第15話

翌朝――朝食はトマトサラダに芋と野菜入りオムレツとクロワッサン。


 それにグリンピースのクリームスープだった。


「な、なあ……ベーコンとかソーセージとかないのか?」


 シルファーがにっこり微笑む。


「すまぬなアーク。ミノンは肉を食べるのが苦手というか、食べられないのだ」


「食わせてもらっておいて言うのもなんだけど、じゃあ俺だけ肉満載な別メニューってことにはしていただけないでしょうか魔王様!!」


「よかろう。では明日から貴様だけ特別に毎食カップ麺だ」


「すみませんもう言いません野菜美味しいです!!」


 チッ……肉は恋しいが、カップ麺ばっかってのは嫌すぎる。


 それに野菜が美味いってのは事実だった。


 どんなにうまい野菜でも肉の代わりにはならんけど。


 ミノンはトマトサラダを、実に美味しそうに食べていた。


「シルファー様のお料理は、どうしてこんなに美味しいのかしら。このトマトはまるで太陽の恵みを凝縮したような濃厚さですわ。それに甘さもまるで熟しきった果物のよう」


 得意げにシルファーが胸を張る。


「はっはっは。そのトマトは与える水分を少なくして、過酷な環境で育てたからな」


 俺はトマトをフォークで刺しつつシルファーに聞いた。


「まさか、園芸にもはまってるなんて言わないだろうな」


「園芸どころではないぞ。ちゃんとした農園で育てておるからな」


 魔王農場か。


 なんかすげぇないろんな意味で。


 脱力しながら食べたトマトの味は、ミノンのポエムみたいな表現に、説得力が生まれるくらいうまかった。


 つうか、こんなに味の濃いトマト食べたことねぇ!


