ、はい」と顔をあげて、声の主を見ると、私よりは幾らか若そうな老女、いや老婦人と言った方がいいのかな、が腰を屈めて遠慮がちに立っていた。

 「同席させて頂いていいでしょうか・・・・・・・」と少し頬を和らげて言った。

 「えっつ、はい、かまいませんよ一人ですから」と、私は、目でテーブルの向こう側を示した。

 「失礼します」軽く一礼して彼女は自分で椅子を引くと座った。

 「セルフサービスなの・・・・・」ちょっと首を傾げて、私の前に揃った食品に目を走らせて聞いた。

 「ええ、ジュースやコーヒーなどは・・・・・・」と私は、部屋の端のくの字に置かれた、ボードにちらと顎を向けた。

 「何がいいかしら・・・・」それは私に聞いたのではなく、普段の彼女自身が朝の食事に何を食べているか、唯、それを自身で確認しているようなつぶやきだった。

 「和食は無いですよ」余計な事だったが、私は冗談を言って、見ず知らずの婦人から同席を頼まれた照れを隠すためだった。

 思いも寄らないことで、唯、相手が私より、少し年齢が若いのかな、と見えたので余り躊躇することも無かった。旅先では似たようなことが良くあるもんだ。

 「じゃあ・・・・・」と私の冗談に、一応頬を緩めて、椅子をずらして立ち上がった。部屋の隅のサービスボードに行く彼女の後姿を私は目で追った。

 身長は160センチを僅か超えた位だろうか、チェックのズボンの足元を見た時、一寸、右脚が軽く跛行気味に見えた。

 それは長年スポーツ馬術に関わり、若いころは選手として競技に参加したり、競技ジャッジとして多くの選手や、特に馬の歩く足元を注意して見てきたので、つい、人の歩く足元にも目が行ってしまう。

 藤色の襟のあるシャツの上に、薄い青鼠色の、カシュミアだろうかカーデガンを羽織っている。

 サービスボードの前で、あれこれ逡巡しているのを目で追い、私は、同席者が向かいの椅子に座るまで、一応待ってやるべきかと、トーストにバターを塗ろうとした手を停めて、グレープフルーツジュースを一口飲んだ。

 彼女は先ず自分の好みの飲み物と、フルーツを乗せた皿を両手で持ってきて、それらをテーブルに置くと、また戻って、紅茶とイチゴのジャムを取ってきた。

 それらをテーブルに並べると、気恥ずかし気に自分の食欲を、私がどう感じるかを気遣うような眼をした。

 お互いに、朝から食欲があると言うことは、年齢から言っても健康な証拠だと私は思った。

 従業員がテーブルに来て、私に聞いたの同じように訪ね、彼女はブラウンを二切れ貰った。

 「私、いつも朝はしっかり食べるんです・・・・・・・・」自分の前に並べたものをさっと目で更って恥じらうしぐさをした。気分が若いんだなと、私は好感を感じた。

 このホテルの朝の定番なんだろう、フランクソーセージにベーコンエッグ、それに煮豆が付いているのを運ばれてきた。

 「私も、朝はしっかり食べていますよ、早朝から出かけたりしない限り、朝食は抜いた事ありませんね。早朝でも出来るだけ食べるようにしています」

 「そうですね・・・・・・・・、食べられるって言うのは健康な証拠ですもんね」笑顔で頷きあった。

 「何時までこちらに・・・・・・・・・」と彼女、「はい、昨日から中5日ほどです」

 「それで、貴方は・・・・・・・・・」「私はあと3日で帰ります」と残念そうに言った。

 「そうなんですか、それはそれは、時間はあっという間ですもんね」相槌を打つように彼女は頷いて「一人旅でしたから、昨日まで、一人の朝食でしたよ、一人旅の気安さもありましたが、矢張り何となくね・・・・・・・」顎を引いて同意を求めるように言った。初対面の私に声を掛けた言い訳のつもりかもしれない。

 老女の一人旅、しかもパックツアーなどで無く、フリーと言う事は。自分ですべて手配したのだろう。私なんかより女でも旅慣れているのかもしれない。

 「お仕事じゃあ無いようですね」「ええ、フリーです。今日は土曜ですので、ポロの競技を見に行くつもりなんです。5月から9月がシーズンなんですよ」良かったら一緒でもいいですよと、そんな思いも含めて答えた。道連れが有ればレンタカーでの道中も気が紛れるだろう。

 「まあ、ポロ、と言うと、あの、馬で・・・・・・・」「ええ、そうです。見ているだけでエキサイトしますよ、いかがです・・・・・・」と誘いを口にした。

 カットしたソーセージを口に運ぼうとしたフォークを宙で止めて、「あら、有難うございます。今日は、キューガーデンへ行くことにしているの」と、誘いを断るとでも謂う返事とも、強く誘えば同行しても良いと言うニュアンスも含まれているのか、若くもない私には一寸判断しかねた。

 強く誘ってみるか、と一瞬思ったが、若くもないのに、今更旅のアヴァンチュールでも期待しているのか、そんな気恥ずかしさが沸いた。老いはすぐに「もう、若くもないのに・・・・・」と言う意識が浮かび上がる。

 いや、老いて居るから、もうそんな気恥ずかしさなど関係無い、そんな気持ちが動くのは未だ若さが有るからだとも意識する。

 「そうですか、随分広いところだそうだから一日がかりですね、そうねえ、ポロって、面白いのですか」

 「ええ、キングオブスポーツ(King of Sports)と言うくらいですから、白いボールを追って、馬が疾走し、それを邪魔して馬をぶつけ合ったり、なんとも勇壮な気分になりますね。

 ボールを捉えてヒットする瞬間なんか、見ている方も興奮します」と、私は、ゲームを思い描いて答えた。

 髪の分け目に白いものが目立つが、旅行先だから染めていないのか、ふと会話には関係ないが、私は彼女は見た目より歳が行ってるのじゃないかと考えた。

 「面白そうですね。ラルフ・ローレンなんかポロの・・・・・・・・」

 「ああ、そうですね。多分、創始者がポロに堪能だったんでしょうね」

 ちょっと言葉が途切れ、互いに食事に専念した。

 

                 「4」

               「ドライブ」

 結局、オプションを変更して、彼女は同行することになった。

私はラークのショルダーバッグに、2台のカメラと、旅行案内書と、A~Zの英国地図から、あらかじめドライブしようと計画した目的地への地図をコピーしてきたものとを納めて部屋を出た。A~Zの地図はA3くらいの大きさなので、いちいち持ち歩くのには厄介だ。

 部屋とホテル玄関の鍵はセットで、滞在中持たされて居て、夜間遅くなった場合は、玄関のドアは鍵がかかっているので、自分の家に入るように、持たされた鍵で開けて入らねばならない。

 部屋を出てフロントへ階段を下りると、広くもないロビーの窓際の椅子から、朝食を一緒にした老女が立ち上がって、一寸きまり悪げに「済みません、ご一緒させてください」と頭を下げて来た。

