第6話

 夕飯はサーモントラウトのクリーム煮だ。


 肉料理だけでなく魚料理まで美味い。


「まさか、この魚まで釣ったなんて言わないだろうな?」


「もちろんだ。我は手先も器用であるからな。専用の疑似餌も自作するのだぞ」


「多趣味だな。つうか魔王の仕事しろよ」


「それなら抜かりはない。教の動画では頭部のモザイクだけ外しておいたぞ」


 本日のマナ放送のハイライト……つううか俺の死因映像は、勇者の放った雷撃魔法で俺がアフロになる場面だった。


「はっはっはっは! もじゃもじゃではないか!」


「う、うるせぇ! 好きでもじゃついたわけじゃねぇ。つうか、あんなことまでしてくんのかよ」


「勇者イズナは雷撃魔法が得意なようだからな」


 毎回自分が殺された時の映像を見せられるのは、普通に考えりゃ拷問だ。


 けど、どう死んだか確認できる。


「何か防ぐ手はないのか?」


「それを考えるのも貴様の仕事だぞアーク。我に頼り切りでは職務怠慢ではないか」


「したくて職務怠慢してんじゃねぇよ。やれることがありゃやってるって! それに『何でも申してみろ』って言ったのはテメェだろうが」


「そうであったな。まあ、ヒントになるかはわからぬが……今回の貴様の活躍も五千マナほどの価値があったようだ。累計で一万四千マナ。ここから一万マナ支払えばスキルが手に入るぞ」


「おお! 雷避けとかあるか?」


「そう都合良いスキルではないが、現在獲得できるスキルはこのような感じだ」


 シルファーが指を鳴らすと、俺の目の前にウインドウが浮かんだ。


「こういうのを待ってたんだ! ……って、これだけか?」


 選べるのは二つだけだった。


 もっといくつも出てくるもんだと思ってたんだが……俺の基礎能力不足ってことかもしれん。


「仕方あるまい。一万マナで獲得できるスキルなのだからな」


「質問が二つある」


「申してみよ」


「今、選ばないでマナを温存するというのはありか?」


「ありだな。気に入らぬのであれば、しばらくマナを貯めておくのもよかろう」


「じゃあ次の質問だ。選んだスキルを獲得できるとして、選ばなかったスキルはどうなる? もう取得する機会はなくなるのか?」


「スキルとは一期一会的なものだからな。こればかりはやってみなければ、どうなるかわからぬ。ただ、獲得するなら自身の適性に合った能力をおすすめするぞ」


「なら俺の場合は敏捷性にまつわるスキルを伸ばすのがよさそうってわけだ」


「そうであるな」


「じゃあなんで選べるのがこの二つなんだよ! 敏捷性関係あんのかこれ!」


 俺に提示された取得可能スキルは――。


A:牛乳の早飲みができるようになる能力

B:手からエクストラバージンオリーブオイルが出る能力


 敏捷性どこ行った!