「なあシルファー。テメェはもう魔王なんてやめて、平和に暮らせよ」


「そうしたいのは山々だが、世界が魔王たる我を求めて止まぬのだ。はっはっは!」


 こいつが興味のもったことをなんでもやるのは……まるで自分の人生にやり残しがないようにしようと、生き急いでるみたいに思えた。


 魔王らしく笑ってみせる姿さえ、少しだけ……痛々しい。


 こいつはいつ、本当に笑うんだろう。


 どうしたら心の底から笑えるのかなんてわからんけど、恩返ししてやりたいと思った。なんだかんだで世話になりっぱなしだもんな。


 しかし「恩返しがしたいから、シルファーが俺にしてほしいことがあればなんでも言ってくれ!」なんて、言えねぇ。


 言わなきゃ気持ちは伝わらない。


 が、魔王シルファーは世界中の人々を騙すほどの大嘘つきだ。


 きっと俺ができる範囲内で、そこそこ負担になるものの、やった俺の方が十分に満足できる程度の課題を、こいつは苦心してでもひねり出す。


 で、俺の自己満足を満たして終わりだ。


 こいつの本当の望みは叶わない。


「どうしたアーク? 手が止まっておるぞ。そうかそうか野菜づくしは口に合わぬから、夕飯はカップ麺が食べたいと申すのだな」


「う、うるせぇ! ちょっと今日の勇者との戦いのことを、考えてたんだよ」


 ミノンが首を傾げさせた。


「あら? 打ち合わせは昨晩しっかりとしたではありませんか。今になって懸念するようなことがありますの?」


「ああ、そこらへんはまあ大丈夫だ。ミノンは手はず通りにやってくれ」


「ええ、承知しましたわ。今日はがんばりましょうねアーク」


「まあ一日目だし、ほどほどにいこうな」


「志の低いことをいわないでいただきたいですわね。シルファー様のためにも、勇者を倒しますわよ!」


「お、おう」


 困った俺にシルファーは小さくウインクした。


 いつも通りの戦果を期待する――ってんだな。


 朝食を済ませると、俺とミノンはシルファーによって本日の戦場へと送り込まれた。


 一日空いただけなのに、イズナに会うのが妙に久しぶりに思えた。



 転送されたら、まず状況を確認する。


 今回、俺とミノンが送り込まれたのは……広い甲板の上だった。


 帆船のようだが、潮の香りがせず土埃が舞っていた。


 陸地だ。


 見渡す限りの平地すべてが舗装されていて、飛行場の滑走路と雰囲気がよく似ている。


 管制塔みたいなものまであった。


 そして、帆船のマストを見上げると、そこにあるのは風を受ける帆ではなく、巨大なプロペラだ。


 ゲームでも中盤から後半にかけて、世界を自由に移動できるようになると使えるようになる、飛行艇ってやつだな。


 前の魔王が潰したっていうわりに、あるじゃあねぇかよ飛行船! ったく……。


 報告しなくともマナ放送が始まれば、それをシルファーもチェックするし飛行船のことも知るだろう。


 対策はあいつにまかせて、俺とミノンは目の前の勇者に集中だ。


 広い甲板の上にイズナの姿があった。


 俺とミノンの姿に驚いたような顔をしている。


 そりゃ当然だろう。二対一だもんな。


「勇者イズナ! 今度こそ勝たせてもらいますわ!」


 さっそくミノンが宣言した。


「あ、あなたは……」


 イズナの表情に緊張が走る。


 震える声でイズナは続けた。


「どちらさまですか?」


「ミノンですわ! 忘れたとは言わせませんわよ!」


「えっ!? ミノンって、あの……別人ですよね? 見た目が全然違うんですけど。最初に戦った時は、身長だってわたしとそんなに変わらなかったし、む、胸だって……ずるいです!」


「あなたを倒すため、地下迷宮で修行を積んできましたの」


 俺は小声でミノンに聞いた。


「なあ、イズナの言ってることは本当なのか?」


「ええ。元々はわたくし、小柄で華奢なか弱い車椅子少女でしてよ。身長もイズナと大して変わりませんでしたわ。けれど、今はこうしてなりたい自分になれましたの。ちょっと……育ちすぎてしまいましたけれど」


 仮にもし、半年でイズナが今のミノンのように巨大化したらと考えると、末恐ろしいものがある。


 つうかビフォアアフターしすぎだろ。


 どんな匠の業でラ○ザップしたんだよ!