 「ああ、いいですよ、でも、キューガーデンの方はどうしたんです」

 「オプションを変更してもらって、明日にしたんです。済みません、気紛れ者みたいで・・・・・・・」

 「いや、構いませんよ、どうせ車ですから、一人も二人も関係ないです」

 「じゃあ、レンタカーの営業所まで歩きますので、いいですか」

 「ええ、お供します」私たちは、フロントの係の女性が見送る中、連れだってホテルを出た。

 「そう言えば、まだお名前も伺ってませんでしたね。私は佐々木です。78になります」とちょっと帽子の鍔に手を掛けて言った。

 「あら、そうでした。どうも歳を摂ると気が付きませんで・・・・・・、倉橋と言います。67歳です」

 「お若いですね、いえ、御歳のわりにと言う事ですが・・・・・」

 「あら、そちら様こそ、お若く見えますよ」と彼女は声をあげて笑った。

 「そうでしょうか、親父は69で逝きましたが、はるかに超えました」

 「~と、ご両親は、もう・・・・・・・」「ええ、二人とももう居ません」

 未だに戦火の跡の残る燻んだ建物や、西洋長屋のようなアパート群の有る道をマーブルアーチ方面へ、二人は歩いた。

 通りすがりの建物などから、オフィスへの出勤か、急ぎ足で出てくると、私らを追い越して地下鉄駅の方へ消えて行く。

 道々、結局、二人はごく簡単な身の上話のような会話をすることになった。

 私は、どちらかと言うと、故障がちで、医者や病院通いが多かった妻に対して、殆ど医者に掛からずに来たご褒美みたいなもので、気ままな一人旅で、妻は娘に預けて来た。

 彼女は、昨年秋に夫を亡くして、独り身の気軽さから、国内外の旅行を楽しんでいるとのことだった。

 旅行会社のツアーや、グループの旅行などにも参加して来たが、グループ旅行は、同行者との気を合わせるのが一寸煩わしい時もあって、専ら一人旅を楽しむことにしているとのことだ。

 「では、今日は、私と一緒で宜しんですか・・・・・・・」一寸意地悪めいたが言ってみた。

 「ええ、ホテルでは日本人は私たちだけのようでしたし、お見受けして・・・」と語尾を濁した。

 「危ない男かもしれませんよ」「そんな、ご冗談を」若い女性のように華やかに笑った。

 互いに歳を摂った二人、自惚れではないが、自分が見た目には、おかしなことをするようには見えないのだろう。

 危険人物ではない、言い換えればお人よしに見えるのだろうか、一寸、不満を感じた。

 彼女も、還暦を過ぎた老女と言っても、最近の女性は、肌の手入れや化粧も上手なので、見た目で年齢を感じさせない。

 私も、自慢ではないが、長年、乗馬で鍛えたので、背中も丸く成って居ず。何時も腰を伸ばしていた。

 朝の寝起きに腰が痛むが、普段の歩行は、腰を伸ばして歩いた方が痛みが来ないから、他人からはいつも姿勢がいいですね、と言われると妻が言っている。

 

 ABISの営業所で、予めネットで予約し、クレジットで基本料金は払い込んであるので、プリントアップして来た書類を提示して簡単に手続きを済ませた。

 「車はあれです」と係の若い男に案内され、一通り赤いプジョーの外観を示され、きれいに洗車され、傷が無い車体を確認させられた。

 「オーケー、ノープロブレム」私がロンドン中心街の、混雑緩和のために設けた、コンジェションチャージ(Congestion Charge)のことを訪ねたのだが、後で分かったことだが、私の言葉が足りなかったのか、片言英語なので相手が勘違いかはわからないが、レンタカーの料金の中に、それも含まれていて、「ノー プロブレム」と答えたのだと私は思った。

 エービスの営業所を出て、込み入った一方通行の道からオックスフォード通りへ出てマーブルアーチ交差点を直進、ハイドパークの縁を通るベイズウオーター・ロードをそのまま走らせた。

 ロイヤルランカスターホテルの手前から、ハイドパークを横断する道路に折れた。広い公園内は、木々もさることながら、馬道も有り、ロイヤルランカスターホテルの近く、サセックスガーデンズには、古い厩舎を改造したフラットが有り、その一角に今でも数頭の馬を係留しているハイドパーク・ステーブルも有る。早朝など、その馬道を走る騎馬を見かけることが有る。

 公園内を横断する道は、園内中央部分に横長に横たわる池、サーペンタイン湖とロング・ウオーターとをサーペンタイン橋が分けており、その橋を渡り公園を抜けて、グレートウエストロード、ルートM4に乗るべく走らせた。

 アールズコートからハマースミスへ、複雑なインターチェンジで、フライオーヴァー(HAMMAERSMITH FLYOVER)なんて言う名称がついた道で、何本かの幹線道路などを高架で横断する。

 その先、チズウイックでも戸惑いそうなチェンジが有り、何とかルートM4へ進んだ。中心街を抜けると、車窓から沿線の個人住宅など、1本の煙突や2本煙突の建物、自動車道側に猫の額ほどの裏庭を持った戸建ての受託などが、点々と続き、広いグランドを持った学校などが、走る車の後ろへ流れて行った。

 ロンドン市街の住宅は、狭い土地柄から、殆どが4階から5階建てのアパート長屋で、庭を持つなんてスペースも無い、仕方なく、アパートの住人同士金を出し合って、スクエアの一画にプライベートガーデンなどを設けている。柵を巡らして入り口には鍵が付いている。ピカデリーサーカスの繁華街の通りに面しても、そんなプライベートガーデンの一画が緑を提供している。ロンドン子はガーデニングが好きなんだ。日本人の盆栽などと違って、庭木の低木などを剪定して、動物や鳥などの形に刈り込んだトピアリーなども見られる。

 道は一般道から自動車専用道へ、車の流れは速く、日本と同様、左側通行なので、流れに乗ることは難しくない。

 「「運転は慣れてらっしゃるの・・・・・・・・」「ええ、まあ」初めてアメリカへ行った時、片側4車線のバイパスを、ボンネットカバーも無い車が脇を追い越して行ったり、路肩に故障車か放置された車を何台も目にし、流石車大国、と変に感心したものだった。

 このロンドンでは、そんな光景は目にしていない、時代ももう違うかもしれないが、英国人は倹しいお国柄なんだと一人納得した。

 ルートM4を、ウエストドライトンでM25へ、ヒースロー空港の傍を通る。前に慣れているので、車が交差するラウンドアバウトでまごつかずに合流した。

 込み入った道なので、気を付けて地方幹線道路A30へ一旦降りて、エガム(EGHAM)の街へ向かった。

 「さっきから、地図も確かめず、良く道をご存じですのね」

 「ええ、一応事前に地図を確かめてますし、さっきの大きなインターチェンジも覚えてましたし、この辺りは、リザーブとか言う貯水池などが多いんです。そんな記憶も残ってます。

 それに、道路に番号や名前がついているので、その標識も目当てになりますから、滅多に迷いません」その点は日本の地方道路よりは親切だ。

  浅い雑木林に挟まれた道は、その背景の、なだらかな起伏のある農場や、白い塊のような羊が散らばる牧場が広がるのに連れて、曲がりくねり緩やかな上り下りが有り、エガムの街に入っても、疎らな住宅が丈の高い垣に囲まれ、殆どが平屋で、目立つような屋敷は見られなかった。

 鉄平石を重ねたような垣で、大規模な幾何学模様のように区切られた牧草地や農場、その起伏の陰に一業の木立に囲まれた、屋根に煙突を持つ家屋などが散見される。牧場には、白い塊のような羊や、馬なども見られる。

