四話 夏休みの過ごし方
四話 夏休みの過ごし方
今日は成績配布の日。夏休みの真っただ中だというのに、わざわざ学校に足を運んだ理由は、前期のテストの結果を確認するためだ。
僕が身を置く薬学部はほとんどが必修科目であるため、単位を落としてしまうと来年も同じ科目のテストを受けねばならなくなる。基本的には救済措置として再試が設けられるのだが、再試自体は夏休みの終盤にあるため、この再試の有無が残り二週間の夏休みをどのように過ごすか決定づけることになる。
再試の数が多いようであれば、この二週間は徹底的に勉強しなければならない。数が少なくても、一つでも単位を落としていれば再試が終わるまで気が抜けず、張り詰めた休日を過ごすことになる。
それは地獄とまでは言わないまでも、生殺しの苦しい期間だ。
成績の配布は、各生徒がそれぞれの担当教員のところに成績表を取りに行くことで行われるのだが、二年生は十時半に返却であるため、僕は時間を持て余していた。
時刻は九時を少し過ぎたところ。
落とした単位の数が多いと、授業態度が悪いと判断され、再試を受ける権利が無くなり、結果として留年することになる。
だから、この成績発表の日は誰もが留年の二文字に恐怖しながら学校にやって来るのだ。
それは僕だって例外じゃなかった。
――毎回成績発表の日は廊下で泣いている人がいるからな。本当に冗談にならない。
僕は携帯を取り出すと、ハルに電話をかけた。
あいつも留年の二文字に脅(おびや)かされる日々を過ごして来た人間の一人だ。まだ成績配布の時間には早いが、あいつだって居ても立ってもいられず、すでに登校してきているはずだった。
案の定、すぐに繋がった。
『はい、新田(にった)ですけど』
「電話に出れるってことは、少なくとも電車の中じゃないな。今、どこにいる?」
『購買で飲みモン買ってる。あと、朝飯も』
「じゃあ今から僕も行くよ。僕ももう学校に来てるんだ。すぐ行くから待ってて」
『はいよ』
学生掲示板を確認した後、僕は元来た道を戻って購買に向かう。ちょうどいい。おにぎりか、あるいは朝飯に代わるようなものを買って食べよう。時間はまだまだある。
購買の飲み物コーナーの前で野菜ジュースにしようか炭酸飲料にしようか迷っているハルを見つける。合流すると、会計を済ませ、僕たちはミス研部室へと向かった。
ちなみに僕は朝食としてスニッカーズとコーヒーを買った。
「久しぶりだな、カナタ。夏休みどうだったよ?」
「毎日バイトだよ。朝から晩までな。塾の講師は、意外と忙しいんだ。このシーズンは中学生が夏期講習に来るから。おかげで、今月はだいぶ稼げたけどね」
バイト三昧の日々を送った。
しかし、それは言い換えれば特に遊びに出かけてはいないということだ。
合宿から返って来てから今日までの間、僕は大学の知り合いとは一人として会っていない。大学に実家から通っている僕としては、わざわざちょっと遊ぶためだけにこっちまで出て来るのが面倒だというのもあったが、そもそも友達の半数近くは関東圏外の実家に帰ってしまっていて、遊びに行けるような状態になかったことも理由に上げられる。さすがに東北や関西に帰っている奴をこちらに呼び出そうとは思わない。
合宿から返って来てからすぐ、僕はしらべにお誘いメールを送った。
女の子を遊びに誘うだなんて、始めて事だった。
だからたった一言のメールを作成するのに、一時間以上かかって、送信のボタンを押すと言う作業だけに一〇分くらいかかった。
五時間後に返って来たメールを見た時は、初めてのしらべとの交信にはしゃいだものである。
けれど返って来たメールは『ごめん、ちょっと忙しい』というもので、どう忙しいのか詳しく聞いたら『今日から三日間はバイトで、それが終わったらすぐに実家に帰る』のだという。しらべの実家は山梨だ。僕の実家は埼玉。埼玉から山梨。行って、行けないこともないが彼氏でもない男が会うためだけにわざわざその距離を埋めて出向くほどには近くない。実家から返って来たら遊ぼうぜ、とメールを送ったものの、それ以降返信はなく、今日に至ってしまった。
いつ実家から帰って来るのか。それも聞こうと思ったが、あまり詮索をし過ぎると引かれてしまうと思い、自重した。悪い印象を与えることだけは避けなければならなかった。だから僕は黙ってこの比を待っていた。
成績発表の日。しらべは絶対に実家から帰って来ている。そして、学校に来る。今日はちゃんと会って、これから夏休みのしらべの予定を尋ねなければならない。
購買を出て外を歩いていた僕たちは、講義棟の自動ドアを抜けた。ミス研の部室がある研究棟と講義棟は連絡路で繋がっていて、ここから一本で行くことができる。ただ、それでも結構な距離を歩かなくてはならない。
「そういうハルは夏休みを楽しんだのか?」
「ああ、ピーチさんと二人で遊びに行ったよ。バイトも忙しかったけどね」
「焼き肉屋で働いてるんだっけ?」
「うん。夏休みは平日でも昼から子連れが多くてめんどくさかった」
それからハルがピーチさんとどこに行ったのかを聞いた。プールに行って水着姿を見たこと、服を買いに行ってTシャツを選んでもらったこと、一緒にこの学校の歴史について調べたこと。
「この学校の歴史って何だよ」
どんだけこの大学を愛してるんだよ。僕は真っ当な疑問を投げかける。
