第27話

 スキルを手に入れたからといって、自分自身に何か変わったってことはねぇ。


 確認のために、もう一度シルファーにマナの結晶を見せてもらった。


 色は赤で鈍い光をたたえてやがる。


 俺の手持ちは1000マナだ。


 つまり、スキルは手に入ったって証拠なんだが……。


 念じてみても、何も起こらん。


「アークよ。百億マナのスキルを手にした感想はどうだ?」


「使うもなにも、もしかしてMPが足りねぇのかもな。スキルってのは使うほど成長するんだろ? で、強力なスキルになれば俺への負担も大きくなる。だけど、あんまりにもデカすぎるスキルなもんで、俺の力が足りないから使えないのかもしれん。ああ、なんでこんなこと気付かなかったんだよクソが」


 猫執事の着ぐるみに入ったまま、シルファーは首を横に振った。


「そう嘆くでない。しかし、使えぬスキルを得るというのは、考えにくいことであるな。そういったスキルであれば、そもそも二択に上がってはこぬ」


「じゃあ、どういうことだよ」


「常に効果を発揮するスキルやもしれぬぞ」


 言われて俺はハッとした。


 パッシブスキルの可能性だ。


 そういや、ミノンのスキルはパッシブスキルで固められてたぜ。


 じゃあ、どうなったんだ?


 俺の特技は敏捷性だ。


 ミノンのやつが筋力や体力強化のパッシブスキルを得てたんなら、俺の場合はまず敏捷性に関するものになるだろう。


「ちょっと中庭を走ってくるわ」


「そうであるか。汗を掻いたなら申すが良い。背中を流してやろう」


「その猫みてぇな格好でか?」


「風呂に入る時は服を脱ぐものだ。そしてこれは服であるからな。楽しみにしておれ」


「マジかよ……」

 肉球ハンドを振って執事長(魔王)は俺を部屋から送り出した。



 中庭に降りると、この世界に来たばかりの頃を思い出す。


 俺は外周部をぐるぐると走ってみることにした。


 身体は軽く加速もスムーズだ。


 呼吸は整いフォームも崩れない。


 今まで生きてきた中で、一番うまく走れていた。


 って、そういうことじゃねぇよ!


 パッシブスキルと関係ねぇよこれ!


 せいぜい、最近の戦いで微増した敏捷性の恩恵だろうが。


 あーっ……ったく。


 百億のスキルが聞いて呆れるぜ。


 四周~五周と走るうちに、俺の足はドラゴンたちが控えているあたりで止まった。


 イズナと接戦を演じたブルードラゴンがうずくまっている。


 他にも翼竜や三つ首ドラゴンが出番を待つよに待機状態だ。


 いつかそのうち世話になるかもな。


 まあ、今は千マナしかねぇし、それがいつになんのかわからんけど。


 俺がブルードラゴンに触れると……目の前にウインドウが浮かんだ。


「購入しますか? って、バカか。こっちの手持ちマナがいくらだと思ってんだよ」


 ブルードラゴンの価格を確認した瞬間――俺は世界がバグっちまったのかと焦った。


 ヤバイ。こりゃ、ヤバイ。


 この時やっと、百億マナで手に入れたスキルがなんなのかを、俺は理解した。


 ブルードラゴンの価格表示が1マナに変わっている。


 こいつだけじゃない。


 中庭で一番高い三つ首ドラゴンも、一番安い水滴型のスライムも、全部1マナだ。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 俺は中庭で雄叫びを上げた。


 もしかして、一度きりの購入権利か?


 いや、パッシブスキルってのは常に効果を発揮し続ける。


 有効範囲は中庭だけなのか?