 エガムの街に入っても、街と言うより、村と言う方が当たっているかもしれない、小さな住宅が連なっているのでなく、木立に囲まれた住宅が、木の間隠れに見えるだけだった。屋根に煙突が二本も三本も見えるのは、それだけ大きな家なんだとわかる。

 幹線道路A30から、記憶に有るウエントワース・ホテルの先を、右に折れブラックネストロードA329の標識に従う。



「5」

            「ポロクラブから」


 ポロゲームは、大体、スポンサーが付いて行われる。従って、昼食を兼ねてスポンサー主催のパーテイーが有って、ゲームはその後に行われる。

 時間はたっぷりあるので、取り敢えず、私はポロクラブの近くに有る大きな池、ヴァージニア・ウオーターに面した芝地に立ち寄った。

 天気が良いので、子供連れの夫婦や、フリスビーに興ずる若者達の姿が有った。

 「時間が早いので、少しゆっくりしましょう」道路から池への傾斜の有る芝地に入って車を停め、私はエンジンを切った。

 「お天気が良くて、気持ちいいですね。ロンドンと言うと、何となくどんよりと曇った日、と言う感じが有るんですけど・・・・・・」と彼女はドアを押し開けて、外気を大きく吸い込んだ。まるで若い娘のような感じだった。

 「そうですね。ロンドンは1日のうちに四季が有る、と言いますから、急に曇って雨が降ってくることも有りますよ、そうなると真夏でも寒くなります」

 「サリーマンのきつく巻いた蝙蝠傘が必要だと言う事なんでしょうね」

 「そうですね。ロンドンと言うと、そんなイメージが有りますね」

 私は車から降りると、水辺近くまで足を運び、適当な小石を拾うと、体を斜めに傾けて、アンダースローで池面に向かって小石を投げた。

 小石は、上手に水面に弾んで、とんとんとんと撥ねを挙げて飛んでどぼっと沈んだ。

 大きな水面を見ると、つい、小石を投げて水切りをやってみたくなる。子供の頃からやって来た。何段も水面で小石が弾むといい気分になるから不思議だ。

 最後は小刻みにいくつか弾んでポトンと沈んで行く。

 「お上手・・・・・・」

 「ああ、いや、つい水面を見るとやってみたくなるんですね」

 「男の人って、同じようなんですね。夫も同じでした」遅れて車を降りてきた彼女は笑いながら軽く手を叩いた。

 

 黄ばんだ芝の上に腰を落とすと、私は膝を立てて、両手を組んで膝を抱えるようにした。

 「やっこらしょ・・・・・」彼女もごく自然に隣に腰を下ろした。

 「やはり、腰を下ろすときに掛け声が出ますね」

 「あら、そうでしたか、無意識なんですね。歳を摂ると・・・・・、いやですね」二人して腰を下ろしていると、まるで散歩中の老夫婦と言う感じに思えた。

 何となく面はゆく私は、座ったまま、その辺にあった小石を拾ってまた池へ投げた。

 「お仕事は何をなさっていたんですか」

 「雑貨の卸問屋をやっていたんですけどね、世の中の進歩で続けられなくなったんですよ。利の薄い商売でしたから、中間業者はだんだん立ち行かなくなって、街の小売店が、大型スーパーの進出などで、廃業に追い込まれるのと変わりませんね」何となく自嘲めいて聞こえるので、私は顔を揚げて苦笑いを浮かべた。

 改めて、新しい仕事を始めるには、もう年齢が厳しいと、自分を甘やかし、安易な道を選んだことを、何かにつけて後悔を覚えるが、歳だから、今更新しい仕事で苦労するには自信が無かった。

 「倉橋さんは、何かなさっているんですか」

 「私、これでも看護婦なんですよ、ああ、今は看護師と呼びますが、最近は男性の看護師も居るので、看護師と呼ぶようになったんですよ」

 「なるほど」何となく彼女から伝わってくる清潔感が、その為だったんだと納得した。

 「なかなか休暇が取れないんですが、取れた時は、気分転換にこうして旅行しているんです」夫を亡くしたと言う寂しさが言葉尻に現れた。 

 朝食のテーブルでの会話から、何となく誘ったのは、多分に話の行き掛かり上と、同時に、幾分か旅先のアヴァンチュールと言う微かな思いもあった。

 だが、実際に二人してこうしてドライブしてくると、この先どうするか私には計画も考えも無かった。この旅行の一つの目的は、先ずポロゲームを見て、時間の許す範囲で、ポロクラブのあるウインザーから周辺へのドライブを考えていた。

 特別に何処へ行くと言う目的がある訳ではなかった。以前にも訪れたコッツオルズ地方の町や村で、もう少しゆったり時間を掛けて過ごしてみたい、そんな漠然としたことを考えていた。

 今こうして、今朝まで、全く見ず知らずの老女とは言え、私より若い女性と二人きりでのドライブ、彼女をどう扱ったらいいのか、彼女は夫を亡くした謂わば未亡人、自分は妻子の有る身。

 微かな漣の有る池面を眺めていると、若くもないのに、何となく息苦しくなり、我ながら苦い笑いが胸の内にわいて来た。

 「行きましょうか、ポロは午後からですので、途中で食事をしてからにしましょう」私は片手を地に突いて立ち上がり、ズボンに着いた枯草やほこりを払った。

 座った姿勢から立ち上がるのに、つい声を出したり、物に手を突いて支えにしなければ、すんなりと立ち上がれなくなっていた。

 「歳は摂りたくないですね」


車に戻り、来た道を戻って、以前にも利用した道路脇の一段低くなったところに有る、ビーフィーターの看板が立っているレストランで昼食を摂った。

 赤に金糸の筋が入ったヨーマンウォーダーの姿は、遠くからも良く目立つのだ。

 ヨーマンウォーダーとは、国王の命によって、ことある時には独立自警農民兵として戦に参加する、誇り高い親衛隊で、通称ビーフィーターと呼ばれているそうだ。ジンのブランド名だ。物の辞書によると、ロンドン塔の衛兵を呼称するとか。

 程よい時間を過ごして、再び車を走らせ、ブラックネストゲートから、エジンバラ公の要請によって開設されたガーズポロクラブの、広大なフィールドへ入った。

 雑木林に囲まれた未舗装の道を入ると、突然に前方が大きく開けて、右手に質素なクラブハウスとロイヤルボックスの有るスタンドと、メインのポログランドがあり、左手には、奥の森林が壁になるまで芝地が広がり、メイングランドとを二つに分けるように車道が奥まで続いている。

 この日のスケジュールを確かめてこなかったので、何の試合があるのかわからなかったが、既にスタンドは埋まっていて、試合前のリセプションも終わって、グランドでは、両チームのプレーヤーの紹介がなされていた。

 クラブハウスの前に、コメンテーターの櫓が有って、試合開始前から、プレーヤーや観客を煽るように、声高なアナウンスがガンガン流れていた。

 駐車係の指示に従って、駐車料を払い、通路の奥にレンタカーを停め車を降りた。丁度試合が始まったようで「プー」と、単音のラッパが鳴って、どっと乱れた蹄の音と、「カーン」と言うボールをヒットする音、全速力でボールを追うプレーヤー、蹄の音、煽るコメンテーターのアナウンス、観客の歓声がどっと一度に沸き上がり、私たちは芝に足を摂られないように、スタンド側とは反対のフェンスの傍まで近づいた。スタンド以外ならチケットは要らない。フェンス際には、既に何台も車が後ろ向きに停められ、セダンはトランクが開けられ、用意して来たビニールシートなどを車の横に敷いて、バスケットからサンドイッチや何やら料理やワインなどのボトルが並び、食事をしながらの観戦だ。

