第19話 ハードでアブナいイケナい執事

「ここがあなたの部屋です」

「……今さらなんだけど、やっぱりこの家って本当に広いね」


本当に今さらなリンゴの台詞に、シィプは失笑する。


「一億を気軽に出せるお嬢様ですよ? 広いところに住んでいなければ嘘でしょう」

「それはそうだけど」


内装からして、洋館だろうかとリンゴは推測した。

廊下に敷かれている絨毯がどこまでも長く続いている。リンゴが案内された部屋を少し覗いてみると、風呂、キッチン、日用品完備だ。

もうここだけで既に一般的な中流層の生活ができる。


「……本当にすみません。記憶を失ったばかりで、お辛いでしょうに」

「えっ」


部屋に気を取られていたリンゴは、シィプの方に顔を向ける。

申し訳なさそうにシィプは目を伏せていた。


「ですが、こうなったのも何かの縁。彼女との遊びに、なにとぞ付き合ってあげてください。どうか」

「ああ、いや、うーん……それ自体は別にいいんだけどさ……お前、俺にそんなことを言える立場じゃないだろ!? 俺、散々拷問されたんだから!」

「あれは謝りません。私の趣味です! 拷問なしに私は存在できない! 拷問されるのも大好きです!」

「そこまで言うか!?」


力強い言葉で力説するシィプは、ふと思案気な顔に変わる。


「ですが、まあ、確かに。楽しませてもらったのは確かです。礼くらいはしましょう」


シィプはポケットから、錠剤が大量に入った瓶を出し、それをリンゴに渡した。

リンゴはラベルが貼られていないその茶色の瓶を受けとり、疑問を口にする。


「……何これ?」

「私は何も見ていません」

「は?」

「地球では余裕で非合法な、天王星原産の興奮剤を手にしているリンゴさんなんて見ていません。一錠につき千万円くらいする薬を手にしているリンゴさんなんて見ていません。そしてそれを飲んでハイになったリンゴさんが、興奮のあまり部屋の中を全裸で走り回っている姿なんて見ていません」

「本当に何これ!?」


茶色の瓶を持つ手が震える。

そんなリンゴの動揺など意に介さず、もう一つ同じような瓶をシィプは取り出し、見せつけた。


「安心してください。お揃いですから。私も一人になったときに、よくキメてますから。あと天王星では兵士たちに積極的に投与されてますから。合法ですから! 私たちは地球で違法だなんて法律を知りませんから!」

「知ってるじゃん! いや飲まないよ!」

「……なんてね。冗談ですよ。ただの睡眠薬です」


ふふ、とシィプは穏やかに笑う。

美女の笑顔を不意に見せられ、心臓が跳ねあがった。

耐え切れなくなり、リンゴは顔を逸らす。


「……睡眠薬なんてなくっても、今日はぐっすりだと思うけど」

「そうですね。色々ありました」

「そういえば、さ。あの子の両親はどこにいるんだ? 彼女が次期党首ってことは、まだ生きてるんでしょ」

「……その部屋にパソコンがあります。奈良家のことを調べれば、ある程度のことはわかるかと」


シィプはそれだけ言って、スカートの端をつまみ上げて静かに礼をする。


「それでは、おやすみなさい。あ、そうそう。その睡眠薬、誰にも見つかりそうもない場所に隠しておいた方がいいですよ」

「本当に睡眠薬なんだよな?」


訊くが、しかしシィプは答えなかった。

にこりと笑い、その場から去って行く。

どうも彼女は、言っていることが嘘か本当かわかり辛い。


「……寝よう。本当に疲れた」


やっとのこと手に入れた安息の時間を、一秒でも無駄にすまい。

リンゴは部屋の中に入り、ドアを閉じた。

着替えもせず、ベッドに倒れ込む。


そういえば、自分にはなにか使命があった気がする。それは一体、何だったのか。


そんなことを堂々巡りのように考えている内に、深い眠りに落ちて行った。


◆◆◆

翌朝。

深い眠りの中に落ちていたリンゴの意識は、ファンファーレの音で現実へと引きずり出された。

あまりの大音量に体が跳ねあがり、ベッドから転落する。


「おはようございます、リンゴさん。朝ですよ」


何が何だかわからない内に起き上がり、声の方へと目を向けると、ピンク色の下着姿のシィプがいた。右手にはトランペットを持っている。

グラマラスに成熟したスタイルのいい体と、白い肌が朝に眩しすぎて、意識にかかっていた靄が一気に晴れた。

リンゴは信じられないような顔で目をこすり、なにかの間違いじゃないかと再度凝視する。

しかしやはり、シィプは下着姿の自分を惜しげもなく晒しているのだ。


「なんで下着姿!?」

「昨日、全裸で屋敷中を走り回ってたらメイド服を紛失してしまって……」

「なんで全裸で屋敷中を走り回ってるの!?」


と、訊ねてから頭に浮かぶ、あの茶色の瓶の映像。


「いや、いいや! 今の質問なし!」

「お利口な人は好きですよ。さて、今日から私があなたの先輩です。わかったら『はい先輩』と元気よく言ってみなさい。さあ!」

「は、はい先輩!」

「息が臭い! ご飯食べて歯を磨いて、風呂に入って執事服に着替えてからもう一回です!」


朝から慌ただしいが、一体今は何時だろう。

そう思って時計を確認してみれば、まだ五時半だった。


だが、一億円を貰っている身だ。この程度の早起きなら当然なのかもしれない。


オープンキッチンへと駆け込み、食材を確認する。

冷蔵庫の中には緑野菜やトマトなどが一通り。野菜ジュースにアップルジュース、卵とウィンナー、ベーコンもある。調味料などは台所の棚に並んでいて、食パンもそこに真空のパンケースに入れられた状態で保存されている。


