第2話 物語始めます子

水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星。地球以外にも、生物が住める惑星が七つある。これらの星との交流が活発化してから百年も経っていないが、地球の常識を塗り替えるには十年もかからなかった。


七つの星の資源と技術をスポンジのように抵抗なく取り込んだ地球は、まず可能な限り居住区を拡張した。といっても、地下を掘ったわけではない。手を加えたのは空気だった。


現在、金星からの超科学技術オーバーテクノロジーにより、地球の空気層は拡張されている。つまり人間が活動できる範囲が上へと広くなっていた。


多くの人間が地上を捨て、もっと高いところへと居を移す。かつて人が空と呼んでいた場所は『街』で覆い隠され、かつて人が地上と呼んでいた場所は『地下』となった。


そして地上に取り残された不運な末裔たちは『街』によって太陽が届かなくなった、仄暗い場所での生活を余儀なくされている。


ただし、ジャンクポット周辺の治安や住み心地は悪くない。街の穴から落ちてくる捨てられた本を集めた図書館、廃材を組み立てて作った机と椅子の並ぶ学校、型落ちの浄水装置や発熱装置によって成立した銭湯などなど、人々が努力の末に培ってきた設備があるからだ。


法律的に、ここは上の人間の土地となるので紛れもない不法占拠だが、良くも悪くも上の人間はジャンクポットに見向きもしない。政府からは完全にノータッチな場所だからこそできる芸当だった。


ここにはここなりのルールがあり、人々はそれに従って生きている。とある事情でここに落とされた、元レポーターだと自称する男はこう言った。


『ここは太陽が差し込まない。天道から外れたこの街は、時間の流れすら上とは違う。ここで人を導くのは、人自身の命の輝きのみなのだ』


なんともロマンチスト然な言葉だと林太は思ったが、しかし嫌いでもない。林太は上での生活はどんなものだろうと考えもしないし、おそらく他の同年代の友達もそうだろう。


空の大穴から離れ、家へと帰った林太は、ゴミの山から調達した必需品の数々を入れた麻袋を玄関に置く。


林太の家は、廃材から作った壁と屋根の中に、簡単なしきりを作って『仕事場』と『寝床』に分けただけの家モドキだ。ここに住んでもう何年にもなるので今さら何も思わないが。


「所長ー。今帰りましたー。ちょうどいい感じのヒューズがやっとこさ見つかりましたよーっと」

「……ああ?」


その仕事場の中心に置いてある、傷だらけの大きな机に足を乗せ、大口を開けて寝ている女性。それが林太の育ての親だった。

血が繋がっているかどうかは怖くて訊ねたことがないが、林太が黒髪で、女性が金髪なので、おそらく確実に血は繋がっていないのだろう。


それどころか地球産の人間なのかも怪しい。耳の端が尖っており、しかも林太が小さいころから見た目の年齢が変わっていない。

こんな場所にあっても瑞々しい肌を保ち、胸元が大胆に開いたダメージ入りの黒いシャツを着こなし、いかにもアウトローと言った鋭い眼光を放つ女性は、机から脚を降ろしてゆっくりと林太を眺めた。


「あー。ご苦労様。後で八百屋のおじい様のところで、スイカと交換してくるから、そこに置いといてくださいな」

「あいあい」


と、あっさり流しそうになってしまったが、すぐに林太は気付いた。


「スイカ? 季節じゃないでしょ?」

「上からコンテナで投棄された怪しい成長促進剤を拾って、薄めてスイカの種に使ってみたら採れすぎて困っているくらいですってよ」

「そ、それ食べて大丈夫なの!?」

「あー。大丈夫大丈夫。試食会に参加してきましたけど、目に見える副作用は髪が異常に伸びるってだけでしたから」


よく見てみると、女性の髪が朝に見たときよりも遥かに長くなっていた。普段はショートカットだったはずなのに、今は椅子の足の周りに絡みつく程に伸びている。


「後でこれバッサリとカットして電器屋のおばあ様に売れないかなー。そろそろ寝床の電球切れそうですし」

「やめようよ! 前にそれやったとき、ばあちゃんってばスゲー微妙な顔してたじゃん! 『役に立たないわけじゃないけど』って顔に書いてあったじゃん!」

「役に立つんならいいでしょう」

「かなりタチの悪い善意の押し付け方だよ! 井戸端会議で陰口叩かれるレベルの!」

「既に叩かれてるから問題なし」

「叩かれてるの!?」


女性は机の引き出しからナイフを取り出し、素早い動作で髪を断ち切った。朝に見たときと同じ髪の長さとなる。

林太の方へと向き直り、穏やかな笑顔を作った。仕事のときに見る彼女の営業スマイルだ。


「さてと。客人の前でこれ以上醜態を晒す趣味はないし、本来の姿に戻ってから自己紹介と参りましょうか」

「ん?」

「私の名前は青森琴良あおもりことら。一応そっちの青森林太の親です。仕事中は所長と呼ばせてますけど。青森探偵事務所へようこそ、お嬢さん」

「んっ!?」


林太は急いで振り向く。玄関の外には、先ほど掘り返した少女、テスカがいた。相変わらずボロ布を纏っているので、顔も髪型も良く見えない。首から上では、目元だけが辛うじて露出している程度だ。


