六話 混乱に乗じて
六話 混乱に乗じて
すでに部室には何人かの部員が集まっていて、たった今体験した現象を話すと、今日の夕方から夜にかけて部で集まって校内を捜索することになった。
部会で一年生たちにも声をかけたのだが、みなバイトがあったり、めんどくさがったり、中には本物の幽霊が怖いと言う者までいたりして、結局、二、三年生のいつものメンバーだけが部室に残ることになる。
本来、ダイキは部会には参加せず、例え参加したとしても、その後も部室に残り続けることなんて、ほぼありえないのだけれど、今日は心霊体験の当事者として部室に残ることを強制された。
ダイキは気味悪がり、わざわざ霊を探すなんてことはしたくないと帰宅を希望したが、僕がダイキを引き止めた。正直に言えば、僕もわざわざ危険に近づくようなマネはしたくなかったが、ミス研に所属してるからには、それなりの責任は果たさなければならない。
心霊現象を体験した。
それならば、部員の霊に対する見識を深めるために協力をしなければならない。
先に帰る後輩たちも、自分たちが巻き込まれることは嫌がっても、やはりその霊の正体を知りたいという気持ちは強いようで、当事者である僕やダイキは今回の件を解明する義務があるかのように、全ての調査を押しつけた。
“先輩、調査、頑張ってくださいね! 霊の正体を突き止めてください”
ダイキは人の期待を裏切れない。
期待をされると、恐怖を前にしても、尻尾を巻いて逃げることができない男なのだ。
僕も後輩たちの願いを踏みにじって自分の気持ちを優先できるほど、心の強い人間ではない。
ハルやピーチさんの頼みもあって、昼休みの時間が終わっても尚、部室に残っていた。
部室にはピーチさん、ハル、ゆう、僕、ダイキの五人が、それぞれパイプ椅子に座って、携帯をいじったり、テレビを見たりして日が暮れるのを待っていた。
辰巳さんは常日頃部会には来ないので、別段部室にいないのがおかしいわけではない。それに、ダイキの“例の話”を聞いた後で、あの人の顔を見るのはどうも気まずい思いがあった。だから、部会に来なくてよかったとすら思う。
しかし、こういったトラブルがあったときに、津島さんが残らないのは珍しいことだった。部会には来ていたのでそこで話を聞いたのだけれど、どうやら今日は製剤研究部の方で製薬会社を見学に行くらしい。予め見学に行く者の氏名を相手に伝えてあり、製剤研究部の副部長である津島さんがミス研の活動を理由に見学を欠席することは不可能だった。
サンゴクはバイトがあるようで、興味は持っているようだったが帰って行った。
ハルとピーチさんは当然のように何も言わずに残っている。ピーチさんは部長として、部員の活動を見届ける責任があるのだろうし、同時に実際に霊と遭遇することのできる機会をむざむざ無駄にしようとはしないのだろう。ハルだって、この学校の過去を調べ回っているくらいだ。校内で起きた心霊現象に興味がないわけがない。
僕とダイキは現象の観測者であるため、残ることを余儀なくされた。ゆうの場合は、心霊現象自体にはさして興味はないものの、部の活動と言われ、断れなかったというのが理由だろう。ゆうは基本的に、誘いを断ることができないのだ。
けれど僕は、部に協力するという大義の他に、もう一つ理由があってこの場に残っていた。
そもそも、今日僕はどうして部室に来たのか。
もちろん、部会があるからという理由もあったが、もう一つ重要な目的があったじゃないか。
ハルに、肝試しの場所について相談をしたかったのだ。
しらべを誘うための肝試し。
本当に幽霊が出る可能性がある場所で、しらべの家からそう遠くない場所。
見つかったじゃないか。
この大学がまさにそうだ。
あんな恐ろしい思いをして、にも関わらず僕がここでこうして日が暮れるのを待っていたのは、単に部に対して献身的なわけではなかった。
今日の一件を聞いて、しらべがやって来る。
ゆうが連絡したのだ。今日の事件と、今夜行われる心霊調査を。
ピンチはチャンスだとはよく言ったものである。