「サンドイッチを作りますけど、先輩の分も必要ですか?」

「そうですね。いただきましょうか」


素直にシィプは頷いた。部屋の中央にあるテーブルの傍にある椅子を引き、座る。シィプはぶるりと身悶えした。


「……うう。下着姿だと椅子がひんやりして寒いです」

「それは流石に面倒見切れないよ!」


十分で二人分のサンドイッチが完成した。

卵サンド。ベーコンサンド。野菜サンドをテーブルに並べ、アップルジュースを二つのコップに注ぐ。


いただきますを言った後は、二人とももくもくと食事をする。

簡単な食事だったが、卵サンドは特に上手く作れた。

粉々になった卵と、瑞々しいパンのコンビネーションは実に素晴らしい。

パンをたいらげたあと、シィプがリンゴに笑いかける。


「……わかりやすい料理ですが、基本に忠実で高評価ですね。美味しいですよ、リンゴさん」

「ん!」


そのとき、リンゴの頭の中に、一瞬だけある映像が浮かぶ。

金色の髪の女性と食事をしている自分の姿。そのときも、今のように褒められた。

少し前まで、こんなふうに誰かと食事をしていたような気がする。


「……あ。ええと、どうも」


不審に思われないように、すぐに反応を返した。

こんな些細なことで思い出すなら、きっとすぐに記憶は戻る。焦る必要もない。


そう考えても、やはりなにかが引っかかるのだった。


◆◆◆

「……ううん。やっぱりちょっとブカブカかなぁ?」


風呂から上がったあと、執事服に着替えた。

ネクタイの付け方は、やり方がわからないので今は放置だ。


洗面台の鏡に映った自分の姿を見て、リンゴは首を傾げる。

だが、それ以上考えても仕様がない。


部屋の方に戻ってシィプに助言を仰ごうと、洗面所から出る。

椅子に座って手持ち部沙汰になっていたシィプは、それを見て耐え切れないとばかりに吹き出した。

当たり前だが、やはりまだ下着姿だ。


「まったく着こなしてませんね。服に着せられてる感じです」

「嘘でも馬子にも衣装って言ってほしかったなぁ。下着姿のメイドに言われたくないし」

「いいんですよ、下着姿に関しては。今この家には私と、あなたと、お嬢様しかいませんし」

「はい? それは……」


いくらなんでも不合理だろう。

この家は、一人のメイドで取り仕切れるほどの大きさではないのだから。

シィプはリンゴの言葉を遮って答える。


「ああ。人間以外を含めれば、そりゃあかなりの数がいますよ。家事を取り仕切る金星産の自動人形が大量に。今まさにお嬢様の料理を作っている厨房を見てみますか?」

「……なるほど。少なくとも先輩が下着姿で徘徊してても問題ないのか」


意志を持たぬロボットなら、文句を言うこともないのだから。

謎が解けたところで、リンゴは手に持っていたネクタイを掲げる。


「あのさ、先輩。ネクタイの結び方を教えてほしいんだけど」

「おや、まあ」


そこでやっとシィプは、リンゴがネクタイを付けていないことに気付いた。

時計を見て、少しだけ焦りを見せる。


「ふむ。ちょっとゆっくりしすぎたかもしれませんね。そろそろ六時十分です。見積もりが甘かったですね」


そう言うなりシィプは立ち上がり、早歩きでリンゴのもとへと近寄る。

刺激の強い姿なので、リンゴは大いに動揺した。


「え。あの、ちょっと先輩?」

「教える時間がないので、私がネクタイを結びます。さあ、それをよこして」


手に持っていたネクタイを奪い取り、シィプは真剣な面持ちで、それをリンゴの首に巻いていく。

肌色面積の高いシィプが、自分のネクタイを結んでいるこの状況。謎の興奮により、顔から火が出そうだった。


そのとき、何の前触れもなくドアが勢いよく開く。


「ああーっと! やっと見つけた! ここがリンゴの部屋ね! さあ今日から頑張って、行くわよーーー……う?」


三人が、固まる。

リンゴは呆気にとられて。シィプは純粋にビックリして。部屋に入ってきたセンジは、リンゴのネクタイをいじっているシィプの姿を目の当たりにして。


十三歳、思春期前半の彼女には『下着姿の親友が、男のネクタイを緩めにかかっている』ように見えた。


「ぎゃあっ!?」


変な叫び声をあげて、センジはドアの向こうへと姿を消した。

開けっ放しのドアから呪文のような声が聞こえる。


「保健体育の教科書第百六十五項、受精の仕組みについての欄によれば、卵巣から排卵された卵子は卵管采から卵管に入り卵管膨大部で精子と受精。受精後、約一週間で子宮内膜に着床し……」

「あの子なんか急に怖いこと言いだしたよ!?」

「おやおや」


シィプは困ったように笑う。


「ネクタイの乱れた執事に興奮するなんて、あの子も中々レベルが高いですね」

「いやもうちょっとわかりやすいシチュエーションだよ! あの子のショックの要因!」


リンゴがきちんとネクタイを締め、誤解だと弁明するまで、センジは延々と保健体育の復習をし続けた。

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