「お前なんでついてきてんの?」

「来たばっかっつったろ。知り合いがお前以外いねーんだよ」


ああ、と林太は納得する。

右も左もわからないのでは、確かに自分に付いていく他ない。

テスカは探偵事務所と呼ばれた建物に、裸足で踏み入り、周りを見る。


「探偵事務所ねぇ。外にそれっぽい看板はなかったけど」

「作るの面倒臭かったんです。なによりやってることは探偵っていうより何でも屋なんで、堂々と名乗るのも恥ずかしいんですよ」


所長の言ったことは事実だが、身も蓋もない。が、どうせほとんど、この近所の友人たちしか来ないのだ。看板を作るだけ無駄なのも確かだ。


「じゃあ所長さんに依頼。服を貸してくんない? この中、全裸なんだよね」

「ふむ……」


琴良は立ち上がり、スタスタとテスカに近づく。


「ちょっと失礼っと」


そしてボロ布を掴み、両手で大きく開いてその中身を確認した。


「うわっ!」

「林太ァ。あなた側からは見えないでしょう?」


確かにテスカの背中側にいるので、正面が大きく開いても林太には何も見えないが、やることなすことが琴良は唐突すぎる。うっかり驚きの声を上げても責められる筋合いはない。


「ふむふむ。えーっとスリーサイズは上からななじゅ」


言い終わる前に、バキィという骨と骨がぶつかり合う快音が響く。

テスカが拳を突き出し、それが琴良の顔面の中心にめり込んだのだ。これでもそこそこ修羅場を潜りぬけてきた琴良は、一切仰け反りはしない。だが痛そうだ。

バカバカしいとは思いつつも、林太はフォローを入れる。


「……当然っちゃ当然の報いだけど、テスカ。許してやってよ。その人ってば悪気はないんだ」


琴良の顔面に拳をめり込ませたまま、テスカは怒気を含んだ声で言う。


「一瞬こいつ私の胸を見て『勝ったな』って顔しやがった」

「悪気あったな!? 所長、あんた良い歳してなにを張り合ってんすか!」

「いや林太。だってこの子本当にぺったんこ――」


言い終わる前に琴良の姿が、轟音だけを残して事務所から消えた。

いや消えたのではない。一瞬で床にめり込んだから消えたように見えただけだ。


アイアンクローのように顔面を掴まれた琴良が、力任せに床に叩きつけられる様を、林太の動体視力では捉えきれなかっただけだ。


テスカはボロ布を纏い直し、床にめり込んだ琴良を見下ろして、吐き捨てるように言う。


「……私、こいつ嫌いだ」

「こんな所長で本当にごめん」


林太が謝罪する傍ら、琴良は大したダメージを受けておらず、平然と立ち上がった。服についた、割れた床の粉塵を払い落しながら指示を飛ばす。


「林太。スタイルが一致したんなら私の服を貸してやってもよかったんだけど、うちにある女性服だと彼女に合いません。ジャンクポットの道案内もついでにやりながら、彼女の服を探してあげなさいな」

「……了解です」

「ちなみにスリーサイズは上から――」

「いい! 言わんでいい! 本人連れて行くから! 行こうテスカ!」


再び拳を構え、殺気を纏うテスカの手を引っ掴み、逃げるように探偵事務所から林太は出る。これ以上あそこにいたら余計に床の修理が大変になるだけだ。


◆◆◆


「よくあんなのと一緒に生活できるな」


道を行く途中、テスカはそんなことを青森に言う。

まったくだ、とは思う。心底。

しかし彼女は林太の母親であり、師であり、道しるべだ。人間性が終わっているのは事実であっても、誹謗にはフォローを入れざるを得ない。


「悪い人ではないんだよ」

「その言葉、悪い人ではない以外にいいところがないヤツを無理やりフォローするときの常套句じゃねーか」


ぐうの音も出ない。これ以上のフォローは無駄だと悟った林太は、空笑いを浮かべるだけだ。


「ところでよ。ここ、東京の地下なんだよな」


テスカはふと、そんなことを訊いた。林太はこともなげに答える。


「歴史によればここが地上で、上にある街の方が後付で作ったものだから正確には正しくないけど、まあそうだね」

「光源はどこにあるんだ? あの穴ひとつだけじゃあ、ここまで明るくは……」


上に比べれば確かに多少は暗いが、しかし人間が活動に支障をきたす程かと言われればそうでもない。落ちてきた人間が最初に驚くのは、まずジャンクポットの明るさだ。

青森は何度か訊かれるその質問を、慣れた調子ですらすら答える。


「穴は確かに、この近くにはあの一つしかないけど、海の方には街がないんだ。内地に行けば行く程にどんどん暗くなっていくのは確かだけど、海に近いここはまだ問題ないんだよ。太陽って本当に眩しいからね。あと、ここと上とが相当に距離があるから光も入りやすいし……」