 つうか「牛乳の早飲み」はスキルって言えるのか? 一発芸だろ。


「さあ、一万マナを支払ってどちらのスキルを手にするのだ道化魔人アークよ!」


「どっちも嫌だッ!」


「我は牛乳を早のみする貴様の勇姿を見てみたい。飲み過ぎて盛大にはき出すところなど、わくわくするな」


「楽しみにしてるんじゃねぇよ!」


 ったく。牛乳早飲みなんてどこで役に立つんだよ。


 不満げな俺にシルファーは愉快そうに続けた。


「手からオリーブオイルが出るのもすごいではないか! エクストラバージンとなれば、風味も素晴らしかろう」


「俺の手から出たオイルを料理に使う気があんのかッ!?」


「マナによって生成されたものならば、毒物でも無い限り問題あるまい」


 手からオリーブオイルが出るのは、考えようによっちゃとんでもないことだ。


 無から有を生み出すんだからな。


 まあ、イズナは手から雷を出してるわけだけど。


「決めた……」


「おお! 飲んでくれるか牛乳を!」


「そっちじゃねぇよ! 選ぶのはBのオリーブオイルが出る方だ。とにかくスキルってのがどんなもんか、使ってみるのも経験だからな」


「そうか……少し残念だが、それでは道化魔人アークよ、魔王シルファーの名において貴様にスキルを与えよう」


 シルファーが人差し指を引くと、俺の目の前に並んだ二つのスキル表示アイコンがシルファーの目前に引き寄せられた。


 シルファーはBの表示にそっと触れる。


 するとBの表示が空中で光輝いた。


 そこにシルファーが胸元から俺のマナを取り出して、紅茶に角砂糖でも入れるようにそっと落とした。


 マナが溶けて消える。


「お、おい! 俺のマナが消えたぞ!」


「安心せい演出だ。四千マナほどはきちんと残っておるから」


 ほっと胸をなで下ろした。


 つうか、演出とかそういうのには労力を惜しまないなこの魔王。


「無事、儀式を執り行うことができたぞ」


 シルファーはにっこり微笑んだ。


 正直、俺自身何か変わったという気はしない。


「本当に俺はスキルを手に入れられたのか?」


「そのはずだが? 試しにやってみるがよい」


 自分の手のひらを確認する。


 別にオリーブオイルの噴出口みたいな穴が空いたりもしていない。


 まあ、とはいえやってみるか。これで出なかったら恥ずかしすぎるけどな。


「出ろ! オリーブオイル!」


 開いた右手に手汗が浮かんだ。


 いや、汗じゃない。妙にテカテカしてるし、緑と黄色の中間っぽい色だ。


 香はまさに……オリーブオイルだった。


 シルファーが困ったように眉を八の字にさせる。


「なんだ、もっと湯水のようにわき出るのかと思っていたのだが、少し拍子抜けだな」


 俺はじっと手のひらを見つめ続ける。


 わき出るというにはほど遠い。


「なあシルファー。スキルってのは無制限に使えるものなのか?」


「使う力が大きいほど、精神的に消耗もするであろう。ただし、スキルは使えば使うほど成長するものだ。成長の仕方もスキルによるが、単純に威力や性能が上がる場合もあれば、消耗を抑えて燃費が良くなることもある」


「そうか。わかった」


 俺は「オリーブオイルよ出ろ」と念じるのを止めた。


 感覚的には、息を止めている間にじわじわ油が手に浮かび出てくるってのが近いか。


 まあ、呼吸を止めてりゃ当然、苦しくなる。


 この苦しさは、呼吸のっていうより頭痛に近い。


 脳を圧迫されるようなこの感じが、精神の消耗ってことなんだろう。


 連続してオリーブオイルを出すために精神を集中させても、一分持たない。


 で、苦心して生み出した手のひらにたまったオイルを俺はなめて見た。


 間違いなくオリーブオイルだ。シルファーが目を細める。


「明日はペペロンチーノにしよう」


「しよう……じゃねえだろッ!」


 とりあえず一万マナが無駄になった……とは思わない。


 どんな些細なことでも、能力を得られたのは純粋に嬉しかった。


 俺は失った物を取り戻しただけじゃなく、この世界で新しい力まで得たんだ。


 向こうにいた時はもう走れないと思ってたし、何も新しいことなんてできないと感じてた。


 けど、この世界にいる限り、道は細く険しくても、先へと続いている。


 続いている……気がするだけで、気のせいかもしれないけどな。


 夕食の後、自室にこもって何度か手からオリーブオイルを出してみた。


 挑戦するほど量が増える。


 最初はかき集めても小さじ一杯にもならなかったのが、今は気張ればコップ一杯ほど出るようになった。


 それに左手からも出せるらしい。


 どちらの手から出たものも、味や香はいっしょっだった。


 けど、まあ、ここらへんが“壁”みたいだ。


 水鉄砲みたいに油を飛ばすようことは無理そうだ。


 相手の顔面に放って目くらましって使い方はできないな。


 当然、オリーブオイルで勇者が放つ雷撃対策などできるわけもなく……。


 いや、探せば出てくるか?


 万に一つの可能性にかけて、俺はスマホを起動した。


 そして目を疑った。


「充電……100%じゃねぇかよ」


 どういうことだ?