 俺は自室に戻った。


 執事長の姿がない。


 すぐに他の猫執事に居場所を聞くと、執事長は風呂に行ったらしいことがわかった。


 俺は城内の廊下を走った。


 すると、風呂上がりらしく、ほんのりほっぺたを赤らめたイズナが、パジャマ姿で廊下を猫執事に案内されていた。


「そんなに急いでどうしたんですか?」


「ちょ、ちょっと俺も風呂にな。つうか……風呂から上がったばっかなのか?」


 風呂でシルファーとばったりなんてことはねぇだろうな。


「少しテラスで夜風にあたってました」


「あ、ああ……そうか。じゃあお休み」


「お休みなさい」


 イズナはちょこんとお辞儀した。


 どうやらシルファーとは遭遇してねぇみたいで、一安心だ。


 風呂はもうすぐそこだった。


 イズナと別れ、風呂場の前に到着するなり、俺はノックもせずに脱衣場に飛び込んだ。


 執事長の首が脱衣場の床に転がっている。


 紫色の下着が着替えを入れるカゴの中に放り込んである。


 慌てて後ろ手にドアを閉めた。


 まあ、イズナは風呂上がりだから戻っちゃこねぇだろうけど、こんなもんが転がってるのを見たら、ぎょっとすんだろ。


「シルファー聞いてくれ!」


 浴室のドア越しに俺が言うと、ドアが開いた。


「おお。ちょうど今から身体を洗うところだった。さあ、貴様も脱いで入るが良い」


 シルファーは浴室の湯気をまといながら、生まれたままの姿で脱衣場に戻って来た。


 そこに、トントンとノックが響く。


 振り向くと城内側の廊下からだった。


「どなたか利用中ですか? あの、ヘアピンを忘れてしまったみたいなのですが……」


 イズナだった。ヤッベエエエエ! シルファーと鉢合わせはまずい。


 俺はすかさず服を脱ぐと、全裸のまま城の廊下側のドアを開いた。


「のぞきに来るとは良い根性だ! 露出度ナンバーワン道化魔人アーク様、颯爽登場だぜ。なんだイズナ? テメェさては俺とお風呂プレイ希望ですか?」


「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 イズナは顔を両手で押さえるようにしながら、廊下の向こうへと走り去っていった。


 よし。これで奴はもう来ない。


 全裸のまま胸をなで下ろしながら脱衣場に戻ると、シルファーが瞳を輝かせて

浴室の扉の向こうから手招きしてきた。


「よくやった。我が秘密を守った功績をたたえ、特別に混浴を許すぞアークよ」

 さっきはなんもしてねぇのに、入ってこいとか言ってなかったか?


「入るかよ!」


「脱いだのだから良いではないか。その焦りようからして急ぎの用件であろう。一緒に風呂に入るというなら、話を聞こうではないか」


 俺としては一刻を争う事態だ。


 背に腹は代えられん。


「わ、わかった。けど……こっち見るなよ」


「イズナには見せて、我に見られるのを恥ずかしがるとは不思議であるな」


 相手によるんだよ! 悲鳴を上げて顔を隠す奴ならいざしらず、まじまじと見てくる奴に見られたら恥ずかしいだろうが。



 浴場の隅で身体を洗うと、俺はシルファーに背中を向けて湯船に浸かった


「背中を流してやると言うたのに、いけずであるな」


「うっせーよ」


 シルファーが湯船に浸かる……って、く、くっついてくんなよ!


