第29話

 自転車を起こすと俺はサドルにまたがった。


 瓦礫まみれだが、家を出てすぐにある下り坂の道はまだ残っていた。


 坂の上から見下ろして考える。


 ああ、俺はきっと間違えたんだ。


 最後の最後で失敗したんだ。


 俺は未練を向こうの世界に残してきた。


 それで何が変わるかなんてわからねぇ。


 けど、俺は行かなきゃならん。


 あんな別れ方で終われるか。


 俺は坂道をこぎ出した。


 下り坂を自転車は風のように疾走する。


 スピードに怖くなった。


 ブレーキをかけたくなった。


 恐怖に俺は歯を食いしばる。


 そのまま坂の終点のガードレールにまっすぐ突っ込んでいった。


 衝撃とともに、身体が宙を舞う。


 落ちる。堕ちる。


 このまま死んじまうかもしれん。


 けど、そんなことよりも俺はただ、願った。


 もう一度あの世界に行かせろ……と。



 どさっと落ちると、そこは毛足の長い赤絨毯の上だった。


「よっしゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 腹の底から声を上げる。


 俺は絨毯にひざまづくようにキスをした。


 顔をあげると待っていたのは……空の玉座だ。シルファーの姿が無い。


「おい! 誰かいねぇのか!」


 俺の呼びかけに、小さな影が玉座の裏から姿を現した。


 猫執事だ。


 俺の担当の、やたら素早いアイツじゃねぇか。


「よかった。なあ、シルファーはどこだ?」


 猫執事は困っていた。ああ、そうだった。こいつに質問する時は、イエスかノーかで答えられるようにしてやらんとな。


「シルファーは城内にいるのか?」

 イエス。


「このフロアにいるのか?」

 ノー。


「じゃあ上のフロアか?」

 ノー。


「地下か?」

 イエス。


「地下牢か?」

 ノー。


「地下牢の……もっと下だな!」

 イエス。イエス。イエス。


 と、猫執事は三回首を縦に振った。


 シルファーが向かったのはきっと、封印の間だ。


 手を振る猫執事に見送られ、俺は赤絨毯の上を走る。


 疾駆する。


 ああ、走れる。


 いつも通りだ。


 いったん向こうに戻ったから、スキルも能力も走る力も、すべてリセットされちまったかと思ったぜ。


 俺は地下牢に向かった。


 牢屋は空だ。


 どうやら各国要人はイズナに救出されたあとらしい。


 ってことは……シルファーは……もう……。


 嫌な予感を振り払うように、俺は秘密の入り口から長い下り階段に飛び込んだ。


 転げ落ちるような勢いで、一気に階段を駆け下りる。


 ほとんど落下するような速度だった。


 五分と掛からず階段を下りきり、地の底へとたどり着く。


 広い空間の真ん中に黒い正方形の建物があった。


 以前と変わらず封印の間は健在だ。


 俺は走った。


 身体は風と一体化したようだった。


 あっと今に封印の間の入り口が近づいてくる。


 扉に手をあて、押し割るような勢いで開いた。


 中は……銀河が渦巻いている。


 モンスターたちの彫造が一斉に、宇宙の深遠から集まってきた。


 まるで俺が進むのを拒むように立ち並ぶ。


「シルファー! 魔王シルファー! どこだ!? いるんだろ!?」


 俺の呼びかけで、いくつかの彫造が引き寄せられて整列した。


 どれも魔王と呼ぶに相応しい伝説級のモンスターだ。


「違う。なら……勇者ラフィーネ! 来い!」


 魔王の彫造たちがちりぢりになったかと思うと、今度は英雄や勇者と呼ばれる者たちの彫造が集まってくる。


 その中にも彼女はいない。


「クソッ……検索条件が違うのか……絞り込み方がまずいんだな」


 ここにいる。


 絶対に、この四角い宇宙の中にいる。


 俺は叫んだ。


「自画自賛が好きで、風呂が好きで剣が得意で、風の魔法も使えて料理ができて、勉強家で多趣味で、ルアーを自分で作って釣った魚を燻製にして、サンドイッチの具にするようなやつで、クールな外見だけど案外涙もろくて、笑うと可愛くて、寂しがり屋で後輩想いで、胸が大きくて、銀髪が綺麗で瞳がサファイアみたいで、猫の着ぐるみを着たりして、紅茶が好きで……俺が今、一番会いたいって思ってる魔王シルファーをだしやがれ!」