エレベーターから飛び出した時は、こんなことに巻き込まれる自分の不運を呪ったが、これは考え方によってはまたとないチャンスだと言える。
自分の“心霊体験をした”という立場を利用して、しらべに近付ける。僕の心臓は、先ほどとは違った意味で大きく脈動していた。
――きっと、しらべは僕の話を目を輝かせて聞いてくれる。そして、校内であることが残念ではあるものの、うまくすれば二人で行動することができる。
何も言っていないが、ゆうとハルは僕がしらべのことを好きなのを知っていて、僕がしらべと行動できるように協力してくれるはずだ。
今日は、津島さんもいない。
このチャンスをものにできなければ、今後、もう僕はどんなチャンスも生かすことはできないに違いない。
すでに一度、昼過ぎに、ダイキや僕を含む五人でエレベーターに乗ってみた。が、何も起きなかった。それから、研究棟を歩き回ってみたものの、相変わらずこれと言った変化はなかった。
そのため、夜を迎えてから改めて行動しようということになったのだ。
時計の針が七を指したとき、部室の扉が開いた。
「こんにちはー」
しらべがやって来た。
窓から外を見て、十分に暗くなっていることを確認してから、ハルが立ちあがり僕たちに呼びかけた。
「さ、しらべもやって来たことだし、そろそろ二回目の調査と行きますか。今度は日も暮れて、霊も出やすい状況になったんじゃないかな。今度は手分けして校内を回ろう。さっきは五人で固まって動いたけど、大人数でいるより、少数で動いた方が霊だって出やすいだろうしね。というわけで、二人一組で調査しようと思う。俺はピーチさんと組むから、残り四人は話し合って決めてくれ。……あ、言わなくてもわかると思うけど、ダイキとカナタは組むなよ。おまえらがまた二人一緒にエレベーターに閉じ込められても、なんの意味もないからな。心霊体験した奴はバラけさせる」
「じゃ、あたしはダイキと組もうかな」
ハルの話が終わって、早々に手を上げたのはゆうだった。
予想通り、僕としらべを組ませてくれるらしい。
「え」と言って、ダイキは僕を見た。「……いや、俺はしらべと組むよ」
なんでおまえ、僕の作戦の邪魔をするんだよッ! と怒鳴りそうになるが、ダイキはニヤリと笑って「その方が、カナタもいいだろ?」と言った。
……ああ、そうか。
思い出してため息が出そうになる。
ダイキは僕の好きな人はゆうだと思っている。
めんどくさいことになって来た。
せっかく、ゆうが取り計らってくれたおかげで、自然な流れでしらべと組めるはずだったのに。
「うちはどっちでもいいよー」
しらべは津島さん以外の男には興味がない。
だから本当にペアを組む男が僕でもダイキでもどっちでも構わないのだ。
それはそれで悲しい気持ちになるが、しかし容姿で比べられたら、僕はダイキには敵わない。もし、しらべが僕たち二人に優劣をつけていたら――たぶん、僕はゆうと組むことになっていただろう。
「僕がしらべと組むよ」
しらべと組みたい、とは言えなかった。
ダイキは眉を顰(しか)め、首を傾げた後、まあいいかとつぶやいた。
「さ、グループ分けができたら早速、校内を回ろう。言っておくけど、今回のはマジだぜ。カナタとダイキはわかってるだろうけど、女子二人は無理すんな。ゆうは心霊現象に巻き込まれそうになったら逃げていいし、しらべは逆に無闇に霊に近づこうとすんなよ」
「うちは大丈夫だよー。お化け怖くないし」
「カナタ、しらべの見張りはおまえがしっかりやれよ。無茶しようとしたら、力づくでも止めろ?」
「力づくはちょっとアレだけど、無茶はさせないようにする」
「ゆうの体調はダイキ、気を使ってやれ」
「言われなくても。女をエスコートすることなら、俺の右に出る奴はいない」
「じゃあ、回る場所は特に決めずに、自分たちが気になるところを回ることにしよう。それからもう一つ。エレベーターは乗る時は、事前に誰かに電話をかけてから乗るように。どのエレベーターに乗るかも報告するんだ。そうすれば、閉じ込められたときも助けに行ける。エレベーターが止まった時に電話が通じていればもちろん助けに行けるし、不自然に通話が切れた時も救助に向かうことができる」
