第36話 金持ち喧嘩せず。会話する

「追い出されたね」


岩手グループの総帥、岩手スバルの最初の要求は『奈良センジと二人きりで話がしたい』というものだった。

スバルに対して敵愾心てきがいしんを隠しもしないシィプは『ダメです』と即答したのだが、センジは特に疑うこともせずに、その提案を承諾。


流石に主が承諾したら、シィプにそれを覆す権限はない。


二人きりで話をする理由は単純に、シィプやリンゴ、そしてテスカに口を挟まれたら話がいつまでも進まないから、ということだった。


三人は今、喫茶店の横にある自動販売機の周辺でたむろしている。シィプは窓から二人が喋っている光景を、注意深く見つめていた。


その形相からは殺意が溢れだしていた。明らかにシィプはスバルのことを好ましく思っていない。

その尋常ではない様子に、リンゴは引きながらも問うた。


「あの。先輩。彼が一体どうしたんですか?」

「……あの岩手グループの総帥、むかしから道楽息子として有名でしてね。ちょいちょい奈良家にもちょっかいを出してきてたんですよ。その度に私が撃退してたんですが、やり口が非常に悪質でして……いえ、思い出したくないので、これ以上は言いません。とにかくアイツはクソ野郎です」


随分と悪し様に言う。

だが、ストレートだからこそ要点は把握できた。


ただ、スバルと喋るセンジの様子は非常に楽しそうだ。何を言っているのかは窓越しなのでわからない。

彼が剽軽ひょうきんな調子で何かを言い、それを聞いたセンジは太陽のようにケラケラ笑っている。


それはまるで、仲のいい兄妹のようだ。とてもではないが、シィプの言うような『クソ野郎』の本性は見えてこない。


「楽しそうだけど」

「ええ。お嬢様は岩手スバルのことを、まったく悪く思ってはいません。むしろ気が合うようで、たまに私に内緒でどこかに遊びに行っている有様です」

「まあ産まれながらの金持ち同士だし、境遇が似てれば多少はシンパシーも感じるでしょ」


ギリ、という音が聞こえた。それはシィプの歯ぎしりの音だ。

美しい顔のくせに、随分と行儀の悪いことをするものだとリンゴは思う。気持ちはわからなくはないのだが。

要するに、自分の嫌いな人間が、自分の好きな人間とつるんでいるのがひたすら気に入らないのだろう。


これ以上シィプを刺激しても無益だと感じたリンゴは、スバルの友人として紹介された怪人の少女の方を見る。


名前はテスカ。右目の周りは黒い鱗で覆われているが、背筋はピンと伸びており、スタイルがいい。シィプが絶世の美女で、センジが可愛らしい少女ならば、彼女を形容する言葉は美少女だろう。


退屈そうに空を向いている彼女は、ときおりリンゴとシィプが話しているところをそれとなく見ている。一応、リンゴはそのことに気付いていたのだが、話しかける口実が中々思いつかなかった。


だが、ひとまず話しかけることが目的なので、内容は問題ではない。リンゴは思い切ってテスカに話しかける。


何故だか彼女のことが妙に気になるのだ。


「……あのさ。もしかして退屈?」

「私に話しかけるんじゃねぇ」


会話が終了した。

だが、一回の失敗でめげるのはいけない。遠い日の師匠にそんなことを言われたリンゴは、苦笑いしながら再度挑戦する。


「あ、え、えっと。キミ、怪人だよね。なんのために地球に?」

「何度も言わせるな。殺されたいのか?」


責めるような口調で跳ねのけられ、会話は完璧に終了した。

ただ、テスカからは一切の殺意を感じない。脅しというよりは、まるで注意だ。


一体誰に?