 隅っこに逃げた俺の背中を背もたれにするように、シルファーのやつ……密着してきやがった。


「それで、緊急の用件とはなんだ?」


「用件っつうか、スキルがどういうもんなのかわかったんだ。世界を手に入れるスキルってのは、嘘じゃなかったぜ」


 俺が選んだスキルは、この“世界を手に入れる力”だ。


 滅ぼしたってシルファーやイズナが救われるとは思えねぇ。


 二人とも、この世界の平和を願って魔王なり勇者なりをしてるんだからな。


 誰よりも世界を愛してるんだ。


 世界の方は……二人を利用してるけどな。


 俺の手に、シルファーがそっと指をからめてきた。


「そうか。しかしアークよ。魔王である我を差し置いて世界を手に入れるとは、不埒にもほどがあるぞ」


「テメェが征服しねぇってんだから、俺がもらってやるっつってんだよ」


 シルファーは絡めた指をそっと握るようにしてきた。


 背中越しに密着して、無いはずの俺の心臓が胸から飛び出しそうだ。


 なのに、不思議とこの場から逃げる気は起きなかった。


「征服したら世界ともども我も貴様のものになるのか?」


「ま、まあ……世界を手に入れるってことは、魔王も勇者も俺が独り占めってことだからな」


「なに? い、イズナもか? いや……そうであるな。仲間はずれはよくないからな」


「はああ?」


「話を続けよアーク。して、どのようなスキルであったのだ?」


 俺はゆっくり息を吐くと、シルファーに告げた。


「さっき、中庭を走ってみたんだが、どうやら敏捷性に関するスキルじゃないみたいでな。ふとブルードラゴンに触ってみたら、購入するかどうかってウインドウが開いたんだ」


「ほほう。それで?」


「1マナで買えるようになってやがった。ブルードラゴンだけじゃねぇ。中庭のモンスター全種類だ」


「な、なに!? それは……恐ろしいスキルであるな」


「だろ? それで、封印の間のモンスターにもこのスキルが通用してんのか、確認に行きたいんだ」


「よかろう! 善は急げだ」


 シルファーは俺の手を離すと立ち上がり、右腕をあげて指を鳴らした。


「転送魔法!」


「って、ちょっと待てぇぇい!」


 俺とシルファーの足下に魔法陣が生まれ、二人一緒に光に包まれる。


 直後――。


 脱衣場に人影が姿を現した。


「あ、あの、逃げたりしてごめんなさい。ヘアピン、自分の部屋にありました。ラフィーネ先輩からいただいたもので、無くしたと焦ってしまって……あれ?」


 脱衣場から浴室にイズナが顔を出した瞬間に、俺の視界は光に埋め尽くされた。



 全裸で仁王立ちするシルファーが気になるものの、俺は封印の間に入るなり、宇宙空間みてぇな室内でモンスターを呼び出した。


 ガルーダ来い。と、念じる。


 目の前で白い彫造――ガルーダ像が姿を現した。


 プレートの価格は……書き換えられている。


 1マナだ。念のため他のモンスターも確認する。


 フェンリルもヤマタノオロチもファーブニールも、どれもこれも1マナセール

だった。


 シルファーに背を向けたまま俺は告げる。


「全部1マナになってやがる」


「アークよ。世界が手に入るな。この戦力をもってどうする?」


 手持ちの1000マナで、ボス級の魔物の軍勢を造り上げれば、もはや人間に抵抗できる戦力なんてねぇだろう。


「ここの連中が10体で小国を落とせるんだよな? 王国ならどれくらいだ?」


「ふむ、200体もあれば焦土と化すな」


「この世界に主要国はいくつある」


「主要国となると……七カ国といったところか。王国、帝国、共和国、連邦、連

合、公国、皇国あたりであろうな」


「そうか。なら……全部滅ぼしてやろう」


「本気かアーク? それでは……たくさんの人間が犠牲になってしまう……」


 シルファーの望みじゃないってことくらい、わかってる。こいつはガキの頃に、親兄弟みんな魔王軍に殺されたんだ。


「安心しろ。犠牲は最小限にする。一人も出さないとは約束はできんが、一方的な虐殺だけは起こしたりしねぇ」


「アークよ……信じて良いのだな?」


「ああ。信じろ。俺がお前を守ってやる。お前の心が痛んで壊れるようなことはしねぇよ」


 柔らかくて弾力のあるものが、俺の背中に押し当てられた。


 シルファーは俺の背中に寄り添うように密着してきた。


「我は……魔王であるぞ。しもべの貴様に守られるなど、情けないではないか」


「お前はずっと世界を守ってきたんだ。たまに守られるくらい、ばち当たんねーよ」


「ああ……貴様とはもっと別の世界で出会いたかった。魔王としもべではなく、対等な関係であればよかったのに……」


「お前が魔王だったから、こうして一緒にいるんだろ」


「そうであったな」


 シルファーはそっと俺から離れていった。


 俺は念じると、封印の間のモンスターを選ぶ。


 もう、どういった構成にするのかは頭の中で組み上がっていた。