再びエレベーターに乗ることになるのか。
先ほどは部員五人で乗ったから、それほど恐怖を感じることはなかったが、人数が減り、なおかつ夜ともなればその不気味さは増す。
「行こう」
ピーチさんが口にしたのを皮切りに、僕たちは部室を出て、各々の気になる場所へと歩を進めた。
◆
さて、しらべとペアを組むことに成功したのはいいのだが、しらべは部室を出てからずっとだんまりを決め込んでいた。
最初は肝試しに集中したいんだろうな、と思って僕も静かにしていたのだけれど、どうもそういうわけでもないらしく、言ってしまうと元気がない。
いつもは幽霊を探して周囲をきょろきょろと見回したり、幽霊に対する熱い思いを語ったり、慌ただしく動き回っているしらべであるが、今日はやけに大人しかった。
それどころか、顔色もちょっと悪い様に思える。
「……体調、悪いの?」
心配になって尋ねて見た。
いつもしらべをよく見ている僕には、その僅かな変化も感じ取ることができた。
「うん」にべもなく頷くしらべ。「昨日、めちゃくちゃお酒飲んじゃって。潰れるくらい飲んじゃったから、二日酔いなんだよね」
しらべが酒を飲んで潰れるのはいつものことだ。
二日酔い。
どうりで元気がないわけだ。
それにしても。
「今日、学校があるのに、よくそんな無茶したね」
いくら計画性のないしらべだって、学校の前日に潰れるほど飲んだら、翌日が辛いのはわかるだろう。
飲み会をやるとしらべはだいたい潰れるが、それだって多くの場合は次の日は休みのときだ。
「再試があったから、昨日までお酒、全く飲めなかったんだよ。で、昨日、ようやく再試が終わってお酒が飲めるようになったから、もうめちゃくちゃ飲んだんだよね。おいしかったー」
アルコールがダメな僕にとって見たら、そういう風に酒を飲みたくなる気持ちは全く理解できないのだけれど、再試による抑圧から解放されたときの、あの晴れやかな気分だけは僕も共感することができる。
何をやっても許されるような感覚。
その解放感がしらべを泥酔へと導いたのだろう。
酒は飲めないが、テストが終わったその日は僕だって無茶をしたい気持ちになる。
「でも、それじゃあ今日一日、辛かったでしょ」
後期一日目。
夏休みが終わってすぐではあるが、うちの大学では初日から授業がある。
「うーん、でも授業中、寝てたからそうでもないかな」
駄目人間!
まあ、僕も授業中寝ることはあるけれど。
二日酔いで授業を寝て過ごすだなんて、あまり女の子らしいとは言えない。
「……そんなに体調が悪いなら、無理して部活動に参加しないで、家でゆっくりしてればよかったのに」
しらべの身体を心配して、僕は言う。
「でも、もう朝ほどは酷くないよ。さっきまで昼寝もしてたしね。だから今は、むしろ寝疲れしてる感じかな」身体を折り曲げてストレッチして見せる。「それよりも! 幽霊が出たんでしょ!? いいなー、この大学でそんな体験ができるなんて! ねえ、幽霊見た? 幽霊、見た?」
スイッチを切り替えた様で、しらべは目を輝かせてこちらを見た。
二日酔いでしんどそうにしていた姿を見ていた僕は、その姿がから元気のようにも思えて、心配はぬぐい切れなかったが、それでもしらべの期待には答えようと思い、僕は口を開く。
「できれば、あまり思い出したくないことだけどね」そう前置きしていてから話し出す。「僕が今日、昼に体験した心霊体験について詳しく話すよ。それから、ハルから聞いた新たな情報も含めてね」
歩きながら、足は止めずに話を進める。
僕はできるだけしらべの気を引けるよう、話を盛り上げるように心掛けた。話を整理して相手に聞かせるのは得意だ。
僕たちは今、研究棟を出て校舎の裏手にある駐車場に向かっている。恐らく、屋上から飛び降りた人はそこで息絶えた。
校舎から身を投げる場合、校舎の正面か裏手のどちらかとなるが、正面は屋上から地面までの間には窓がたくさんあり、同時にベランダや雨よけも存在していて、一直線に落下することは難しい。さらに、落下地点には植込みがあり、クッションとなる可能性も考えられた。飛び降りて自殺未遂では冗談にならない。保護され、施設に送られたらそれまでだ。さらに、人目に付くところを死に場所に選ぼうとは思わない言う心理的要素もある。