 ピックアップトラックの荷台でも、観戦がてらの宴会、観客はピクニック気分でやってきている。

 道々、簡単なルールなどを教えていたが、フェンス際で実際に見物すると、一瞬一瞬のプレイの説明が必要だった。

 「女性の悲鳴まで聞こえますね」「ああ、贔屓のプレーヤーや、チームがチャンスを逃したり、ライドオフ(相手プレーヤーの馬に自分の馬を体当たりさせるように押し付けて排除し相手のショットを妨げ、自分がショットする)されたり、そんな時嬌声が上がりますね」猛スピードで相手のプレーヤーと先を争いボールをヒットする。乱れた蹄の音とどっと起こる歓声、何頭もの人馬が入り乱れ、スティックが林立し、転がる白いボールを追って振り下ろされようとする。

 「確かに興奮します、何か叫びたくなる・・・・・・・・」彼女はフェンスの金網を掴むと、ぎゅっと拳を握りしめた。

 エキサイティングな場面と、激走するポニー、マレットを振りかぶり、馬は斜めに体を倒しショットの瞬間、そんなシーンに何枚かシャッターを押した。デジカメはその点便利だ。

 7分のゲームは2対ゼロでシャツに青線の入ったチームがリードした。3分の休憩でポニーを乗り換える。

 「こんな具合にゲームは運ぶんです」「おやりになった事あるんですか」好奇心むき出しと言う顔つきで彼女は聞いた。

 「いいえ、手解きは受けたんですが、日本ではとても」私は否定した。現役の頃、先輩から誘われたが、チームを作ってゲームをするまでには至らなかった。

 その後、バブルの頃に、何とか普及させようと、スタッフの一人として、本場の英国などからプレーヤーを呼んで、デイズニーランドの土地を借りて公開のゲームをやったが、バブルの崩壊でスポンサーもつかず立ち消えになった。今でも残念でならない。

 そんなことで初めて英国を訪れ、このクラブでゲームを目にし、まるでダービーレース開催日のレース場のように、着飾ったレデイーたちが陣取ったスタンドから、服装に似合わない嬌声が上がったりするのに、エキサイトしたゲームは観客を共に興奮の坩堝に投げ込ませると感心したものだった。

 あの頃はまだ若かった。肉体的にも気持ちの上でも、余裕さえあれば、プレーしたかった。そんな思いが、グランドで走り回る人馬を目で追いながら沸き上がって来た。


 2チャッカ(1ピリオド7分から7分半のプレイを1チャッカと言う)が終わってハーフタイムになった所で、私は彼女をおもんばかり、クラブを後にすることにした。

 「折角ですから、ウインザー城や周辺を回ってみましょう」

 「いいんですか、わたしは・・・・・・」と彼女は遠慮したが、明日の方がビッグタイトルのゲームが予定されているようなので、明日、再度来てもいいかと咄嗟に考えていた。

 ポロクラブを後にして、ブラックネストロードをアスコットの街の方へ走らせた。メインの道路に出る脇に大きな墓地などが有った。

 レースが行われていないアスコット競馬場の有る街は、ほとんどの商店や、ブックメーカーのボックスや店はシャッターが下りていて、街の通りは閑散として、白日の下に道路は白けた感じに見えた。

 堂々としたレンガ造りの競馬場の建物も、錬鉄の閉ざされた門扉の格子の間から垣間見えるレース場内部にも人影は見えず、街と同様静まり返っていた。

 遠回りになったが、競馬場の脇を回り込むように、ルートA332へ入り、途中地方道へ進めウインザー城へ向かった。

 しかし、流石週末で天候に恵まれた日、ウインザーの街中は、城を巡って車の渋滞に見舞われた。停めるところも無く細い街中の道を堂々巡りして、遠くから城の尖塔に女王滞在の旗が閃いていないのを確認して街を出た。

 「ごめんなさい。混雑で一寸見物もできなかったですね。何処か行きたいところでもありますか・・・・・・・・・・・」

 「お任せしますわ、此処からならコッツウオルズへも近いのじゃないですか」

 「ええ、道もわかりやすいですからね」ちらと私は腕の時計に目を走らせて答えた。「一寸、時間が半端かな・・・・・・・・・」それには答えず彼女は、貴方に任せたのだからと言う顔つきをした。

 ならば、どうせ車は2日借りている。今晩は、ホテルに頼んで、ホテル前の道路に駐車の権利を持っている従業員が、一晩場所を貸してくれると言うので、遅くなっても大丈夫だと咄嗟に考えた。

 ウインザーの街中を離れ、スラウから道なりにルートM40へ向けて走らせた。取り敢えずオックスフォードへ向かうつもりだった。

 なだらかな丘陵と、延々と続く農園と牧場、高い山も見えず、見晴るかす車窓の向こうに点在する一叢の木立に囲まれた農家だろうか、高い建物など目に入らない。

 

 オックスフォードの街は学園都市と言った感じで、街中のメインストリートの周辺には、アカデミックな感じの大学の建物が背丈ほどの高さの石塀に囲まれて何棟も目に入った。屋根の上からは何本もの煙突が並んでいた。

 メインストリートに並行して、分離帯の有る脇の道がコインパーキングとして利用されているので、適当なところに車を停めて、彼女を促して車を降りた。

 街の中心街に当たる十字路の周辺は、商店街としてにぎわっていた。大方が3~4階建てくらいの建物が道の両サイドを占め。抜きん出て高いのは教会の尖塔位だ。

 東京神田神保町のような、学生の街と言う雰囲気ではなかった。確かに神保町のように古書店が軒を並べていると言う事は無かった。

 古い町並みは今も賑わって人通りも結構多い、折から傾きかけた日差しが、一方の建物の上部のガラス窓を輝かせ、日陰になったビルは沈んだように年代を連想させた。

 ただ、店舗の1階部分の正面は、青や赤などに壁や柱などが塗られていて、古い町並みであったが、華やかに見られる。結構人通りも多く、車の往来も繁く、大きな観光バスが、通りを分けるように徐行して行く。

 「結構賑やかですね。一応、オックスフォードと言うと、観光名所とも考えられているからですかね」

 「そうですね、最近はコッツウオルド地方の拠点として、此処を通ってあちこちの街や村へ行くみたいですから」 

 「疲れませんか」何処かで一服してもいいかと思って聞いた。

 「いいえ、大丈夫です。私より佐々木さんの方が、運転で疲れません」何気なく彼女は私の腕に触った。私はその彼女の手の甲を愛撫するように軽く叩いて「いや、大丈夫です」と答えながら、小さな交差点の角に、馬の絵看板があるパブを目に停め、「一寸、喉を潤しましょう」と、自分の腕に置かれた彼女の手を取って、目の高さに四角いのぞき窓が有って、店内のカウンターの一部が見える木製のドアを押して、彼女を先に立てて入った。

