第37話 アナーキーと化す者ども

岩手スバルの主張はこうだ。


奈良家にも質のいい防犯機構はあるのだろうが、既にそれが突破されてしまったのは舞子の例からも明らかだ。

岩手の家の防犯機構も突破されてしまうことは目に見えている。相手にはそのノウハウがある。侵入がどうせ防げないものならば、自分たちにできることは待ち構えることだけだ。


だが待ち構える戦いをするにあたっても、お互いに人手も戦力も足りない。ならばせめて補い合うしかないだろう。


奈良センジと情報を共有したシィプは、苦しげに言う。


「正論です。正論です……が。それは本格的に国を敵に回す場合の言い分です」


センジは首を傾げた。


「あれ? 他の立場なんて、私たちにあったかしら」

「こういうのはどうでしょう。岩手スバルを斬り捨て、舞子をパイプラインとし、政府に売るんです。それで私たちは減刑をしてもらって、いつも通りの日常に戻る」

「それ本気で言ってる?」


センジの質問は、叱責でもなんでもなく、本当に単純な疑問。

シィプ自身、言ってみただけであり、本気ではない。この案には前提からの大きな穴があるからだ。


言い淀むシィプに溜息を吐き、センジは心底失望したかのような顔になる。


「私たちには最初から、刑に値する罪なんてないわよ。それでも政府は私たちを消しにかかっている。私が何か、不都合な真実を知っているから。仮にスバルを売ったとしても、持ち上げられるのは一時的。その後すぐに暗殺されるに決まってるわ」

「それは……」


それも正論。反論の余地は一切ない。

だが、だからといって、この案には賛成できない。敵は強大だが、味方に立候補した岩手グループも信用に値するとは言い難いからだ。


コーヒーを飲み干し、センジは立ち上がる。


「もたもたしてる暇はないわ。シィプは屋敷に戻って、リンゴと私の荷物を纏めてちょうだい。あ、もちろんシィプのもね。最低限でいい。もしも足りない場合は岩手家で通販すればいいし。リンゴは私と一緒に来て」

「ん?」


その喫茶店特製のミルフィーユを食べながら沈黙を保っていたリンゴは、立ち上がるセンジに顔を向ける。


額に青筋を浮かべ、センジは言う。


「二度も言わせる気? 私と一緒に来て」


颯爽と歩き、会計を済ませ、店のドアを開けて外に出る。

リンゴは急いでミルフィーユを口の中に詰め込み、センジを追った。

後に残ったシィプは、顔の影を濃くしたまま俯いている。


「……やはり私は間違っていたようですね」


――あの男は、もっと早い段階で殺しておくべきだった。


かつて受けた屈辱の数々を思いだし、シィプは拳を固める。

ゴタゴタが片付いたら、スバルを消す準備をしようと誓うのだった。


だがその前に、やることがある。


――必要なのは歯ブラシとタオルと着替えと……お菓子は必要かしら。


泊まりの荷支度を済ませる。それがシィプの当面の仕事だ。


◆◆◆

「お前、あの社長室で寝泊まりしてたわけじゃなかったのか」


テスカはテレビ越しに奈良家を見たとき、随分なレトロ趣味だなと感じた。こんな建物に住んでいる者は、余程酔狂なヤツに違いないと。


スバルの家はその対極だ。広いことには広いが、奈良家よりは遥かに狭い。あの三人とテスカが住むことになったとしても、スペース的に余裕が残る程度ではあるけども。


内装、外装、ひたすらモダン趣味。一種の威圧感を感じさせる奈良家とは違い、色合いも随分と明るい。建物の裏にはプールがあり、見るからに金持ちの住む家といった塩梅だ。


「……プールに水張ってんのか? この時期じゃ寒中水泳にしか使えないだろ」

「いや? あれは私の作った機械で遊ぶためのものだから、泳ぎはしないぞ。まあ泳ぎたいというのなら別に構わないのだが」


スバルの私室の窓から裏庭を見ていたテスカは、振り向く。スバルはスーツのままソファに身を投げ出し、天井を眺めていた。普段では考えられないほどにだらけている。


テスカはその光景を微笑ましく思いながら、スバルに訊ねる。


「しかし、奈良家に協力を仰ぐとは。今まで徹底的に避けてたじゃないか。どういう風の吹き回しだ?」

「時間がないんだ。しかも奈良家が私以外の何かに脅かされているとなると、看過できない。色々積もり積もってたのさ。でなければ二度とセンジとも関わらない予定だった」

「あれ。仲良さそうに見えたけどな」

「センジとはな。シィプは厄介だ。流石にアイツと争う危険を冒してまで遊びたい人間かと言われれば、確実にノーだ。まあ割と最近まで遊んでたんだけど、それで最後にするつもりだった」


テスカは、シィプが本当にスバルを毛嫌いしていたことを知っている。実際に目の前で見たからだ。

祖父の代から続く奈良家と岩手グループの因縁のことは、テスカには詳細がわからない。だが過去はそれなりに威力を持ち、今の世代に暗い影を落としていることは確かなようだ。


