第4話 美少女をストーキングするマン
――神よ。何故私にこのような試練をお与えになったのです。
林太はこれと言った宗教は信仰していないが、このときばかりは天を仰ぎたくなった。もっとも、天を仰いだところで、漫画や化学の教科書に書かれているような青空は見えないのだが。
ここはジャンクポット。様々な要因で捨てられた厄介者の吹き溜まり。そこで起こる様々なイベントは、やはりというべきか、厄介なことばかりだ。
食事処。簡素な机と椅子が並び、奥のキッチンから包丁の音と鍋の煮える音が聞こえてくる。
その椅子の内の一つに座っている、ニコニコ笑顔のテスカは、カレーがすくわれているスプーンを、向かいの席の林太へと突き出している。
「この超辛口鬼畜カレー、超おいしいぞ。お前も食べてみろ。ほら、あーん」
「お前やっぱり、俺のことからかって楽しんでるだろ! いらないよ!」
娯楽に飢えた老人たちの一番の関心事。それは孫のように可愛がっている林太と、どこからかやってきた新入りの少女との微笑ましいやり取りだ。
その視線を受けている当の林太の気分は『気まずい』の一言であり、そしてテスカは明らかに、それらの状況全てを理解した上で楽しんでいた。
まるで付き合い始めの初々しい恋人のような仕草を、演技だとすぐにバレるようなわざとらしさで行っている。先ほどから口の端に滲んでいる邪悪な笑みが、林太には憎らしくなってきた。
「ああもう。俺、お前になんかしたっけ?」
「安心しろ。恨みを買うようなことはしていない。ただ私はなんとなくお前のことが気に入っただけだ」
素直に恨みを買った方が、何かと面倒が少なく済んだのだろうな、と林太は思った。
しかし、あの場で助けないわけにはいかなかったのも事実だ。でなければ、更に上階から振ってきたゴミに押しつぶされて、テスカは生き埋めになっていただろう。
テスカは林太の渋面を見ると、更に愉快そうに笑みを浮かべる。
「……性格面は間違いなく、私好みだよ。お前は」
「む……」
ストレートに好意を伝えられて、気恥ずかしさから林太は顔を背けてしまう。
その仕草を見て、テスカは少し慌てた調子で付け加えた。
「あ。林太。勘違いするなよ。もちろん恋愛的な意味で言っている」
「予想だにしないダメ押し来た! 今日会ったばかりじゃん!」
「時間なんていらないさ。お前は私を助けてくれただろう? 一応、私を助けたらお前の身にも危険が及ぶんだろうなってことは理解してたよ」
林太の顔がみるみる赤くなっていく。
今まで降りかかってきていた厄介事とは別種の何かが、自分をどんどん追い詰めていくのを感じる。
「お前はいいヤツだよ。林太。礼は必ず返す」
「……そう。期待してる」
テスカは冷静さをすぐに欠く性格といい、虚飾のない情熱的な言動といい、どこか浮世離れしている。常識知らずというよりは常識の外にいる、と表現した方がしっくりくるかもしれない。
ストレートが故に、彼女の言っていることには嘘がない。
しかし、彼女が嘘を言っていないことはわかるものの、どこか違和感を覚える。
それとなくテスカの目を覗き込んでみれば、その奥に林太を品定めしているような、打算的な何かが見え隠れしているのだ。
嘘は言っていない。だが、何かを隠している。
具体的に、隠しているというよりは言ってないことがある。
「……テスカ。それはともかく、さっきワケありだって言ってたよね。それって、何?」
すると、テスカはきょとんとした顔になった。そしてすぐに、笑顔に戻る。
「さっきは興味ない、みたいな素振りしてたのに」
「お前の言葉は信じよう。嘘は言ってないことは、目を見ればわかる。でも言ってないこともあるよね?」
「……予想以上だな」
くくく、とテスカの口から、耐え切れないように笑い声が漏れる。
「私は一度好きになった人間に嘘は吐かない。だが、もう言う必要はないな」
「……え?」
もう言う必要がない。
林太がその意味を理解する前に、彼は一瞬、意識を失った。