 コの字のカウンターには、ビールの銘柄などのエンブレムが付いた陶器製のこん棒のようなハンドルがずらりと並び、頭の上の吊り棚からグラスもずらりとぶら下がっている。

 カウンターには4~5人の、どうやら私らと同じ旅行者が、飲み物のジョッキなどを捧げ、片腕の肘をカウンターに着いたスタイルで談笑しており、カウンターを囲むように、がっしりした木製のテーブルについの椅子がセットされ、その幾つかにも客が居た。

 ビールやアルコール飲料を飲むわけにいかないので、私達はジンジャーエールをカウンター内のバーテンダーに注文した。

 バーテンダーは「あいよ」と言うように頷き、身を屈めると後ろの冷蔵庫からジンジャーエールの瓶を二つ握って出すと、カウンターの縁辺りに、栓抜きが取り付けてあるのか、瓶をカウンターの縁へ交互にぶつけるように線を抜くと、カウンターの上に並べたグラスに両手で同時に注いだ。

 10ポンド紙幣をカウンターに置き、グラスを持って彼女が腰かけているテーブルへ運んだ。

 「ミスター、チェーンジ・・・・・・・」カウンターの上にバーテンダーは握った手を開いて、お釣りのコインを固めて置いた。

 「サンキュー」私は幾ばくかのチップを置いて、小銭をかき集めてポケットへ入れた。

 「済みません、御幾ら・・・・・・・」彼女は」コーチのショルダーバッグを膝の上にあげて聞いた。

 「ああ、いいですよ、このくらい・・・・・・・」私は、グラスの一方を彼女の前に置くと、思い木の椅子を引いて腰を下ろした。

 「じゃあ、デイナーをご馳走さて・・・・・・・・・」彼女はグラスをかざして、同意を求めた。

 「えっつ、ああ、有り難いですね」

 「この後、どっち方面へ向かいます」

 「コッツウオルド地方で、何処かご希望がありますか」逆に聞いてみた。

 「特には無いわ、そう、鄙びたところなら何処でも、お任せ」何となく若い者のような口ぶりで、声音には甘えのような響きが感じられた。先ほどの一寸した触れ合いが、多少の遠慮を消したようだった。

 何んと言っても朝まで互いに見ず知らずの者同士だった。ただ、こうして二人きりでドライブしてきて、当然、相手が何者なのか暗に探り合っていたとも言えるだろう。

 年齢が私の外見に、安心感を与えるものが有るのだろう。旅の行きずりの連れとは言え、お互いの背景は、道中で細切れ程度に聞いて居り。

そう言えば、彼女は看護師だった。多くの患者を世話してきたことだろう。取り繕って居ない人間に直に接触してきたのだろうから、人を見る目は私なんかより鋭いかもしれない。私は、彼女にとって安心できる連れなんだろう。喜んでいいのやら、或いはがっかりするべきなのか、もう人畜無害の年寄りか。

 私は、彼女が夫を亡くし、独り身の身軽さと、寂しさを紛らわすために旅行に、様子からは、結構、海外のあちこちに行っている様子だ。

 身なりや言葉つきしぐさなど、それとなく私も観察してきたが、これと言って気にかかる所は感じられなかった。安心して旅の間は付き合っていけるのではと思っていた。

 

 再び車に戻りオックスフォードを後にし、ルートA40へ車を向け、バーフォードからノースリーチを経由して、こじんまりとしたボートン・オンザ・ウオーターの町へ走らせた。

 街中を流れる幅5~6メータほど、大雨にでも見舞われたら、直ぐ溢れてメイン道路を水浸しにしそうな川を挟んで、何軒かのお店が並んでいる静かな町が、私は好きだった。

 日本の古い町並みや、鄙びた町筋など、昔からのその土地柄に適した歴史ある家並が続き、それなりに目を楽しませるが、私がロンドンの町筋や、郊外の町筋に惹かれるのは、色彩が豊富で、古い町並みにも心躍るような感覚を覚えるからだ。と、言ってもけばけばしい色彩で驚かされるのではなく、街並みの通りに面した店舗の1階部分が、原色に近い色に塗られ、その合間に古びた赤いレンガの建物などが並び、街並み全体が色のバランスが取れていると言う事だ。

 入り口や窓ガラスの他は、ロイヤルグリーンや濃いブルー或いは漆のような光沢のある赤色などに塗られていて、人の足を誘う。

 それで居て、ブテイックや洋品店のショーウインドウのディスプレイが、決して店構えの色彩に負けてはいない。

 軒先に突き出た絵看板、由緒ありそうな男の肖像がだったり、ランタンだったり、ハンギングフラワーの彩。

 流れに沿って、芝の遊歩道がつながり、木陰にはベンチ等が置かれている。

 私たちは、そんなベンチを選んで、川面に向かって腰を下ろすと、時折、背後のメインストリートを通る車の音、子供の甲高い声などが静かな町をより静かに感じさせた。


     

                「6」

              「ホテルにて」


 ロンドン市街へもどる頃は、既に日が落ち、チルターンヒルズからビーコンフィールズ辺りの丘陵地帯を通過していると、殆ど市街の明かりも見えず。ひたすら車を走らせていると言う、何となく心細く気が急く区間だった。

 イーリングの辺りを過ぎると、ようやく前方の黒い森の上に、街明かりがぼーっと空を染めはじめ、市街端の尖塔が目に見えて来て、やっとパデイントンの近くまで戻って来たと、幾らか緊張が解けて来た。

 ウエストロードから市街のエッジウエアロードへ下り、街灯の淡い光に映える白い西洋長屋のホテルは、明かりの見える窓と暗い窓が幾何学模様のように並んでいる。

 ホテルの玄関前で車を停め、先に彼女を下ろし、日本車と同様、右ハンドルなので、道路の右端の分離帯に沿って、少し自分が下車する余裕を取って駐車させた。

 先に下車した彼女は、玄関のドアを押し開けて押さえて待っていてくれた。

 「やあ、済みません。ドアガールですね」「チップを頂かないと」笑いとそんな言葉を交わしながら私は中へ入ると、フロントの受付に目をやり、新しい宿泊客を相手にしている従業員に、目顔で、許可してくれた駐車場に車を停めたと伝え、取り敢えず夕食を一緒にと言う事で、持参したバッグを部屋に置いて行くことにした。

 「お待ちになって居てね。一寸着替えてきますから」「そうですか、私も・・・・・」ポロシャツにブレザーのままの自分を目で示した。

 「ああ、そのままで、堅苦しいところへは行きません」と振り返りながら彼女は更に私の部屋より上の階へ階段を昇って行った。

 彼女の後姿を見送って、階段を登り切った中2階の部屋へ入った。狭い部屋だが、既にベッドも整頓されていた。

 ドライブに持参したバッグだけベッドの上に置くと、私は一寸洗面所の鏡を見て、少しざらついて来た顎のあたりと、頬を掌で名で揚げた。

 「まあいいか・・・・、ファイブシャドーも男の証拠」独り言ちして部屋を出た。階段を下りて広くもないフロントロビーの、窓際に置かれた椅子に腰かけて彼女を待った。


 流石に日が落ちると、街路は空気が冷たく感じられ、ポロシャツにブレザーでは寒いかなと思ったが、コートを羽織るまでもないと、少し背筋を伸ばして気分を引き締めた。

 何んと彼女も紺のブレザーを、パーカーに変えて来て現れた。胸にエンブレムが無くとも、二人してブレザー姿で並ぶと、どこぞのクラブのメンバーとみられるのではと思った。

 二人して自分たちのスタイルに、苦笑いしながら、「若く見えますよ」と、私は彼女に言った。

 「あら、そうかしら・・・・・・・・」と、自分のスタイルを見回して、それでもまんざらでもない表情を見せた。

 木立の多い、中央分離帯のある広い道を横切り、サセックススクエアへ足を進めた。

 この辺りも西洋長屋のアパート棟が並び、ブロックの中には木立の有るプライベートガーデンなども、中庭のように囲われている。

 バリーハウスと言うB&Bの建物に、アーチ状の入り口があり、其処を入ると、昔の厩舎を改造したミューズ(MEWS)と呼ばれるフラットが両側に並んでいるブロックに入り、突き当りには、今でも馬房が使われていて、どうやら獣医師も兼ねた乗馬クラブを運営しているようだった。