 俺がスキルを手に入れたから、レベルアップでもしたってことになって回復したのか?


 RPGなんかだと、レベルが上がった時に完全回復するよな。


 あのノリか? 何度殺されても甦るくらいだから、そういうことがあったっておかしくないが……。


 ともかく理由がさっぱりわからない。


 もしかしたらバッテリーがいかれちまって、本当は50%のところが100%って誤表示されてるかもしれないし……。


 とりあえず故障してないか検索ポータルサイトのトップページを開いてみた。


 画面が切り替わり普通に表示される。


 ポータルサイトのトップニュースは、中国のバブルが弾けて株式市場が大混乱だとか。


 異世界に召喚された俺にはまったくもって関係ない話だな。


 もちろん俺が失踪したってニュースも見つからなかった。


 さらに検索を進めてみたものの、オリーブオイルで雷を防ぐ方法も発見できない。


 ただ、オリーブオイルの用途について、いくつかわかったことがある。


 食べる以外の用途だと、肌に良いので美容用のマッサージオイルになるらしい。


 そして媚薬の効果もあるんだとか。


 こっちの情報は眉唾だ。


 ともあれ、俺の両手はこの世界にいる限り、ずっと美肌を維持し続けるだろう。


 やっぱり牛乳一気飲みにしておくべきだったか? いや、後悔してもしょうが無いよな。


 翌朝、シルファーとの食事の最中に俺は彼女にこう言った。


「もう飛ばしてくれ。転送してくれ。勇者に会いに行かせてくれ」


 シルファーが青い瞳をまん丸くさせる。


「ま、まさか貴様……勇者に恋などしておらぬだろうな?」


 唇まで青くなりげっそりとした顔をするシルファーに、俺はため息混じりに返した。


「んなわけあるか。毎回殺されるんだぞ!」


「驚かせるでない。会いに行きたいなどというからてっきり勘違いしてしまったではないか」


「どういう勘違いだよ。ったく……会わずに済むならそれが一番だけど、テメェは問答無用で転送魔法使うだろうが」


「それが魔王の務めだからな。しかし、いくらなんでもまだ早すぎではないか? 食事くらいゆっくりしていけば良いだろうに」


「毎朝規則正しく、同じ時間に飯を食って同じ時間に転送されてるだろ」


「うむ。実に健全ではないか」


 シルファーは胸を張った。


 ローブの大きく空いた胸元からこぼれ落ちそうな、大きな膨らみがたゆんと自信たっぷりに揺れる。


「俺が道化魔人アークになってからというもの、勇者側は俺の出現時刻に合わせて戦場を準備してるんだよ。俺の足が速いってわかれば、足場の不安定な場所を選びやがる」


 シルファーが再び目を丸くさせた。


「そういえば……そうであるな!」


「わざとか? わざと気付いて無かった振りなのか?」


「そうではない。いやそうか……なるほど……私としたことが盲点だった」


 一瞬、違和感を憶えた。


 魔王シルファーはいつも自分の事を「我」と言う。


「今、『私』って言わなかったか?」


「え? ううん? はて、そう聞こえたか」


 今度は本当に動揺したらしく、シルファーの目はすっかり宙を泳いでいた。


「言った言った。お前さぁ……魔王だからって『我』とか使ってるわけ? 威厳あるキャラ付けで、実は日記の一人称は『私』なんじゃねーの?」


 今度はシルファーがムッとした顔になる。


 フグかハリセンボンみたいにほっぺたを膨らませた。


「そんなことはないぞ! 我は魔王シルファー。生まれた時からの生粋の魔王であるからな。はっはっはっはっは!」


 なーんか怪しいな。


 シルファーは隠し事をしてる。これは間違い無い。


 とはいえ、こいつと契約してる以上、俺が無理に嘘を曝いてどんなメリットがある?


