第8話

 結局、スキルのことがわからないまま夜が明けた。


 今の俺は手からオリーブオイルが出るだけで、逃げ足が少しばかり速いだけの男だ。


 それに昨日の勇者との戦いも、なにがどうしてあんなにも大量のマナになったのかわからないままだった。


 早朝、飯の時間の前に俺は魔王城の中庭をランニングをすることにした。


 トレーニングがてら、手駒となるモンスターを少し詳しく見ておきたかった。


 モンスターたちはある程度系統ごとに並んでいた。


 巨大アメーバのようなかわいげの無いスライムや、触手の生えたリーパーといった軟体系から始まり、小型の動物系や人型のコボルトにオーク。


 人間型でも巨大な一つ目の巨人や石像型。


 実体感の無い幽霊から、骸骨戦士に腐敗したゾンビ……などなど。


 俺が思いつく限り、一通りのモンスターは揃っていそうだ。


 ただ、いわゆるボスっぽいやつは見当たらなかった。


 まあ、それでも大型バスくらいのサイズのドラゴンあたりは、かなり強そうだな。


 見るからに炎のブレスとか吐きそうだし……。


 残高四千マナで、こいつを雇えればいいんだけどな。


 ランニングでかいた汗をシャワーで流すと、シルファーと朝食を摂る。


 走って喉が渇いた……といっても、不死者の俺には渇いた気がするだけなのかもしれんけど、グラスに注がれた牛乳を一気に飲み干した。


 朝食はオムレツにクロワッサンにサラダにボイルしたソーセージだ。


 手をつけようとしたところで、シルファーが俺に言う。


「今朝は早くから訓練とは、貴様も魔王軍の幹部として自覚を持ち始めたようだな」


「別にそんなんじゃねぇよ」


「照れるでない。そうだ! この前のように剣の稽古をつけてやろうか?」


「なあ、勇者ってのは剣の達人だよな?」


「我に比べればまだまだ稚拙だが、とはいえ勇者に選ばれるくらいの使い手ではあるな。だが我の施す特訓と努力次第で貴様にも勝機はあるぞ!」


「嫌だね。特訓なんざ犬にでも食わせておけ」


「そのように覇気の無いことでどうするのだ」


「勝つ気はある。ただ、勇者イズナの得意なもので勝負するつもりはねぇよ」


「なんと。その言い方から察するに、何か良い方法でも見つけたのか?」


 シルファーはテーブルに身を乗り出して俺の顔をのぞき込んできた。


 相変わらず胸の谷間がかなり無防備だ。


「それはまぁ……」


 実はノープランなので、期待に瞳を輝かされても困るぞ魔王様。


「もったいつけずに教えてくれても良いではないか。それとも、焦らしているのか? 我に駆け引きを挑むなど、百年早いぞ」


 さらにぐいっとシルファーは近づいてきた。


 これ以上詰め寄られると、なんか困る。


 目のやり場とか。


「ともかく大事なのは距離感だからな」


「距離感だと?」


 俺の言葉に反応するように、シルファーは乗り出した身体を席にした。


「間合いってやつだよ。イズナの剣の殺傷範囲内に入らないことが第一だ」


「しかし、剣の間合いから逃れたところで、遠距離になれば雷撃が飛んでくるであろう」


「まあ、そうなるな」


 そこでふと、思った。


 雷撃の射程がどれほどかはわからないが、超遠距離からの狙撃って手が一つある。


 だが、こちらは実行手段が無いため、今回は不採用だ。


 で、もう一つ考えられるのが、超近接するって方法だった。


 剣の間合いのさらに内側に入るって寸法だ。


 むしろ剣だけじゃなく、殴打さえもさせない距離にまで近づくんだ。


「どうしたアーク? 続く言葉がないぞ? ははーん。さては何も考えておらぬのだな」


「なあシルファー。転送魔法はいつも勇者のすぐそばに送られるよな」


「そのように飛ばしておるのだから当然であろう」


「俺を極限まで勇者に近づけて転送できないか?」


「――――?」


 シルファーは不思議そうに首を傾げた。


「もしかして、魔王シルファーでもできないのか? まあ、転送魔法がどういうものかはわからないけど、難しいなら仕方ねぇ」


「で、できぬことはないぞ。魔王であるからな」