 いくつもの彫造が目の前を錯乱したように飛び交った。


 俺が言い切ると、そいつらは息を合わせたように、俺の目の前に二列縦隊を形成する。


 前に進んだ。


 彫造たちは左右に分かれるように、俺に道を空ける。


 中にはガルーダやドッペルゲンガーの像もあった。


 俺は進む。足取りはだんだんと速くなり、そのうち走り出していた。


 走り続ける。


 闇の中を。


 星々を追い越して深遠の先へ。


 進みきったその先に……等身大の女神のような彫造がぽつりと、残されるように立っていた。


 長い髪をなびかせるようにした、シルファーだった。


「シルファー……本当に自分を封印しちまったんだな」


 彫造は答えない。


 触れてみると驚くほど冷たかった。


 陶器のような質感だ。


 シルファーの頬に手を当てる。


 表情は穏やかだ。


 なのに目尻から一筋、涙が落ちていた。


 固まっちまった涙じゃ、ぬぐうこともできねぇだろ。


「バカ……やっぱ嫌だったんじゃねぇかよ」


 俺の住んでた世界はあの有様だ。


 滅んでなけりゃ、こうして戻ってこなかった。


 感謝するなんて不謹慎だよな。


 けど、そうじゃなきゃ俺はここにいない。


 こいつをずっと泣かしたままだった。


 こいつの涙に気づけてよかった。


 こいつがこんなことになってんなら、イズナだって辛いだろ。


 あいつは真面目で良い奴で、今や世界を救った英雄だ。


 だから、もし仮にあいつがシルファーにもう一度会いたいと望んでも……ダメなんだよ。


 俺は言った。


「おい。起きろよシルファー。ここに……いるんだ。お前を必要としてる……お前の復活を望む……邪悪な存在が」


 俺は彫造になったシルファーを抱きしめた。


 体温と一緒に俺の命を吸うかのように冷たい。


 けどな……この世界での俺は不死者なんだ。


 心臓があるって? 知るか!


 俺は死んでも死なねぇ。


 だから、死なねぇから……。


「俺はお前を離さねぇ!」


 心の底から願う。


 魔王よ復活しろ!


 世界なんてどうなったっていい。



 ただ、俺のために!



 ふっと、彫造の温度が変わった。


 吸われる一方だった体温が向こうから流れ込んでくる。


 カラカラと音を立てて、彫造は割れて砕けた。


 その表皮が剥がれ落ちて脱皮でもするように、魔王を包む硬質な殻が脱げていく。


 抱きしめる俺の腕に柔らかい感触が甦った。


 シルファーの頬を涙の雫が伝って、細いあご先からしたたり落ちる。


「アーク……なのか?」


 シルファーが震える声で呟いた。


「ああ。俺だ。さっきはよくも強制的に向こうに返してくれたな」


「さっき?」


「そうだ。百年の眠りから覚めたとでも思ったか」


「か、格好がつかぬではないか。せっかく自らを封印したというのに……ど、どうやって我の封印を解いたのだ?」


「心の底から願っただけだ」


「わ、我を心の底から欲するというのだな」


 恥ずかしい言い方だが、俺はうなずいた。


「そうだ。俺はお前が欲しいって思ったんだ。お前をこのままにはできねぇ」


「だが……我は……」


「いいか。何度お前が自分の殻に引きこもったって、俺が外に連れ出してやるからな」


「それでは困るのだ。それでは世界が……」


「つべこべ言うな」


 両腕で彼女を逃がさないよう抱きしめたまま、俺はそっと……口を塞いだ。


 強く抱きしめる。


 つっぱねられるかと思ったが、シルファーは……泣き出した。


 驚いて唇を解放する。


「わ、悪い。なんつうか……スイッチ入った」


 俺の中の道化魔人は健在だ。


「な、なんという言いぐさ。ひどいではないか……わ、我は初めてだったのだぞ」


「俺だって……そうだよ」


 唇が触れあう感触に心臓の鼓動が早まった。


「このようなことをして、こ、子供を身ごもったらどうしてくれる!」


「んなわけあるか!」


「もう少し……ロマンチックなのが良かったぞ」


「う、うるせー」


 涙混じりに彼女は首を傾げた。


「どうして戻って来てしまったのだ?」


「戻りたいって思ったからだ。そもそもこの世界の魔法だのマナだのは、人の願望の力なんだろ。どうしてと言われても、理屈なんて知るかよ。通じちまったんだ。俺の願いが……」


 腕の中でシルファーは小さくうなずいた。


「そうであったな。では、アークは世界を越えてまで、我に会いたかったのだな。この寂しがり屋さんめ」


「それは……会いたいってのはもちろんだが、忘れ物をしたんだ」


「忘れ物とな?」


 俺は首を縦に振った。


「まだこっちに千億マナ以上、残したまんまだろ。魔王シルファー。俺にスキルを授けてくれ」


 そう都合良く望みが叶うかって?


