第12話

 魔王城の玉座の間。


 その赤絨毯の上で目覚めると俺は身体を起こした。


 いつもそこにいるはずの魔王の姿が無い。


「おーいシルファー! どこにいるんだー?」


 間抜けな俺の声だけが玉座の間に響き渡った。


 シルファーの返事は無く、俺はとりあえず玉座の間を出ると、いったん自室に戻った。


 ベッドに転がりスマホを取りだすと起動させる。


 充電は100%だ。イズナの雷撃魔法を受ければ充電できるってのは、どうやら間違い無いようだな。


 今日の出来事を反芻すると、自然と先代勇者のラフィーネ……と、おぼしき女剣士のことが思い浮かんだ。


 あの長い銀髪には見覚えがある。


 シルファーに似ているのだ。


 背格好もちょうど同じくらいに思えてならない。


「って、まさかな。他人のそら似だろ」


 調べ物は無いので、とりあえずスマホでいつものポータルサイトを確認した。


 トップニュースは中国軍の船が米軍の船に威嚇射撃……か。


 ネット掲示板のまとめサイトでは「第三次世界大戦勃発!」って、騒いでやがった。


 俺の行方不明事件については、例の如く何も報じられていない。


 こうして毎回調べてるんだから、向こうに帰りたいって未練があんのかな。


 それとも、俺の事なんて必要としていない向こうの世界を、憎んでるのかもな……俺は。行方不明のニュースが出れば、向こうにもきちんと居場所があって、親が心配してくれていて、向こうで存在していいって承認されてる気になれる。


 俺を必要としてくれる人なんて、向こうにはいないんだ。


 一方で、こっちには一人だけ、必要としてくれている存在があった。


 他ならぬ魔王シルファーだ。


 なのに、あいつは玉座にいなかった。


 千載一遇のチャンスだったのに、俺がイズナを殺せなかったのが、よっぽど残念だったんだろうか。


 もう一人の勇者が出てきたのは予想外だったが、どのみち、あいつが出てこようがこまいが、俺にはイズナは殺せなかった。


 殺す理由があったって、殺せるわけねぇだろ。


 この世界じゃ魔王軍は悪逆非道の限りを尽くしていて、俺の知らないところでたくさん人間が死んでるのかもしれない。


 だから殺して殺されてって殺伐としたのが、普通なのかもしれんけど……。


 ああ! ったく。考えてたってしょうがねぇ!