 少し焦るような口振りに、俺は続けた。


「別にいいって。できないならできないで。無理すんなよ」


「できるぞ! それくらいは朝飯前だ!」


 割と負けず嫌いなんだよな、この魔王。


 さてと……この雰囲気から察して、俺はそっと椅子から腰を浮かし身構えた。


 ムキになったシルファーが右手を挙げて指を鳴らす。


「論より証拠だ。転送魔法!」


 足下に魔法陣が生まれ、俺の視界は光に包まれるのだった。


 お互いの靴のつま先が触れあう距離に、勇者イズナが立っていた。


 どうやら早朝の襲撃に備えていたらしく、軽鎧姿ではないが腰に剣だけは下げていた。


 とりあえず屋外のようだが場所がどこかも確認せず、俺は彼女を正面からぎゅっと抱きしめる。


「勇者イズナ! 今日こそお命ちょうだいする! だーっハッハッハ!」


「きゃあああああああああああああああああああああああああ!」


 イズナの腕力は見た目のそれとは正反対だ。


 必死に食らいつくつもりで俺は彼女の背中に腕を回し、腰の辺りからホールドするように密着した。


 そのまま足を掛けて地面に押し倒すと、イズナの平べったい部分に顔面を押しつける。


 いや、したくてしてるんじゃない。


 殴れるだけの距離ができた瞬間、撲殺されるんだからこっちは必死だ。


 ともかく、俺の狙いは“時間稼ぎ”だった。


 生存時間の長さと取得マナの関係の調査である。


 必ずしも時間の長さと関係ないようであれば、やはりマナの評価は勇者との戦闘内容ってことになるんだが、時間の長さで取得マナに何らかのボーナスがあるなら、転送後に勇者から逃げまくってマナを稼ぐ方法もあるわけだし。


 つうか、俺に抱きつかれて押し倒されりゃ、もっと暴れるかと思ったんだが、イズナは無抵抗だった。


 敵にここまでされてんのに、“何考えてるんだこいつ?”


 …………ッ!?


 な、なんだ……急に苦しくなってきたぞ。


 頭の中が圧迫される感じだ。


 呼吸してるのに息が……うっ……き、気持ち悪い……。


 イズナが何かしたのか? 魔法による攻撃か?


 だ、だめだ。クソッ……気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。ありとあらゆる乗り物酔いが一斉に襲いかかってきたみてぇだ。


 冷や汗が背中にびっしり浮かんで、寒気もないのに身体が震え出す。


 くそっ! 耐えろ! 腕を放したら即、殴り殺されるぞ!


(――また、媚薬を使われたら、わたし……おかしくなっちゃう)


「なんか言ったかテメェ。媚薬っつても、アレはただのオリーブオイルだっつーの」


 イズナに話しかけられたような気がして、俺はつい返事をしてしまった。


 密着してるんで顔も見えないけど、イズナの声は恥ずかしそうに震えていた。


「え、ど、どうしてわかったんですか!?」


「はぁ? 何言ってんだ」


 やばい。胃の奥からすっぱいものがこみ上げてきた。


 我慢できねぇ。


 すまん。勇者イズナ。


 魔王の手下が勇者に謝るのも変だけど。


 これは一人の人間としての謝罪だ。


「げろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 先ほど飲んだ牛乳が俺の口から滝のように吐き出された。


 イズナの胸や腹はびちゃびちゃのぐちゃぐちゃだ。


 薄いシャツみたいな服が濡れて、彼女の身体に貼り付きテラテラと光っていた。


 へそのくぼみまでわかるくらい濡れに濡れていた。


 俺はそっと彼女を解放すると、立ち上がった。


 そして倒れたままのイズナの顔を指さした。


 気持ちとしては申し訳ないのだが、魔王軍に籍を置く者として、ごめんなさいとは言えない。


「どうだ。デスブレスの威力は! 俺の体液に汚染され、勇者としての誇りも尊厳も失われたのだ!」


 イズナは自分の身体が、道化魔人アークの胃液と牛乳の混合物まみれなのを確認すると、立ち上がりながら俺に近づき、ごく自然になめらかな動作で接近するや……目にもとまらぬ速度で平手打ちを放った。