 二人が通り抜ける時、馬房の中の暗闇で、人の気配に「ぶるぶる」と鼻を鳴らす馬の鼻息が聞こえた。

 鍵の手になったミューズの通路をまたアーチ状になった所を出ると、突き当りの長屋の一部にレストランがあった。

 ミューズのアーチの入り口角にもレストランが有るが、それらを無視して、彼女はスクエアを通り越して、ハイドパーク側のランカスターホテルの方へ行き、とあるレストランに二人は入った。

 「一人の時、安心して入れたものですから、此処にしてるんです」

 差して広くもない店内だったが、街中のパブとさして変わらないような造りになっていた。

 馬蹄状のカウンターが厨房に続いてあって、大凡、15脚のテーブルと背の真っすぐな木の椅子がセットされていた。

 どうやら店の従業員と顔なじみになっているらしく、笑顔で迎えられて、船の写真やらが掛けられている壁際のテーブルに案内された。

 小太りの年取ったウエイターに、彼女は私の同意を得てから、彼の勧めるオーストラリア産のワインをグラスで注文した。

 「普段も、晩酌などなさるんですか・・・・・・」

 「いえ、家では客でも来ない限り、滅多に飲みませんね」この何年かは、病弱で、家事をあまり出来なくなった妻に代わって、三度の食事の事や、掃除、外回りの用事など、洗濯は洗濯機がやってくれるので、干すだけは妻がやってくれていた。そんな訳で、家で酒を飲む習慣は無かった。

 飲酒はともかく、結局家事を妻に代わってやることになり、行動半径が狭まり、こうして一人旅など、滅多にできない。一晩家を空けることも儘ならなくなった。

 この旅は、偶々、前から予約等、手配済みだったため、娘に無理を頼んで妻を預けてきているのだった。

 若いうちは、随分と一人勝手に、馬術競技会絡みで地方などへ出かけて行ったが、それも難しくなってきて、閉塞感を感じていたところだった。

 別に決まりではないが、婆さんは川へ洗濯に、爺さんは山へ柴刈に、謂わば女は家で家事を、男は外へ出て稼いでくる。

 そんな流れが家庭の中に流れ込んで来ていて、私も、無意識に男は外で稼ぐものとしてやってきた。

 しかし、それが、外で稼ぐことは無くなったにせよ、家事の大半と、外回りの雑事もこなすとなると、これまでにないストレスがたまるようになった。 

 三度の食事のために、近所のスーパーなどへの買い物、食事の献立、これがまた厄介なものだった。

  以前は、妻から「今夜は何を食べたい・・・・・・」なんて聞かれると、「そんなこと、聞かれても、主婦の役目じゃないか、任せるよ」と答えたものだった。

 それこそ会社で仕事している私が、「今日は何をしようか」と家にいる妻に聞くようなものだと思っているのに、「だって、毎日の献立を考えるのは大変なのよ」と何か恩着せがましく聞こえる言葉が必ず帰ってくる。喧嘩にはならないが、そんなやり取りを何時もするが、この2~3年は、私の方で「今日は何を食べるかね」と聞くようになった。

 実際に、この旅行先でも、朝はいいが、昼と夕食に何を食べるか、旅行費用が潤沢にある訳じゃない、勝手知った日本に居る訳じゃない、毎日同じものを食べるのも能が無いと思いながら、時には日本レストランへ足を向けてしまう。

 ロンドン名物と言う「フィッシュ アンド チップス」好きじゃない、食べたいと思わないから始末に悪いのかもしれない。

 そんなことを思いながら、問わず語りに食事の合間に言葉を交わした。

 「奥様、そんなにお悪いんですか・・・・・・」と顔を曇らせて聞いた。

 「いや、寝込んで居る訳じゃ無いんですが、更年期障害の延長と言うんですかね、朝起きると何となく不調、『じゃあ、寝てなよ』と言うと、寝ているほどじゃないとぐずぐず言ううしね」他人にまで言う事じゃないが、どうせ旅が終わればそれまでだろうから、そんな気持ちで話した。 

 「そりゃあ、所詮は他人同士が夫婦と言う名で一緒に暮らしてるんですから、兄弟だって、他人の始まりなんて、昔から言われてるじゃないですか」疎遠になって居る自分の姉兄を頭に浮かべた。どうも愚痴を言うようで私は話題を変えた。

 「お子様は・・・・・・・・・・」

 「えっつ・・・・・・・・」彼女は一口大にちぎったパンを口元までもっていった手を停めて、一瞬、瞬きをし、「子供は生めなかったんです」

 「済みません、そうでしたか・・・・・・・・・・」 

 「看護師をして忙しすぎて、子育てが難しかったんです。今になると、どんなに無理しても・・・・・・・・、欲しかった、と思います」彼女は本当に残念そうに顎を引いた。

 「佐々木さんは、お子さんは・・・・・・・・・・・」

 「男女二人です。もう、どちらも独立してますが、なかなか、頼りにはなりませんね」

 「あら、それは羨ましいじゃないですか、今、奥様を娘さんに・・・・・・・」

 「えっつ、まあ、そうですが、今回は特別ですよ、そう、しょっちゅうと言うわけにいきませんよ」と私は顔の前で手の平をひらひらさせた。

 「じゃあ、お孫さんもいらっしゃるのでしょう」「ええ、まあ、そうですが」と子が無いと言う彼女に遠慮して言葉尻を濁した。彼女は夫も無くしたと言っていた。天涯孤独と言う事か。こうして一人旅に出て、偶々、私のような同国人に言葉をかけて旅の道ずれにするのも、矢張り寂しさからであろうか、或いは、老後の所謂茶飲み友達でも見つけようと言う事なのだろうか、未だに看護師の仕事を続けているのも、孤独だからなのだろうか、何となく、そんな事を聞くのも憚れた。

 「まあ、出来るだけ子供には厄介を掛けたくないと思ってるんですけどね。先の事はわかりません」

 時折、朝刊と共に介護付き老人ホームなどの広告が幾つも入って来る。そんな広告を目にしながら、妻と朝食の話題にあげることも度々だ。

体が動くうちはともかく、日常の立ち振る舞いが容易でない妻を抱え、万一寝込むようなことが有ればどうするか、このことはいつも意識下に横たわっている。

 二人の子供たちは、そうなったら親の面倒を見てくれるだろうか、自分が子供の頃は、親子孫と三代同居なんていう家庭はざらだった。そんな家庭では、年老いた両親の面倒を子供が見る。逆に、歳よりは孫の面倒を見る。そんなパターンが自然に繰り返されていた。