 ベッドから跳ね起きる。


 気付けば時刻は夕飯時だ。


 俺はいつも通り、シルファーの私室に向かった。


 中庭を見下ろせる彼女の私室のテーブルは、テーブルクロスも敷かれず綺麗に片付いていた。


「今日はカップ麺すら無しか」


 そういえば、猫執事モンスターの姿も見られない。


 城内ががらんとして静まり返っている。


「おーい! 誰かいませんかー?」


 ついに俺はシルファーにも愛想を尽かされ、放置されるようになっちまったのか。


 向こうの世界でもこっちの世界でも、居場所なんてなかったんだな。


「――――?」


 かすかに咳き込むような音が聞こえた。


 シルファーの私室の奥にある、扉の向こう側からだ。


「なんだ、いたのかよ」


 無性にほっとした。


 俺は扉の前に立つとノックする。


「シルファーいるか? 入るぞ」


 入って欲しくなけりゃ鍵でもかけてるだろ。


 と、一方的な理由をつけて俺はドアノブに手を掛けた。


 ドアノブは簡単に回り、カチャリと音を立ててドアが開く。


 広い部屋はどうやら寝室らしい。


 天蓋付きの大きなベッドの上に、彼女が横たわっていた。


 顔は赤く呼吸も荒い。


 猫執事モンスターが、水に濡らしたタオルをシルファーの額に当て直していた。


 シルファーがいてくれたことにほっとしたのと同時に、心配になる。


「おい、大丈夫かシルファー? 魔王も風邪を引くんだな」


 俺に気付いて猫執事モンスターが首を左右に振った。


「って、大丈夫じゃないほど病状がやばいのか?」


 猫執事モンスターは首を左右に振る。


 こいつらは喋らないので、聞きたい事があるときは、こっちがイエスかノーで解答できる質問をしてやるといい。


「魔王シルファーの命に別状は無いんだな?」


 コクコクと猫執事は頷いた。


「でも、体調不良でお前は看病してるってわけか」


 猫執事がもう一度、首を縦に振る。


「そっか。お前良い奴だな」


 猫執事は目を細めて、前足で謙遜するような素振りを見せた。


 セリフをつけるなら「とんでもございません」って感じだな。


 それから、猫執事は洗面器を手にした。


「ん? 水を替えてくればいいのか?」


 小さな頭を左右に振る。


「じゃあ、お前が水を替えてくる間、シルファーを俺が看病してればいいのか?」


 頷くと猫執事は行ってしまった。


 看病っつても、したことねえし。


 俺はシルファーの顔を見つめた。


 美しく整った顔が苦しそうにゆがんでいる。


 呼吸も荒く胸が上下していた。


 いったい何度くらい熱があるんだろう。


 見るからに苦しげだ。


 俺はそばにあった真新しいタオルで、彼女の首筋をそっとぬぐった。


 それから顔や胸元の汗も拭く。


 少し、シルファーの呼吸が落ち着いた。


 二人目の勇者が現れて心労がたたったんだろうか。


 それにしても、やっぱり良く似ている。


 シルファーの銀髪は、色つやも長さも先代勇者ラフィーネ(仮)にそっくりだ。


 俺はそっと、シルファーの額の濡れタオルをとると、彼女の額に手を当てた。


 手のひらがじんわりと熱くなる。


“大丈夫なのか? こいつ”


 思った瞬間、脳が圧迫されるような感触があった。


 同時にシルファーの声が俺の心の中に流れ込んでくる。


(――私に魔王なんてつとまらない。つとまるわけがない)


