第5話 かなり強い太郎
「おおーーー!」
無邪気な声を上げるのはテスカだ。彼女は林太の鮮やかな『回し蹴り』を見ると、興奮しきって目をきらめかせている。
「すげぇ! すげぇなー、林太! トリープの巨体を吹っ飛ばすなんて!」
「他人事みたいに言うな! お前を守るためにやってるんだぞ!」
そう言われると、一瞬だけ虚を突かれたような顔になったテスカは、顔を赤らめて身をくねらせ始めた。
「……あ。なんだろう。今の言葉、凄いキュンと来た」
「いやトキメキポイントじゃないよ! 俺、怒ってるよ!? マジで!」
そんなやりとりをしていると、そこに隙を見たトリープが前傾姿勢で突進してくる。
そして、スピードを保ったまま右拳を槍のように突き出した。
しかし、その拳は空を切った。またしても素早い動きで移動した林太は、その巨体の下に潜りこみ、手近にあった椅子の足を掴んで横向きにスイングする。
椅子は向う脛にヒットし、トリープは痛みに体幹とバランスが揺らがせる。
「もうアンタは出禁だよッ!」
その隙をついて、林太はぐるりと体を回転させ、再び回し蹴りを食らわせた。ガードはされているが、この攻撃はトリープを移動させるためのものなのでダメージを与える必要はない。再びその巨体は、衝撃によって店の外へと叩きだされる。
「強い、な!」
トリープは素直に驚愕の言葉を口にする。
しかし、ガードを解いて視界が開けたとき、林太の姿はまたも消えていた。
トリープは周りを見渡してみる。すると、案外すぐにその姿を発見することができた。攻撃するでもなく、店の外、道のど真ん中に佇んでいる。
例えばここで、再びトリープが林太に突進をしかけても、もう店には入らないような位置に移動している。
林太は、世間話でもするような気軽さで、トリープに指摘する。
「……お兄さん、弱いね。せっかくの巨体が台無しだよ。ていうか格闘技の経験ゼロでしょ。パンチが全然なってない。ボクシングスタイルもテレビでの見よう見まねっぽいし」
「ここ、テレビの電波来るのか?」
「一応来る」
どこかズレた応酬は、そこで終わった。トリープがスーツのポケットから、何かを取り出したからだ。
それは手の平から溢れるほどに大きな、青い宝石。
「これから腕一本動かすことができない体になるんだ。テレビが見れてラッキーと思っておけ」
「何、その宝石?」
「俺の触媒」
林太は、はっとした。
「水星産の魔宝石……魔術師か!」
「今さら気付いても遅い!」
宝石が煌めきを増し、街中を覆い隠すような強い光が放たれる。無理やりに閉じそうになる目をこじ開け、凝視してみれば、トリープの姿がどんどん巨大化していく。
過去に図書館にある本で見たことがある。
魔術師は、水星で採れる魔宝石と呼ばれる特殊な結晶を媒介に、別の世界の法則を、この世界に持ち込むことができる。それを俗に魔術と呼び、それを操る者を魔術師と呼ぶ。
別の世界の法則を持ち込むことによって、どんなことができるのか。様々なことが書いてあったが、ひとまず目の前で起こっている現象の名前は『
自分の姿を、自分よりも強い別の物に変える魔術。
今、トリープの姿は、人間を鶏卵のように軽々と丸のみにできるような巨大な蛇となった。
青い鱗がジャンクポットの僅かな光によって、てらてら光っている。当然、その大蛇の目は林太を睥睨していた。
光は収まり、その姿がはっきりと見えるようになる。
「……ちょっとこれは手に負えないだろッ!」
林太はすぐに踵を返す。手に負えないのなら、逃げるしかない。林太はその素早さを、今度は逃走のために使う。