だから、自殺者は裏手で人気(ひとけ)もなく、固いコンクリートの広がっている駐車場に身を投じたと考えられた。そんな議論をするまでもなく、僕たちは自殺者が命を落とした場所は駐車場であると推測し、そこを目指して歩を進めていた。
「まず、ハルから聞いた話をするよ。実は、この学校ではもう一人、自殺をした人間がいる」
「もう一人? レイプされて自殺した女の人じゃなくて?」
「うん。どうやら男の人らしいね。けど、不可解な点があるんだ」
「何?」
「その女の人の死と時を同じくして死んでいるって話なんだ。そして、死に方もまるっきり一緒。研究棟二号館の屋上から飛び降りて、死んだ」
しらべも目を見開いた。
その奇妙な符合に、意味知れぬ不気味さを感じ取ったのだろう。
「……どうして?」
「ハルが言うには、留年が原因らしいけどね。でも、実際のところどうだろう? 留年ぐらいで自殺するだろうか? うちの大学では毎年数十人単位で留年者が出ている。けど、それで自殺した人は少なくとも僕は知らない」
「自殺するくらいなら、普通、退学して別の生き方を考えるもんね」
僕の友達も何人か留年している。しかし、落ち込みこそすれ、そこまで精神の参るものはいない。落ち込んでも現実を受け入れ、気持ちを切り替えて新しい道を歩んでいく。それが本来の人間のあるべき姿だ。
「その通り。だから、この二人目の自殺者の自殺の動機には疑問が残るわけだ。……はっきり言って、僕はこの自殺には最初の女性の自殺が関わっているんじゃないかと考えてる。もっと言えば、この女性が男性を取り殺したんじゃないかって」
同じ時期に起こった二つの似通った事件。ここに何の関係もないと考える方がおかしい。密接に関わっているのだ。それが、どのような形で関わっているのかは、まだ想像するしかできないけれど。
「その自殺した男の人って言うのは、どういう人?」
「…………? さあ、それは僕にもわからないよ。もう少し詳しく調べてみないとわからないし、調べたところで情報が出てくるかもわからない」
「その人がレイプ事件の犯人だったってことはない?」
「あ……ッ!」
はっとする。
そうだ、それならばこの奇妙な符合も納得がいく。
「レイプなんて、女からしたら最大の屈辱だよ。死にたいくらいのね。そんな苦しみを自分に与えた相手がのうのうと生きてるなんて許せる? あたしなら死んでも呪い殺してやろうと思うけどね」
留年……というのは確かに一つの自殺の動機には成り得るけど、それだけではまだ弱い。けれどそこに何らかの別の力が働いとすれば、自殺の裏に潜んだ何かが見えて来る。
黒く、大きな闇が。
「ここで、その女の子は亡くなったのかな」
駐車場に着き、しらべは地面に目を落とした。見上げると屋上のフェンスが見えた。自殺防止のためのフェンス。この駐車場のどの位置に落下したのかはわからないけれど、それでも漠然と悲哀な雰囲気を感じ取ってしまうのは、感傷的になっているだけだろうか。
しらべは手を合わせると目を瞑って黙祷した。
死者の冥福を祈る気持ち。
その思いが天国まで届くだろうか。
僕も横で静かに合掌し、祈る。
男としての醜い部分を晒して行った者たちの代わりに、僕が代わりに謝る。
世の中から、そんな男たちは消えてしまえばいい。
「エレベーターの中で起こったことは説明するまでもないよ」駐車場を離れ、僕たちは研究棟一号館をうろうろしていた。「五階に向かう途中に急にエレベーターが止まったんだ。正確に言うなら、上についてる階数表示は五階を指してた。でも、扉は開かず、救助を求めようとしたときに、僕は屋上の自殺者のことを思い出したんだ。その瞬間照明が落ちた。ダイキは霊のことを知らないから、呑気なもんだったけど、僕は心霊現象に巻き込まれたと思って焦ったよ。それから間もなくして、何者かが扉や壁をノックする音が聞こえて来たんだ。ダイキはそのときも救助の人が来たかな、なんてことを言ってたけど、そんなわけない。エレベーターの救助ってのは天井から来るもんだろ? 少なくとも床をノックしたりはしない。しかも、その音もだんだん強くなって来て、とうとうノックとは呼べないレベルになって、ガシャンガシャンと体当たりでもしてるみたいになった。いよいよヤバイって思ったその時、一瞬僕たちの身体は宙に浮かんだ。大きく揺れたんだね。で、その衝撃のあとすぐに扉は開いて、僕たちは解放された――」