「歴史って言い方はわかりにくいかな? じゃあ、こう言おう。この学校で起きた事件について、いろいろ調べてみた。一応、ミス研の部員だし、ピーチさんだって部長だしね。何かこの大学にも色々な黒い噂や暗い過去があるんじゃないかと思って。だって、この学校、歴史だけは一人前にあるからね。明治時代からある大学なんて数えるほどしかない。いくつもの戦争を跨いで来てるんだから、むしろ、なければおかしいと言っていい」
僕はそういう調べごと系のことには興味がないので、よくそんなことをする気になるな、と思う。でも、話の内容自体は興味深い。自分の通っている学校の黒い部分。ぜひとも拝聴願いたいものだ。
「ま、詳しい話は追い追いするよ。結構、色々出て来たからね。もっと時間が取れるときに、みんなの前で改めて披露させてもらうよ」
詳しく聞きたいと言ったら、あっさり受け流された。
確かに簡単に話せるようなものじゃないんだろう。ハルの言う通り、この大学は歴史だけはある。飲み会の席や、あるいは部室で人数が集まったときにゆっくりと聞くことにする。
講義室を抜けると、実習室が並んだ通路に出て、さらに進むとボロいエレベーターが見えて来る。ここが研究棟二号館。現在、研究棟は五号館まであるため、二号館と言ってもかなり古い建物だ。一階は研究室がなく、事務室とロッカーがあるだけなので、まだそうでもないが、二階より上の階になって来ると、狭い廊下に何に使うのかわからない古びた器具がそこら中に置かれていて、寒天培地やピペットなどのガラス器具の箱、参考書が溢れている本棚なども道を狭めていて、退廃的な空気を醸し出している。薬品の臭いや、実験で使う動物たちの臭いもその雰囲気に拍車をかける。
何度か夜になってから、それぞれの研究室の前をうろついたことがあるが、できれば一人ではいたくない。ミス研の活動で一度だけ行ったことがあるが、廃病院に通じる禍々しさがある。もちろん、本物ほどではないにせよ。
僕とハルはエレベーターに乗り込むと五階のボタンを押す。このエレベーターもだいぶ古い。きっと跳ねれば安全装置が作動して簡単に止まってしまう。
四方の白いペンキはやや剥がれ始めていて、動き始めと止まる時が荒く、揺れる。
建物自体が古いので、仕方ないことなんだけど。
「おまえは夏休み中、ずっとピーチさんと遊んでたわけか」
五階に着き、エレベーターを下りて言う。
ハルは東京の都心部に住んでいる。そういえば、遊ぼうと思えば遊べたのに、夏休み中ハルとも会わなかったな。会ったところで、飯食って会話して帰るだけになるのは目に見えていたので、あえて集まろうとは思わなかったのだが。
「いや、他の人とも遊んだよ。一昨日くらいに映画見に行ったよ。ゆうとしらべと」
「へえ」
映画は興味ない。小説を原作としたものなら、少しだけ心惹かれるが、どうせハルたちが見に行く映画なんて、人気俳優を寄せ集めただけの下らない作品だろう――なんて映画批判をしている場合じゃない!
「えッ!?」
思わず聞き返す。
何か、聞き逃してはいけないワードが入っていた。
「な、何だよ。どうした?」
「映画見に行ったの? 誰と?」
「だから今、言ったじゃんよ。映画見に行ったって。ゆうとしらべと」
僕は携帯を取り出して送信履歴を確認する。うん。ちゃんと『実家から帰って来たら遊ぼうね』とメールを送ってある。
未送信になんてなってない。
ということはしらべは僕の誘いを無視して、ハルと映画を見に行ったのだ。
僕へのメールは忙しくて遊ぶ暇がないみたいな内容だったのに。
「はは……」
笑えない事実だった。
拒絶。
無視。
僕はしらべに、そんなに悪いことをしただろうか。
そりゃ、みっともない姿を何度も晒して来てるけど。
それだけでこんな仕打ちを受けるなんて。
「何、悲しそうな顔をしてんだよ」
「……何で、僕を誘ってくれなかったんだよ。僕も見たい映画があったから、せっかくだったら一緒に行きたかった」
これは表情を誤魔化すための嘘だ。
僕は映画に関心がないので、そもそもこのシーズンにどんな映画をやっているのかも知らない。評判を聞いて面白そうだと思った映画がテレビで放送されるときは、時間に余裕があれば見ることもあるが、映画館に足を運ぼうとは思わなかった。確かに音質はいいし迫力もあるが、その音の大きさも僕にとっては耳への攻撃でしかなかったし、一五〇〇円払うくらいなら、同じ値段の小説を買った方が長く楽しめて価値のある時間の過ごし方のように思えた。もちろん、映画を見る金があれば、それを小説に回したいだなんて、極端な話もいいところだが。
ハルは僕があまり映画を見ない人間であることを知っている。だからこそ、僕を誘わなかったのだろうけど、しかし幸い、僕の好きな作家の小説が映画化されたところで、その話はちょっとだけハルにしたことがあった。僕はその映画が見たかったのだろうと、ハルは勝手に勘違いしてくれた。
「おまえが見たかった映画ってあれだろ? トイレには未知の力が働いてて、異次元の扉となっているとかいう、意味のわからないとんでもミステリ。残念だけど、今回はしらべが見たいって言ってたホラー映画を見に行くことで決定してたんだ。おまえ、ホラー苦手だろ。だから呼ばなかったんだよ。まあ、そんなに気にするんだったら、これからは声くらいかけるようにするけど」
ホラー映画なんて何が面白いのだろう。
ただ、不気味な展開とグロテスクな映像で観客の気分を沈め、隙を見て爆音で驚かすだけの内容のない紙芝居。
わざわざ金を払って心臓に負担をかけるだなんて……。寿命を縮めて、何が楽しいんだろう?