そんな林太を、大蛇と化したトリープは体をうねらせ、ときに周りにある住居に接触しながら追う。
巨体なので、掠った程度の衝撃で、ガラクタ造りの家は粉々になった。
「後で修理に戻るから、みんなごめーーーん!」
林太はそのまま走って、トリープから逃げる。大蛇と化したトリープは『ホームでなら逃げ切れると思っているのか』と呆れながらも、全力で林太を噛み殺そうと迫る。
林太は既にトリープの喧嘩を買ってしまったのだ。もう後戻りはできない。
このまま追い続けていればいつかは疲れるだろう。そのとき、トリープが一噛みすればいい。大蛇の牙には強力な神経毒が分泌されている。地球産の人間が相手なら、それだけで致命的だ。
逃走劇が始まってから五分が経過。林太はついにジャンクポットの居住区から逃走。しかし、トリープもそれに負けじと追う。
ここでトリープは、ふと思った。
もしかして彼は、居住区を破壊させないためにトリープから逃げていたのではないか。目立った建物がない場所へと誘導するために。
だとしたら、既に彼は勝負のことを最重要視していない。
(舐められたものだ)
大蛇の目が鋭くなった。見る人が見れば、多少苛立ちを覚えているのだろうとわかったかもしれない。
更に五分が経過。いつの間にやら、ジャンクポットの大穴の下へと来ていた。トリープは考える。
(ジャンク塗れで、鋭利な物が地面から突き出しまくっているこの場所なら、変化を解くだろうとでも思っているのか)
確かに地面から突き出しているパイプや、散乱しているガラス片が体に突き刺さったら痛いだろう。特に、体重が増しているのだから、もがけばもがくだけ突き刺さっていくかもしれない。
だが、それだけだ。人体で例えるなら裁縫の針や画鋲が突き刺さるようなもの。我慢すればまったく問題はない。
(まったく、不愉快だ。あんなガキに舐められるとは)
ゴミの山をかき分けながら、更に林太に迫る。
あと何分ほどすれば追いつけるだろうか、と億劫に考えていると――
「おし! 到着!」
逃げていた林太がぐるりと、大蛇の方を向いた。
少し驚くと共に、トリープは心の中で笑った。思ったよりも早く終わりそうだ、と。
立ち止まっている林太に向かい、嬉々として大口を開け、噛み殺そうとした、その瞬間――
爆音が響いた。
◆◆◆
テスカは、食堂での林太の立ち振る舞いを見て、すっかり心を決めていた。
実のところ、林太はテスカが心の中で設定していた基準を見事に満たし、テスカの中で決定的な存在となっていた。
あのスピード。そしてパワー。ついでに、物怖じしない、あの態度。
『欲しい』と思うのに充分すぎる人間だ。
だからこそ、林太が大蛇と化したトリープから逃げても失望なんて感じなかったし、むしろ自分の分を知って無謀な戦いを挑まない、その性格も好ましいものだった。
トリープに殺されない内に、なんとしてでも林太を確保する。そのためにテスカは走った。しかし、ジャンクポットの大穴の下で繰り広げられていたのは、テスカの頭脳を停止させるような光景だった。
「バカな……バカな、バカな、バカな。こんなバカなっ!」
大蛇と化したトリープが、取り乱しきった声を響かせながら林太に突進する。しかし、得体のしれない爆音が響いたかと思うと、蛇の首はありえない方向へと曲がり、ゴミの山へと突っ込んだ。
「……は、はは。マジかよ。嘘だろ」
テスカは、空笑いを浮かべる。背中から、変な汗が止まらなかった。あのトリープが、全力を出しながらも、軽くあしらわれている。
生身の林太に!