 そんなもん、口に出してみなきゃわかんねぇだろ。


「わかった。では……選ぶが良いアークよ」


 宇宙空間の天と地を覆い尽くすように選択肢のウインドウが開いた。


A(天):世界を救う力

B(地):二人の少女を救う力


 二つの願いは世界を隔てるように、宇宙の彼方まで平行線を描いていた。


 ほっほーう。そう来たか。そんなもん決まってる。


 どっちをとるかなんて、簡単だ。


 俺は叫んだ。



「つべこべ言うな! 両方よこしやがれ!」



 瞬間――。

 密室の中の宇宙は凝縮すると、爆発を起こした。


 ☆


 スマホのタイマーが目覚まし時計代わりに鳴る。


 目を覚ますとそこは、硬いベッドの上だった。


 なんか頭がだりぃ。


 脳みそを圧迫されるみたいな、いつもと違うしんどさだ。


 結構寝てたんだけどな。


 寝たりねぇのかな?


 なんか、妙に長い夢を見てた気がする。


 なんだったかな。


 すっげえ楽しかったってのは覚えてるんだが、いまいち頭の中がぼんやりして、思い出せねぇ。


 部屋を出てトイレにいって、歯を磨いて……。


 母親が不思議そうに俺の顔をのぞき込んで聞いてきた。


「なにかいいことでもあったのかい?」


「ん? そう見えるか。つうか親父は?」


「もう出たわよ。あんたも急がないと遅刻するわよ」


「わーってるよ」


「遅刻しそうになっても、あんまり無茶しないのよ」


「するかよ。無茶して歩けなくなるくらいなら、堂々と遅刻してやるぜ」


 まあ、足の怪我の後遺症とは一生のお付き合いみてぇだからな。


 なっちまったもんはしょうがねぇ。


 制服に着替える。


 あれ? つうかうちの学校って、こんなブレザーだったか?


 ま、いっか。


 朝飯を食ってる時間が無いんで、パンでも食べながら行くとしよう。


「いってらっしゃい」


「いっへひまーふ」


 パンをかじりながら母親に告げて玄関から外に出た。


 日差しのまぶしさに目を細める。


 チャリの鍵を解錠して、念のためブレーキを握ってみた。


 ちゃんと利くのを確認する。


 いつもの下り坂を、ブレーキを何度もこまめにかけつつゆっくり下りていった。


 街には春の匂いが満ちていやがる。


 桜並木を抜けて通学路をチャリで進む。


 途中で一度も信号に捕まらなかった。


 学校が近づくと登校中の生徒が増えてくる。


 なんか、女子率高めだな。


 こんなんだったか? うちの学校。


 正門前でチャリを降りると、自転車置き場のいつもの場所に停めた。


 どうやら間に合ったな。


 遅刻しなくて済みそうだぜ。



 朝のホームルームの予鈴とともに、俺は教室に入って息を吐く。


「おはようございます。阿久津くん。遅刻ギリギリですよ」


「ん……あれ? 誰だお前……はあ? はあああああ!?」


 俺が教室で声をあげて、クラスメートたちの視線が集まった。


「なんでイズナがいるんだよ?」


「と、当然じゃないですか。クラスメートなんですから」


「いやいやいや……お、思い出したぞ」


 俺は夢なんか見ちゃいねぇ。


 異世界で願ったんだ。


 世界を救って二人も救うって。


 ってことは……。


「はっはっは。おはようアーク……ではないな、阿久津志郎よ!」


 腕組みをして胸を張り、女子高校生の制服姿で魔王は言った。


 どうやら世界は改変されたらしい。


 俺が通ってた学校は、最近共学化された元女子校で、国際色豊かな校風が自慢なのだとか。


 留学生に異世界人が混ざってるけど、いいのかよ。


「我はシルファー! 異世界から転生して女子高生をやってみることにしたぞ!」


 つーことは……今度は俺がこっちの世界でホストをする番ってわけだな。


 ま、そういうのも悪くねぇ。


 二人の笑顔に俺は「うるせー」と、いつもの口振りで返した。


<おしまい>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

勇者攻略!! ~魔王と契約したら十万回死んでこいと言われた~ 原雷火 @Hararaika

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