「ふーん」僕の体験談を聞いたしらべはしかし、つまらなかったとでも言いたげな顔で頷いた。「誰かが霊に取りつかれて暴れ狂ったりとか、長い髪の女性がいきなり室内に現れたりとか、そういうのじゃないんだ……」
「そんなものすごい体験をしてたら、僕たちは協力とか言ってないで、とっととお寺に駆け込んでるよッ!」
僕のツッコミに、しらべはへへへと笑った。
「でも、立派な心霊体験だね。いいなー。……いや、よくないのかな? あたしはお化けとか幽霊とかを見てみたいと思ってミス研に入ったんだけど、考えてみたらその人たちにはなんらかの亡くなった理由があるんだよね。どんな理由であるにしろ、それは本人にとってみれば悲しみや苦しみしかなかったはず。だからこそ、その強い思いが魂をこの世に引き止めてるわけだし。それを考えると、あまり茶化すようなするべきではないのかな……」
自殺した人の霊なんて、特にそうだ。人を恨んで、世の中を憎んで自ら命を絶った。そう言った人に、面白半分で近付くべきではないとは……確かに思う。
「……成仏させてあげるのが一番いいのかもしれないね。って言っても、僕たちにできることは何もないのかもしれないけど。供養の仕方とかもわからないし、専門の人を呼ぼうにも、どういう風に依頼したらいいのかわからないしね」
重い空気。
自殺した女の人の気持ちを考えて、感傷的な気持ちになっているのかもしれない。
そんな中、しらべはにかっと笑う。
「ま、口では色々言ってみせても、やっぱり実際にお化けに会ってみたいわけだけどね。本当にいるのかどうか、自分の目で確かめないと納得できないじゃん。いくら幽霊の過去とか言ったって、知っている人でもないのに同情してみせるっていうのは、どうしたって偽善だと思うし、単純に怖いのって楽しいし、だから肝試しはやめられない。でも、本当に幽霊が出た時はきっちり供養してあげたいな。今、カナタも言ってたけどじゃあどうすればいいのかはわからないけど。ピーチさんならわかるかな? どっちにしろ、あたしはこの大学にいるっていう霊に会ってみたい。好奇心もあるし、もし本当に悲しい霊だったんなら、供養してあげたいと思う」
各フロアをうろうろしてみたけど、特に何もなかった。ただ真っ暗で排他的な空気が不気味というだけで、数時間前に心霊体験をした僕にしてみれば別に怖くはない。
「さ、降りようか」
研究棟一号館の五階。しらべがエレベーターのスイッチを押す。ここまでは各フロアを見て歩いたので、必然的に階段で一回ずつ上って来た。しかし、帰りは途中のフロアに寄る必要はなく、一階まで直行するので階段を使う利点はない。
エレベーターが着いて、ドアが開く。
しらべが先に乗り込むが、僕は一歩が踏み出せない。
「あ」しらべが気付く。「ごめん、怖い?」
「いや……」
正直に言えば、怖い。
エレベーターに閉じ込められ、その密室の中で直接ではないとは言え幽霊に襲われたのだ。逃げられない状態で脅威に晒される恐怖。それをたった数時間で忘れられるわけがない。
「じゃあ、歩こうか!」
返答に詰まった僕を見て、しらべが気を使ってくれる。
昼に起こったことを思い出すと、それだけで全身が寒気に襲われる。エレベーターに乗ることなんて絶対にできないと、自分でわかっている。けれど……。
けれど、しらべの前でこうして臆病な姿を晒していることを思うと、恐怖とは逆の感情に支配されそうになる。
合宿での肝試しでは情けない姿を晒して後悔の念に駆られた。二度と同じことはしないと心に誓ったんじゃないのか?
今、エレベーターを前にして足の竦んだ僕を見て、しらべはどう思っただろう。
頼りないと思ったんじゃないか?