そんな疑問が頭に浮かぶほど、他人事の言葉だった。


テスカがシィプを警戒しているという発想がないリンゴには、真意が今一つのところで伝わらない。


◆◆◆

「ということだ。ひとまず、よろしく頼む」

「はいはい。じゃあ荷物はすぐにでも纏めておくわ」


喫茶店の中。二人の富豪の間で、とある案件が一つ纏まった。

この話は、事前に電話でほとんど片付いていたものなので、時間はそれほどかからない。


スバルにとっての本題は、ここからだった。


「……ところでセンジ。裏星術師試験に手を出したそうだな」

「あら、耳が早い」


センジは感心しきった様子で頷く。非常に上機嫌に、上品に答えた。


「そうね。手を出したわ。普通に試験を受けても、普通に受かるだけですもの」

「そうか。まあ、それは責められはしない。確かに貴様なら問題無く星術師になれる。シィプの補助がなくてもな」

「流石に高く買い過ぎよ。でも、それが何?」

「……真面目な話になる」


スバルは顔を引き締め、テーブルに軽く身を乗り出す。


「あの館で何があった?」

「ん……まあ、説明が難しいわね」

「そうか」


スバルはそれだけ言って、息を吸う。

そして、一息に『名前』を並べ立て始めた。


「アナリス・フィエロ」

「え?」

「シード・B・シャド。フクダマ・スピル。青森舞子。この中に心当たりのある名前はあるか?」


最後の名前で、センジの目の色が変わる。

念のため、一番最悪の可能性を潰しにかかった。


「あなたの差し金?」

「違う。そういう質問をするということは、心当たりがあるんだな」

「最後の名前。苗字は言ってなかったけど間違いないわ。舞子は私の館の侵入者よ」

「なるほど。やはり巻き込まれていたな」

「……何が起こってるの?」


センジは顔を険しくし、スバルに問う。

だがスバルは渋り、本題に入ることを躊躇う。まだ最大の懸念材料があるからだ。


「……私の情報は渡してもいい。というより、できることなら渡したい。だが条件がある。今まで私がやってきたことを、すべて水に流してくれ」

「できない相談ね。別に無茶な要求じゃないんだけど、シィプは大激怒するでしょ。アイツが一番の被害者だし」

「なら渡せる情報は一部だけになるが、いいか」

「いいわ」


即答だった。やはり、彼女と二人きりになったのは正解だったとスバルは確信する。少なくとも、彼女は岩手グループと奈良家の因縁を持ち出したりはしない。


スバルは言葉を選びながら話す。


「裏星術師試験は存在しないというのが私の結論だ。実際のところ、政府が自分の失態を隠すために作成した大掛かりな舞台装置だった。とある生物兵器を作ってしまったのを、上位の星術師の責任として処理しようという魂胆だったんだ」

「む。それは、私にとっては残念な知らせね」

「色々とあってな。それを知った私たちは政府に目を付けられた。具体的な黒幕が誰なのかは、まだわかっていない。政府を隠れ蓑にして全体を動かす寄生虫がいることはわかっているんだが……」

「……待って。さっき『やはり巻き込まれていたか』って言ったわね? それってもしかして、私たちも目を付けられたってこと?」


スバルは鎮痛な面持ちで肯定した。


「ああ、そうだ。貴様たちは最初から真相に近いところにいたんだろうな。調べるってコマンドを取った時点で目を付けられていたぞ。昨日、尾行されてたらしいじゃないか」

「なんか、どいつもこいつも耳が早いわね。それはつまり私が、真相を一気に暴きかねない何かを最初から知っているってこと? だから私が調べ始めた時点で政府に敵として認識された」


そこまで考えが及べば、舞子の正体もアタリが付く。

センジはそれをスバルに確認した。


「さっき並べ立てた名前、何なの?」

「防衛省多種族治安維持部隊。その実力者の上位五名だ。通称は淫靡五怪傑いんびごかいけつ。さらりと調べた範囲では、どいつもこいつも危ないヤツ揃い。下手な星術師よりも強いぞ」

「なるほど。黒幕の手足、ね。懐刀って言った方が正確かしら」


コーヒーを飲もうとカップに手をかけたところで、センジは何かに思い当り、止まる。


「アナリス・フィエロ。シード・B・シャド。フクダマ・スピル。青森舞子。あれ? 四人しかいないわよ? あとの一人は?」

「ああ。サンディラ・ヌメロニオだな。そいつはいいんだ」


スバルのその言葉を聞けば、センジには何が起こったのかが手に取るようにわかる。


意地悪に笑い、掘り返すように言う。多少の鎌かけの意味も含んで。


「倒したわね?」

「……たまたまだ」


スバルは自分の功績をひけらかすことを、恥ずかしいと思う人種だ。そのことをセンジはよく知っている。


自分の作った発明がどれだけ凄いかを語らせれば一日だけでは足りないほど喋る。だが、その発明がどれだけ売れたかを訊ねると途端に口を閉じるのだ。


センジははにかみ、楽しげに言う。


いヤツね」

「年下に愛いなんて言われるとは。一生の不覚だな」


自嘲気味に返したスバルは、やれやれと肩をすくめた。


「まあ、そういうわけだ。私の先の提案も、これなら更に正当性も増そうというものさ」

「妙に強調するわね。別にシィプに反対させたりはしないわよ」

「そうでないと困る。さて」


スバルはコーヒーを飲み干し、椅子から立ち上がる。椅子に座ったままのセンジを見下ろし、神妙に言った。


「……協力感謝する」

「いいってば。困ったときはお互い様よ。岩手グループと奈良家の因縁も、私たちの代で終わらせたいし」


センジは既にぬるくなったコーヒーを、ちびりちびりと飲む。

スバルは彼女に背を向け、店の外へと歩き出した。

その背中を見ているときにセンジは思い出した。まだわからないことがある。


「そういえば、まだ聞いてないことが残ってたわ。


その呼び名に、スバルは腰が砕ける。足腰の力のベクトルが乱れ、ふらつき、近くの空いたテーブルの上に顔をしこたま打ちつけた。


さっぱり興味を示さない様子で、センジは平然と訊ねる。


「あのテスカって女の子、なんのために連れてきたの? ボディーガードって感じじゃなさそうだし」


痛みに震えるスバルは、数秒で無理やり持ち直し、スーツについた皺を直してからセンジに振り向く。

顔が衝撃で真っ赤になっていた。しかも涙目だ。


「……本人が来たいって言ったんだ」

「なんで?」

「言えない」

「なるほど」


これは『一部』の話ではないのだろう。

面倒故に言わないのであれば、スバルは『言う必要はない』と答えるはずだ。


「それじゃ、帰り際にあの二人を店に入れてくれる? あなたの提案、ちゃんと話すから」

「……センジ。最後にこれだけは言っておく」

「なに?」

「お兄ちゃんはやめろ。スバルでいい」

「お兄様」

「やめろ!」


二人の富豪による会議は終わる。


◆◆◆

スバルはテスカを連れて帰って行った。

リンゴとシィプの二人を店の中に戻し、センジはスバルの提案の内容を告げる。


「岩手家に泊まるわ」

「は?」


スバルが消えた途端に笑顔となっていたシィプは、その発表に頬をひくつかせる。

センジは尚も無表情で告げた。


「お泊りの準備、各自整えておいてね。夜八時に家を出るわよ」

「は?」


尚も現実を受け止めきれないシィプのことが、リンゴは怖くて仕方がなかった。

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