 戦後の核家族化は、そんな家庭のパターンの繰り返しを壊してしまったと言えるのではないだろうか、私は、いざ自分が老いの状態にある今、病身の妻を抱え、それこそ、今そこに有る危険と言うか、明日は何が身に降りかかってくるかわからない不安を抱えながら日常を送っているのだ。

 そんな日常からの、非日常への旅行、しかし、日々の生活を忘れられず引きずっている。

 「私なんか一人になってしまって、まだ仕事が出来るから良いんですけど、矢張り先行き不安ですよ」

 「勤務先の病院で面倒見てくれないんですか」

 「とんでもない、病気で倒れない限り入院もできませんよ」笑いながら答えた。

 どちらにとっても、老い先の不安は簡単には消えない。

 食事代を負担すると言う彼女と、一寸カウンターでやり取りしたが、結局彼女に任せることにした。

 アメックスのカードで支払う彼女に、「申し訳ありませんね。ごちそうさまでした」何となく彼女にたかったような気分になって居た。

 外は少し肌寒く、空気が澄んでいるように感じられた。サセックスガーデンのアパート群に沿った並木道を私たちは、肩を触れ合うようにして歩を進めた。

 「路上駐車の車は大丈夫なの・・・・・・・・・」先ほどホテル前の中央分離帯に沿って駐めた車の事を彼女は案じて聞いた。

 「ええ、ホテルの従業員の駐車場所を一晩借りたんですよ、街中に公共の駐車場が少ないので、交通量の少ない路上に駐車を許可してるようですよ」

 

 白塗りのホテルの建物は、街灯の明かりに浮き出て、白壁の中まで明るいように見えた。時間が遅くないので、まだ入り口のドアは鍵がかかって居なかった。

 扉を開けて彼女の背を押すようにして続いて入り、フロントのカウンターの奥のいる従業員が、ついと顔を揚げて目顔でお帰りとでもいうようにチェックするのに、私らもこくりと頭を下げて合図し、そのまま奥の階段を上った。

 私は、自分の部屋の前で、彼女に「良かったら、ワインがありますよ」一応礼儀と思って誘ってみた。

 「有難うございます。本当に今日は一日、楽しかった」と私の腕に触れると彼女は一寸逡巡するように立ち止まり笑顔を向けた。その手を取って私は彼女を引き寄せ「どうぞ」と私はドアの鍵を開けてドアを押して半開きのまま、彼女を誘ってみたが、彼女は笑顔のまま、無言で首をふり、私から離れると上への階段を昇って行った。登り切る前にまた振り返ると、見上げている私に腰を屈めて別れの合図をして消えた。

 私は何となくほっとしてドアを閉めると、ブレザーを脱いで、壁のハンガーに掛け、開いていた窓のカーテンを引いて閉じた。

 行き掛かり上、一応彼女を誘ってみたが、応じなかったので却ってしがらみが無くなったと感じ、ほっとした半面、何となく物足りなさを感じた。

 裸になると、部屋の中でも少し肌寒く、温度調節が少し厄介なシャワーの下に頭から入った。

 熱い湯と冷たい水の出加減が時折狂って、温くなったり熱くなったりした。長時間、慣れない道を運転して来たので、同時に思いがけず年寄とは言え、自分よりは若い女性を同乗させたりしたので、思いのほか首筋と肩が凝っていた。

 出来るだけ噴出をきつめにして、打たせ湯のように首筋と肩にシャワーを当て、何とか気分が良くなるようにした。

 別に体を洗うと言う事はせず、私はシャワーの元栓を停めると、濡れた体にバスタオルを巻きつけた。

 バスタオルに関連して、日本の民宿の同じ場面が頭に浮かんだ、日本の民宿では、バスタオルやフェースタオルを自前で持参しないと、セットされていないところが多い、普段の宿泊のつもりで出向いて、結局現地のコンビニを探してタオルを買う羽目になった事があった。そんなことを思い浮かべながら、バスタオルで体を拭いながら、ベッドの端に腰を掛けて、火照った体の温もりを覚ました。

 まだベッドに入るのは早いと思いながら、テレビの電源を入れた。別に見たい番組がある訳でなく、無論すべて英語で放送されているので、すべてわかる訳でもないが、何か音がしている方が気が紛れると思ったからだ。

 体が乾いたので、肌着を着け、寝間着代わりにTシャツを着ようと思ったところに、ドアをノックする遠慮がちの音がした。

 「ジャスとモメント・・・・・・・・」と言いながらドアの所へ行き、ドアチェーンを付けたまま細目にドアを開けて、外に立っている彼女を目にした。

 急いでTシャツを着終え、私はどぎまぎしながら彼女を迎え入れた。

 「御免なさい、私もシャワーを浴びて来たの、ワインをご馳走になろうかと」言い訳めいたことをつぶやきながら、彼女は狭い部屋に入ると、ざーっと見回して、「私の部屋も同じよう・・・・・・・・・」それは照れ隠しの言葉と私には思われた。これが成り行きなのか、唯、後腐れの無い成り行きになればと、一瞬思いながら、私は無言で彼女を抱き寄せた。

 「まあお掛けください」と私は抱いた腕を解いて、背中を押すようにベッドに腰掛けさせた。

 「ワインを開けるので待ってください」私は、洗面所のタイルの床に直に寝かして置いたボトルを持ってきた。部屋に冷蔵庫が備えてないので、多少はひんやりするだろうと、置いておいたのだ。成田空港の免税店で買って持ち込んだ、山梨の甲州ワインだ。最近は日本のワインも高評価されるようになった。

 唯、コルク栓で無くスクリューキャップなので、口を開けるのは簡単で良いが、何となく物足りなさを感じる。

 「ワイングラスと言うわけじゃないので我慢してください」部屋にセットされたテイーカップと、洗面所のコップに真っ赤なワインを注いで、テイーカップの方を彼女に渡した。

 「どうぞ」私は彼女の隣に腰かけて、ワインを一口、口含んだ。

 スーッと鼻へ抜ける微かなフルーツの香り、舌先に残る渋みと、喉を通り過ぎる僅かな甘みのある酸味。

 「うん、これは飲める・・・・・・・・・」口中で含んだワインを、口を濯ぐように両頬お代わり番こに膨らませ、満遍なく口中で回転させて一呼吸づつ喉へ送った。

 「ワインの味は良く分かりませんけど、飲みやすいですね」ティーカップを鼻先に付けて香りを嗅ぎ、一口口に含んで、ゆっくりと喉へ流した。

 「そうですね」私は彼女のテイーカップにワインを注ぎ足し、自分のグラスにも継ぎ足した。

 「あら、そんなに、酔ってしまいますよ」

 「いいじゃないですか、明日は仕事がある訳じゃ無いですか」シャワーを浴びて来たと言う彼女の頬も、若やいだように血の気が射し、テレビの画面のちらちらする明かりが、彼女を一層艶やかに見せ、とても60歳後半の老女とは思えない輝きに見えた。