「ホラーかよ……。じゃ、いいや。遠慮しとく。誘われなくてよかったわ」
勘ぐられる前に、適当に話を戻して切り捨てる。
いきなりホラー映画について行くなんて言い出すのも不自然だしね。映画も幽霊も興味のない僕にはそもそも縁のない話なのだ。
それでも誘いを無視されただなんて……。
成績が返って来て落ち込むのが目に見えているのに、成績が返って来る前から気持ちが塞ぎ込んでいる。
エレベーターを下りて、研究室の機材で溢れた狭い廊下を行くと、研究室に比べればだいぶ小奇麗な扉がある。そこが僕らミス研の部室だ。
元々は談話室であったため、扉には窓が設けられている。そのため廊下を通る生徒に中を覗かれるのを防ぐために黒い画用紙が内側から貼られていた。
中に入ると三人の姿があった。一年生のサゴとカラス、それからゆうが椅子に座ってテレビを見ていた。去年の冬、とうとう僕たちが入部したときからあったブラウン管のテレビを捨て、液晶テレビに変えたのだ。卒業生から部員たちに記念品として贈られたもので、おかげでデジタル放送に移行後もテレビを見ることができるようになった。
サゴとカラスはそれぞれ本を読んでいた。彼らは僕と同じで、ミステリー小説が好きでこのサークルに入って来た口だ。
「よお」
「おはよー」
僕らがやって来たのを見て、ゆうに続いてサゴとカラスも小声で挨拶する。
「ゆうも緊張して早起きして来たのか?」
「そうだねー。やっぱり、成績発表の日は緊張しちゃうね」
ハルの問いにゆうは購買で買って来たであろう紙パックのミルクティーをストローですすりながら答えた。
「サゴとカラスはテスト、どんな感じだった?」
「まあまあですかね。結構、過去問が通じたんで、助かりました」
サゴが言う。それにカラスも続く。
「前期よりは難しかったっす。二年になると、もっと難しくなるんですよね。やばいなー」
「一年の成績配布は何時から?」
「十時からですね」カラスは腕時計を見た。「あと三〇分くらいしたら、取りに行きます」
壁にかかった時計を確認したら九時半になっていた。二年生の成績配布は一年生の時刻よりさらに三〇分後だ。まあ、ここでゆっくりしよう。
「三年生は来ないんですかね」
サゴが本を置いて尋ねる。僕ら上級生が来たことで、本を読んでいられる空気じゃなくなったと判断したのだろう。気持ちはわかるので、申し訳なくなる。
「三年の薬学部はピーチさんと津島さんだけだからな。あの二人は成績優秀だから、成績発表ったって、本当にただ成績表をもらいに来るだけくらいにしか考えてないさ」
留年や再試の危険がない人たち。ミス研の活動の傍ら、時間を見つけては勉強をしているらしい。津島さんは製剤研究部の活動が、ピーチさんはハルと共に様々な怪奇現象や都市伝説を調べ回っているというのに、どこに勉強をする余裕があるというのだろう。
僕なんかミス研の活動以外、バイトしかやっていないというのに勉強をする時間を設けることができない。それは単純にやる気がないせいでもあるが、読書や昼寝の誘惑に打ち勝つことは難しい。勉強をすることができる人は、いったいどうやってその誘惑を断ち切っているんだ?