 ――翌朝。


 俺はイズナの部屋で一緒に朝食を食べた。


 シルファーは相変わらず執事長の格好のままだ。


「カフェオレのおかわりはいかがですにゃ?」


「いただきます。ありがとうございます猫さん」


「にゃんのにゃんの、ですにゃ」


 空いたカップに執事長が、カフェオレを注いだ。


 紅茶じゃないのは珍しいな。これもイズナの好みに合わせたのかもしれん。


 昨日の一件で俺への嫌悪感が増えたかと思ってたんだが、想像してたよりイズナの物腰は穏やかだ。


「美味しいですね。毎朝、こんなに美味しいものを食べてから、わたしと戦っていたんですか?」


「そうだぞ。で、テメェに首を刎ねられて、帰ってきたら晩ご飯だ。それが俺様の日課だからな」


「ご、ごめんなさい」


「あ、謝んなよ。だいたい俺は不死者で生き返るんだし……そっちも道化魔人を倒すのが日課だろ」


「ええと……じゃあ、今日はどういった予定になるんですか?」


 普段ならイズナと戦うために、このあと転送されるんだが、表向き魔王様は出張中ってことになってるからな。


「今日は休みだな。魔王が帰ってこなきゃ転送魔法でドッペルイズナーのとこまで行けねぇし」


 イズナがクロワッサンを手にしたまま、目を丸くさせた。


「な、なんですかそのドッペルイズナーって!?」


「本物と混ぜるな危険だろうが。ドズナのやつも、イズナと同じ思考をしてるんなら、そう無茶なことはせんだろ」


「ドズナになってます! 略しすぎです!」


「大怪獣ドズナって感じで、なかなか愛嬌あるだろ」


「ありませんよ。まったくもう」


 少しだけムッとしてイズナは俺を睨みつけた。


 昨日よりも、イズナのやつ自然な表情が増えたな。


「けど、たしかにあれが“わたし”なら、無茶はしないと思います」


 イズナは説明を続けた。俺の見立て通り、数日は時間が稼げそうって話だ。


 ドズナに対して周囲の人間が騒いで「魔王を討て!」「魔王城を攻略しろ!」なんて、騒がない限りは大丈夫だろう。


 けど、昨日の宣言で世界中がドズナの次の行動に注目してやがるだろうし、案外早くドズナも世論に押し流されて、魔王城への侵攻に着手するかもしれんな。


 なにせ、自分のことより他人を優先するイズナのドッペルゲンガーなわけだし。


 ふと、ドズナが乗って飛んでいった鳥の姿を思い出した。


「つうか、あのデケェ鳥で魔王城に攻めてくるんじゃねぇか?」


 イズナが首を左右に振る。


「霊鳥フルーレは繊細な性格で、邪悪な気配に弱いんです。怖がって魔王城には近づけません」


「なるほどな。で、こっちで飛行艇の燃料になる鉱石も抑えてあるから、空からは攻めてこねぇか」


 俺の言葉にイズナが付け加えた。


「海路も激しい海流と大渦によって閉ざされています」


 その渦だの海流は、俺の知らない魔王軍の幹部が、がんばって維持管理してるんだろう。


 そいつや地下迷宮のミノンに働かせておいて、俺だけのんびりってわけにもいかんよな。


「なあ、そろそろ顔を見せてやってもいいんじゃねぇかシルファー」


 デザートのヨーグルトにメープルシロップをかけていた、執事長の動きがぴたりと止まった。シロップがどぼどぼと器に注がれ、溢れ落ちる。


「あっ! シロップこぼれてますよ!?」


「はっ!? こ、これは失礼しましたにゃ」


 俺は立ち上がると、執事長の背後からそのデカイ頭を抱えるようにして、引き抜いた。


 猫の頭の下からサラサラと銀髪がこぼれる。


 シルファーとイズナの視線がぴたりと合った。


 開口一番、イズナが叫ぶ。


「ら、ら、ららら……ラフィーネ先輩!」


「は、はーっはっはっは! よくぞ我が正体を見破ったな。勇者イズナよ! 我はラフィーネなどという、美人薄命を絵に描いたような優秀すぎる先代勇者ではない! 魔王シルファーであるぞ」


 イズナは首を左右に振った。


「そんなわけありません。その美しい銀髪も凛々しい姿も、わたしが憧れたラフィーネ先輩です」


 身体は猫の着ぐるみのまんまだから、凛々しくはねぇだろ。


 と、俺の心のツッコミなど気付くわけもなく、イズナは一人勝手に納得した。


「ああ、だから……昨晩の夕食もこの朝食も、どれもわたしが好きなものばかり用意してくださったんですね」


「はーっはっはっは! この麗しき魔王を前に、恐怖でおかしくなったか」


 かみ合ってませんよー魔王様。イズナはうなずいた。


「魔王城にとらわれ、猫の着ぐるみを着て執事をやらされていたなんて……」


 真剣なイズナの表情に、シルファーはすっかりたじたじだ。


 俺の方に向き直ると、抗議の視線を飛ばしてくる。


「なんということをしてくれたのだアークよ。今の勇者の称号を奪われたイズナでは我は倒せぬし……その、イズナは魔王である我を、あこがれの“美人で聡明な先輩勇者”であると、勘違いしておるではないか。こちらにも用意というものが……」