 ミノンはその体躯を生かして軽々とポールアックスを振り回した。


 刃が勢い良く空を斬る度に、ブオンブオンと風切り音が鳴り響く。


 つうか、俺のそばでそんなデモンストレーションすんなって。


 危ないだろうが。


 横に一歩ずれると、俺はイズナの顔を指さした。


「今日もテメェに地獄を見せてやるぜ!」


 イズナは俺をじっと見つめると、顔を赤くした。


 あん? まだそこまで顔を真っ赤にさせるような挑発はしてないんだが……。


 俺から視線を背けると、イズナは小声で呟く。


「こ、こんにちは。アークさん」


「ハアアアアアアッ!? なんだテメェ! なに普通に挨拶してんだよ!」


「あ、あの! この前は……ありがとう……ございます」


「テメェの頭の中身はお花畑か? おら、とっとと剣を抜きやがれ」


 つうか、ミノンがポールアックスを構えてんのに、マナ放送が始まらねぇ。


 でないとこっちから仕掛けられないだろ。


 マナ放送でオンエアーされてなきゃ、マナが増えないからな。


 イズナはぺこりと頭を下げた。


「この前、あなたはわたしを助けてくれました。それに、ほんの少しの間でしたけど、ラフィーネ先輩に会わせてくれました」


 ミノンの視線が俺に向いた。


「助けたとはどういうことですの? 事と次第によっては……」


 ポールアックスの切っ先が俺の首筋に狙いを定める。


「ちっげーよ。俺がトドメを刺そうとしたところで、しくじったんだ。あの勇者はクソがつくほど真面目だから、それを勘違いしただけだって。気にすんな」


「本当ですの?」


「マジだって。俺の目を見ろ。これが嘘を吐く道化魔人の目に見えるか?」


 ミノンはフンッと、鼻を鳴らした。


「まあ、そこまで言うのでしたら信じて差し上げますけれど。ところで、ラフィーネってどなたかしら?」


 これにこたえたのはイズナだった。


「先代の勇者です。わたしの力が足りないばっかりに、天の国から舞い戻って助けてくださいました。ただ、これができるのは一度きりなのだそうです」


 俺はニヤリと口元を緩ませる。


「ほー。いいのかそんなこと言って? じゃあもう助けは来ないんだな?」


「もとより死ぬ覚悟はできています。救われたこの命、世界の平和に捧げる覚悟ができました」


 そういえばそうだったな。


 つうか、イズナって本当にクソまじめな奴だ。


 学校じゃ委員長タイプで、絶対友達にはなれんな。


 こういうタイプは挑発や恫喝で冷静な判断力を奪うに限るぜ。


「ずいぶんと勇ましいようだが、寝言で『ん~……むにゃむにゃ……もう食べられないよぉ……』とか言ったそばから『おかわりぃ~』なんて言うし、そんな奴の口から出た言葉かと思うと、笑えるぜ」


「そ、そんな寝言なんて言ったことありません!」


 言ってるんだよな、これが。


「寝言っていうのは、寝ている本人にはわからないからなぁ。寝てるやつの枕元に立ってるやつならいざしらず……この意味、わかるだろ?」


 再びミノンの視線が貫くように俺に刺さった。


「勇者の寝室に忍び込んだ経験がおありですの?」


 俺は小声でミノンに返す。


「いやまあその……こういうのは駆け引きだ。いつでもやつの寝首をかけるってアピールだからな。実際どうかなんて関係ねぇんだ」


 クソッ! なんかやりづらい!


 ミノンの疑惑の視線が俺を捉えて離さなかった。


「それにしても勇者イズナと、ずいぶん仲がよろしいのですね」


「良くねぇから。俺が何回あいつに首を跳ねられて、電撃でアフロにされたかわかってんのか?」


 イズナがムッとした顔で俺を見つめた。


「さっきから、何をこそこそお話ししてるんですか?」


「甘い愛の囁きだ」


「「えっ!?」」


 ミノンとイズナ、二人同時に目が点になった。


 イズナが悲鳴をあげる。


「決戦の舞台で破廉恥です! 不謹慎です!」


「カップルを目の当たりにして、そう焼き餅を膨らませんなよ。まあ、平和にばかり気を取られて、愛のすばらしさを知らんのだろうなぁ。彼氏もいないボッチ勇者じゃしょうがねぇか」


「うう、あ、あんまりです!」


 半泣きになりながら、イズナは剣を抜いた。


 やっと殺る気になったか。


 空にマナ放送のウインドウが開いた。


「んじゃ、後は任せるぜミノン」


 イズナとの戦闘にミノンは苦手意識を持っている。


 どういうことなのか、ばっちり見届けさせてもらうぜ。


 と、思ったんだがミノンのやつ、向かってくるイズナに見向きもしねぇで、俺を燃えるような赤い瞳で見つめてきやがった。


「任せるだなんて、あ、愛だなんて……わたくしたち、先日会ったばかりでしてよ? も、もしかしてアークは、わたくしに一目惚れしたのかしら? こんな大きな身体で……胸だって大きすぎるし……女の子らしくないのに……」