 目からぽろぽろ涙を流しながら。


 ああ、本当にごめんね。


「ひどいですあんまりです!」


 居合いの達人のような鋭い一撃に、避けるという意識すら持てないまま俺の顔面は首ごと勇者の平手打ちにもっていかれた。


 首をぼっきり折られ、俺の意識は激しい痛みとともに闇に沈んだ。


 玉座の間の赤絨毯の上で復活した俺の顔をのぞき込むようにして、魔王がほっぺたを膨らませていた。


 どうやらひどく怒っているらしい。


 目がつり上がり厳しい視線を俺に注いでいる。


「なんてことをしてくれたのだ貴様は!」


「んだよテメェ。俺なりにがんばった結果だろうが」


「至近距離に転送させたのは、ああいうことをするためか!?」


「俺の世界には虎穴に入らずんば虎子を得ずって言葉があるんだ。おかげで抱きついてる間は、勇者は俺に何もできなかったしな。これは使えるぜマジで!」


「だからといってむやみに抱きつくでない!」


「ボクシングならクリンチは反則じゃねぇだろ」


 って、ボクシングは無いかこの世界。


「拳闘術と一緒にするでない」


 ボクシングあるのかよ! さすがカップ麺が存在するだけのことはあるな。


 俺は身体を起こして立ち上がった。


「つうか、いつものみたいに『おお、死んでしまうとは情けない』は無しなのか?」


「そんな話を冷静にしてなどおられぬぞ! あんなにくっついて、きつく強く抱きしめて!」


「ふりほどかれた瞬間、殺されるんだから必死にもなるだろ。今回はどんだけ粘れるかっていうのが課題の耐久作戦だったからな。まあ、思っていたほどできんかったけど」


「耐久作戦とな? では、勇者を吐瀉物まみれにしたのはなんなのだ? そういうことをして喜ぶ変態なのかと、我は貴様の将来を危ぶんでおったところだ」


「勝手に危ぶむんじゃねぇ! あれは成り行きでそうなったんだ。つうか、気持ち悪くならなきゃもっと抱きついてたし」


「なに!? それは聞き捨てならぬぞ。相手が抵抗せぬ限り抱きつき、陵辱し続けるつもりでおったのだな」


「陵辱じゃねぇよ。耐久作戦だって言ってんだろうが」


 俺の言葉に納得がいかないのか、魔王は顔を真っ赤にさせて怒っている。


「なあ魔王。勇者には相手を気持ち悪くさせるような、呪いみたいなスキルはあるのか?」


 俺の唐突な質問に、シルファーは首を傾げた。


「はて、そのようなスキル、勇者にあったであろうか。我が知る限り相手を呪いで苦しめるようなスキルは、むしろ魔王側のもののはずだが……」


 じゃあ、あの時……イズナに抱きついてた時にこみ上げてきた気持ち悪さは、イズナの攻撃じゃなかった可能性が高いな。


 そもそもイズナが「相手がゲロを吐くほど気持ち悪くなるスキル」を自分の意思で俺に対し使ったなら、俺にゲロを吐かれて、あそこまで泣かないよな。いや、脱出のためにやむなく使ったなら泣きたい気持ちにはなるだろうけど……。


 雰囲気からして、イズナは俺が吐くことなんて予想してなかったように思える。


「シルファー。今日のマナ放送はどうなった?」


「貴様の吐瀉物にまで、きちんとモザイク処理をしておいたぞ。しかし……勇者をあんなに目一杯抱きしめるなど……うう。何度見ても腹立たしい」


「ともかく確認させてくれ」


「そんなに自分が吐いた所を見たいのか?」


「俺のことはどうでもいい。重要なのはイズナの表情だ。泣き顔のあたりをしっかりじっくり、おがんでおきたいんだよ」


「貴様は鬼か!? 悪魔か!? この鬼畜め!」


「魔王が何言ってんだよ」


 俺のツッコミをスルーしつつ、シルファーは困り顔で確認した。


「本当に見るのか?」


「重要なことなんだ」


 じっとシルファーの顔を見つめると、根負けしたように彼女は指を鳴らした。


 今日の映像が空中に浮かんだウインドウに流れ出す。


「まったく、先日ほどではないにせよ、けしからん動画だ」


「俺が抱きついているところはいいから、早回ししてくれ」


「わかったわかった。そう急くな」


 俺が抱きついていられたのは、せいぜい三十秒ほどだろうか。早回しで見る限り、意外っつうか、勇者の表情は……なんか恥じらっているようにも見える。気のせいだろうけど。


「ストップ! ここから普通に見せてくれ」


 魔王様をブルーレイレコーダー扱いしつつ、俺は動画の後半を確認した。


 俺が身体をプルプルとさせ始めている。


 たぶんこのタイミングで気持ち悪くなったんだ。


『なんか言ったかテメェ。媚薬っつても、アレはただのオリーブオイルだっつーの』


 ウインドウの中の俺が独り言のように言う。


 すると、勇者イズナが目を見開いた。


『え、ど、どうしてわかったんですか!?』


『はぁ? 何言ってんだ』


 ん? なんか、このやりとり違和感があるぞ。


 話しかけてきたのはイズナの方だったのに、俺から話しかけてるようにしか見えない。


 それにイズナの言ってることも、なんかちぐはぐな感じだ。


「もう一度同じ場面を巻き戻してくれ」


「我は録画装置ではないぞ!」


「いいから! 頼む魔王様」


「おっほう! 魔王“様”とな。まったく仕方ないのう」


 もう一度、俺が気持ち悪くてプルプルし出すより、少し前から確認した。


 やっぱり、イズナは何も言っていない。


 何度確認してもそうだ。


「なあシルファー。映像のモザイク処理の他に、音声の加工はしてないよな?」


「しておらぬが、何をさっきから気にしておるのだ」


「いやその……うまく言えないんだが……」


 俺の気のせいだったのかもしれない。


 けど、なんだか……引っかかりやがる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る