「もうお終いだよ、お兄さん。アンタは俺に勝てない」
「黙れ!」
再度、大蛇がその首をしならせ、林太に突進する。
衝撃のあまり、何が起こったのかわからなかったが、今度はテスカの目にもしっかり映った。
林太は、手近にあった鉄パイプをゴミの山から引っ張り出し、それを振るって大蛇の頭に叩きつけている。
それだけだ。それだけのはずなのに、大地を揺るがすような爆音が響き、大蛇の頭があらぬ方向へと吹っ飛んで行く。
テスカは頭がおかしくなりそうだった。眩暈がし、二、三歩後ずさる。
「そんなバカな。食堂で披露してた身体能力は、確かに極限まで底上げはされていたけど『常識的な人間の範疇』だったはずだ! そんな林太が、なんで……?」
「知りたいですか?」
テスカは肩をびくりと震わせる。
いつの間にやら、傍には林太の育ての親、琴良がいた。風に黒いコートをはためかせ、悠々とゴミの山の上に立っている。
「あれこそ、私の家系に伝わる剣術。その名も……」
「その名も……?」
しかし、そこで琴良は頭を捻った。
「……あ、忘れた。えーと、じゃあ仮に
「お前の家系に伝わってるもんだろ!? それお前がジャ●ーズ好きなだけじゃねぇか!」
「関邪丹流の極意は、単純明快にして邪道。武器を徹底的に道具として扱うことなのです」
テスカの話は都合の悪いものとして、完全になかったことになった。
しかし、今はその関邪丹流の概要が気になる。テスカは琴良に突っかかるのを必死で抑え、話を促す。
「武器を振るったとき、体にかかる負荷。普通ならそれを人体と武器とで折半するのですが、関邪丹流は違います。
体にかかる負荷を全て武器に押し付け、その分浮いたエネルギーを更に攻撃に転用し、その負荷すらも武器に押し付ける。
これを繰り返すことによって、人間の範疇にいながら、化物を殺せる最高の一撃を加えることが可能になるのです。
反動を恐れずに攻撃できる、これ即ち、無限の攻撃力。これこそが
「流派の名前変わってんぞ!」
「村上くん大好き!」
「知るかッ!」
テスカに怒られ、ごほん、と琴良は咳払いをする。
「村上流の存在意義は、さっき言ったことに集約されます。常識的な人間の範疇にいながら化物を殺す一撃を。ただ、剣を使い潰すことが前提となっている以上、鍛冶屋や同じ剣術師たちからは総じて外道って呼ばれるハメになったんですけどね。彼らにとって剣は魂ですから」
そう言う琴良はどこか寂しそうな顔で、大蛇を薙ぎ倒す息子を見る。確かによくよく見てみれば、大蛇を攻撃した後の廃材は見るも無残に曲がったり、粉々に破壊されている。
そしてそれを、無感動に林太は投げ捨てる。このジャンクポットにお似合いな戦い方だった。道具を道具以上に扱わないその姿は、どことなく寂しい。
テスカは頭をかく。
「なるほど……なんとなくアンタらが、ここに墜とされた理由がわかったよ」
人によっては激怒されかねないその言葉に、琴良は柔らかい笑みを浮かべた。
「やっぱりそうですか? でも道具を大事にして、もっと大切なものを失う方が、私には耐えられなかった。それだけの話ですよ。林太もなんとなく、そんな私に似ている気がします」
その評価に、テスカは頷かない。独特の爆発音を響かせる林太を遠目に見つめる眼は、どろりと熱っぽい光を帯びていた。
「いいな……本当にいい。最高だ。アイツ以外にいない。アイツがいい。アイツじゃないとイヤだ」
熱にうなされた子供のうわ言のような言葉を吐きながら、テスカは林太のもとへと走り出す。まだ戦いは半ば。今行ったら、巻き込まれるのは火を見るより明らかだ。
琴良は、そんなテスカを止めなかった。
何故だったのかはわからない。テスカの異様な雰囲気に飲まれたのかもしれない。
ただ、悪い予感はしなかった。
たまにあるのだ。このジャンクポットにおいても、運命めいた大きなことが起こる前兆のようなものが。そして大概、それを止めることはできない。
ただ身を任せるだけだ。
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