そもそも、心霊現象を確認するためにこうして歩き回っているのだ。幽霊が出たら怖いから、エレベーターには乗らないなんてのは、本末転倒じゃないか。
それでも僕はしらべの横に並んで階段を下りていく。
後悔したところでもう遅い。今更、エレベーターを使おうだなんて言い出したら、それこそいい迷惑だ。
「それにしても」
黙ってしまった僕にしらべが話しかけてくれる。本来、しらべはこういう気遣いみたいなことが苦手なはずだ。そんなしらべに気を使わせてる僕って……。
「うん」
「どうしてカナタとダイキが襲われたのかな?」心臓がドギリと言う。「手当たり次第に襲っているのなら、もっと目撃緒言はあるはずだよ。でも、それがない。なら、二人が襲われたのにはきっと理由があるはず」
「うーん」僕は頬を掻き、考えるふりをする。「……どうだろうね。考えたこともなかったなぁ」
本当はダイキが辰巳さんの“イタズラ”の手伝いをしたからに違いない。強姦までは行かないまでも、それは女性の尊厳を陥れる行為だ。
「何か思い当たることはない? どんな些細なことでも」
しらべの真剣な視線が痛い。
思い当たることならある。それも、かなりの確率で今回の心霊現象の原因と考えられる事件。
僕はここで、全てを告白すべきだろうか?
でも、ここで話してしまったら、その後、どういうことになる?
しらべは正義感が強い。後先考えずに、自分の正しいと思ったことを行動に移してしまうタイプだ。
なら、事件を知ったしらべは警察に通報しようと言い出すはずだ。
僕にそれができるか?
ダイキや辰巳さんを僕の手で告発するなんてこと、できるのか?
チクりは人から嫌われる。ダイキも辰巳さんも人脈は広い。犯罪の密告なんかしたら、恐らく周りからの信用は一気に無くなる。
かと言って、しらべの前で通報を渋れば、しらべは自ら警察に出向いて僕から聞いた話を伝えることだろう。
犯罪を知っても通報しない男。
行動に移す勇気がない男。
そんな風なレッテルをしらべの中で張られることになる。
これ以上、僕の株は下げられない。
……やはり、辰巳さんのことを人に話すことはできない。
これがダイキの抱えていた“重荷”か。とんでもないものを背負わされたものだ。
「些細なことでもいいなら」それでも僕は何か言わなければならない。しらべの期待に答えられないのは心苦しいけど。「僕が臆病だからって言うのは、どうだろう。やっぱり、脅かす側としても、思いっきり怖がってくれる人の方が狙いやすいんじゃないかな」
「理由としては、ぱっとしないね」ぐっ。容赦なく切り捨てられる。「怖がりなだけなら、カナタやダイキよりもっと狙い目な人がいるでしょ。うちの部だって二人よりもゆうの方がよっぽど怖がりだと思うけど」
「そう言われるとそうだね」
当たり前だ。適当にそれらしいことを言ってみただけなのだから。
「ダイキの方はどうだろう? 何か霊を怒らせるようなこととかしたのかな?」
うっ。
僕の視線が泳ぐ。
こういうときに限って、しらべは鋭い。
「今日、部室に戻ったら聞いてみようか」
きっと、真実はダイキの口からも聞けないと思うけど。
「何かあるはずなんだよなぁ、たぶん。供えられてた花を蹴飛ばしたりとか、自殺した人のお墓に唾をはいたりとか、そういう罰当たりなことをしたんじゃないかな」
「……さすがのあいつも、そこまでの暴挙はしないと思うぞ」
あいつだって、社会に適合できるくらいのモラルは持ってるはずだ。
一階まで下りて来て、僕たちは次にどこに向かおうか迷う。そこにちょうど携帯が鳴って、内容を見てみると、きりが着いたら部室に戻って来るようにというメールだった。
「どうする? もう少し回る?」
「うーん、いいや。やっぱり、そう簡単には出会えそうもないしね」
しらべはやはり幽霊を見てみたいのだ。
「……せっかく来たのに、幽霊に会えなくて残念だったね」
「うん? そうでもないよ。この学校には、こう、何か裏があるってわかっただけで、ちょっとわくわくするもん。学校に来るのが楽しみになりそうかな」
「それはよかった。学校に何をしに来てるんだって感じだけど」
「ぐっ」
と言って、しらべは胸を押さえた。
言うまでもなく、学校は勉強をしに来るところで、肝試しに来るところではない。胸を押さえたのは、僕の言葉が胸に刺さったというジェスチャーだろう。