 ぎょっとして、俺は彼女の額から手を離した。


 今のは読心のスキルだ。


 やばい。


 成長してるんだ。


 触れている間、うかつに疑問系で考えると相手の気持ちが聞こえてきちまう。


 まあ、そもそも最初から触らなきゃいいんだが……。


「お前は立派に魔王をしてるって」


 俺がそう言うと、彼女はゆっくりと目を開けた。


 やばい。眠ってると思ったのに、意識が戻ってたのか。


 シルファーは力無く笑った。


「すまぬなアーク。情けない姿をさらしてしまった」


「お、おい。あんまり無理してしゃべんなよ」


「安心せい。それに嬉しいのだ。我の心が弱っている時に、貴様はまるでそれを読んでいるかのように、我が欲する優しい言葉をかけてくれた」


「そ、そうなのか。つうかいつから起きてた?」


「貴様が胸のあたりをまさぐっているあたりで意識が戻ったのだ。そのまま寝込みを襲われると期待してしまったではないか」


「何言ってんだテメェは! いろんな意味であり得ねぇよ」


「そう照れるでない」


「ハァ? ばっかじゃねーの」


「ふふふ……そうだな。我はばかだ」


 しばらく沈黙が続いた。


 なんて言葉をかければいいんだか、マジでわかんねぇ。


「なあ……魔王も風邪を引くんだな」


「これは病気ではない。副作用だ」


「副作用? やばい薬でも使ったのか?」


「ああ。一時的に過去の自分に戻る秘薬であるぞ」


「過去って……?」


 シルファーはゆっくりと上半身を起こして、俺をじっと見据えた。


「他の幹部はともかく、貴様にだけは言わねばならぬようだ」


「な、なんだよ急に改まって。それに死にそうな顔だぞ。寝てろよ」


「そうはいかぬ。道化魔人アークは勇者イズナを殺せると、力を示したのだから」


「あれは半分はマグレだって」


「いや、相手の弱点につけ込む作戦勝ちではないか。我もイズナがあそこまで虫に弱いとは知らなかった」


「つうわけで、まあ、今回の獲得マナ次第だけど、次回も大量の虫作戦で行くぜ。余計な邪魔さえ入らなきゃ……その……シルファーが望むなら、俺はイズナを……」


「無理をするでない。貴様がイズナを討てるなどとは思っておらぬ」


「じゃあ、なんで俺をあいつのところに送り込むんだ?」


「我の目的はイズナを倒すことではない。イズナに倒されることなのだ」


 俺は耳を疑った。


「なに、言ってるんだ?」


「魔王とは勇者に倒されるために存在しておる」


「テメェは自分を殺させようってのか?」


「いかにも。ゆえに道化魔人アークには、イズナと戦い彼女をより強い勇者に育ててもらうつもりでいた。そういう存在を我は望み、召喚の儀を執り行ったのだ」


 イズナを育てるため……だと?


「なんでそんなことすんだよ訳わかんねぇよ!」


「だから……この世界の仕組みを話そう。これは各国の王や勇者の育成機関である学園の長、それに魔王といった限られた者しか知らぬ秘密だ」


 一呼吸おいて、彼女は告げた。


「魔王軍は勇者を苦しめるが、決して勝ってはならず最後は敗北せねばならない」


 シルファーは力無く自重するように笑った。


「ハァ?」


「魔王軍が敗れることで、マナ放送によって世界はすくわれているのだ」


 ますますわけがわからん。首を傾げる俺にシルファーは小さく息を吐いた。


「この世界には百以上の国があり、富める国と貧しき国がある。富める国に生まれればそれだけで勝者であり、貧しき国に生まれれば奴隷のような一生を送るのだ。いや国の中でさえ格差は生まれ、民は不満をためこんでいく。それはいずれ戦乱の火だねとなるだろう」


 戦乱云々はわからんけど、その前の部分なら俺にもわかる。


 運が良い奴は生まれつき高く飛べて、運が無いやつは地べたを這いつくばるしかない。


 シルファーは続けた。


「だが、この世界の弱者は反乱など起こさない。そして信仰の違いによる争いも起こらない。ここは理想郷だ。共通の敵である魔王軍の存在があるからこそ、この世界の人間たちは結束を余儀なくされているのだからな」


「もし、魔王軍がなかったら、この世界が終わるみたいな言いぐさだな」


「終わるであろう。大国は戦を始め、戦が生む憎しみに果ては無い」


「そんなんほっとけよ」


「そうはいかぬ。この世界の創造主が人間の滅びを回避するために作り出したのが、魔王という存在と、勇者なのだ」


 えーとつまりだ。


 世界中の憎悪を集めて、勇者に敗北する魔王軍ってのは、この世界の平和を守るための生け贄ってことか。


「シルファーは勇者に殺されるために生まれてきたってのか?」


「少し違うな」


 伏し目がちになって彼女はうつむいた。


 普段の明るい雰囲気は微塵もない。彼女は語り続けた。


「最初は我は……いや、私は勇者だった。昔の私もかっこよかったであろう? かつて勇者ラフィーネとして、この世界を救ったのだぞ」


 ここまで説明を受けてたから、驚きはねぇ。


 今日、イズナの助太刀に入ったのはこいつだったんだ。


「で、なんで勇者が魔王になるんだよ?」


「呪いだ。勇者ラフィーネは破竹の勢いで魔王軍の拠点に侵攻し、荒れ狂う海を沈め魔王城に攻め入った。そして魔王と対面し、この世界の秘密を知らされたのだ。それでも戦うしかなかった。魔王を倒せば平和が訪れると信じ戦った……」