いつの間にか林太の傍らに立っていた大男が、凄まじい膂力から繰り出される蹴りでもって、林太の脇腹を蹴り潰したからだ。
林太は悲鳴を上げる間もなく、塵芥のように吹っ飛び、ガラクタを組み合わせて作っただけのキッチンを破壊しながら食堂の外へと叩きだされた。
予想以上の大きさの破壊音が出たため、テスカは顔を顰める。
「あーあー。派手にやってくれる。砂埃が立つから食事中はやめてほしいな、こういうの」
「見つけたぞ、テスカトリス・アヴァタリア」
「テスカでいいよ。長いし、舌噛みそうだろ」
テスカは激辛カレーを頬張りながら、既知の顔に語りかける。
「トリープだっけ。お前も大変だなぁ、こんなところまで来るハメになって」
本人としては心からの同情の言葉だったが、しかしトリープは余計に怒った。
「ええい、他人事のように言うんじゃない! とにかくさっさと上に帰るぞ!」
「断固として断るね! お前んところの雇い主と組むくらいなら死んだ方がマシだ!」
そう言うだろうと予測はしていたのだろう。それ以上、説得の言葉はなかった。トリープはボクサーのように、腰を落として腕を前に構える。
どう見ても、何らかの格闘技の構えだった。
「やはり力ずくで、連れ戻すしかないようだな」
「やれるもんならやってみろ。ただし、相手は私じゃないぞ」
またカレーを口に運びながら、テスカは横の方を指さす。その方向は、先ほど林太が吹っ飛んで行った方向だった。
「いたたたた……!」
脇腹を押さえながら、壊れたガラクタキッチンの粉塵の中から出てきた影を見て、トリープは目を見張る。
それは先ほど吹っ飛ばしたはずの少年、林太だった。大してダメージが残っていないようで、足取りもしっかりしている。普通なら脇腹を破壊されれば、真っ直ぐ歩くことすら困難なはずなのに。
「何するんだよ! ビックリしただろ! しかもキッチンも壊れちゃったじゃん!」
「……中々鍛えてるみたいだな、坊や」
何も意地悪で不意打ちをしたわけではない。わけのわからないまま気絶して、その間にテスカが消えていれば、彼の悲しみや虚しさも緩和されるだろうという温情からの一撃だった。
「キミが寝ている間にテスカを連れて帰る予定だった。どうもキミは彼女と仲良くなっていたようだったからな。キミに見えないように連れていけば、今日のことは奇妙でほろ苦い青春の一ページとして記憶に残るのみ。そのまま後腐れなく別れることができたはずだったからな」
「……なるほどね」
林太は小さく呟いた。まったく、面倒なことになったと目頭を押さえる。
「だから『もう』なのか。今まさに俺の目の前にいる、この男がお前の『事情』なんだな。テスカ」
ちらり、とテスカを見てみれば、彼女はカレーを食べ終わり、食器をカウンターへと戻していた。髭面で老年の店長はと言うと、その食器を何事もないかのように受け取っている。
そして壊れたキッチンの奥へと引っ込みながら、林太に苦々しく告げる。
「おい林太。喧嘩なら外でやれよ。終わったら後でこのキッチンも元に戻せ」
「ああ、うん。迷惑かけてごめんね、じいちゃん」
体についた埃を払いながら、林太は大男に向き直る。
その眼に宿る感情は、怒りもなにもない平常心そのものだった。
「悪いんだけど、テスカを連れて行かせるわけにはいかない」
「ほう。恋心からの言葉ならやめておけ。無謀だぞ」
その言葉の途中で、風切り音がした。
風に目を一瞬瞑ると、林太が一気にトリープの近くへと移動している。
「なっ!」
トリープは咄嗟にガードの姿勢を取る。そして、トリープの腕に横薙ぎの凄まじい力が加わり、一気に食堂の外へと叩き出されてしまった。
全てが一瞬の出来事であり、反射的な対応だったため、トリープは林太が何をしたのかまったく理解できない。
「飯代まだ貰ってないから」
ただ林太の言葉だけが、ひたすら平坦に聴こえる。
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