「ま、とは言っても、ここにいるゆうもなかなかだけどね」
ハルが茶化すように言う。
「あはは、なに言ってんのよー。あたしだって今回はあんまできなかったから、結構心配してるんだよ?」
「とか毎回言いながら、結局再試ゼロで成績もほぼAとBで通すからね、ゆうは」
ゆうもまじめだ。たまに講義中に寝たりもするらしいけど、基本的にはきちんと参加しているという。授業中に読書をしている僕やそもそも授業に出ないことの多いハルとは、やはり成績に差が出て来る。
「ハルさんやカナタさんはどうなんですか? というか、ハルさんはかなりヤバイみたいな話を前に聞いたんですけど……」
「はっはっはっは!」ハルは大きな声で笑った。「もし、留年したら来年は同じ学年だな。よろしくな、二人とも!」
「ははは……」
二人とも苦笑いだった。
「とは言っても、ハルだって再試は受けさせてもらえるだろ? 再試さえ受けさせてもらえれば、留年は免れられるでしょ。僕も再試が一つか二つくらいだろうから、前期は大丈夫そうだ」
再試の多い人間は留年の危機に晒されることになるが、結局この二週間、死ぬ気で勉強をするため、ほとんどの単位は取得できる。再試を受けて留年する者は、相当たるんでいたか、本当に学校の授業に付いて来れなくなっていたかのどちらかである。
「ところでおまえら、春休みはどっか行った?」
ハルが一年生二人に聞く。成績のことは、まだあまり考えてくないのだ。
「僕はずっとバイトでしたね。あとは、買い物に行くくらいで」
「僕もそんな感じっす。友達とプールには行きましたけど。ああ、そんときはこいつもいましたよ」
と言って、カラスはサゴを指さした。
そして、あとはずっと家で読書をしていたと言う。
僕と似たようなもんか。
「ゆうは……この前映画見に行った時に聞いたよな。おばあちゃん家に行ったのと、あと肝試しに行ったんだっけ?」
「そう」
頷くゆう。
「肝試し?」
合宿のときにもやったが、その後に個人的にやったのだろうか?
「うん。ミス研の人たちとね。津島さんと辰巳さんとしらべとあたし。辰巳さんの運転で行ったんだよ」
ほお、四人で肝試し。
って。
「え、え、え、え」
動揺のあまり、意味のない言葉が出て来た。
映画だけでなく、肝試しまで?
しかも、運転って、ドライブ付き?
それって結構、大きなイベントじゃないか。
それに津島さんがいるって……。
「え……? どうしたの?」
「……どこ行ったの? この辺の心霊スポットはもうだいぶ回ったよね」
もう大学周辺で回れるところは去年の時点ですでに行き尽くしている。一度行ったところに、再び行ったのだろうか。
「山梨の方のお化けが出るって言うトンネルを回ったんだよ。ほら、しらべの実家って山梨じゃない? だから、ちょうどいいって話になって、ぐるぐるっとね。夜になるまではみんなでアスレチックとか行って遊んだんだけどね。今度、みんなで行きたいなー。ああいう、ドライブみたいなの」
言葉が出て来なかった。
目の奥がじんと燃えて、手の先が小刻みに震えだす。
居ても立ってもいられなくて、地団駄を踏みそうになる。
しらべの地元で、楽しく肝試し。
焦りが僕の中でピークに達する。
僕は何をやっていたんだ?
みんなはこんなに楽しそうな夏休みを送ったって言うのに、僕は何をやってた?
バイト、バイト、読書、バイト、読書、読書!
それで充実した夏休みが送れたと思っていた。
一人で過ごした夏休みが充実してただって?
それが大学生の夏休みの過ごし方だろうか?
楽し過ぎて毎日が過ぎていくのが名残惜しい、そんな夏休みにだってできたんじゃないのか?
大学生にとっての夏休みはもっと貴重なものであるべきで。
僕はもっとこの大切な時間を有効活用しなければいけなかった。
なのに、一ヵ月という長い休みを、僕は一人で過ごしていた……?
気付いて、途端に後悔の念に駆られる。
何をやっているんだ、僕は。
バイトや読書だけじゃない。
僕はテレビを見て、昼寝をして、どう考えたって無駄な時間を使い方で夏休みを消費して来た。
もっと、有意義な夏休みを送りたかった!
まだ夏休みは残り二週間ある。
今日は成績発表の日。しらべも学校に来るはずで、当然、実家からは帰って来ている。残り二週間で、もう一度山梨に帰ってしまうだろうか。でも、再試があったらもう一度夏休み中に学校に来なければいけないので、実家には帰らない気がする。
「カナタ、どうしたの? 怖い顔して」
ゆうが苦笑いを浮かべながら尋ねて来る。
やばい、今はゆうとの会話中だった。すっかり、自分の世界に入り込んでいた。
「ごめんごめん。急に、成績のことが怖くなってね。留年してたらどうしようって思って、留年した後のことを考えてたわ」何とか誤魔化す。「……と、ところでしらべは? あと、サンゴクも来ないね」
「ああ、しらべは朝弱いからねー。たぶん、まだ寝てるんじゃないかな。成績もギリギリの時間に取りに行くんじゃない? あすちゃんは彼氏さんと一緒に食堂にいるのを見たよ。たぶん、まだあっちにいるんじゃないかな」
ちなみに、ミス研二年生のうち、ダイキだけは生命科学部で僕たち薬学部とは成績の受け渡しの日が違う。
しらべはギリギリか……。ってことは、部室には来ないで帰るな。
いつも、しらべは部室に来ない。部会のときにたまに来るくらいで、基本的に肝試し等のイベントにしか興味を示さない子だ。だから、こうして毎日のように部室に通っていても、しらべと会う機会はとても少ない。だからこそ、合宿ではもっと距離を縮めなければいけなかったし、夏休み中もメールで誘ってどこかに一緒に遊びに行かなければならなかったのだけれど……。
なのに、どちらも未達成なまま、今日に至っている。
しらべは、ちゃくちゃくと津島さんとの距離を縮めているようだった。その話を聞くたびに僕は焦る。しらべを追いかけているのに、しらべは津島さんを追いかけてどんどん先に行ってしまう。僕はずっと定位置に立ったままだ。遠ざかって行くしらべを見ていることしかしていない。
このままではまずかった。
絶対にいけない。
でも、これ以上、何を努力すればいいのだろう?