 シルファーはぶつくさ文句を並べだした。が、俺は聞き流した。


 イズナもぽかんとした顔だ。


 イズナは世界の秘密を知らない。


 勇者がそれを知るのは魔王城に乗り込んだあとだ。


 拉致られた翌日の朝食の席だけど、いいだろ。魔王城にいるんだし。


「シルファーの口から言えないなら、俺が教えてやるよ……イズナ。こいつはお前が尊敬してる先代勇者のラフィーネだ」


「先輩、生きていたんですね……あの時、天の国から助けにきてくれたんじゃなくて、本当に……ううっ……」


 感極まって泣き出すと、イズナはシルファーに抱きついて泣きじゃくった。


 あ~~。こりゃあ、泣き止むまでしばらくかかりそうだな。



 イズナが落ち着くと、世界の真相はシルファーの口から語られた。


 疑いもせずイズナはすべてを聞き、すべてを受け入れたような柔和で穏やかな表情を崩さなかった。


 世界の根幹や信じてきたものが崩壊して、不安になってもおかしくねぇのに、案外メンタル強いな。


 話を聞き終えて、イズナは確認するようにシルファーに聞いた。


「じゃあ、わたしを次の魔王に育てるつもりだったんですね?」


「ああ。すまない」


「ラフィーネ先輩……じゃない。今は魔王シルファーですよね。シルファー先輩はわたしに殺されるつもりだったんですか?」


 先輩はつけっぱなしかよ!


 イズナの質問にシルファーはそっとうなずいた。


「イズナの実力はすでにラフィーネを越えておる。こんな形ですべてを話すことになろうとは、思っていなかったがな。我がすべてを語るのは魔王城での最終決戦の、最後の……最期の時にと思っていたのだが、道化魔人にしてやられてしまった」


 苦笑いを浮かべるシルファーに、イズナは優しい声色で返す。


「安心してください。今のわたしは勇者じゃないから、シルファー先輩を殺せません」


 俺はイズナに聞いた。


「んで、どうするイズナ? ドズナから勇者の席を取り戻したいか?」


「そんなこと、決まってるじゃないですか」


 まあ、そうだよな。真面目だもんなお前。敬愛する先輩もそれが望みだって言いやがるし。さて、イズナのやつをどうやって止めようか。


 俺がため息を吐くとイズナは続けた。


「わたし、勇者やめます」


「はあああああ!?」


「だって、勇者のままだったらシルファー先輩を殺さなきゃいけないじゃないですか。そんなことできません。わたしが戦ってこられたのも……先輩が魔王軍から世界を解放していくのを、マナ放送で見てきたからです。“ラフィーネの戦いの全記録”は円盤を全巻買いました! 保存用と布教用と視聴用の三セットあります!」


「オタクだな」


「世界一のラフィーネ先輩オタクですから。先輩が戦う姿に励まされて……勇者になってからは、わたしの戦う姿を見た誰かを勇気づけられるかもって思って……それはわたしの願望でしかないですけど、それでも誰かの記憶に残れば……死んでもかまわないって……」


 ただの死にたがりってわけでもなかったのか。


 なんか、俺もこいつを誤解してたかもしれん。


 イズナは悲しげな表情で笑った。


「けど……それじゃあラフィーネ先輩を追いかけるだけで、空っぽだったんです。わたしはやっと、初めてわたしのやりたいことを見つけました。その最初の一つが――勇者をやめることです」


 シルファーがうなだれた。


「ああ、恐れていたことが現実になってしまったか。きちんと脚本もできあがっていたのだぞ! 我の身体は悪しき魔王が乗っ取っていて、イズナのことなど覚えていない……とな」


 あー、そういうラスボス像で、死の間際にすべてを明かすってパターンか。


 そうでもしないと、イズナのやつラフィーネ恋しさに魔王を倒せないって、シルファーは踏んでたわけだ。


 俺は口元を緩ませた。


「残念だったなシルファー。俺に世界の秘密を教えた時点で、こうなる運命だったんだよ。人の口には戸はたたないんだ」


「そうか……これも運命か。アークよ、貴様を召喚した時からこうなることは決まっていたのだな」


 シルファーは自嘲気味に笑った。


「そうだぜ。召喚もマナを使うんだろ? マナが願いを叶える力だってんなら、シルファーは自分も救われたいし、イズナも救いたいって心のどこかで願ってたんだ。だから俺が召喚されたんだよ」