 元勇者の魔王は言葉を詰まらせる。


「それで、どうなったんだ?」


「魔王を倒した勇者に、呪いが降りかかるのだ。魔王になるという呪いだ。勇者として得たスキルはすべて魔王のものに塗りつぶされる」


「魔王の仕事なんて職務放棄すりゃいいだろ」


「できぬのだ。自害しようとさえした。だが……魔王は勇者の刃でしか死ねぬ。貴様と同じだアーク。我もある意味、不死者なのだ」


「イズナを俺に育てさせようってのは、結局自分が解放されたいからか?」


「それもある。だが、イズナは私の……大切な後輩なのだ。殺されるなら彼女が良い」


「そしたらイズナが魔王になるんだろ」


「ああ。イズナならばきっと勤め上げてくれるだろう、他の者では心許ない」


「大切な後輩ってんなら、イズナに勇者をやめさせりゃいいんじゃないか?」


「勇者に選ばれてしまった時点で、イズナは魔王軍との戦いで戦死するか、魔王を倒して次の魔王になるかしかないのだ」


 選択の余地はないってのか。


「ゆがんでやがるな。この世界は」


「異世界から来た貴様にも、そう感じられるか。ああ、ゆがんでいるとも。ゆえに我の先代の魔王はそのゆがみに耐えきれず、憎しみにとらわれ世界を呪い、実に魔王らしく振る舞った。世界を滅ぼしかけるほどに、死を振りまいた。殺したところでマナにもならない、無抵抗な女子供まで皆殺しにしていった。当時の魔王軍は私の故郷の村も襲い、滅ぼしたからな。偶然、近くの町に使いに出ていた私だけが生き残ったのだ。身よりのない私は打倒魔王を近い、学園に入学して……それが今はこのざまだ。最も憎んだ魔王になってしまった」


 シルファーの声はひどく落ちこんでいた。


 身の上話に付き合ってやるのも悪くない。


 けど、シルファーは語るほど凹んでいくように思えた。


 こいつはたぶん、自分を許せないんだ。


 俺は努めて明るく笑顔で言った。とりとめもない馬鹿話をするみたいにだ。


「つうかテメェがさっき俺をバラバラにしやがったんだな!」


「す、すまぬ。現役時代を思い出して……つい」


「ついじゃねぇよ! バラバラにされたら死ぬだろ!」


「本当に申し訳ない」


 こりゃ重症だな。


「まあいい。事情はだいたい飲み込めた。俺がイズナを殺しちまうと思って、無理して駆けつけたんだな」


「ああ。だからこうして、貴様にだけは打ち明けることにしたのだ。貴様の場合、放っておけばイズナに勝ってしまうからな。これまで騙していてすまなかった」


 正直、裏切られたって気持ちはある。


 が、俺だって同じだ。シルファーに黙ってる。騙してる。


 読心のスキルのことは、まだ報告してないんだからな。


 お互い様だ。


 まあ、向こうが秘密を明かしてくれたんなら、こっちも教えてもいいかもしれん。


「なあシルファー……実は俺も隠してたことがあるんだ」


「黙っておれ」


 シルファーはじっと俺の顔を見つめた。


「へ?」


「我が秘密を打ち明けたのは、貴様に教えるべき時が訪れたからだ。それが想像以上に早かったというだけのこと。貴様が今、我に打ち明ける秘密がなんなのかはわからぬ。が、それは本当に今、言うべきことなのか?」


「いや、まあ……別に……」


「ならば胸にしまっておくが良い。ちなみに、愛の告白ならば喜んで受けてやるぞ」


「なんでそうなるんだよ」


「現役当時は彼氏など作っている暇は無かったからな。無論、魔王になってから

も忙しい。恋する暇も無いくらいだ」


「ハアアアアアアアアアッ!?」


「冗談だ。本気にするな」


 こいつ、やっぱりマジで何考えてるんだかわからねぇ。


 読心スキルで曝きまくってやろうか。ったく……。


「すまぬなアーク。魔王がすっかり弱気を見せてしまった。それに体調もこの通り。死ねぬ身体だが苦しみだけは感じるのだから、不便なことこの上ない。明日は一日休暇を与えるので、好きに過ごすが良い。食事も猫執事に言えば、我の秘伝のレシピから何かしら作ってくれるはずだ」


「あ、ああ。じゃあ……お大事に」


 いつの間にか、部屋に猫執事が戻ってきていのに気付いて、俺はシルファーの寝室を後にした。

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