遊びに誘っても断られ、活動で顔を合わせたところで話しかければ無視される。
客観的に見て、終わり過ぎていて自分を嘲笑ってしまう。
もう僕は、すでにストーカーの域に足を踏み込んでいないか?
わからない。
やり過ぎている気もするし、同時にまだ何もしていない気もする。
何をすればいい?
わからない。
今まで、女の子を遊びに誘ったことなんかなかった。
それどころか、満足にメールのやり取りをしたこともない。
何をすべきで、何はすべきではないのか。
行くべきどころと、退くべきところがわからない。
もっとぐいぐいメールで遊びに誘った方がいいのか? そうしないと、しらべとの仲は一向に深まらないよな?
でも、僕の誘いを無視するってことはもう僕に興味はないってことで、これ以上のメールは迷惑になるんじゃないか?
わからない。
わからないから、動けないし、動いても失敗する。
今まで、恋愛に対して何もして来なかったことの埋め合わせが、こんな形で現れるとは。
圧倒的な恋愛経験のなさ。
そもそも大学にいる、彼女のいる連中はどうやって彼女を作ってるんだ? サークルや友達数人で一緒に飯に行ったり、遊びに行ったりして、仲良くなって二人で遊ぶようになって、付き合うことになりました。そんな話をよく聞く。
複数人で遊びに行っても、全然仲良くならないんですけど。
考えれば考えるほど絶望的な気持ちに支配されて、いっそのこと、一生一人で過ごしてやろうかとも思う。
ガラッという椅子を引く音がし、目を向けるとカラスとサゴがかばんを持って立ち上がっていた。
「じゃ、そろそろ僕ら、成績を取りに行くんで。お疲れさまでした」
二人はそろって部室を出て行った。僕たちも手を振って送り出す。
それから僕は一人、頭を振った。
投げやりになるんじゃない。
それこそみっともない。
必死になってる姿は確かに滑稽かもしれない。
けれど、何もしないくせに必死になっている人間を笑うような醜い人間にはなりたくない。
僕はとにかく全力でやると決めたんだ。笑われようと関係ない。
僕は合宿でのダイキの言葉を思い出す。
“おまえはただの童貞コミュ障野郎だ”
笑ってしまう。
まさにその通りだ。
僕は一人じゃ何もできない。
なら、信頼できる仲間に頼るしかない。
幸い、今、部室にいるのはゆうとハルの二人だけ。この二人は僕の友人の中でも特に面倒見のいい二人で、そして信用できる。相談をすれば、絶対に親身になって話を聞いてくれる。
恋愛相談なんてしたことはなかった。
自分の心の内を曝け出すことなんて、今まで一度もしたことがなかった。
けど、僕一人で殻にこもっていては何も進まない。
踏み出していかなければならない。
ビビるな。
勇気を振り絞れ!
僕は唇を舐め、咳をして咽喉の調子を整えると、二人に勇気を出して話かけた。
――あ、あのさ!
が、話しかけようとして声が出なかった。
自分でもびっくりした。
――相談するだけだってのに、緊張で声が出ない。
相談すらできないのかッ! 僕はッ!
あまりの欠陥具合に改めて自分の駄目さを確認する。
二人はハルのバイト先の話で盛り上がっていた。
……なんか、盛り上がってるみたいだし、やっぱり切り出すのはやめようか。
ここで僕が話しかけて会話を中断させるのも悪いしな。
そもそも、僕が打ち明けても、解決の糸口が見つかるとは限らない。
下手な相談は、二人に無用な気苦労をかけることになるのではないだろうか?
考えなしの相談は、相手にとっても重荷に違いない。
危なかった。
やっぱりやめておこう。
「あああああああああああああああ」
って、ここまで来て何言ってんだ僕はッ!
ここですでにチキってどうすんだよ。
そんなんだから、全然進展しないんだ。
どう思われようが、二人に助けてもらわなければ勧めないんだろ?
恥も体面も捨てろよ!