「おいミノン! イズナが来てる! ああっ……見た目じゃねぇ! 俺は見た目なんかより中身で勝負できる奴が好きだ!」


 ミノンに迫るなりイズナが剣を振るった。


 それをミノンはポールアックスの柄で受けて弾き返す。


「こんな時に告白するなんて、非常識にもほどがありますわ!」


 イズナの動きが見えてたのかよ。


 視野が広いな……ったく。


 こっちも焦って変なことを口走った。


 つうか、告白って……おいおい。


 俺が考えている間にも戦況は動き続ける。


 イズナは剣を引き戻しバックステップで距離をとると、ミノンを睨みつけた。


「防御が硬いのは相変わらずですね」


「そちらも、スピードはありますが一撃が軽いですわ」


「ところで二人はその……本当に、つ、付き合ってるんですか?」


「勇者のあなたが気にするようなことではなくってよ!」


 なんだろう……変な空気になってるぞ。


 俺は頭上のマナ放送のコメントを確認した。


『魔王軍がカップルで飯がまずい』

『リア充、自害して、どうぞ』

『死ね死ね死ね死ね死ね死ね』


 怨嗟の声が嵐のように渦巻いていやがった。


 いやあ、愉快愉快。


 と、俺が思っている間にも、ミノンとイズナの攻防は続いていた。


 なるほど。地味ってのはこういうことか。


 イズナが攻撃を仕掛けようとするのだが、ミノンはそれに反応して構えを微妙に変えてくる。


 すると、イズナは違う隙を探して足捌きで斬り込む体勢を作り直した。


 それにミノンが即座に呼応して、防御の姿勢を変える。


 最初の一撃以降、お互いがお互いを牽制しあっていた。


「おいミノン! 攻めろって!」


「そうすればカウンターをとられてしまいますわ」


 ある程度まで技量が高められた者同士が、拮抗する実力を備えているとこうなるわけか。


 イズナはミノンの構えを崩したいのだが、防御に徹したミノンは容易に崩せない。


 一方、ミノンはといえば下手に攻めればイズナの反撃をもらってしまう。


 綱引きのような攻防は、間近で見ている俺にはけっこう見応えがあった。


 シルファーが俺をミノンに同行させたのも納得だ。


 けど、こういう渋い戦いはマナ放送には向いてねぇ。


『加勢しない道化魔人は無能』


 あっ! マナ放送の分際で痛いところを突いてきやがるな。


 たしかにこのままじゃ不自然だ。


 かといって、コップに満たされた水が、表面張力でなんとかこぼれないでいるような、地味な攻防の均衡を俺がやぶっていいんだろうか。


 もう、シルファーはイズナを助けには来られない。


 その前提で考えよう。


 イズナを追い詰めるのはよくても、倒しちゃまずい。


 さりとてミノンに世界の秘密を悟られるわけにもいかんのだ。


 たぶんイズナがミノンに打ち明けないのも、彼女に重荷を背負わせたくないからなんだろう。


 きっとミノンはうまく手抜きなんてできない性格だから、戦えなくなっちまう。


 なにより、ミノンはシルファーのことを慕ってるみたいだしな。


 魔王軍幹部ががんばるほど、勇者が育って最後は魔王が打ち倒されるっていう現実を、ミノンは受け止め切れないかもしれない。


 ここはやはり、俺がやるべきことをやらねばならんのだ。


 俺はポケットに両手をつっこんだ。


 すると、それにイズナが気付いて言う。


「もう虫は効きませんよ。虫除けのタリスマンを装備してますから」


 なるほど対策済みか。


 つっても、こっちも虫系どころか、そもそもモンスターの持ち合わせは無いからな。


 ブラフってところまで見抜けてないのは、まだまだ甘いぜ勇者ちゃん。


 と心の中で負け惜しみした。


「チッ……対策立ててきやがったか。勇者にしちゃ上出来だ。褒めてやる」


「あ、ありがとうございます。がんばります!」


「おいおい、敵に向かってなんだその態度は。もっと殺意や憎悪を剥きだしでかかってこいよ」


「す、すみません! 気をつけます!」


 しかし、ミノンと対峙しながら集中を切らさず俺の動作にも気を配ってるのか、イズナの奴。


 つうかこの反応おかしいだろ。


 マナ放送もなんかざわつきだしてるぞ。


 勇者が魔王軍の幹部に感謝するなんてあり得ない――ってな論調だ。


 俺は空に向かって叫んだ。


「おいコラァ! マナ放送をご覧の全国の糞虫諸君ども! 今のは勇者の皮肉って奴だかんな! 魔王軍の幹部相手に『ありがとうございます』なんていう勇者が、どこの世界にいやがるんだよ? あーマジでプライド傷ついたわー。完全に勇者に舐められて、道化魔人アーク様はマジで傷心自殺もんだかんな」


『うわ、あいつマナ放送に話しかけてる』

『マジキモイ』

『死ね死ね死ね死ね』


 よしよし、憎悪は俺に向けてこい。


 ったく、イズナも手間かけさせんなよ。


 ミノンとイズナの戦況は一進一退。


 このままだと何時間でもやってそうだな。


 膠着状態にマナ放送のコメントは露骨なくらい減ってきた。


 ぎりぎり勝てない戦いなんて、狙ってできるもんじゃねぇ。


 どうすりゃいい?