 できるできないの問題じゃなく、今は全面的にこいつを信頼するしかないんだ。


「なあシルファー」


「……な、なんであるか? そのように熱い眼差しで見つめられては、惚れられてしまったのかと心配になるではないか」


 今度はシルファーは両手で膨らませた頬をしぼませながら、小さく身もだえた。


「無いから安心しろ」


「それは寂しいな」


 肩を落としてシルファーはうなだれた。


「なんで落ちこむんだよ」


「お、お、落ちこんでなどおらぬ! それより道化魔人アークよ! 今すぐ送り込めば良いのだな? では行くが良い! 転送魔法!」


 今回はこっちから言い出したこともあって、急な転送魔法にも焦らなかった。


 食卓の椅子に着いたまま、俺の足下に魔法陣が生まれ、視界が光に包まれる。


 普段より一時間は早い出撃だ。


 今回で何か変わるわけじゃないんだが、俺が定刻通りに現れない事が重要だった。


 転送されたのは更衣室らしき小部屋だった。


 左右にロッカーが並ぶ中、その一つを利用しつつ、今まさに軽鎧に着替えようとしている勇者イズナが俺の目の前に立っていた。


 ――黄色のフリル付きな下着姿で。


 赤いリボンが可愛らしい。


 胸は平らだが腰からのラインがかすかにくびれを帯びている。


 小さなへそまで丸見えだ。


 よっしゃああああ! これはチャンスだ!


 いや、こいつの生着替えを見られてラッキーとかそういうことじゃない。


 狭い部屋で、一歩踏み出し腕を伸ばせばイズナに届く。


 そのまま押し倒して組み敷いちまえば、得意の剣だって振るえない。


 俺が現れたことで、目が合ったイズナは石化したみたいに動きを止めていた。


 そんなイズナの顔を指さし俺は宣言する。


「勇者イズナ! お命ちょうだいする!」


「きゃああああああああああああああああああああああああああ!」


 心地よい悲鳴とともに、狭い更衣室の天井に実況ウインドウが開いた。


 俺の宣戦布告により交戦が確認されてマナ放送が始まったのだ。


『生着替えキタアアアアアアアアアアアアアアア!』

『時間通りじゃない。汚い魔王の手下汚い』

『今回ばかりはGJと言わざるを得ない』

『円盤買います!』


 実況は大盛り上がりだ。


 俺はイズナに掴みかかった。


 二の腕に触れると「きゃっ!」と声を上げる。


 や、柔らかい。


 鍛えててもっと筋肉質かと思ったが、そうでもないんだな。


 それに可愛い声で鳴くじゃねぇか。


 このまま押し倒すなり引き込んで……って、あれ? 全然動かねぇ。


 押しても引いてもびくともしねぇぞ。


「ら、乱暴しないでください!」


「うるせぇ! こうなったら……」


 俺はイズナに触れている手にオリーブオイルが出るよう念じた。


 とろりとした液体がイズナの肌に染みこんでいく。


「ひいい!」


 イズナは身を震えさせた。


 どうやら、俺の手から出た液体に怯えているようだ。


「ハッハッハ! これでテメェは終わりだ勇者」


「何をしたんですか!? 毒ですか?」


「あめぇな。俺が今、手から出してるのは……超強力媚薬だ! 肌からでも吸収してテメェの体内に侵入し、蝕み侵し最後は脳にまで淫靡な毒が回る代物だ!」


 おー、我ながら適当なセリフが良くも出るもんだ。


 マナ放送の実況は俺の言葉に反応して一気に加速した。


「いやああああああああああああああああああああ!」


 悲鳴とともに俺の手をふりほどくと、すかさずイズナのビンタが飛んできた。


 そいつが俺の頬にクリーンヒットする。


 細腕の女のビンタなんざと思った俺が……バカだった。


 脳が揺れるような衝撃が走る。


 俺の身体は頭からイズナのビンタになぎ倒されて、そのままロッカーに激突した。


 どうやら首の骨が折れたらしい。


「いぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!」


 自分で上げた断末魔の声とともに俺の身体は霧となって消えた。


 ――完敗だ。


 けど、これで俺の襲撃が“いつ来るかわからない”となれば、戦場の用意も簡単にはできなくなるだろう。


 つうかなんて馬鹿力だよ勇者の奴。


 接近戦じゃ勝ち目は無さそうだな。

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