 二人に言うだけじゃなく、俺は自分にそう言い聞かせた。


「だから、俺が二人とも救ってやる。おっと、苦情は一切受け付けねぇぜ。道化魔人アークはクーリングオフ適応外だ。シルファーは俺に守られるって契約を交わしたし、イズナはもう勇者をやめるって決めちまった。俺はもう誰にも止められねぇぜ」


 それから俺は今後の戦略の概要を二人に明かすと、すべての準備を整えて、決戦に臨むと誓った。



 俺は神鳥王ガルーダの背に乗り、魔王城から飛び立った。


 一時的に防御用の雷鳴は切ってある。


 ガルーダが魔王城の防空圏から出たところで、再び魔王城の空は雷雲に隠された。


 王都へと飛ぶ。


 神鳥王というだけあって、ガルーダの飛行速度は音速を超えていた。


 生身なら死んでるだろうが、そこはそれ、ガルーダが風圧を弱めてくれて、乗り心地はすこぶる良い。


 王都の上空から、俺は市街地の真ん中に降り立った。


 王城へと続く、だだっ広い目抜き通りだ。


 街の人間どもが逃げ惑い、家の戸が閉まり窓にカーテンが次々とかかっていく。


 賑やかな目抜き通りが、一瞬でがらんとした。


「道化魔人アーク様が到着したぞ。勇者イズナ。でてきやがれ!」


 俺の呼びかけに、霊鳥フルーレに乗ってイズナは姿を現した。


 同じく目抜き通りに降り立つと、霊鳥の背の上から俺を睨みつける。


「二度と来るなと言ったはずです」


「そんなもんは俺の勝手だろう。じゃあ今日も初めようか」


 俺はガルーダの背から飛び降りた。


 イズナもフルーレから降りると腰の剣の柄を握る。


「今日の相手は、その鳥の魔物ですか? 見たことがありませんが……」


「いいから抜け」


「わかりました。いいでしょう相手をしてあげます」


 イズナが剣を抜いた瞬間、俺とイズナの頭上にマナ放送のウインドウが開いた。


「さーて、この放送をご覧の視聴者どもに緊急発表だ。今から王国を俺様が支配しようと思う。人質はこの国の国民全員だ。要求はこの国の王を、魔王軍の人質にすることだ。国民殺されたくなきゃ、王はとっとと俺の前に来てひざまずけ」


 道化魔人の戯れ言に、マナ放送は炎上した。いちいち読むのも面倒くせぇ。


 イズナ……つうか、ドッペルゲンガーは剣を抜いたまま、様子をうかがっていた。


 よし、しばらくそうしててくれ。


 まあ、戦闘を挑んでくるならガルーダで相手してやるけどな。


 たぶん、このモンスターはイズナじゃ倒せねぇ。


「道化魔人が何言ってんだ……ってか? じゃあ戯れ言ついでにもう一つ聞いてもらうぜ。この世界の秘密をな」


 俺は空を見上げ、道化師のマスクを外して捨てると、マナ放送のウインドウを睨みつけた。


 一度深呼吸を挟むと、俺は声を上げた。


「テメェらが憎む魔王の正体を知ってるか? 異世界からの侵略者? この世界の古き王? 宇宙より飛来した旧支配者? ちっげーよバカども。勇者だよ! 元勇者だ。魔王を殺した勇者が次の魔王になる。だから魔王も魔王軍も、いつまで経っても滅びねぇんだよ!」


 マナ放送がざわつきだした。俺が心理攻撃を仕掛けてると思ってるらしい。


「なんで魔王軍があるかわかるか? この世界の平和を守るためだ。人間ってのは共通の敵さえいれば、一致団結できるからな。金持ちだろうが貧乏人だろうが、無能だろうが才能があるやつだろうが、本来なら話が合わないどころか憎み合うような連中だって、魔王って共通の敵さえいりゃあ、そいつを憎むことで仲間になれるんだよ! 魔王はテメェらが生み出した願望だ!」


 マナ放送は大混乱だ。


 俺が言ってることなんて、どいつもこいつも信じる気はねぇだろう。


 だが、聞いちまった。知っちまった。


 そういう可能性があるってことを。


 ここが“そういうクソみたいな世界”だってことを。


 明日からも疑いもせず、勇者が魔王のしもべと戦うのを楽しんで見られるやつは、どれくらいいるよ?