ソファの上で寝転んでいるスバルは、弱弱しく呟く。


「……眠い。流石に徹夜の影響が出てきたみたいだ」

「寝ろよ。アイツらが来たら起こしてやるから」

「いや。まだ仕事が一つ残ってる」


スバルは半ば無理やり体を起こし、手を二回叩く。

それを合図にし、スバルの部屋に、メイド服を着た三人が現れた。


「紹介しようか。新しく雇った岩手家のメイドたちだ。一気に住人が増えるから急遽用意した。右から紹介しよう」

「おい。スバル。おい」


テスカはスバルの影に隠れるように移動する。紹介どころではない。三人の内、明らかに異質な者が紛れ込んでいるからだ。


だがスバルは構わず紹介をする。


岡山桃おかやまもも。五十六歳。化粧は濃いが、確かな経歴と経験を持つベテランさんだ。とにかく鬼のように体内時計が正確。家事レベルもカンスト。十二分に働いてくれるだろう。あとの二人を率いるリーダー役を任命している」

「よろしくお願いします」


化粧の濃い、ずんぐりむっくり体型の女性がペコリと頭を下げる。どことなく『おかん』といった容姿の、笑顔が似合う優しそうなメイドだった。


だがそんなことより、テスカは一番左のメイドが気になるのだが。


「真ん中は種子島影子たねがしまえいこ。二十六歳。とにかく美人だったし、料理も岡山さんに負けないくらい美味かったから雇った。体力はスズメの涙だが、勘が鋭いので第一印象よりは機敏に動ける。未熟だが教育次第で使えるだろう」

「……あ。え、えっと、よろしく、お願いします」


長い髪をバレッタで纏めた、メガネのメイドがぎこちなく頭を下げる。ベテランの桃と比べると、確かに未熟さが目立つ。美人だが、メイドとして使い物になるかどうかは今後次第といったところだろう。


それよりも、最後のメイドがおかしい。明らかにおかしい。


「そして最後。スキニーゴリラマッスル・マークスリーだ」


ドスン、と一歩前に出て、体長二メートルはあろうかという巨大なスキンヘッドのメイドが頭を下げる。

顔の掘りが深く、体はメイド服の上からもわかる程に筋骨隆々で、女性なのかどうか疑わしい。


それどころか、人間なのだろうか。そもそも名前すらまともではない。


「以上の三人が私たちの世話をしてくれる。なにか困ったことがあったら彼女たちに任せるといい。既にマニュアルは渡してある」

「ちょっと待てェーーー! お前、スバル、これっ……なんだ!? なんだコレ!」


テスカが狼狽えながらスバルに抗議すると、彼は想定内といった調子でテスカに答える。


「わかっている。お前の言いたいことはすべてお見通しだ。政府に狙われている現状で、新しい人材を雇い入れるのは愚策だと言いたいのだろう。スパイが紛れ込んでいるかもしれないのだからな」

「ええっ!? いやっ、ううん」


確かにそれも問題ではあるのだが、テスカはただひたすらスキニーゴリラマッスルのことが気になるだけなのだ。


スバルは真面目な調子で続ける。


「お前にはこう答えよう。来るなら来るで別に全然問題はない。何故なら、もしもこの中の一人がスパイだった場合、他の二人が全力で捕獲するマニュアルになっているからだ。全員それなりに腕が立つことは確認済みだ」

「いや、あの、スバル。そうじゃなくって」

「もしも三人全員がスパイだった場合は目も当てられない、と言いたいのだな?」


全然違う。

だがスバルは真意に気付かない。得意気に説明を続行するばかりだ。


「問題はない。少なくとも、この中の全員がスパイだということだけはありえないからな。何故なら、一人は私が自ら設計したアンドロイドだからだ」

「スキニーゴリラマッスルだな!?」


その説明で、すべて合点がいった。

しかし、テスカの指摘に、スバルは悪足掻きのように問う。


「……何を根拠に」

「普通の人間は苗字にマークスリーなんて付かないんだよ!」

「……まあ、それはともかくとして、誰が私の作ったアンドロイドかわからない以上、スパイは滅多な工作は一切できないだろう」

「スキニーゴリラマッスルだっつってんだろ!」


スバルは徹夜のせいで冷静な対処ができなくなっていたのだろう。売り言葉に買い言葉で、テスカに直情的に反論する。


「うるさい! 言わなければ、あとの二人にバレるわけがないだろう! 私のスキニーゴリラマッスルにケチを付けるつもりか!」

「ついに認めやがったな!」

「あっ。しまった。すまないが、このことはオフレコで頼む」

「手遅れだろ!」

「じゃあ私はもう眠るので、あとのことはよろしく頼むぞ」


スバルは一方的に話を打ち切り、スーツのジャケットをソファに放り投げ、ネクタイを緩めて、この部屋に備え付けてあったベッドに倒れ込む。


桃はそれを見送った後で、ソファに放り投げられたジャケットを回収し、部屋から退出。影子はそれに慌てて追随。


あとに残ったスキニーゴリラマッスルは、眠っているスバルに近づき、上布団をかけてから退出した。

音はしないのだが、彼女が動く度に床が歪む。おそらく身長から推定される以上の体重なのだろう。


「だ、大丈夫かな、この家……」


テスカが誰にともなく呟いたその発言。それに同意する者はいない。

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