突然うめき声を漏らしだした僕にゆうとハルは、ぎょっとした顔をこちらに向けた。
「ど、どうした、カナタ?」
強引に踏み出した一歩、もう後には引けない。
「あ、あのさ」咽喉がぎりぎりと締まり、気道を圧迫する。生理的な現象までもが、僕を妨害しようとする。「相談したいことがあるんだけど!」
「お、おう。だからどうした、そんなに改まって。いいよ、俺が相談に乗れることなら」
「あれ、あたし、ここにいない方がいい? もしあれなら、席を外すよ」
紅茶を持って立ち上がろうとするゆう。
「い、いや、ゆうもいて。ゆうにも力になってもらいたいから」
「えぇ? ……そう? ……あたし、力になれるかわかんないけど、それなら、うん、とりあえず聞くだけ聞くよ」
二人は顔を見合わせた。
僕が何の話をしたいのか、全く見当が付いていないようだ。
……そりゃ、そうだ。唐突過ぎるってことくらい、僕もわかっている。でも、タイミングを見計らっていたら、このままずるずると先延ばしにしてしまう気がした。
のんびりしている余裕はないのだ。やると決めたからには、かっとばして行かなくては。
「実は……」二人の目は見れない。僕は床を見ながら話を進める。「恋愛相談なんだけど」
ハルは『はーっ』と笑いを含んだ呼気を漏らし、ゆうは口に手を当てて、目を見開いた。
「……なんだよ。そういうことか。すごい思いつめた顔してたから、何言い出すかと思ったわ……ビビった」
「あたしもドキドキしちゃった。カナタ、さっきから様子変だったし……」
「悪かったな……。これでも僕にとっては大きな問題なんだよ」
二人とも、それぞれ反応は違ったが拒絶する様子はない。
二人はあまりにもあっけなく受け入れてくれた。あっけなさ過ぎて、今まで悩んでいた自分は何だったんだろうと思う。
「いや、十分に大きな問題だな。わりーわりー、でも、何で急に俺らに相談なんかしようと思ったんだよ。しかも、こんなときに。合宿とか飲み会でも恋愛トークはしてただろ、みんな」
「言おう言おうとは思ってたんだけど、なかなか踏ん切りがつかなくてさ」
それに、飲み会や合宿にはしらべもいる。
そんなところでしらべのことが好きだなんて言えるか。
「……で、その好きな人が誰かって言うのは……聞いてもいいの?」
ゆうが僕に気を使いながら聞いて来る。むしろ、それを聞いてくれなければ、二人に相談する意味はない。
「うん……。僕が好きなのは」息を飲む。唾も飲み込む。どちらも狭まった気道で突っかかって苦しい。言うべき時が来た。口の中がパサパサだ。言葉を絞り出せ。「……しらべだよ」
言った。
宣言した。
ハルはちょっと眉を動かし、ゆうは先ほどと同じように口に手を当てて驚きを表した。
「そうなんだ。うん。しらべは可愛いよね。本当に可愛い」
ゆうが幸せそうに笑う。
親友を誇る表情。
自分が褒められたように、ゆうは喜んだ。
「……知らなかったな。全然気付かなかった。へえー。俺はてっきり」と言って、ハルは右側に座るゆうに視線を送った。
おい。おまえまであらぬ勘違いをしてたのか。
僕は周りに勘違いさせるような態度を取った覚えはないが。
「いつから?」
「一年の夏ぐらいから」
「わー、一目ぼれ?」
「うーん」どうだろう。あれは一目ぼれと言うのだろうか。第一印象は屋上の地面に座って肉にがっつく変な子。でも、最初から目を引いてはいたんだ。「……まあ、そうなるかな」
そのへんはあまり長々と説明してもしょうがない。恥ずかしいだけだし。
「で」ハルはその辺りのことは聞かずに、率直に尋ねて来る。「相談って? しらべのことで何か悩みがあるんだろ? 言ってみろよ」
「ああ」そのための告白だ。「しらべを遊びに誘おうと思うんだけど、どこがいいかな」
「どこがいいと思う?」
ハルは早々にゆうを頼る。
「うーん……。二人で遊ぶの?」
「いや……、どうだろう……。二人で遊びたいけど」
「いきなり二人で遊ぶのは厳しいんじゃないかな。ほら、いきなり二人でって言っても構えちゃうと言うか……」
「あぁ……まぁそうだろうね……」
「なら、肝試し行く? 俺らも」ハルが提案する。「ゆうとしらべ、津島さん、辰巳さんで行って来たんでしょ。なら、俺らで行っても問題なくね? あいつ、お化け大好きだから、そういうので釣れば喜んでたぶん来てくれるよ。なんなら、俺が企画しようか?」
ハルはイベントを企画するのが得意だ。心霊スポットだって色々知っている。それにまつわる怪談の数だって際限ない。プラスして、近辺のグルメ情報やレジャースポットも抜かりがないので、イベントはハルに任せれば、まず失敗しないはずだ。
けれど、ゆうが首を横に振る。
「カナタがしらべを誘いたいなら、カナタが幹事をやった方がいいと思う。もちろん、ハルに相談するのは全然いいと思うけど。やっぱり、誘われるならちゃんと誘ってもらった方が嬉しいと思うし、そっちの方が印象はいいと思うよ」
僕が誘って、果たして来るのだろうか。
しらべを呼ぶための企画を練って、いざ誘ったら来ないだなんてなったらまさに喜劇。酷く滑稽だ。
「……それで、しらべは来てくれるかな」
こんなこと、ゆうに聞いたってどうしようもない。それはしらべが決めることで、ゆうがどうこうできる問題でもない。
しかしゆうははっきりと頷いてくれた。
「来るよ。絶対に。もし断られても、あたしが説得するから」
「……無理やり連れて行っても仕方ないんだよ」
そんなの、何も楽しくない。僕だって辛いだけだし、しらべだって不愉快なだけだ。
「説得って言うのはもしもの話だよ。大丈夫、普通に誘ったらオーケー来るから」
ゆうは知らないのだ。だからこんな風に言えるのだ。
「僕は合宿の後に一度、メールで遊びに行こうって誘ってるんだよ。でも、断られてるんだ。だから、今回も断られる可能性の方が高いんだよ……」
「ああ……」何かを思い出すように頬をかく。「……実はね、一昨日、あたしとハルとしらべで映画見に行った後、三人で飲み会やってるんだ。そこで、カナタに遊びに誘われたって話は聞いてたんだ」
「え」金槌で殴られたみたいに視界がグラリと揺らいだ。酒の席で男に誘われた話。嫌な予感がする。「……なんだって?」
「普通に残念そうにしてたよ」
「残念……?」
「誘ってくれたのに、断って申し訳なかったって……」
残念そうにしていた?