 俺はどうすりゃいいんだ。


「えー。ここでイズナに問題です」


「な、なんですか?」


「ミノンと対峙して手が離せないイズナの背後から、道化魔人が襲いかかります。この状況に対する解答を述べなさい。(実技:10点)」


「え、ええ!?」


「述べるのが無理なら、実際にやってみてもらおうか?」


 俺はイズナの背後に回り込んだ。


 ミノンと挟み込むような格好だ。


 ミノンが声をあげる。


「いけませんわアーク! 戦いはわたくしに任せると言ったではありませんか!? 加勢など不要でしてよ!」


「俺をどちら様と心得る。虚構の紳士。二足歩行する謀反こと、道化魔人アーク様だぞ! イマカラ、ハイゴニクッツイテ、タイラナムネヲ、モミシダキマース!」


 左右の手からオリーブオイルをしたたらせ、俺はイズナめがけて突撃した。


「きゃあああああああああああああああああああああ!」


 悲鳴をあげながら、イズナが回転式バックハンドブローのように剣を振るった。


 おっと、そいつは喰らわないぜ。


 上体を反らしてかわすと、同時にミノンがイズナめがけて斬り込んでくる。


 イズナはそれにも反応してミノンの攻撃を避けると同時に、ミノンの眼前に左手を向けた。


「収束雷撃魔法!」


 ミノンの身体を雷撃が射貫いた。


 その巨体がのけぞる……が、決定打にはならない。


「クッ……この程度の雷撃魔法など、効きませんわよ」


 パッシブスキルの雷撃魔法耐性が発揮された。


 とはいえ無傷じゃ済まない。


 致命傷こそ免れたものの、至近距離からの直撃を受けたのだ。


 イズナが動きの止まったミノンの首を狙う。


 そこに俺は飛び込んだ。


 ミノンの身体にタックルをくらわせて、割って入ると……視界がくるくる回る。


 太陽が……まぶしいぜ。


 ミノンの首の代わりに俺の首が宙に舞った。


「わ、わたくしを庇って……アーク……」


 なんで泣きそうな顔してんだよミノン。


 殺されても生き返る不死者なんだから、そんな顔すんじゃ……ねぇ……。


 途中で俺の意識は闇に沈んだ。



 気付けば玉座の間の赤絨毯の上だった。


 俺の隣りにはミノンの姿もある。


 どうやら、あのあとイズナにやられたらしい。


 本日も勇者イズナの大勝利だ。


 喜んでいいんだか複雑な心境だった。


 今まではがむしゃらに、勝つための手段を模索してりゃよかったのにな。


 立ち上がると、玉座のシルファーが柔和な表情で告げる。


「おお、死んでしまうとは情けな……」


 いきなり、俺の身体に衝撃が走った。


 大型犬がじゃれてきて、抱きつかれたような感じだ。


 目の前に適度な弾力を保ちながらも柔らかい何かが押しつけられた。


「アーク様、よかったご無事で」


 俺の顔を自分の胸に埋めるようにしてミノンが泣きながら笑う。


「う、うおああ! 離せよ!」


「離したりなどしませんわ! アーク様!」


「なんだよその呼び方は!」


「お気に召しませんこと?」


「ともかく落ち着いて、一旦、離してくれないか?」


「では、離してさしあげますが、落ち着いたらまた抱きしめさせていただきますわね」


 いったいどういう風の吹き回しだ。


 解放された俺が玉座に視線を向けると、柔和だったはずのシルファーが表情をこわばらせていた。


「なにをしておるのだ……ミノンよ」


「シルファー様。アーク様を責めないでくださいませ。この度の敗北の責任は、すべてわたくしの至らなさから来たものです」


 ミノンは真剣な表情で訴えた。


 つうか、俺を庇ってんのか。


「別にテメェ一人の責任じゃねぇだろ。あれは……膠着状態にしびれを切らせて、つっこんでいった俺が悪いんだ」


 ミノンはそっと自分の胸に手を当てて、首を左右に振った。


 ツインテールが犬の尻尾のように揺れる。


「そのようなことはありませんわ。わたくしにはわかりますもの。あのまま膠着状態が続けば、いずれわたくしがイズナに防御の癖を見抜かれて、突き崩されると察してくださったのでしょう?」


