第21話 はじめてのおでかけ太郎

屋敷を出てから気付いたが、この建物はバロック建築というべきものだった。

派手な装飾で飾り立てられ、遠目でも豪邸だとわかるような石造りの城。


今日の天気は晴れなので、青空に巨大な楼閣がよく映える。


呆けていると、遠くから声をかけられた。


「リンゴーーー! 早くいらっしゃいなー!」


主人の声を聞いたリンゴははっとし、すぐに大きく開け放たれた正門へと向かう。

この日が彼の初仕事だ。


◆◆◆

「えっ。歩きなの!?」

「歩きですとも」


正門から出たリンゴは、意外な事実に目をパチクリさせた。

シィプはさも当然といった顔をしている。


お金持ちというだけあって、リムジンで悠々と街を散策するのだろうかと考えていた。それができるだけの財力も満足に揃っているだろう。

てっきりそう思い込んでいたのだが、どうやら違うらしい。


「私、地球で普通に通用する運転免許は持っておりませんので。戦車にしたって一人では操縦できませんし」

「ああ……そういえば、この家にいる生きたメイドって先輩しかいないんだっけ。それに……」


臣下二人の前を悠々と、鼻歌混じりに歩くセンジを見る。

髪型はベリーショート。服は昨日見たような、動きやすさを重視したパンツスタイル。首やら手の甲やら頬やらに、絆創膏や包帯などが巻かれているのを除けば、どこからどう見ても普通の女の子にしか見えない。


「……お嬢様はどう見ても、免許取れるような年齢じゃないね」

「あらら心外ね。これでも私、クラスメートの中ではそこそこ大きい方よ? バストも!」


あからさまに自分よりも年下の女の子に、そんなことを言われても気まずいだけだ。可愛いことには可愛いが、それはシィプの『美しい』とは対称的な『愛らしい』と言うべきもの。性的な目では到底見ることができない。リンゴが苦笑いしていると、傍らにいるシィプがたしなめた。