僕と遊ぶのは嫌だったんじゃないのか?
てっきり実家に帰るっていうのは口実で、理由をつけて断られたのだと思っていた。
「で、で、でも。こっちに帰って来てんのに、なんの知らせもなかったよ。ハルや津島さんとは遊ぶのに、僕の誘いだけ断るだなんて……僕はしらべに嫌われてるんじゃないの?」
「え、そんなことはないと思うけど。……断られた後、なんかメール送った?」
「実家から帰って来たら遊ぼうぜって……」
「その後、改めてメール送った?」
「いや……だって、しらべから返信のメールがなかったんだよ? いつ頃こっちに戻って来るのか教えてもらえないと、誘おうにも誘えないよ」
ゆうは苦笑いを浮かべる。
「だからだよ。あの子、自分からはメールを送らないし。一緒に遊びたいならちゃんとメール送らなきゃ。大丈夫。嫌われてはないから。改めてちゃんと誘ってみな」
肩の荷が下りる思いだった。
まだ可能性は残ってる。
メールで誘ったことだって、間違いじゃなかった。
自然と顔の筋肉が弛緩して笑みがこぼれて来る。
「あの子、いつもはあんな奔放(ほんぽう)にしてるけど、実は誰かに引っ張ってってもらいたいタイプの子だから。誰かに手綱を握って欲しいって思ってる。だから、しっかりリードして行くくらいの方がいいと思うよ。多少、強引なくらいでもいいんじゃないかな」
リード。
エスコート。
それらは僕が最も苦手としている分野で。
やり過ぎなんじゃないか。
女の子は嫌がってないかな。
いつもそればかり心配して、結局何もせずに終わってしまう。
しらべが自由にアホみたいにしている姿をそっと見守りながら、大事なところでしっかりと手を取って正しい方向へと導いてやれる男。確かに、そんな男がしらべには合うと思う。
そして、実際にしらべは、そういう人を求めてる。
津島さん。
後輩を温かく見守り、正しい方向へと引っ張って行ってくれる存在。まさに津島さんのことじゃないか。
二人が並んで歩く姿。
その光景が映像となって浮かび上がり、僕の胸を打つ。
「……僕が全部企画するよ。初めてだけど、頼れる男になるためには人に頼りっきりじゃ駄目だからね」
あの人に勝たなければならない。
いや、それ以前に胸を張って、津島さんと肩を並べるくらいにならないと。
一人で何でもできて、さらに他人を助け、導くことのできる人間。そういう風にならなければ、人を惹きつけることはできない。
少し強引なくらいに接して行かなければダメだ。
相手の迷惑ばかりを考えていては結局何もできないまま変わらない。
他者中心的な性格。
相手の気持ちを理解したつもりになって“きっとこうされたら嫌だろうから辞めておこう”。能書きだけは綺麗だが、外から見れば何もできないクズ野郎。それが今の僕だ。
何もしなければ、何も起きない。
相手の気持ちを考えられるような、僕は素晴らしい人間です。だからきっと、いつかは誰かに愛してもらえる。
そんな下らない幻想は捨てろ。
動かなければ、相手の気持ちは動かない。
わずかでも好意があれば、いい方向にきっと傾く。
恐れるな。
嫌われることを、恐れるな。
「あ、でもちょっと待った」決意を固めた僕にハルが声をかける。「この二週間はやめておいた方がいいよ」
「どうしてッ!?」
残りの夏休みのどこかで予定を立てようと思っていたのに。学校が始まったら、実習などが忙しくなって都合が付きにくくなる。
「たぶん、しらべ、あいつ、再試がいっぱいあって肝試しどころじゃないよ。テスト勉強している間のあいつは、トランス状態に入ってるから、そもそも誘いのメールを送っても返って来ないと思うし」
まだ成績が返って来ていないものの、僕は恐らく再試は一、二個と言ったところだ。一日くらいは遊んでも大丈夫だと思っていたが、その状況がしらべにも当てはまるとは限らない。
考えて見れば、しらべも頭は決してよくはない。
それにしても、ハルがしらべのことを詳しく知っているという事実が、また僕の胸を締め付ける。
僕はしらべのことを何も知らない。気付くたび、自分の怠慢具合に腹が立つ。
「それに、しらべと二人っきりはまだ厳しいだろ? なら、俺やゆうも誘うことになる。ゆうはともかく俺は再試の数がヤバイ。留年する危険性もあるから、この二週間は勉強に集中しないと。今の俺は、悪霊や呪いより、留年の方が怖い」