 まあ、そんなことはどうでもいいんだ。


 俺の言葉を真に受ける必要もねぇ。


「信じようが信じまいが、俺が言ったことは事実だ。さて、じゃあそろそろこの国の人間を、人質に取る具体的な方法について教えてやろう」


 俺はポケットに手をつっこむと、そこから無作為にミニフィギュアを取りだし、ばらまいた。


 次々とモンスターが実体化する。


 山のようなヤマタノオロチ。


 おぞましい腐臭を放つベヒーモス。


 ほかにも、封印の間で見つけた強そうな魔物は片っ端から集めてきた。


 総勢二百体。


 ボス級モンスターのオンパレードだ。


 普通、ゲームならボスラッシュってのは、終盤にあるもんだよな。


 けどそこに出てくんのは、一度倒したボスってのが良くあるパターンだ。


 俺が並べたモンスターは、マナ放送を見てる連中も勇者イズナも初見だろう。


「どうだ? 勇者イズナ。街の人間を守りながらこいつらを倒せるか?」


 絶体絶命だな。


「わ、わたしは……みんなを守ります!」


 勇ましい勇者の言葉に、マナ放送の視聴者たちが声援を送る。


 そりゃそうだよな。頼れるのはイズナだけだ。


 イズナはこれまで、何度も奇跡のような逆転勝利を重ねて来た。


 それに違和感を覚えてたのは、イズナ本人だけだったわけだが……。


 誰も武器をもってこの場に現れないあたり、やっぱりこの国の連中は勇者ってもんに骨の髄までどっぷり依存してやがる。


 俺は命じた。


「よし。戻れドッペルゲンガー」


 剣を構えていたイズナの姿がミニフィギュアになって、俺の手に吸い込まれるように戻ってくる。


 マナ放送が沈黙した。


「テメェら、本物と偽物の違いもわからんかったんだな。いや、どっちでも良かったんだろ。本物の勇者イズナは魔王城に監禁されてんのに、誰も気付いてねぇなんて。ハーッハッハッハ! 俺様大爆笑!」


 街の空気が凍り付く。


「さて、誰がテメェらを守ってくれる? 王様か? 城の兵士どもか? それともテメェら自身で無駄な抵抗をするか? 今から一時間待つから、この国の王様はとっとと俺様の前に出頭しやがれよ。でなきゃ、こいつらを暴れさせっからな」


 止まったマナ放送のコメント欄に、新しい書き込みが表示された。


『王国が落ちたら帝国に逃げればいい』

『共和国だってある』

『連邦は寒いっていうけど、魔王軍に支配されるよりマシ』

『公国民の俺、勝ち組すぎる』

『つうか王国の難民とかマジうざいんですけど by連合国民』

『皇国は徹底抗戦だろ』


 俺はにんまりと笑った。


「残念だったな。世界の主要国のみなさん。テメェらの国の首都の情報をマナ放送でもなんでもいいから集めてみやがれ」



 この日、俺は世界各地に封印の間のモンスターを派兵した。だが、こいつらをただ行かせただけじゃ暴れちまう。


 俺と同じように考えられる“指揮官”が必要だった。


 なので俺はドッペルゲンガーを六体用意して、俺を真似させた。


 そして、王国以外の主要国に向かわせたってわけだ。時差を考慮して世界同時攻撃になるよう、タイミングもばっちりそろえておいた。


 極大戦力による一斉侵攻。


 目的はそれぞれの国のトップを人質にすること。


 それが俺の命令……なんだが、まあ俺のドッペルゲンガーどもである。


 一号から六号まで、全員マジでろくでなしのクズっぷりだ。


 ほんと会話するだけでイライラしたぜマジで。


 だが、まあ俺であることには変わりねぇ。


 考えてることも一緒だから、詳しい作戦説明も必要無かった。


 んで、俺の分身たちは、世界中できっちりと仕事をこなしていった。


 一部、冒険者の抵抗もあったが、こっちから反撃に出る前に全員投降したらしい。


 どのモンスターもボス級だもんな。


 冒険者程度が繰り出す、並みの魔法や攻撃が通じっかよ。



 かくして俺は世界攻略を完遂した。



 こんなクソみてぇな世界、一日あれば余裕だ。


 マナ放送に加えて、各国要人を地下牢に監禁したことで、たっぷりマナが得られる予定だ。


 さてと……あとはどうすっかな。



 なんか、この世界でやれることなんて、他にあんのかな……。

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