 俺にはイーブンに見えたんだが、ミノンは劣勢と感じてたのか。


「そんなんわかるかよ」


「謙遜なさらずとも、よろしいのですよ。あの状態を打破するために、わざとあのような下劣な品性のかけらもない行動に出て……おかげで勇者イズナが動揺して、ほんの一瞬、隙が生まれましたわ。守ってばかりのわたくしに、踏み込む一歩の勇気を与えてくださったのは、アーク様です」


 まあ、膠着状態を崩したいって意図はあったな。


 それでミノンがイズナを倒しちまうかもって心配もあったが……俺は心のどこ

かで勇者イズナの力を信じていた。


「勇気をふるって攻撃を仕掛けたのはミノンの判断だ。俺は関係ねぇ」


「そ、そのように言ってくださるなんて、嬉しいですわ!」


 ガバッと両腕を開いて、捕食するようにミノンは俺の身体を抱きしめた。


 苦しい。


 が、なんだか良い匂いがする……って、思ってる場合か。


 こいつ絶対なんか勘違いしてやがるぞ。


「離してくれ!」


「もう、落ち着きましたでしょう?」


 俺がなんとか首だけシルファーの方に向けると、玉座にかけたままシルファーはそっぽを向いて、見て見ぬふりを決め込みやがった。


「ともかく、今回の戦いでミノンがイズナが苦手で、二人が正面からまともにやり合うと、やたらと玄人好みで地味な戦いになるってのはよくわかった。が、負けてもそこからなんらかの収穫を得て、積み重ねをしてくのが重要だろ? テメェだって、何度もダンジョンを作っては攻略されてきたんだから、わかるよなミノン?」


「わたくしの言ったことも、きちんと覚えてくださっていたのですね! 感激ですわアーク様!」


 俺の身体を抱き上げると、ミノンはほおずりしてきた。


 無理矢理可愛がられる猫の気持ちが、今ならわかる。


「やめろって。シルファーが呆れてるだろ」


「ハッ……わたくしとしたことが興奮のあまり……シルファー様の御前でなんてことを……」


 再び解放されたのだが、復活早々、俺は消耗させられた。


 ミノンはそっと俺の手をとり、吐息のかかる距離まで顔を近づけた。


「ですがなにより……わたくしを庇ってくださったこと……生涯忘れませんわ」


「庇うって……あ、ああ。あれか」


 ミノンより先に俺の首が宙を舞った。


 今になって思えば、ミノンがイズナに倒されて、卑怯で汚い道化魔人だけが残り、そこで追い詰められた道化魔人の罵詈雑言が炸裂。


 からの、勇者イズナによるお仕置きタイム……って方が、良かったかもしれないな。


 考えるよりも先に、身体が勝手に動いちまったんだ。


 ミノンは目に涙まで溜めて言う。


「たとえ不死者で復活できるとしても、その身を投げ出してまでわたくしを守ろうとしてくださったではありませんか。アーク様の勇姿が、今もまぶたの裏に焼き付いて離れませんわ」


「首が跳ぶのが勇姿なら、とんでもないグロ画像を焼き付けさせてすまない」


「また、そのように卑下なさって」


「事実だっつーの」


「わたくしはそうとは思いませんわ。助けていただいたという事実は、アーク様がどうお考えであれ、わたくしの中ではただ一つの真実ですもの」


 俺は再び玉座に向き直った。


「おいシルファーこいつになんとか言って……って、いねぇし!」


 職場放棄した魔王に俺は心の中でため息をついた。


 何もいなくなることないだろうに。

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