ははははは、とゆうが笑う。僕も少し笑うが、それよりも早々にプランが崩れ去ったせいで、どのタイミングでしらべを誘えばいいか考えるのに必死だ。
「さ、もう一〇時二〇分だ。そろそろ成績を取りに行くことにしよう」
いつの間にか、サゴやカラスが出て行ってから三〇分も経っていた。必死に話していたせいで、時間の流れが早く感じられた。
三人でミス研の部室を出て、ハルがポケットから鍵を取り出して戸締りをする。
「オーケー、行こう! 成績配布か。俺にとっては、これもある意味“肝試し”だ」
笑いながら、各担当教員の場所へ向かう。
◆
僕たちは成績を受け取るために、担当教員の所属している研究室まで行かなければならない。ゆうの担当のいる研究室は部室があるのと同じ研究二号館だったので、僕とハルは再び二人になって各々の研究室に向かった。
「ああ、そうそう、留年で思い出したけどさ」
二号館の玄関まで来た時、ハルが声を漏らした。
「留年で思い出すようなことは、絶対にいいことじゃないだろ」
「確かにいい話ではないな」と言いながら、ちょっと笑う。「この前、合宿で強姦事件があって、自殺した人がいるっていう話はしただろ? その霊が、この研究棟に出るっていう話も」
外に出て建物を見上げる。五階建ての煤けた古びた姿も青い空の下では堂々としている。
「覚えてるよ。それが?」
「同じ時期、もう一人死者を出してるんだ。夏休み、色々大学の過去を調べてみたって言っただろ? こいつも噂話の域を出ない話なんだけどな。でも、実際にいたみたいだよ」
「噂話、噂話ねェ。そんなに人が死んでると、逆になんか本当かよって思うけどな。で、今度はどこでどうやって死んだんだよ」
「研究棟二号館だよ。屋上から飛び降り自殺」
「…………」
寒気がして再び二号館を振り返る。
気温が下がったと思ったら太陽が雲に呑まれていた。
校舎に影が落ちる。
「……不気味だろう? 同じ時期に、同じ死に方をした人間が二人もいるんだ」
「……その人は、どうして死んだんだ? いや……おまえ、最初に留年で思い出したって言ってたな。ということは」
「その通り。男の人だったそうだけど、留年して、思いつめて自殺したらしい。確かにどうしようって思う気持ちはわかるけどな。特にうちは、ちゃんと授業に出て、必死に勉強をしてる奴だって、テストができなくて留年するから。そういう人は、先が真っ暗になるんだろう。……俺も留年に足を片方突っ込んでる身だしさ、夏休み中は結構気を病んでたよ」
「……けど、それが事実だとして、同じ時期に二人も自殺者を出してたらもっと大きな問題にならないか? 僕、そんな話全く聞いたことなかったぜ」
「普通のことだと思うけどな。事件なんて、関係のない人間は一年もすればもう覚えてないよ。この事件は十年くらい前の出来事だ。当事者はみんな卒業してる。教授たちは知ってるかもしれないけど、わざわざぶり返すようなことはしないでしょ。強姦事件なんて学校にとって見れば不名誉極まりないし、留年させて生徒を自殺させただなんて、教授たちにとっても気持ちのいい話じゃない」
強姦されて自殺した女。
留年して自殺した男。
どちらも研究棟二号館からの飛び降り自殺。
研究棟二号館では“何か”を見た人もいるという。
あくまで全て、噂話ではあるけれど、火のないところに煙は立たない。
ハルが学校の過去について調べてみたいと思う気持ちもわかる。
何か、後ろ暗いことがありそうだ。
「だから、もし俺が留年してたら、全力で俺の自殺を止めてくれよ。今はこうして笑ってられるけど、本当に留年してたら俺、どうなるかわからないから。……そうだなぁ、寿司でも奢ってくれたら、これからの人生に希望が持てるかもしれない」
「寿司を奢ってやるのは金銭的に厳しいから、少しグレードを落として線香を供えることにするよ」
「…………」
しかし、結局ハルは再試が五個で、このくらいならきっちり勉強すれば留年はしない。僕も再試は一つだったので残りの夏休みはある程度余裕を持って過ごすことができる。
学校の過去も気になるところだが、僕はそんなことよりも心霊スポットを探さなければならない。
しらべを誘うのに適した、そんな心霊スポットを。
そして、夏休みが終わったら、土日にしらべを誘おうと思う。
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