 「何だか、ふわふわして来たみたい、頭が左右に揺れて居るよう・・・・・」彼女はテイーカップをベッド脇のボードに置くと、両の掌で張りのある火照った頬を軽く抑えた。

 「もう一杯どうぞ」私はボードの上のテイーカップに、半分ほどワインを注いだ。

 「いいえ、もうそんなに・・・・・・・・」と両手をひらひらさせて、一寸腰を上げてテイーカップを掴もうとした。ところが靴がカーペットに引っかかったのか、思わずよろけそうになって片手をベッドに突いた。パッドのクッションが一寸手を突いた分だけへこんだので、私の方に彼女はよろけて来た。

 私は片腕で彼女の体を支えると、持っていたグラスをベッド脇の窓枠の上に置き、しっかり彼女を抱き寄せた。一瞬、彼女は態とよろけて私の方に体を預けて、きっかけを作ったのだろうかと考えた。

 そんな考えは直ぐ消えて、一寸抗いを見せたが、それは言い訳のような仕草で、私が彼女の胸元へ手を這わせ手も逆らわなかった。後はごく自然に羽織っていた緩やかなブラウスのボタンを自分から外し、熱く火照ったバストに私の手を導き、一方の手は着ている物を脱ぐのに動かした。 

 二人とも着ている物を全て脱ぎ去ると、そのままベッドに横になった。

 がつがつした若者ではない。ゆっくりと互いに感じやすいところを愛撫し合い、静かに私は彼女の中に入った。

 結局、こう言う事になったのかと、気の赴くままに、深く浅く緩やかに愛を交わした。いや、愛と言えるだろうか、寧ろ老いの身の活力を確かめるように、次第に昂まってゆく気持ちの持続を楽しんだ。

 

 心地よい疲労感と、一抹の罪悪感、まだ老いきっては居ないと言う満足感とが、綯い交ぜになって頭を満たした。

 次第に落ち着きを取り戻してゆく胸の鼓動と呼吸が、まだ上になったままの彼女の腹部から、豊かなバストからリズムのように伝わってくる。

 「有難う」思わず囁いて、何でお礼など言ったのかと思ったが、それはまだまだ体も気持ちも老人にはなって居ない、そんな昂揚感だった。

 まだ自分は枯れていない、「女は死ぬまで女、いえ、そう言う訳でなく、開いてさえいれば、女は死ぬまでお答えできると言う事・・・・・・」と彼女は笑った。

 娘のような恥じらいを浮かべて、彼女は無言で体を離すと、ベッドから起き上がりシャワーを浴びるため洗面所へ移った。

 呼吸と鼓動が収まり私は喉の渇きをいやすため、グラスに残ったワインを飲みほした。

 丁度その時、ショルダーバッグの脇ポケットに収めてあった携帯電話の、微かなブザーが耳に入った。

 娘が持たせたレンタルの海外携帯電話だった。一瞬、こんな時間に携帯の呼び出しとはと、不吉な予感がどっと押し寄せた。

 日本国内ならさほど驚かないが、幾ら何かの用心にと持たせられたにしても、まさか海を越えてまで電話がとは、ただ事ではないなと、私は咄嗟に下着を着け携帯電話を取り出して耳に当てた。

 「はい、もしもし」「ああ。お父さん、智佳・・・・・・・・」「どうした」

 「母さんが、倒れて、狭心症だって・・・・・・・・」切迫した娘の声を聞き取った。

 「なにいー、きょーしん・・・・」「うん・・・・・・・・・」

 「で・・・・・・・」「救急で~病院に入院させた」「そうか、小野先生に連絡したのか・・・・・・・・」「うん」「分かった、明日切り上げて帰る」悪いことは出来ない。一瞬そう考えた。携帯電話を持つ手が汗ばんだ。

 彼女はシャワーを浴びず、トイレだけ使ったようで、洗面所から戻ったのに、私は口に指をあてて首を振った。

 「手当が早かったから、今は落ち着いている。今夜は私が就いているから」

 「そうか、済まないな。何としても海の向こうじゃどうしようもない、兎も角頼むね」私は携帯電話に頭を下げた。

 「じゃあ、お父さんも気を付けて・・・・・・・・」通話が切れて、私はしばし呆然とした。

 「どうかなさって・・・・・・・・・」彼女は裸のまま、私の手の中の携帯電話と思いも掛けない娘からの電話に、少しぼうっとしている私の表情に眉を寄せて訪ねた。

 還暦を過ぎた老女とは言えないなと、豊かなバストと、締まった腹部、まだ弾力を実感した臀部などに目が行って、こんな時にとうしろめたさを感じた。

 「娘から緊急電話、かみさんが狭心症で救急入院したと・・・・・」

 「まあーっつ、それは・・・・・・・・」思わず絶句して、彼女は手を口へ持って行って息を飲んだ。

 「急遽帰国しなければ・・・・・・・・」

 「御免なさい・・・・・・・」と彼女は詫びた。何に詫びたのか、「不倫」の文字が頭に同時に浮かんだのか、いや、彼女は独り身だ、私は不倫になるのだろうか、継続すれば不倫だ、とそんな考えが浮かんだ。

 あくまでも、今は、此処だけでの二人のハプニングで、帰国してからもとまで考えは至って居ない。

 私は、帰国後、妻の看護がどうなるのか、これからの日常は、これまで以上に自由は制限されていくだろう。病身の妻を抱えて、まさか放り出すわけいかない、嫌々、義理などで一緒になったのでは無い、好きで一緒になり二人の生活は、親の元で暮らした年月より長くなっている。息子と娘、それぞれのかわいい孫達。皆、妻と繋がって切れる事は無い。眉根にしわを寄せて、心配そうに見つめる彼女を前にして、二人で過ごしたほんの僅かな時間、しかし、その時間は得難いものだった。「不倫」の文字がちらつくが、これは一つの素晴らしい経験で、恐らく私はこれきりで彼女と別れても、このひと時の事は忘れることは無いだろう。

 何時か迎える臨終の時まで、この経験は不倫の罪悪感ではなく、素晴らしい経験として記憶に残して行くだろう。

 じっと、彼女の裸体に目を凝らし、衣服を付けて次第に隠れて行く様を眺めた。

 「有難う」すっかり脱ぎ捨てた物を身に着けた彼女をもう一度抱きしめて囁いた。

 「私の方こそ有難うございました。素晴らしい思い出です。でも、奥様が」押し付けた顔を揚げて言った。

 「心臓が強い方じゃなかったから・・・・・・・」

 「ご心配でしょう」「まあね・・・・・・・・・・」

 「じゃあ、これで・・・・・・・・」名残のきつい抱擁の後、そっと彼女はドアを開けて出て言った。 

 私はドアを押さえて上階へ階段を上って行く彼女を見送り、この旅の思いも掛けぬハプニングと、まだ、老いさらばいては居ない、しかし、この後の妻の事、帰国後の日常はどうなるか、ふっと、様々な思いが去来しては去って行き、もう、今回のような旅は出来ないだろう。寂しいようなあきらめのような思いで、帰国後の日常を想像した。

 妻の看護がどのような日常になるか、今以上に老いが着実に進んでゆくことだろう。そんな不安な気持ちもあれこれ思い浮かべる中に混ざり合って頭を巡った。

                       (第1話完)


 


 

 

 

 

 































 

 

 

 

 

 





                      


 


 

 

 





















 

 

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