「はしたないですよ、お嬢様」

「全裸で屋敷中を徘徊するヤツに言われたくないわよ!」


センジの言葉ももっともだ。リンゴはそのやり取りを見て、微笑ましく思う。

この主従、似た者同士だから気が合うのかもしれない。単なる雇い主と雇われ者の関係の他に、友情も感じる。


「仲がいいんだね、二人とも」

「ほへ? ああ……」


リンゴの素直な感想に、素っ頓狂な声を出したセンジは、首を傾げ、目線を上の方へと巡らせた。


「そうね。考えたことはなかったけど、結構相性はいいのかも。学校の友達よりも、一緒にいて安心するかな」


その言葉は非常に分析じみていて、情緒もなにも感じられない。

だが、前を向いているセンジは気付いていないだろう。

その言葉を受け取っているシィプの方は、気恥ずかしそうに頬を赤らめて俯いている。


リンゴの視線に気づいたシィプは、顔を逸らして知らないふりを突き通す。


「……現場まであとどのくらいかな」

「駅に行って電車に乗ってすぐよ」


センジが先導する徒党は、朝の道を進んでいく。

もうセンジは後ろを振り向かない。


◆◆◆

リンゴは、目覚めてからずっと焦燥感を覚えていた。

しかし、食事などの些細なことで記憶は想起され、蘇っていく。


おそらくリンゴの記憶喪失は、喪失というよりは混濁とでも言った方が的確なのだろう。


それは擦り傷のように、自然に治癒していくという自覚もある。


だから、未だに自分の名前すら思い出せなくとも、すぐに理解できた。

今、自分の目の前に広がっている景色は、間違いなく生涯で一度も見たことがない光景だと。


「凄い!」


自分の身長よりも何百倍も高いビルの群れ。

その間を走る、ピカピカした自動車の数々。

見渡す限り、そこら中を歩いている人々。


それらが全て、晴天のもと、リンゴの視界に怒涛のように入ってくる。


興奮しきっているリンゴに、センジはひたすら不思議そうな眼差しを向けている。


「凄いって、何が?」

「ああ、何が凄いって……何がだろう。何がとはわからないけど、きっと説明できないくらい凄いことが凄いんだ!」

「むう。よくわからないわ」

「わからなくってもよろしいではありませんか」


シィプが懐かしそうに、リンゴを見る。


「私も天王星からこちらに来たときは、ほとんどこんな感じでしたよ。ここって人口密度が太陽系規模で見ても高い場所ですからね」


東京の中心部、魔都『新宿』。

娯楽施設、行政施設、売店、駅、オフィスなど、人間に必要なものをひたすら詰め込んだようなカオスの坩堝るつぼだ。


規制はあってないようなものなので、少し歩けばストリートライブに行き当たる。

政治家たちが、車の上から何事かを訴えている。

鳩が人に慣れきって、歩道を闊歩している。

高架下の薄暗い場所で、人目を憚らずキスしているカップルがいる。


その混沌さ加減は、少し目を凝らすだけで、あっという間に酔ってしまう程に強い。


来たばかりの御上りさんに至っては、その場に立っているだけで脳内麻薬がとめどなく溢れることだろう。


シィプも経験があるので、よくわかっていた。


「しかし、この光景に興奮するとなると、やはりリンゴさんは異星人なのでしょうか」


リンゴは興奮を収めながら、シィプの方に顔を向ける。


「先輩は地球人類じゃないんだっけ。昨日チラリと聞いたけど」

「ええ。天王星原産、諜報特化人造人間エスピナージヒューマノイドです。機械化してるのでサイボーグでもありますね」

「へえ。モコモコの羊みたいな髪の毛以外は、人間と同じにしか見えないけど……」

「そうですね。天王星の人造人間ジェネレーターから排出される私たちは、人間と非常に近しいどころか、ほぼ同一の遺伝子構造を持っていまして……」

「二人とも!」


パン、と気分を切り替えるように、センジが両手を叩く。

むすりとした顔で、改めて目的を提示した。


「現場に向かうわよ」

「承知いたしました、お嬢様」


スイッチが切り替わったように、親しげだったシィプが顔色を変え、センジに向かって頭を垂れる。

それに倣って、リンゴも慌てて頭を下げた。


「さ。ちゃんと事前に住所は調べたわ。こっちよ」


くるりと踵を返したセンジは、人並みを縫うように歩いていく。

頭を上げたシィプは、ゆっくりとそれに追随する。それにリンゴも、横に並ぶようについていく。


「……うっかりしていました。ちょっと二人だけで盛り上がりすぎたようですね」


誰にともなく呟く。

それはリンゴに向けられた言葉というよりは、シィプが自分自身を戒めるための言葉だった。

リンゴ自身も気を引き締める。親しげとは言っても、結局自分は従者なのだ。


◆◆◆

「……お嬢様。本当にここで間違いがないのですか?」

「ま、間違いないわ。あのLEDの看板とか完全に写真のものと同一だし……同一のはずなんだけど!」


シィプの責めるような目つきに、センジはいたたまれなくなっている。

それもそうだろう。もう既に、現場は完全に片付けられており、新聞に載っていたような惨状は見る影もなくなっていたのだから。


「道路のど真ん中に死体の破片が転がってた、ってSNSでコメントされてた。ここは東京の中心だから、そんなものはずっと置いてはおけない。道路にちょっと血栓ができるだけで経済がダメージを受けるもの。わかるわ。わかるけども!」


本当に、その場には何も残されていなかった。

警察が近くの電柱に立てたらしき看板に『目撃証言はこちらまで』と連絡先が書かれているだけで、誰かが聞き込みを行っている様子すらない。


「う、うう。どうしよう、二人とも」


途方に暮れたセンジが、請うように二人を見上げる。


「どうって……先輩。なにか案は?」


リンゴも、これと言った代案はない。

シィプの方に目を向けてみれば、彼女は難しい顔で周りを見回している。


「案……いえ。ありませんね。ただ、その代わりと言ってはなんですが、ちょっと興味は出て来ましたね。あまりにも片付けるのが早すぎますし、なによりも聞き込みの一つすらしていないのは不自然すぎます。推定死者十数名ですよ? こんなにアッサリ済ませるわけがありません」

「でしょ? でしょ?」


少し救われたセンジが、シィプに誇らしげに胸を張る。

だがメイドは無慈悲だった。


「再度言いますが、だからって代案はありませんよ」

「ちくしょーーー!」


新宿の空に、虚しい叫びが溶けて行く。

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