授業を真面目に受けていないしらべに対する揶揄。
普段、しらべに軽口を叩くことのない僕は、 ちょっと踏み込み過ぎたかな、と心配する。
けど、しらべの表情は傷ついたものではなく、楽しそうに笑うだけだった。
きちんと、冗談として伝わったらしい。
それならオッケーだ。
僕たちは研究棟一号館を出ると、二号館に向かった。
建物自体はすぐ隣にあるものの、入口と入口の距離は少しある。
夏が残る、少し湿っぽい空気。
学校初日ということもあって、こんな時間まで残っている生徒はほとんどいなかった。
後期の初日は授業があっても実習はない。
部室棟や購買であれば、まだ何人かの生徒が談笑していることだろうが、研究棟の周囲をうろうろしているような生徒はいない。
研究棟二号館に入ると、僕はエレベーターのスイッチを押す。
「んー?」
階段を上ろうとしていたしらべが訝しげにこちらを向いた。
「五階まで歩くの、結構しんどいじゃん? エレベーターを使おうよ」
せっかく僕に気を使ってくれてるところ悪いが、こう何度も不格好を晒すわけにはいかない。
「でも……」
「そうだね、出るかもしれないね」
あの恐怖を思い出すと、今でも身体中の筋肉がぴくりぴくりと反射的に動く。局所的な痙攣。
それでも一号館の階段を下りているときから、心の準備はしていた。
乗れる。
怖くない。
そう信じるしかない。
「別に無理しなくてもいいよ?」
「うん、確かに無理してないって言ったら嘘になる」僕はポケットから携帯電話を取り出すとハルに電話をかけた。「でも、今度はちゃんと外に助けを求められるし」
エレベーターを使うときは他のグループの誰かに電話するように言われていた。通信をしながら乗ることで、いざというときに助けを求めることもできるし、通信が途切れた場合でもそのことで緊急事態を知らせることができる。
『はい、もしもし』
「あ、僕だけど」
『何?』
「今から二号館のエレベーター乗るよ。だから連絡した。たぶん大丈夫だけど、何かあったら助けに来てね」
『おー、勇気あんな。俺らはもう部室いるから、じゃあエレベーターの前で待ってるよ』
「うん、よろしく」
エレベーターが到着して扉が開く。
薄暗い蛍光灯が内部を照らしていた。
「さ、行こう。しらべ的にはお化け、出てほしい?」
「どうだろう。お化けは見たいけど、エレベーターに閉じ込められるのは嫌かな」
「そこだよね。僕も、どちらかと言えばそっちの方が怖いや。……でも、しらべと一緒なら安心かな」
「……ん?」
「しらべなら、幽霊が出て来ても退治してくれそうってこと」
「いくらあたしでも、退治できるかはわからないなー。実際に会ったこと、まだないし」
はははー、としらべは笑った。
僕が先に入って『開』のボタンを押しておく。しらべが乗り込んだのを確認して扉を閉じた。
携帯電話はまだ繋がっている。
完全な密室が完成した後、箱はゆっくりと上昇して行く。
僕は息を飲み、ゆっくりと空気を吐き出す。
階数表示のランプがちゃくちゃくと右に移動して行くのを確認する。
ぶおんぶおんぶおん。
古い機械の立てる音。
五階。
何も起こらないまま、扉は開いた。
扉の前ではハルが携帯を耳に当てたまま立っていた。
「おー、無事か。おかえり」
「……ただいま」
しらべを先にエレベーターから下ろし、僕も続いて降りる。
結局、何も起こらなかった。
部室に着くと、ピーチさんが紅茶を飲んでいて、僕たちの五分後にダイキのグループも戻って来た。
どのグループも心霊現象は起きなかった。
もしかしたら、またダイキは狙われたりするんじゃないかなとも思ったが、そんなこともなかったらしい。
いつも襲われるというわけではないみたいだ。
……これから襲われることはあるのだろうか?
まあ、ダイキは部室に来ることが少ないから、研究棟二号館に近づかない限りは、たぶん大丈夫だろう。
これから先、どのようなことが起こるかわからないが、とりあえず解散することになった。
心霊現象を観測するという部としての目的は果たせなかったが、しらべとの距離を埋めるという僕の個人的な目的は、多少は果たせたかな?
とにかく、話すきっかけは作れた。これから、もっと動いて行かなければならない。
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