言いながら、改めて思う。


「お前本当によく無事だったよなぁ。あの高さから落ちて」

「ああ、まあこの星の人間よりかは丈夫だからな」


やはり異星人なのか、と林太は納得した。容姿をまともに見ていないので、どこの住人なのかはわからないけども。

テスカはジャンクポットの街並み――ほとんど青森家の探偵事務所と似たり寄ったりの造形の店の数々――を見て感心しきっている。


「……へー。噂で聞いていたよりかは遥かにいい雰囲気のところじゃないか」

「噂? 上ではどんなふうに言われてんの?」

「実在する中では最も地獄に近い場所」

「あながち間違いじゃないかも」

「えっ?」

「たまに出るからなぁ。内地の闇の中に『何か』があるらしくってさ。ちょいちょいそこから出てくるモンスターに村をぶっ壊されることがあるんだよ」


その話を聞いたテスカは、しばらく目をパチクリさせた後、林太にぐっと近づいた。こころなしか目が輝いている気がする。どうも怖がっているというより、面白がっているようだ。


「何か、って何だ?」

「上の人間にわからないのなら、下の人間にもわからないよ。積極的に調べようって人は内地に行ったまま、みんな帰ってこないし」

「……強いのか?」

「たまに現れるモンスター? 筋力が、って意味なら。処理するなら数人がかりだし命懸けだよ。ほらあっちを見て」


ちょうどそのモンスターの解体ショーをやっていた。数人がかりで既に毛皮は剥がれ、肉も幾分か削がれており、ショーが終盤に差し掛かっているので原型はないものの、解体する前は成人男性よりも大きかったのだろうということは辛うじてわかる。


毛皮の量も肉の量も尋常ではないからだ。

テスカは興奮しきり、鼻息を荒くしている。


「……凄いな! A級任務でもあんなバケモン見れるかどうか!」

「任務?」

「あれ。でもあの肉の感じからして、倒したの結構最近っぽいな。その割にはここら辺、あんまり壊れてないような」

「もうちょっと北の方で迎撃したからね。いつもヤツらが来るのは内地からだ」

「……へぇ。面白いなここ。仮に数人がかりでも、あんなのを倒せるなんて」

「ほとんどお前がさっきボコってたコトラさん……所長の功績だけど」


そう言うと、途端にテスカは静かになる。

おそらく苦虫をかみつぶしたような顔になっているに違いない。


「アイツか。確かに私が殺す気で攻撃してもビクともしてなかったな」

「殺さないでくれ。気持ちはわかるけど」

「……アイツだけは無いな」


テスカは先ほどから気になる言動を繰り返している。

上の方では、獣を狩るハンターか何かだったのだろうか。先ほどの攻撃も、間違いなく素人のそれではなかった。

しかし、そこを追及する必要もないだろう。そろそろ呉服店も近い。


「ん。あの角を曲がったらすぐに服屋だよ。経営している人の都合で和服しかないけど。洋服屋もあるけど、そっち遠いしな」

「和服の方が助かる。どうせぺったんこだしな」

「本当に根に持つね!」

「一応言っておくが、触れば女だとわかる程度にはあるんだぞ! これでも!」

「知らないよ! 知っても気まずくなるだけだよ!」

「触るか!?」

「触らないよ!」


言葉を交わす度にテスカは冷静さを失っていく。こういうすぐに熱くなる性格が、上での破滅を招いたのかもしれない。

注意しようかと一瞬林太は考えたが、やめにした。今はともかく服を揃えることが先決だ。

会話を打ち切って、少し歩調を早める。


そして角を曲がろうとしたところで、人とぶつかった。加速していたために少し林太は仰け反った。


「む。すまないな坊や」


林太とぶつかったのは、これまた見たことのない顔の大男だった。しかも服の質が明らかに、このジャンクポットで手に入るようなものではない高級なスーツ。

男は謝るなり、すぐにテスカと林太の傍を通り過ぎてどこかへと去って行った。


「なんか今日は新顔をよく見るなぁ」

「……ちっ」

「ん。テスカ、今舌打ちした?」

「してない。私は育ちがいいのでそんなことはしない」


無造作な言い方だった。テスカはそのまま、林太に先を急ぐよう促す。


「しつこいヤツだ。なんとか始末しないと……」


角を曲がったあとの物騒な独り言は、林太にはしっかり聞こえた。

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